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この世の果てで恋を唄う少女YU-NO

『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(このよのはてでこいをうたうしょうじょ ユーノ、英題:)は、菅野ひろゆき(当時のペンネームは剣乃ゆきひろ)が企画・脚本・ゲームデザイン・総合プロデュースを担当し、エルフにて開発販売したSFアドベンチャーゲーム。PC-98版(18禁)、Sega Saturn版(推奨年齢18歳以上)、Windows版(18禁)があり、2017年3月16日には、PlayStation 4、PlayStation Vitaにてフルリメイク版の発売が予定されている。また、アダルトアニメ化、漫画化、小説化もなされた。無数に存在すると言われる並列世界を渡り歩き、隠された謎を解くことがゲームの目的である。並列世界はSFの題材としてはなんら珍しくないが、物理、数学、哲学、歴史、宗教の知識を元に作られた独特の世界観は多くの支持を得た。特に名高いのがA.D.M.S(アダムス、オート分岐マッピング・システム)と呼ばれる、分岐した並列世界をマップにして視覚的にわかりやすくし、探索を助けるためのシステムである。「この世の果て」とは本作の主人公が物語の最後に行き着く世界のことであり、「YU-NO」は物語の鍵を握る少女の名である。「この世の果てで恋を唄う少女」がメインタイトル、「YU-NO」がサブタイトルとなっている(PC-98版のパッケージに同梱の「SPディスクのお知らせ」に明記されている)。英題は「YU-NO:A girl who chants love at the bound of this world.」である。1996年12月26日、アダルトゲームとして発売される。エルフが開発したMS-DOS用ソフトとしては最後のもの。ユーザーの環境の違いを考慮して、フロッピーディスク版とCD-ROM版が用意された。CD-ROM版には、本編で使われているBGMのアレンジ曲が収録された。ゲーム内容に差異はない。1997年12月4日に発売される。推奨年齢18歳以上。通常版とマウス同梱版がある。パッケージ裏、CDトレイ下のイラストが数種類あり、どのイラストかは開封するまでわからない。PC-98版との差異は、ハードウェアの性能により主に演出面に現れている。また、PC-98版を通信販売で購入した時に配布されるスペシャルディスク(追加内容を収録したフロッピーディスク)のおまけシナリオが、本編に統合された。テキストにも若干の変更が加えられている。Windows版と同様、近親相姦を思わせるシーンが削除されている。他の変更点は以下の通り。エルフ大人の缶詰(2000年12月22日発売)に同梱のelf classicに収録される形で、PC-98版がWindowsに移植される。画像と音楽がPC-98版と同等になっているが、移植時の倫理規定にあわせ最低限の修正がなされた。PC-98版に存在した近親相姦を思わせるシーンがメーカーの自主規制により削除され、主人公とYU-NOの関係をあらわす単語、YU-NOの年齢が読み取れる数字が伏せられている。elf classicは後に単品での発売があった。2014年12月28日、『コミックマーケット87』(東京ビッグサイト)にて「新規プロジェクト」として公開される。翌12月29日には『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のゲーム化プロジェクトであることが公表され、ティザーサイトも公開された 。2015年7月10日、公式サイトが正式オープンした。2015年9月19日、幕張メッセで開催中の『東京ゲームショウ2015』にて、本作がPlayStation 4とPlayStation Vitaソフトとして、2016年2月18日に発売されることが発表されたが、後に同年11月17日に延期され、更に完成度を高める期間が必要との結論に入ったため、発売延期。最終的に2017年3月16日に発売予定。レーティングは未定。本作は、エルフからMAGES.へ版権が委譲され、フルリメイク版として制作される。版権の許諾ではなく委譲での移植となったのは、原作者が没した作品であるためにエルフでもどう触れればいいのか悩んでいること、PC-98版の発売から約18年間で何十社という会社による移植の話を断ってきたこと、そしてエルフにもう『YU-NO』のことをわかる人が在籍していないことなどが理由に挙げられている。キャストを一新してフルボイス化され、キャラクターデザインは全て描き直される。内容はシステムやシナリオに若干の修正が加えられるものの、「9割5分変更はない」とのこと。PC-98版とセガサターン(SS)版ではゲームのシステムが若干異なる。