ゲーム理論(ゲームりろん、)とは、経済や社会における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問である。数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年) によって誕生した。元来は主流派経済学(新古典派経済学)への批判を目的として生まれた理論であったが、1980年代に非協力ゲーム理論が急速に発展したのを機に経済学者の間にも広く浸透し、以来アメリカの代表的大学院ではミクロ経済学の必修講義の半分をもゲーム理論の教育に充てられるまでに至った。ゲーム理論の対象はあらゆる戦略的状況 ()である。「戦略的状況」とは自分の利得が自分の行動だけでなく他者の行動にも依存する状況を意味し、経済学で扱われる状況の中でも完全競争市場や独占市場を除くほとんどすべては戦略的状況に該当する。さらにこの戦略的状況は経済学だけでなく経営学、政治学、法学、社会学、人類学、心理学、生物学、工学、コンピュータ科学などのさまざまな学問分野にも見出されるため、ゲーム理論はこれら学問分野にも応用されている。ゲーム理論は、複数のプレイヤーが拘束力のある合意を結ぶ状況を扱う協力ゲーム理論()と個々のプレイヤーが独立に行動する状況を扱う非協力ゲーム理論()とに分けられる。両者の区別は以下の表によって要約される。協力ゲームと非協力ゲームの区別はジョン・ナッシュが1951年に発表した「非協力ゲーム」という論文の中で初めて定義された。ナッシュの定義によれば、協力ゲームにおいてプレイヤー間のコミュニケーションが可能でありその結果生じた合意が拘束力を持つのに対して、非協力ゲームにおいてはプレイヤーがコミュニケーションをとることが出来ず合意は拘束力を持たない。このように当初はプレイヤー間のコミュニケーションと拘束力のある合意()の有無によって協力ゲームと非協力ゲームとが区別されていたが、非協力ゲームの研究が進展するにつれてこのような区別は不十分なものとなった。すなわち、1970年代に非協力ゲームを「展開形」で表現する理論が発達したことによって、非協力ゲームにおけるプレイヤー間のコミュニケーションが情報集合として記述・考察できるようになったため、コミュニケーションの有無が協力ゲーム・非協力ゲームの定義にとって重要ではなくなったのである。したがって、協力ゲームと非協力ゲームの区別で重要なのは拘束力のある合意が可能であるか否かであり、ジョン・ハルサニとラインハルト・ゼルテンによる「非協力ゲームはその展開形表現の中に明示的に記述されているものを除いてはプレイヤー間で拘束力のある合意が可能でないゲームである。協力ゲームは展開形表現の中に記述されていなくてもプレイヤー間の拘束力のある合意が可能なゲームである。」という定義が一般的に受け入れられるようになった。ただし、現実の相互依存的な戦略的状況そのものが協力ゲームと非協力ゲームとに分類可能な訳ではない。国際政治における国家間の相互依存関係を想起すれば容易に理解できるように、現実社会の多くの状況においてそれぞれの枠組みによる分析可能性が混在している。また、「協力ゲームがプレイヤー間の協力や協調関係を分析し、非協力ゲームがプレイヤー間の対立や競争を分析する」という理解がしばしばなされるが誤りであり、両者の違いは分析対象の単位がプレイヤーの提携レベルか個々のプレイヤーレベルかの違いである。このように両者の区別は決して明確ではなく、非協力ゲームの理論を用いて協力ゲームの問題を説明しようとする一群の研究(ナッシュ・プログラム)も存在する 。プレイヤー間の協力が実現するまでの交渉プロセスを展開形ゲームとして記述することによって非協力ゲームとして分析することが可能であり、非協力ゲームの枠組みを用いて協力の問題を分析することによって、単に協力の結果としてどのような状態が実現するかだけでなく協力が成立するためにどのような条件が必要か等といった問題も考察される。このような意味において非協力ゲーム理論は協力ゲーム理論の基礎であるということができる。ただし、1980年代における非協力ゲーム理論の急激な進歩に伴って、協力ゲーム理論の経済分析における重要性は大きく低下し、「協力ゲームなど無意味だ」と主張する経済学者まで現れたと言われている。