羽幌町(はぼろちょう)は、北海道北部の西海岸にある半農半商の町で、留萌管内中部の中心都市である。かつては、道内有数の炭鉱の街でもあった。夕日のきれいな街としても知られている。暑寒別天売焼尻国定公園の一部である天売島・焼尻島も羽幌町に属しており、多くの観光客が訪れている。夏は海水浴客が多い。甘えびの水揚げでも知られる。町名の由来は、アイヌ語の「ハホロペツ(流出広大の川)」または「ハボロベツ(広大な川の流域)」から。留萌管内中部に位置する。天売島(西側)、焼尻島(東側)の島嶼部も含む。町の本格的な開拓は近隣の苫前町、初山別村より遅い明治中期以降であるが、大正期に優良な石炭を産出する羽幌炭鉱が発見されて以来、石炭中心のモノカルチャー都市として発展。昭和40年の国勢調査では人口30,266人世帯数6840戸を数えた。しかし、炭鉱閉山の1971年(昭和46年)以降は過疎化が著しい。昭和40年頃には、国鉄羽幌線、羽幌炭礦鉄道築別線、上羽幌線が通る羽幌駅の賑わいは最高潮に達した。昭和45年まで羽幌炭礦鉄道では野球、女子バレー、ジャンプ、卓球の実業団チームを有し、スポーツの町の発展に大いに寄与した。炭鉱閉山後の1971年(昭和46年)、人口がついに3万人を割り込み、あわてて市制を施行しようとしたが、町が国勢調査時に人口を大幅に水増しするという不正を行っていたことが発覚、町長ら幹部を含む83人が統計法違反などの容疑で書類送検される事件となった。その後も人口減が続いており、市制施行には至っていない。主要産業は漁業、農業、観光(暑寒別天売焼尻国定公園)現在、町内を走る鉄道路線は存在しない。1970年に行われた国勢調査において町の人口は2万8千人余であったが、翌1971年になって町議の告発がきっかけとなり約5,900人もの人口の水増しが行われていたことが発覚した。町では前回の1965年の国勢調査で当時の市制施行要件を上回る3万人余の人口を記録し、新庁舎の建設に着手するなど市制施行に向けた動きが活発になっていたが、町の経済を支えていた羽幌炭鉱の経営が悪化したことで人口の流出が進み、調査時には3万人を大幅に割り込んでいた。警察の捜査の結果、町長ら幹部を含む83人が統計法違反や公文書偽造の容疑で送検された。
出典:wikipedia
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