以下の説明は特に断りがない限り、PC-98版の説明である。YU-NOでは「Auto Diverge Mapping System(オート分岐マッピング・システム)」、通称「A.D.M.S(アダムス)」と呼ばれるシステムを採用している。これはストーリーや世界観などゲーム部分とゲームに対するプレイヤーの介入をシステムを通じてメタ包含させた、従来のADVには無かった画期的なものである(詳しくは開発の経緯を参照)。基本的には、主人公が辿った道筋が「分岐マップ」に記録され、シナリオの分岐が近づくとリフレクター・デバイス(以下Rデバイス)の「マッピング・スイッチ」が点滅し、新たな道筋を発見すると効果音が鳴る等、プレイ進行を助けるオートマッピングとしての機能がある。Rデバイスの動力源である「宝玉」を八つ集めることが現代編の目的となっており、「宝玉」の位置は初めから「分岐マップ」に表示されている。また、このRデバイスには「宝玉セーブ」と言う特殊な機能が備わっており、これこそが「A.D.M.S」における特筆すべき最大の要素である。「宝玉」を使用したこの特殊なセーブは、現時点に記録すると言う意味において一般的なゲームのセーブ機能と大差ないものの、ある世界で入手したアイテムを他の世界に持ち越せるところは本作の特徴であり他との差異を表す顕著な部分と言える。例えば、最初に亜由美シナリオをプレイした時、彼女を救うアイテムを所持していない為、必ずバッドエンドを迎える事になる。そのアイテムはバッドエンドへの分岐が決まった後でなければ入手出来ず、またバッドエンドに分岐するか否かは、時系列的にアイテム入手前のとあるイベントでそのアイテムを使用したかどうかで決まる。つまり、亜由美を助けるには、分岐前で「宝玉セーブ」し、バッドエンドルートでアイテムを手に入れた後、Rデバイスで分岐前にロードしアイテムを使用すると言う工程になるが、「A.D.M.S」は、こうしたギミックを作中に挿入するためのシステムでもある。主人公「有馬たくや」は、母亡き後に自分を育ててくれた父を事故で亡くして以来、意気消沈したまま高校生最後の夏休みを迎えていた。ある日、丸い鏡とガラス玉がはまった謎の装置が彼のもとに届く。そこには父が生きていることを示唆する内容の手紙が添えられており、手紙は「今夜10時にこの装置を持って剣ノ岬に行け」という一文で締めくくられていた。指示通りに向かった先で裸の女性が倒れているのを見つけ駆け寄るたくや。しかし彼女は彼に微笑んだ後、消失してしまう。そこへ義母の亜由美を連れた学園長が現れ、その装置を渡せとたくやに銃を突き付ける。その瞬間、地響きが起こり3人を光が包み込む。意識の薄れ行く最中、たくやは岩場の上に立つ転校生「波多乃神奈」の姿を見つけていた。夜の岬で独り目覚め、装置が点滅している事に気付くたくや。突如目の前の空間へ投影されたマップに驚く彼だが、それは平行世界を歩いて行かねばならない広大な旅の一歩である事を、この時はまだ知る由も無かった。声優が存在するのはセガサターン(以下SS)版とフルリメイク版のみ。なお、一部キャラクターについてはアダルトアニメ版の設定、声優についても記載してある。主なキャラクターの名字は戦国大名の名から採られている(有馬氏、波多野氏、島津氏、武田氏、龍造寺氏、結城氏、豊臣氏、朝倉氏、後北条氏、今川氏)。本作では、因果律を測定出来る概念として科学に取り入れた「事象科学」と言うSFギミックをベースに設定が構築されており、概要の項でも書かれてあるとおり、物理、数学、哲学、歴史、宗教などが交錯した非常に緻密で膨大な世界観となっている。特に設定においては科学の分野でそれが顕著で、本作特有の「事象科学」は上巻だけでも28頁に亘る論文が設定資料として存在しており、『YU-NO』を手掛けた菅野の作品への並々ならぬ情熱が垣間見られる部分である。この「事象科学」では「事象素子」と呼ばれる粒子が仮定され、時間と空間に因果律を加えた世界像を構築している。本作の核となる時間旅行および並列世界に関する理論は、この「事象科学」を元に説明されるものである。Rデバイスとよばれる装置には、「超念石」の結晶である「宝玉」がはめ込まれている。「宝玉」に触れると「宝玉」は時間に対する慣性を失い、静止する(すなわち時間の流れから取り残される)。このため、Rデバイスの所有者と「宝玉」は離れ離れになるが、「事象素子」(虚数空間を走る光子。因果律の伝達を行う。)の波がRデバイスによって放射されると「宝玉」は励起され、反射波を生じる。波動力学に従い、合成波の振幅(=事象密度の大きさ。事象の起こりやすさを表す。)が最大になる部分を「腹」、最小になる部分を「節」と呼ぶ。腹は「現実において十分に起こりうる事象」であり、節は「現実には起こりにくい事象」である。後者より前者の状態が自然であるため、節から腹への移動は容易に起こりうる。