ゲームの代表的な表現形式として、戦略形、展開形、提携形の3つが挙げられる。協力ゲームは提携形ゲームと戦略形ゲームという2種類の表現形式によって定式化され、非協力ゲームは戦略形ゲームと展開形ゲームという2種類の表現形式によって定式化される。幅広いクラスのゲームを表現する際に用いられる方法として「戦略形」がある。戦略形ゲーム()は(1)プレイヤーの集合formula_1、(2)各プレイヤーformula_2にとって選択可能な戦略の集合formula_3、(3)各プレイヤーの利得関数formula_4、の組formula_5によって定義される。なお、戦略集合の組formula_6にはプレイヤー集合formula_7の情報が含まれているため、プレイヤー集合を明記せずにformula_8によって戦略形ゲームを定義する場合がある。さらに戦略集合の組formula_6は定義域として利得関数の組formula_10にその情報が含まれているため、formula_11によって戦略形ゲームを定義する場合もある。戦略集合が有限でなおかつプレイヤーが2人のみという特殊な場合においては、左に掲げたような双行列()によって戦略形ゲームを表記することが可能である。この双行列の例ではプレイヤー集合がformula_12、戦略集合がそれぞれformula_13とformula_14であり、利得は行列の各成分によって表されている。例えば(1, 1)成分のformula_15は、両プレイヤーの利得関数がそれぞれformula_16とformula_17を満たすことを表している。各プレイヤーが順番に意思決定を行う状況を含むゲームを表現する際にしばしば用いられる方法として「展開形」がある。展開形ゲーム()は標準形ゲームに情報構造を加えたものである。情報構造の定式化の方法はさまざまであるが、情報構造を導入することによって(1)各プレイヤーにいつ手番が回ってくるか、(2)自分の手番が回って来たとき各プレイヤーは何を知っているか、を指定することができる。一つの定式化の方法としてゲームの木()が挙げられる。ゲームの木とは(グラフ理論でいう)「初期点を持つ有限有向木」であり、点()と枝()から構成される。展開形ゲームではゲームの木における頂点()上に利得関数が定義され、手番()と呼ばれる頂点以外の点の分割としてプレイヤーや情報構造が定義され、枝として戦略が定義される。協力ゲームを表現する際にしばしば用いられる方法として「提携形」がある。提携形ゲーム()は(1)プレイヤーの集合formula_1、(2)特性関数formula_19によって定義される。プレイヤー集合の部分集合formula_20は提携()と呼ばれるが、特性関数の値は任意の提携が提携に参加したプレイヤーにもたらす利得の総計として解釈される。提携形ゲームは特性関数形ゲーム()とも呼ばれる。ゲーム理論ではさまざまな現象や問題がゲームとして定式化されるが、ここでいうゲームとは1組のルール()のことを指す。すべてのプレイヤーが他のすべてのプレイヤーもルールを完全に知っていることを相互に認識し合っているゲームを情報完備ゲームとか完備情報ゲーム()といい、情報完備ゲームのルールを共有知識()という。他方、ルールがプレイヤー間で共有知識でないゲームを情報不完備ゲームとか不完備情報ゲーム()という。本節ではゲームを定義するルールの代表的な構成要素であるプレイヤー、戦略集合、利得関数、情報構造、特性関数について解説する。ゲーム理論では分析の対象となる意思決定主体をプレイヤー()と呼ぶ。プレイヤーは、あらゆるゲームのモデルに登場する基本的な構成要素であり、プレイヤー集合はしばしばformula_7によって表される。ゲーム理論におけるプレイヤーは労働者、投資家、投票者、官僚、テニス選手といった個人だけでなく、企業、クラブ、政党といった組織、さらには国家、神、シカ、植物などのような人間以外の意思決定主体にまで多岐に渡る。ゲーム理論においてはプレイヤーの人数が重要であり、ゲームを定義する際にはプレイヤーの人数を明示する必要がある。プレイヤーの数に応じて2人ゲーム、3人ゲーム、 人ゲームなどと呼ぶが、時にはプレイヤーの人数が無限の場合も考えられる。