「事象素子」の波をうまく制御してRデバイスを「節」、「宝玉」を「腹」とすればRデバイスの所有者は「宝玉」が静止している時間(過去)に移動することが可能になる。これを、「事象の飛び移り座屈」(スナップスルー)という。「宝玉」が未来、もしくは別次元の世界に静止している場合も同様である。時間旅行に関するパラドックスの一つに「親殺しのパラドックス」がある。これは、時間を遡り過去で自分の親を殺害した場合自分が生まれて来なくなる事で、同時に過去に戻って親を殺す存在もなくなり、結果として親は死なず自分は生まれてくる。すると自分は過去に戻って親を殺害しに行く。と言う堂々巡りの論理的パラドックスである。これに対して本作は「時は可逆、歴史は不可逆」という概念に立脚しているため、このような問題が生じる事は無い。例えば、両親を殺すためRデバイスを使って時間を遡り、両親が出会う場所へ向かったとする。本来「歴史は不可逆」が前提ならば、歴史を改変しようとする自分はこの場に存在し得ない筈だが、例え過去へ戻っても、”時間を遡って過去の時代を過ごしている”という事実が、現在までの歴史の延長線上に歴史的事実として刻まれていく事になる為、これは歴史の改変を意味するものでは無いのである。また、自分が辿り着いた過去は時間を遡って来ていると言う事実が付加されている為、元々の過去とは異なっている。時間を遡る事によって、遡る前とは別の「両親の出会いに自分が立ち会う」世界が生成されるのである。これは俗に言うパラレルワールドだが、本作の「事象科学」においては「並列世界」と呼称する。「事象科学」では「並列世界の並列世界」が生成されることもあり得ると考えられ、過去に遡る事により新たな過去が並列世界として生成されるが、元々の過去も別の並列世界として存続し続けるとされる。その為、例え時間を遡って過去をやり直す事が出来たとしても、元の並列世界(やり直す前の過去)は依然として存在しており、一度過ぎ去った過去は決して無くす事も変える事も出来ない、と言う事も意味している。因果律を含めた世界像を数式によって表すため、因果律を流体に見立てて流体力学を適用すると、以下の基礎方程式が導かれる。(1)は連続の式、(2)は運動方程式、(3)は熱力学第一法則から導かれるエネルギー方程式である。相対性理論によると、速度vで移動する物体の質量mおよびエネルギーEは以下の式で表される。(5)は、質量とエネルギーが等価であることを示している。すなわち、質量mの物体を消滅させるとmcのエネルギーが生じるのである。これを「事象科学」に適用すると、拡張アインシュタイン則が得られる。等価質量Mの消滅・生成により、エネルギーEの生成・消滅が起こるわけである。Eを因果律エネルギーと呼ぶことにする。流体の状態には、層流と乱流がある。前者は不規則な変動を含まない流れであり、後者は流速や圧力が不規則に変化する流れである。因果律の層流とは先の基礎方程式に従い、因果律がスムーズに伝達される状態をいう。しかし因果律エネルギーが外界から層流に供給され、因果律の伝達速度と事象粘性の比がある値を超えると不安定な状態になり、因果律の渦が形成される。これが乱流である。層流の場合、因果律は一方向にのみ流れる。対して乱流の場合は事象Aが事象Bを生み、事象Bが再び事象Aを生むといったことが起こり得る。因果律の渦は周囲にエネルギーを渡しながら運動を続けるため、外部からのエネルギー供給が途絶えると層流に戻る。Rデバイスを用いれば時間旅行が可能になると述べたが「事象密度」が著しく高い世界に接近すると、過去や未来、別次元の世界に移動することが困難になる。脱出速度を例に、この現象を説明しよう。ある天体の表面に置かれている物体が天体の重力圏を完全に脱するには、以下の式で表される初速v(脱出速度)を水平方向に得る必要がある。vに光速cを代入すると、脱出速度と光速が等しくなる時の半径が求まる。この半径より内側の領域においては、光さえも天体の重力からは逃れられない。いわゆるブラックホールである。重力場方程式を解き、ブラックホールの存在を示唆した天文学者・シュヴァルツシルトにちなみ(8)をシュヴァルツシルト半径と呼ぶ。「事象密度」は事象の起こりやすさを表すため「事象密度」が極めて高い世界はさながらブラックホールであり、接近すると他の世界への移行が困難となる。この時、「事象密度」の逆数を「限界半径」もしくは「事象のシュヴァルツシルト半径」という。「限界半径」の内側においては、いかなる手段を用いようとも他の世界への移動は叶わない。「運命」と呼ばれる状態である。系が完全に閉じられており、因果律が外部の系に流出しない(また、外部の系から流入しない)世界をディリクレ世界という。逆に、これらが起こりうる世界をノイマン世界と呼ぶ。ノイマン世界においては内部の因果律と外部の因果律が衝突するため、因果律の破綻が生じる。他方、ディリクレ世界の因果律が破綻することは通常ならありえないが並列世界との干渉が起こると、ノイマン世界となる。我々の常識に反する現象(超常現象)が時おり現実のものとなるのは、このためである。ノイマン世界は、ディリクレ世界の内部にも存在する。国家や文明をひとつの系と見なせば、異文化の流入は因果律の破綻を意味する。極東の島国であった日本(ディリクレ世界)は黒船の来航、文明開化などによりノイマン世界になったと解釈される。スイスの心理学者・ユングが提唱した共時性(心に思い浮かべた風景と外部の事象が、なんらかの働きによって一致する現象)と呼ばれる概念も、個体をノイマン世界と見なすことで説明が可能になる。一般には単なる偶然とされるが、外部から流入した因果律が本人の意識に影響を与えたとすれば心の風景と外部の事象が一致してもおかしくはない。虫の知らせも同様である。またユングの師であるフロイトは、抑圧された意識が無意識を形成すると考えた。無意識は夢などの形を取って本人の意識に現れるが、無意識から自我に向かって因果律が流れていると仮定すると自我もやはりノイマン世界となる。因果律の流入は大抵の場合、意識では捕らえられないため本人は共時性や虫の知らせを不思議がることになる。Rデバイスは「事象密度」を調整することにより、ノイマン世界の境界を超える(外部の系に移動する)ことを可能にする装置であると言える。我々が暮らす世界は様々な可能性をふくんでいるため、時おり複数の世界に分裂する。分裂の元になる世界を「原世界」、分裂により生じた世界を「従属世界」と言う。並列世界とは、「原世界」から見た「従属世界」のことである。従って上図の場合は、世界B,C,Dが世界Aの並列世界にあたる。B,C,Dの差異は微々たる物だが分裂を重ねるたびにそれは広がり、ついには似ても似つかない世界になる。Rデバイスを使い、同じ層に存在する別の世界に移動するとなにが起こるのだろうか。別の世界にも「自分」は存在するのだから、ふたりの「自分」がひとつの世界に並び立つことが予想される。しかしこれは誤りである。b層を例にとって説明すると、世界Bの「自分」がCに移動するとCの「自分」はDに押し出される。質量保存の法則が働いた結果である。これによりDの「自分」もBへの移行を余儀なくされる。「自分」と「自分」の鉢合わせは起こり得ないわけである。下層(従属世界)から上層(原世界)に移動する場合はどうだろうか。従属世界B,C,Dの因果律は基本的にそれぞれ独立しているが、ひとつの世界で原世界Aへの移動が起こると他の世界でも同様の現象が生じる。このため、b層の従属世界はすべて消滅する。上層から下層への移動は、従属世界を形成することによってなされる。従属世界の形成・消滅エネルギーEは拡張アインシュタイン則(6)から導かれる。事象移動により持ち越せるモノ(物体に限らず)が世界の許容範囲を逸脱した場合、それは世界から「矯正」を受ける対象となる。例えば主人公は、チャートの終端地点にたどり着いた際に「カオスの矯正」として強制的に始端地点まで飛ばされてしまう。これは異端分子の知識・モノを持つ主人公がより長い時間を過ごすにつれ、主人公の可能性存在が増える=可能性世界の増殖速度が指数関数的に増大する為である。また、「カオスの矯正」を受けた主人公は事象移動前の記憶を殆ど忘れてしまう。これは別事象での記憶を失う事で、ある程度反復した行動を対象者に半ば強制する事を意味する。つまりRデバイスを所持する主人公の無数の可能性存在が各事象にのさばる事で、可能性世界が無限に増殖する、そのような事態を世界が未然に食い止めている。もっと具体的に言うと、主人公の行動パターンがカオス領域に発散せず一定の周期軌道内に収まる事を実現していると言える。つまり、事象移動者の行動パターンが一定の周期軌道内に収まるという事は可能性世界の増加に頭打ちが来るという事である。YU-NOのチャート分岐が定められた数しか無いのも、これにより説明出来る。事象的介入により可能性世界が爆発的に誕生してゆく様をその時間発展の様子からツリー構造に見立て、その全体を「ブリンダーの木」と呼ぶ。つまり「ブリンダーの木」を(時間的に)さかのぼると、あらゆる事象の根源すなわち宇宙の始まりにたどり着く事になる。ちなみに、ブリンダーの木はゲーム中に示される分岐チャートとは異なるとする意見が多勢である。もし分岐チャートが「時は可逆、歴史は不可逆」というYU-NOの根底理念に基づいている(=ブリンダーの木)ならば、主人公がRデバイスを使った時点で分岐チャートは別の可能性世界における分岐チャートとして、その全体が様変わりする必要があるからである。数十万年前の地球には、非常に優れた技術を有する民族(地球先住民族)が存在した。彼らは自然と調和し、豊かな生活を送っていた。しかし地球先住民族の文明はある時、滅亡の危機に直面する。