ゲームの中に意思決定主体の選択によって影響されることのない不確実性がある場合、その偶然メカニズムは自然()と呼ばれるプレイヤーとして定式化され、自然が選択する手番は偶然手番()と呼ばれる。ここでいう自然の例としては、天気、スポーツの試合前に行われるコイントス、企業の研究開発の成果、親の人格の良し悪しなどが挙げられる。自然はしばしば「0人目のプレイヤー」として定式化される。展開形ゲームにおいてはゲームの木()を構成する手番()の「分割」としてプレイヤーが定義される。展開形ゲームでは各手番において何れか1人のプレイヤーが選択をするが、手番の分割として定義されるプレイヤー分割()によって各手番においてどのプレイヤーが意思決定を行うのかが指定される。戦略形ゲームにおいて戦略()とは各プレイヤーがとり得る選択肢を意味し、行動()と同義である。プレイヤー にとって選択可能な戦略の集合を の戦略集合()とか戦略空間()と呼びformula_3などによって表すが、一般に戦略集合はプレイヤーごとに異なるため、 人ゲームでは 個の戦略集合の組formula_23を定義する必要がある。戦略集合が有限であるようなゲームを有限ゲーム、そうでないゲームを無限ゲームという。上記の意味における戦略には純戦略()と混合戦略()とがある。前者は確定的にある一つの行動を選択する戦略であり、後者はある確率分布に従って選択を行う戦略である。例えば、右に掲げた双行列が示す2人有限ゲームはじゃんけんを表しているが、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの純戦略とは、「戦略グー」、「戦略チョキ」、「戦略パー」である。他方、この「2人じゃんけんゲーム」における各プレイヤーの混合戦略とは、例えば「戦略グー、チョキ、パーをそれぞれ3分の1の等確率で選択する」といったものである。戦略集合formula_3の混合拡大formula_25はformula_3上の確率分布として定義される。展開形ゲームでは戦略と行動とが厳しく区別され、ゲームの歴史から行動を指定する関数として戦略が定義される。すなわち展開形ゲームにおける戦略とは、完全な行動計画のことであり、そのプレイヤーが行動を起こすことになるかもしれないそれぞれの事態でどの実行可能な行動をとるかをすべて漏れなく指定したものである。このように定義される展開形ゲームにおける戦略を行動戦略と呼び、他方、個々の手番における行動を局所戦略と呼ぶこともある。ゲームの重要な構成要素である利得関数()は戦略集合の直積を定義域とする実数値関数formula_4として定義される。一般に利得関数はプレイヤーごとに異なるため、 人ゲームでは 個の利得関数の組formula_10を定義する必要がある。利得関数の値である利得()とは各プレイヤーが実行した戦略によって決定されたゲームの結果に対する評価値であり、したがって、利得関数は効用関数、評価関数、損失関数などと呼ぶこともある。ただし、ゲーム理論における利得関数は、従来の価格理論における効用関数とは異なり、定義域に自分の選択した戦略だけでなく他のプレイヤーが選択した戦略が含まれる。これは意思決定の相互依存的状況を重視するゲーム理論の本質的な側面を反映している。ゲームには偶然の要素がしばしば加わり、また相手の行動の予測が困難な場合も多いため、リスクや不確実性の下での意思決定の基準たり得る利得関数を考える必要がある。このような要請に応える理論的枠組みとして、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによる期待効用理論があり、ゲーム理論においても多く応用されている。彼らによって考案された期待利得関数()は混合拡大()された戦略集合の直積集合formula_29上の実数値関数であり、プレイヤーの期待利得関数formula_30はformula_31と定義される。なお、戦略形ゲームにおいては各プレイヤーが選択した戦略の組がゲームの帰結を表すのに対して、展開形ゲームにおいてはゲームの木()を構成する頂点()がゲームの帰結に相当する。そのため、展開形ゲームでは頂点の集合を定義域とする実数値関数として利得関数が定義される。