「神の涙」と呼ばれる巨大な隕石が近い将来、地球に飛来することが判明したのである。「神の涙」から逃れるため、地球先住民族は自らが暮らす大陸を次元移動装置に造り替え別の次元に移動させた。いつの日か母なる地球に帰ることを夢見ながら。移住を指揮した科学者「グランティア」にちなみ、この大陸を「デラ=グラント」と呼ぶ。「神の涙」による滅亡はとりあえず回避されたが、新たな危機が「デラ=グラント」の民を襲う。異次元の環境はあまりにも過酷であり、命を失う者が続出したのだ。彼らはこの環境になんとか適応するため、己の肉体に改造を加え幼年期は短いが成年期は非常に長い生命体に生まれ変わった。また半永久的に重核融合を行う太陽・メルギオや、酸素の供給を行う植物も作り上げた。科学者の努力により、「デラ=グラント」の環境は徐々に改善されていった。問題はもうひとつあった。「デラ=グラント」はある軌道に沿って地球(正確には地球が存在する次元)を周回するが軌道の計算には誤差があり、「デラ=グラント」と地球は周期的に接近することが明らかになった。「グランティア」の予測によれば、衝突の危機は400年ごとに訪れるという。衝突を回避する技術を持った科学者は病や寿命のため、ひとり、またひとりと命を失ってゆく。あせりを覚えた「グランティア」は自身の意識で大陸を制御するシステムを作り上げると、精神を肉体から解き放ち「デラ=グラント」を守る不滅の女神「デラ=グランティア」となる。もっとも、「デラ=グランティア」が大陸を制御するには意識を第三者の肉体に投影する必要があった。「グランティア」の指令を収めた統合コンピュータ「グランドマザー」は、400年ごとに投影の対象となる女を選び出す。選ばれた者はある儀式を行うことで女神と一体になるため、「巫女」と呼ばれる。他方、地球は「神の涙」により大打撃を受けるが長い年月を経て本来の姿を取り戻していく。「デラ=グラント」の民とは別種の生物である原人(もしくは旧人)もホモ・サピエンスに進化し、文明を築き始める。「デラ=グラント」と地球が接近すると両者に接点が生じるため、「デラ=グラント」から地球への移動が容易になる(逆もしかり)。接点となるのは日本の境町(さかいまち)である。「デラ=グラント」の民の一部は母なる地球への帰還を望んだのか、400年ごとに境町へ渡り日本の歴史に大きな影響を与えた。『魏志倭人伝』によると、古代の日本は倭国大乱と呼ばれる状態にあったが「デラ=グラント」の民は武力により西暦400年ごろ日本を統一、履中天皇となった。西暦794年には、桓武天皇の手により平安京への遷都が行われる。桓武天皇は渡来人を重用したという。渡来人とはもちろん、「デラ=グラント」の民である。彼らは鎌倉幕府(西暦1192年)や江戸幕府(西暦1603年)の成立にも関与した。「デラ=グラント」の巫女であるケイティアも400年前、自らの身体に女神を取り込み「デラ=グラント」と地球の衝突を回避すると、境町に移住した。歴史の博士号を持つ広大は日本史の転換点となるこれらの事件が400年おきに起こったことに着目し、「400年周期の仮説」を唱える。境町に起源を持つ幻の民族「高ノ天原」(たかのあまはら)が400年ごとに姿を現し、歴史の舞台裏で大規模な改革を実行するとの説である。「デラ=グラント」の民が有する技術は非常に優れていたから、彼らが渡来するたびに変革が起こるのは当然のことだった。ケイティアは境町で広大と結婚し男児(本編の主人公)を設けるが、彼女の体内にはいまだ女神「デラ=グランティア」が存在した。西暦2000年ごろの衝突を回避するには自らの命を絶ち、女神を解放する必要があった。これにより、次の巫女と女神のシンクロが可能になる。生まれたばかりの主人公と広大を残し、自害するケイティア。彼女は出産の際、自分の生い立ちや「デラ=グラント」のことを広大にすべて話していた。「400年周期の仮説」の裏付けを得たのみならず時は可逆、歴史は不可逆であることを知った広大は歴史の真理を探究するため、「事象の狭間」に旅立ち「ブリンダーの木」の観察者となる。「グランドマザー」の計算によると、西暦2000年の接近は「デラ=グラント」に破滅をもたらすという。次元と次元の衝突は回避される見通しだが接近の規模があまりにも大きいため、回避の際に生じる余剰エネルギーの逆流により「デラ=グラント」は実体化し8000年前の境町に落ちることが予測された。「デラ=グラント」の因果律は乱流になっているため、「デラ=グラント」の誕生と墜落は何度でも繰り返される(層流と乱流を参照)。「事象の狭間」から宇宙の過去、現在、未来を見渡す広大は主人公の娘であるユーノが「デラ=グラント」の新たな巫女になることを知っていた。彼女の母は「デラ=グラント」で暮らす少女・セーレス。従って「デラ=グラント」と地球の衝突を回避するには主人公を「デラ=グラント」に送り込み、セーレスと結婚させる必要があった。