非協力ゲームにおいては、各プレイヤーがすべてのプレイヤーの利得関数を知っているかどうかは分析において大きな問題であり、あらかじめ知っている場合や経験によって次第に知る場合、何らかの推定値として知っている場合など、さまざまな場合が仮定される。非協力ゲームを展開形で表記する際に特有な構成要素として情報構造がある。情報構造はしばしば情報分割()と呼ばれる概念を用いて表現される。情報分割formula_32はプレイヤー分割formula_33の1つの細かな分割であり、プレイヤー の情報分割formula_34に含まれる集合 をプレイヤー の情報集合()と呼ぶ。すなわち、ゲームの中で情報集合 に属する手番 に到達したとき、プレイヤー は情報集合 に含まれるある手番に到達したことを知るが、情報集合 に含まれるどの手番に到達したかは知らない。したがって情報集合の概念を用いることによって、各プレイヤーが各手番において何を知り何を知らないかを数学的に定義することが可能となる。"情報構造の詳細については展開形ゲームの項目を参照。"プレイヤー集合formula_7の部分集合の集合formula_36上に定義される実数値関数を特性関数()と呼ぶ。各提携formula_37に対してformula_38は提携formula_39のメンバーが協力することによって得られる便益の総計を表している。特性関数について仮定されることの多い性質として、優加法性()や凸性などが挙げられる。特性関数はプレイヤー間での効用の譲渡が可能な提携形の協力ゲームを構成するルールである。"特性関数の詳細については提携形ゲームおよび協力ゲームの項目を参照。"ゲーム理論において解()とは特定の性質を持ったゲームにおいて現れる可能性のある結果を体系的に記述したものである。現実の多様な状況を分析するためにさまざまな解の概念が考案されている。戦略形や展開形の表現形式で定義されたゲームの解概念に対してはエダクティヴな解釈とエヴォルティヴな解釈がなされる。まずエダクティヴ()な解釈とは、ゲームの解が特定の状況におけるプレイヤーの行動を予測するという解釈である。この解釈において、プレイヤーはゲームのルールを熟知しており十分に理性的に行動した結果として均衡に到達すると考えられる。他方、エヴォルティヴ()な解釈とは、ゲームの解が何らかの性質を持った状況において観察される規則性を説明するという解釈である。この解釈では人々が最適化問題を間違えずに解く能力を持っていることすら仮定されておらず、長期に渡って低い利得を生む戦略が淘汰されより優れた戦略が選別されていく進化論的な過程の結果として均衡に到達すると考えられる。後述する通り生物学では、明らかに思考を持たない動物の行動をゲーム理論の解概念によって予測・説明することに成功しており、生物学から逆輸入する形でエヴォルティヴな均衡解釈が体系化されている。以上が非協力ゲームの解概念の解釈であったのに対し、協力ゲーム理論における解概念とはプレイヤーが提携によって得た便益の分配方法を表すものである。本節ではこれらの解の概念について解説する。プレイヤー にとって他のプレイヤーの全ての戦略の組に対してある戦略formula_40が他の戦略formula_41の与える利得よりも常に大きいとき、すなわちが成り立つとき、戦略formula_40は戦略formula_41を強支配すると定義され、formula_40が他の全ての戦略を強支配するとき、すなわちが成り立つとき、formula_40を強支配戦略と定義する。さらに、全てのプレイヤーが強支配戦略をとっているとき、そのような戦略の組を強支配戦略均衡と呼ぶ。強支配戦略の定義は強い条件を課しており、強支配戦略均衡には非常に限られたタイプのゲームにしか存在しないという欠点がある。これに対して被支配戦略逐次排除均衡とは、「相手プレイヤーが被支配戦略を選ばないと仮定した際に、新たに強支配される自分の戦略を自分が選ばないと仮定した際に、新たに強支配される相手プレイヤーの戦略を相手プレイヤーが選ばないと仮定した際に、...」という推論を繰り返して残った戦略の組である。被支配戦略逐次排除均衡は強支配戦略均衡よりも戦略組が存在するケースが多い均衡概念であるが、被支配戦略逐次排除均衡が実現するためにはすべてのプレイヤーの利得関数が共有知識であり、なおかつ各プレイヤーが無限の推論能力を持っている必要がある。さらに、すべての戦略組が被支配戦略逐次排除均衡の条件を満たしてしまうケースすらあり、被支配戦略逐次排除均衡は多くのゲームにおいて予測の役に立たないという欠点がある。前述の強支配戦略均衡と被支配戦略逐次排除均衡がそれぞれ持つ欠点に対して、以下に定義されるナッシュ均衡は支配戦略均衡とは異なり混合戦略の範囲では必ず存在することが知られており、また、被支配戦略逐次排除均衡よりも強い概念であるため、経済分析にとってナッシュ均衡は非常に都合がよく、実際にほとんどの非協力ゲームの分析においてナッシュ均衡が応用されている。ナッシュ均衡()は次の条件を満たす戦略の組 として定義される。この条件は、各プレイヤーが自分を除く全てのプレイヤーの戦略を所与とした際に最適な戦略を選択していることを意味している。したがってナッシュ均衡において、「自分が行動を変えると相手がそれに反応するのではないか」という予想をする必要がどのプレイヤーにも無く、ナッシュ均衡によってゲーム理論誕生以前のクールノー均衡やベルトラン均衡、シュタッケルベルグ均衡といった雑多な均衡概念を統一されたと評価される。上で定義されたナッシュ均衡は静学的な均衡概念であった。これに対して、動学的なゲームを考える際には上述のナッシュ均衡条件に加えて「信頼できない脅しやはったり」を排除するための条件が必要となる。「信頼できない脅しやはったり」を排除するためには実際にプレイされることのないサブゲームにおいても各プレイヤーの戦略が正当化されている必要がある。このような発想からラインハルト・ゼルテンは、動学的なゲームの戦略の組 が全てのサブゲームにおいてナッシュ均衡となっているとき、それをサブゲーム完全均衡()と定義した。サブゲーム完全均衡は通常のナッシュ均衡が抱えるのような問題点を解消しており、さらに計算が容易であるため、展開形ゲームの基本的な解概念として受け入れられている。ゲーム理論を創始したジョン・フォン・ノイマンやオスカー・モルゲンシュテルンの思想の背景にはジンメル、マルクス、ウェーバー、ウィトゲンシュタインなどのドイツ語圏ユダヤ人思想の潮流があると言われている。特にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの研究にはドイツの哲学者ゲオルク・ジンメルの影響が色濃く現れていることが指摘されている。"Gesellschsftsspiele"というドイツ語はフォン・ノイマンによる先駆的論文「社会的ゲームの理論について」(1928年)において用いられ「ゲーム理論」という名称の由来にもなった単語であるが、当時としては一般的な表現ではなかった。しかしこの概念は、以下の引用に示されるように、ジンメルの著書『社会学の根本問題』(1917年)において主題のひとつとして既に論じられていた。なお引用文において翻訳者の清水幾太郎は"Gesellschaftsspiele"に「社会的遊戯」という訳語を充てている。日本におけるゲーム理論研究に先鞭をつけた鈴木光男は「社会化のゲーム形式」と呼ばれるジンメルの社会観は後にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって打ち立てられたゲーム理論そのものであると論じている。ゲーム理論における人間像は自己と他者との関係から成り立っており、したがってゲーム理論は社会存在としての「自我の自覚と他者の発見」という近代の市民社会の精神によって基礎づけられる。さらに、ゲーム理論は個人間の自由な関係を前提としているにもかかわらず、「レッセ・フェール()」と呼ばれる古典的自由主義の楽観的人間像とも異なった人間像・社会像を与えている。ゲーム理論が登場・普及する以前に「主流派」とか「正統派」と呼ばれる位置を占めていた新古典派経済学はゲーム理論と比較して次の2つの理論的特徴を有した。経済学において合理性とは完備性()と推移性()が同時に満たされることを意味しており、合理的な経済主体の行動は制約付き最適化問題として数学的に定式化することができる。