ケイティアが境町に持ち込んだリフレクター・デバイス(以下Rデバイス)と呼ばれる装置は、次元や時間を超える能力を有していた。Rデバイスの動力源である「宝玉」を8つそろえると「デラ=グラント」への道が開かれるが、うち6つはすでに紛失していた。「事象の狭間」を漂う広大はRデバイスを主人公に預けると、残りの宝玉をすべて集めるよう命じる。主人公の冒険はこうして始まるのだった。数十万年前の地球よりも高い次元に位置するある世界は、「事象科学」を発達させていた。アーベルと呼ばれる研究者は事象の根源になにが存在するのかを調べるため、精神を事象の根源に向かって飛ばした。「事象の狭間」には、何万年も前から生き続ける邪悪な思念体が漂っていた。思念体はアーベルの精神が事象をさかのぼっていることを知ると、彼の足跡をたどって肉体を奪った。帰る場所を失ったアーベルは死亡してしまい、思念体は彼に成りすまして生活を始めるが、アーベルと交際していた次元監査官(複数の次元を股にかける犯罪者の取り締まりを任務とする者)の女性だけはだませなかった。現代の境町に逃れた思念体を追い、次元監査官もアーベルの仇を取るため、境町へ向かった。次元監査官は「武田絵里子」と名乗って校医を勤めるかたわら、思念体の行方を秘密裏に探った。思念体は絵里子の追跡をかわすため、再び別の次元への逃亡を考えるが、次元移動装置はすでに故障していた。思念体は広大の親友である幸三に成りすまし、主人公が広大から託されていたRデバイスを奪おうと目論む。本作の目玉であるA.D.M.Sはマルチシナリオと呼ばれる手法に様々な工夫を加えることで成立した。A.D.M.Sに対する理解を深めるため、まずはマルチシナリオの特徴から見ていく。この手法は、『弟切草』(チュンソフト)のヒットを契機にゲーム業界に定着した。完全に独立した複数の物語をひとつの作品に収めるオムニバスと違い、主人公の行動や選択により物語が枝分かれしてゆくところに特徴がある。枝分かれの様子を図にしたものを、分岐チャートと呼ぶ。シナリオの分岐が複雑を極める場合はチャートを作成しながらゲームを進めることになるが、これは大変わずらわしい作業である。本作品の企画・脚本・ゲームデザイン・総合プロデュースを担当した菅野(当時のペンネームは剣乃ゆきひろ)は上述の問題を解決するため、ダンジョンRPGのオートマッピングをマルチシナリオ型AVGに適用することを考えた。オートマッピングとは、ダンジョンの地図を自動的に作成してゆく機能である。主人公の現在地を確認したり、ダンジョンの全体像を把握するのに役立つ。オートマッピングは今でこそダンジョンRPGの常識だが、古くは遊び手が方眼紙にマップを描いていた。PC-8001の時代からパソコンゲームを愛好する菅野は、こういった手間もゲームの醍醐味のひとつだったと語る。分岐チャートの作成についても同様のことが言える。しかしゲームの進化に伴い手間を楽しむ感性は過去のものとなり、より便利なシステムが求められることになった。菅野は先述したマルチシナリオの問題点がいつになっても解決されないことに歯がゆさを感じ、分岐チャートを自動的に作成する機能を考案する。このシステムは「Auto Diverge Mapping System」(オート分岐マッピング・システム)の頭文字を取り、A.D.M.S(アダムス)と名付けられた。A.D.M.Sは過去に例を見ない斬新なシステムであり、マルチシナリオを採用することがなかば常識となったAVGの世界に変革をもたらす可能性を秘めていたが、菅野の脳裏にはある疑念が浮かんでいた。主人公の行動によってシナリオが分岐することを知っているのは、ゲームの物語を「外」から眺める遊び手のみである。ゆえに、主人公が分岐チャートを描くことはありえない。分岐チャートを作成し、遊び手に提示する役目を負うのは誰なのか。同様の問題は、RPGの世界にも存在する。RPGは「Role-Playing Game」の略であり、「役割を演じる遊び」と訳される。遊び手は主人公になりきってゲームの世界を旅することになるはずだが、この建前は必ずしも守られていない。多くのRPGに導入されている「経験値」を例にとって説明しよう。戦闘を重ねるたびに蓄積される経験値は、RPGの柱とも言えるシステムである。従って、遊び手は主人公の経験値を確認しながらゲームを進めることになる。主人公が記録しているわけでもないこの数値を、遊び手が知っているのはなぜか。菅野の言葉を借りるならば、「神の視点」でゲームの世界を眺めているからである。A.D.M.Sの導入によりマルチシナリオ型AVGの攻略は容易になろうが、主人公のあずかり知らないところで分岐チャートの作成を行うと遊び手に「神の視点」が生じ、主人公と遊び手の意識が乖離することになる。