プライステイカーの仮定は経済主体の選択が市場価格に一切の影響を与えないことを意味しており、意思決定の戦略的側面や価格決定のプロセスそのものを捨象している。これらの方法論はポール・サミュエルソン(1970年ノーベル賞受賞者)の主著『経済分析の基礎』によって体系化されるものであるが、これによって本来複雑極まりないはずの経済主体間の相互依存関係が「一定とされる市場価格」を媒介として各個人にとって個別の最適化問題に帰着することが可能となる。経済主体同士の対面における戦略的利己的行動や具体的な経済主体が影響力を発揮する市場プロセスを重視していたオーストリア学派は上記の2つめの特徴をもつ新古典派経済学を早い段階から批判しており、このオーストリア学派の系譜からゲーム理論が誕生した。ゲーム理論は1980年以前は学界からも「異端の思想」として捉えられており、当時のゲーム理論の処遇や位置付けについて鈴木光男は1970年に公刊された編著書『競争社会のゲーム理論』の「はしがき」で次のように語っている。また、2005年にノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングは、受賞の際に選考委員会から "The "errant economist" (as Schelling has called himself) turned out to be a pre-eminent pathfinder." と紹介された。シェリングが "errant economist" を自称したのは当時支配的であった正統派経済学の道を歩まず異端派としての遍歴を重ねた実感からであり、同時にこれはシェリングのみならず多くの初期のゲーム理論家に共通する感情であった。なお、現在「異端派経済学」と言えば、制度派経済学やカール・マルクスの影響を受けて成立したポスト・ケインズ派、レギュラシオン学派、ラディカル派、マルクス派などといった新古典派経済学に対する反対勢力を指すが、彼らはニューケインジアンなどの新古典派に対して「異端派」を自称しており、現実主義、手続き的合理性、有機体論、国家による市場介入の支持、生産と成長への関心といった特徴を持つと主張している(右に掲載された表を参照)。第1の前提条件である「認識論」に関して、現実主義とは、現実世界を正しく記述することを理論の目的とみなす異端派の立場である。他方、道具主義とは、理論を正確な予測や計算といった分析の道具とみなし、その目的以上に仮説が現実的である必要はないとする新古典派の立場である。これらの点について、ゲーム理論は理論分析の道具として近代経済学に応用されるだけではなく、比較歴史制度分析などの一部の制度経済学において特定の時代・地域の制度や体制を精密に描写するための手法としても用いられている。また、1990年代にゲーム理論の応用分野として誕生したマーケットデザインは具体的な個別の各問題を分析・解決することを目的とした「オーダーメイド」の理論を構築することを志向している。第2の前提条件である「合理性」に関して、新古典派は経済主体が所与の制約の中で最適な選択をするという強い仮定を課しているのに対して、異端派はハーバート・サイモンによって提唱された限定的で制限された合理性を採用している。ゲーム理論は成立当初は新古典派の合理性の仮定を踏襲していたが、1980年代から1990年代にかけて合理性を前提としないアプローチをも採用することとなった。合理性を限定したゲーム理論の研究アプローチについては後述の「#限定合理性アプローチ」の節を参照。第3の前提条件である「存在論」の「方法論的個人主義」とは、新古典派においてプライステイカーの仮定として定式化されていたものであり、彼らの想定する経済主体は他者からの影響を受けることなく制約付き最適化行動をとる。他方、異端派が採用する有機体論において、個人は社会的存在とみなされ、マルクス経済学者によって強調されるように、文化や社会階層などを含む環境に影響される。これらに対して、ゲーム理論は方法論的個人主義がその基礎にあるものの、他者との関係性によって個人が成立しているというオーストリア学派の人間像が反映されており、個人間の有機体的な相互依存関係を重視している。第4の前提条件である「政治的中心」は追加的な項目である。新古典派の仮定の下では「パレート非効率的な状態では(非効率性の定義より)全員の満足度を高めるような別の状態が必ず存在するから、当事者が合理的であれば全員に取ってより良い状態へ移行するはずである。したがって、合理的な個人の自由に任せておけば結果は必ず効率的になる。」という素朴な自由放任主義思想が成り立ち、実際にこうした考え方は新古典派経済学者の間で一時は大きな影響力を持っていた。彼らは短期的には何らかの不完全性や外部性が存在し、国家の介入が必要であることを認めているものの、長期的にはそれらに起因する非効率性が市場メカニズムによって解消されると信じていたのである。他方、異端派は新古典派が採用した独立的合理性やパレート効率性に対してそもそも懐疑的であったため、国家による市場領域への介入の必要性を強く訴えていた。これらに対してゲーム理論は、「囚人のジレンマ」に代表されるような各個人が合理的であったとしても政府が介入しなければ効率的な配分が実現しない場合が存在することが明らかにし、政府が制度設計によって人々に適切なインセンティブを提供する主張した。第5の前提条件である「分析の焦点」に関して、新古典派は希少な財がいかに配分されるか、という問題に関心を持っていた。他方、異端派はアダム・スミスやカール・マルクスといった限界革命以前の古典派経済学者のように富と生産を拡大することに貢献する必要資源をつくることに基本的関心を持っている。両学派が分析の対象を交換や生産といった狭義の経済に限定しているのに対して、ゲーム理論は市場や生産といった狭義の経済のみならずさまざまな分野に応用されている。その広範な分析対象については後述の「#応用分野」の節を参照。ゲーム理論は誕生当初には新古典派経済学と対立していたが、1950年代には一般均衡理論の重要な未解決問題であった完全競争市場の存在証明に非協力ゲームの枠組みが応用され、さらに1960年代にはシュービックによりエッジワース交換経済モデルが協力ゲームとして一般化された。これらの研究は両パラダイムが相反するものではなく、ゲーム理論が新古典派モデルの一般化であることを示しており、ゲーム理論のパワーの大きさを十分に示すものであった。鈴木光男は1960年代における両パラダイムの関係を次のように述べている。このような交流を経ても、1980年まで両パラダイムは微妙な対立関係を保っていた。なぜゲーム理論の基礎が開発された1950年代から20年以上もの間それが経済学の研究に広く認知されることがなかったかは「経済学説史上の大きな謎」とされている。しかし、1980年代に非協力ゲーム理論が急速に進展するとゲーム理論が一般の経済学者の間にも浸透してゆくこととなる。ゲーム理論は新古典派モデルの特徴のひとつである合理性の仮定を自然な形で継承・発展したものであったため、1980年代に実現したこのパラダイム転換は大きな不連続な変化として意識されないほどにスムーズであり、「ゲーム理論による経済学の静かな革命」とも評された。研究動向の変化を示す代表的指標である「エコノメトリックソサエティ」世界大会招待講演の内訳を見ると、1975年大会においてゲーム理論は皆無だったのに対して1980年大会ではミクロ経済学者による講演全体に占める約40パーセントが、1985年大会では80パーセント以上が「ゲーム理論と情報の経済学」となっている。このように進展したゲーム理論が経済学にもたらした成果として神取道宏は以下の2点を挙げている。まず第一に、完全競争市場以外の幅広い社会経済問題を合理的行動から統一的に捉える理論体系が出来たことである。これにより、理論分析の対象となりうる範囲が俄然拡大され、産業組織論、国際経済学、労働経済学、公共経済学、金融論、経済史などの個別分野に大きな進展がもたらされた。第二の成果は、ひとたび完全競争市場の世界を離れると、各個人の利益追求は全体としては非効率な結果をもたらすことがむしろ普通であり、各個人に対して適切なインセンティブを与える制度設計が重要であるということが経済学者の間で明確に理解されたことである。なお、ゲーム理論が経済学を市場という特定の分析対象から解放し、インセンティブ設計の理論へと発展させるに際して、契約理論が果たした役割の重要性も指摘されている。