YU-NOの製作を「真のロールプレイングへの挑戦」と位置付ける菅野にとって、これは深刻な問題だった。「神の視点」を解消するには、主人公にも分岐チャートを見せる必要がある。現実の世界に生きる我々は通常、過去から未来に至る道は1本しかないと考えている。それはゲームの主人公も同様なのだから、主人公が分岐チャートの存在を知ることは極めて不自然である。菅野はこの問題を解決するため、並列世界(パラレルワールド)の導入に踏み切った。主人公が暮らす世界の周囲には別の世界が無数に並列しており、別の世界への移動はシナリオの分岐に相当すると考えることにしたのである。この場合、分岐チャートの視覚化は並列世界の視覚化と同義であり決して不自然なことではない。分岐チャート(並列世界の構造)を自動的に描く「装置」を持った主人公は、ある目的を果たすため、この「装置」を頼りに並列世界を渡り歩いてゆく。分岐チャートはもちろん遊び手にも提示される。主人公と遊び手の一体化(真のロールプレイング)である。A.D.M.Sは当初、シーズウェアのAVG『XENON』(1994年)に搭載される予定だった。しかし、同社は一作の開発に長くても4ヶ月しか時間を割かない方針をとっていた。企画、シナリオ、スクリプト、プログラミングをひとりですべてこなす菅野に、オートマッピングの実装を果たす余裕は存在せず、採用は見送られた。菅野は『EVE burst error』(1995年)の開発を終えると、1996年にアダルトゲーム業界の老舗と称されるエルフに移籍する。同社は優れた開発力を有しており、8ヶ月もの時間と専任のプログラマを菅野に与えた。シーズウェアに在籍していた時には実現が不可能だった先の構想が、ようやく陽の目を見ることになった。PC-98版YU-NOの開発は、こうして始まったのである。本編の内容は現代編と異世界編に分けられる。無数に並列する現代の日本を渡り歩き「宝玉」と呼ばれるアイテムをすべて集めると、物語の舞台は古代の西洋を連想させる異次元の世界に移る。ゲームデザインとシナリオに専念することが可能な環境を手に入れ、開発に意欲を燃やす菅野は現代編(標準的なプレイ時間は30から40時間)を「大いなる序章」、異世界編を本編と位置付けていた。しかし、開発の遅れから現代編が本編となる。当初の構想は7割ほどしか実現しなかったという。このためか、現代編と異世界編は非常に対照的な作りになっている。前者がA.D.M.Sとアイコンクリック(詳細はシステムの項を参照)を採用しているのに対し後者はシナリオの分岐を持たない上、コマンドを選択することでゲームを進める形式をとっている。菅野は1997年、アーベルを設立するが、この時同社のWEBサイトにおいて「YU-NOは自分の中で駄作だったが、市場のポジティブな評価を知って自信を取り戻した」という趣旨の発言をしている。開発中は、異世界編が従来のAVGとなんら変わらない内容になったことに失望していたのだろう。YU-NOの開発はアダルトゲーム業界にひとつの話題を提供することになった。エルフが当時(1996年)、業界の最大手と言われていたのは『ドラゴンナイト』(1989年)や『同級生』(1992年)のヒットによるところが大きい。特に『同級生』はアダルトゲーム市場の基礎を築くのみならず、美少女ゲームブームの先駆けとなった『ときめきメモリアル」(1994年)に多大な影響を及ぼすなど顕著な功績が認められる。これらのタイトルを手掛けたのは、同社の代表取締役(当時)を務める蛭田昌人である。他方、シーズウェアに在籍していた菅野(当時のペンネームは剣乃ゆきひろ)も『DESIRE』(1994年)および『EVE burst error』(1995年)のヒットにより名声を高めていた。1996年、菅野はエルフに移籍する。詳しい経緯は不明だが、PC-98時代のアダルトゲーム業界を代表する両者が一堂に会すことになったのである。蛭田はYU-NOの製作を菅野に一任した上で、今後自身の作るゲームと菅野の作るゲームが交互に発売されるとの見通しを示した(「電撃王」1997年1月号)。エルフの作品はそれまでもっぱら蛭田が手掛けていたから、これはある意味、美少女ゲームに限らずゲーム世界での衝撃的な事件だった。「電撃王」は、YU-NOの製作をエルフの「新たな挑戦」「転換期」と位置付けている。ふたりは互いの力量を認め合う仲だった。「良いゲームを創るために心血を注ぐ男」(蛭田が菅野(剣乃ゆきひろ)を評して。「電撃王」1997年1月号)「強力なゲームデザイナー」(菅野が蛭田を評して。『YU-NO 完全ガイド』)しかし両者はやがて袂(たもと)を分かつことになる。1997年、セガサターン版YU-NOの開発を終えた菅野が「理想の環境」を求めてエルフを退社、アーベルの設立に踏み切ったからである。蛭田と交互に作品を制作する予定だったにも拘らず退社したことから、菅野とエルフの確執が一部で噂された。真相は不明だが、少なくとも菅野は「転機」の項に記したエルフの環境を肯定的に捉え、「この環境がなければ『YU-NO』は生まれなかったでしょう」(「ファウスト」 2004 MAR Vol.2)と述べている。菅野(当時のペンネームは剣乃ゆきひろ)がデザインを手掛けた『YU-NO』の広告は、アダルトゲームの話題を扱う各誌に波紋を広げた。また、『DESIRE』や『EVE burst error』のヒットで知られる剣乃が業界の最大手エルフの資本を背景に送り出す作品ということもあって、各誌は『YU-NO』を大々的に取り上げた。本作の目玉であるA.D.M.Sにも注目はもちろん集まり、「アドベンチャーゲームの常識を覆す」「画期的」システムと評される。「電撃王」1997年1月号では「年末年始に発売されるベストゲームはこれだ」と称して、『YU-NO』の名を巻頭に挙げている。また同誌が読者アンケートを元に作成した「読者の欲しいソフト」ランキングでは、1997年2月号・3月号で1位を獲得している。デジタルメディアインサイダーの集計によると、1997年11月30日までに4万5844本(CD版-3万0553本/3.5FD版-1万5291本)のセールスを記録している。同誌の1997年の年間ランキングでは、CD版が14位となっている(ちなみに1位は『SHOCK PRICE 500 麻雀』で7万7102本、アダルトゲーム最多は3位の『鬼畜王ランス』で7万2572本となっている)。「電撃王」の「第2回 電撃王ゲームソフト大賞」(1997年5月号)では読者投票の平均点が最も高い作品に与えられるヒートアップ賞を受賞しており、「E-Login」の「ゲーム & ヒロイン of the year 1996」(1997年6月号)のゲーム部門で9位(1位は『同窓会』)、「コンプティーク」の「第1回コンプティーク・ソフト大賞」(1998年2月号)で5位(1位は『To Heart』)を記録している。PC-98版の移植が決まると、コンシューマーゲームを扱う各誌はこれを大々的に報じた。「壮大なストーリー、独特の世界観、斬新なシステムが多大な評価を得た『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』がついに移植決定」(「セガサターンマガジン」 VOL.22、1997年6月20日発売)「昨年末、パソコンユーザーの間に鮮烈な感動を巻き起こした作品『この世の果てで恋を歌う少女YU-NO』 この話題作をどこよりも早く大紹介」(「電撃セガサターン」 VOL.1、1997年6月20日発売)「パソコンで発売され、練り込まれたシナリオや美しいグラフィックなどでヒットした『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のサターン版の情報をいよいよ公開」(「ファミ通」 No.454、1997年8月8日発売)「セガサターンマガジン」は『YU-NO』の初報に誌面を4ページ割いた。「電撃セガサターン」にいたっては、創刊号の巻頭を6ページも割いている。移植の決定がこれだけ大きな反響を呼んだのは家庭用ゲーム機のユーザーから見てもA.D.M.Sが斬新だったこと、および以下に述べる事情による。各誌がアンケート葉書をもとに作成する「期待の新作TOP30」(ファミ通、セガサターンマガジン)、「前評判TOP15」(電撃セガサターン)を以下に示す。最後に、発売の直前に掲載された各誌のレビュー(批評)を紹介する。「ファミ通」と「セガサターンマガジン」の場合は、編集者が10点満点で各作品を採点する。他方、電撃セガサターンは批評のみとなっている。各誌による売り上げの集計を以下の表に示す。『YU-NO』はA.D.M.Sの採用によりAVGの新たな可能性を市場に提示したがA.D.M.Sと『YU-NO』の世界観は表裏一体の関係にあるため、A.D.M.Sだけを切り取って他のAVGに転用することは困難である。単純なマルチシナリオがAVGの主流となっている現状とあいまって、A.D.M.Sをさらに発展させようという動きはいまだゲーム業界に見られない。哲学的な見地からYU-NOを高く評価する向きもある。批評家の東浩紀はいわゆるオタク文化とポストモダンの関係を論じた著書『動物化するポストモダン』(講談社、ISBN 4-06-149575-5)の中で『YU-NO』を取り上げ、詳細な分析を加えている。ポストモダンとは「近代(モダン)の次(ポスト)に現れる世界」のことだが、同書は簡便のために「1970年代以降の世界」と規定している。『YU-NO』をはじめとするオタク文化にはポストモダンの本質がよく現れているとされる。

出典:wikipedia

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