契約理論()とは元来、新古典派モデルに対する諸批判を扱う研究の総称でありゲーム理論とは独立した分野であったが、「静かな革命」と称されるゲーム理論の成果は主に契約理論の個々の枠組みを介して実現された。21世紀現在では、ゲーム理論がかつて「異端の思想」であったことを信じない専門家がいる程度までにゲーム理論は普及しており、価格理論、契約理論と並んで「ミクロ経済学の三本柱」と称されるまでに至った。1990年代以降、米国の主要大学院におけるミクロ経済学の必修講義の半分がゲーム理論の教育に充てられるようになっている。ゲーム理論は誕生当初は「社会における合理的行動の数学理論」として研究されていており、新古典派経済理論と同様に合理性の仮定を採用していた。これに対して、ハーバート・サイモンは1950年代に限定合理性()の概念を提示し「効用最大化」に代わる「満足化」の原理を採用すべきと主張している。サイモンの提唱した限定合理性アプローチは多くの研究者にその重要性を認めらたものの、サイモンの主張の多くは単なる研究方針に過ぎず具体的な枠組みを示したものではなかったため当時の経済学者やゲーム理論家からは「定理なき理論」()と見なされ、研究の主流になることはなかった。しかし、1980年代後半から1990年代にかけて、経済学やゲーム理論は伝統的な合理性の仮定を緩和し現実の人間が持つ人間的な合理性()の研究を本格的に開始することとなる。新古典派経済学が「合理的で利己的な経済人(ホモエコノミカス)」としての人間行動を前提としていたのに対して、1990年以降、仮定をより現実的な人間像に近づけることによって理論の説明や予測の精度を高めようとする試みである、実験経済学と行動経済学が台頭した。こうした学説史上の現象の一因として、経済学におけるゲーム理論の定着が挙げられる。伝統的な経済学は大規模な市場に関する分析しかしていなかったため実験の利用可能性が大きく制限されていたのに対して、ゲーム理論は少数のプレイヤーが戦略的に行動する問題を分析していたため理論予測を実験で直接検証することが可能であった。ゲーム理論の実験は1950年代にメリル・フラッドとメルヴィン・フィッシャーの「囚人のジレンマ」の実験によって創始され、その後も「最後通牒ゲーム」の実験や「独裁者ゲーム」の実験などさまざまな研究が行われてきたが、フラッドらによる黎明期の実験から近年の実験まで一貫して自己利得最大化と整合的理論形成を基礎とする個人の合理性だけでは説明できない実験結果が観察されている。こうして行われた教室実験によって蓄積された現実の人間行動と理論的予測の乖離を示すデータによって行動経済学()と呼ばれる分野が登場した。行動経済学では、新古典派に代表される伝統的経済学の前提から現実の人間の行動がどのように乖離しているのかを明らかにし、数学的な理論によって定式化される。この行動経済学の観点から限定合理性の理論、学習理論、公平性や互恵性の理論などを研究するゲーム理論の分野は特に行動ゲーム理論()と呼ばれる。このように現実の人間はしばしば論理的整合性を欠いた行動をとるが、合理性の仮定に基づく理論モデルが現実の人間社会を説明する上で全く役に立たない訳ではない。合理性の仮定に基づく理論モデルをベンチマークとして構築・活用するアプローチは一般に方法論的合理主義()と呼ばれるが、伝統的な合理性の概念はサイモンによって提唱された限定合理性とも整合的である。例えばの研究によれば、米国ウィスコンシン州のベテラン技師Harold Zurcherがあたかも複雑な確率的動学的最適化問題を解いて行動しているかのように合理的なタイミングでエンジンを交換していたことが確認されている。さらに、人間の行動だけでなく動物や植物の行動や進化も合理性を前提としたモデルによって予測・説明され得る。数理生物学者のジョン・メイナード・スミスらによって創始された進化ゲーム理論()は、理性的思考を持たない生物社会をゲーム理論の枠組みによって分析するが、思考を持つはずのない植物ですらあたかも合理的計算をしているかのように進化や行動をしていることが確認されており、限定合理性アプローチを志向する経済学者にも大きなインパクトを与えた。進化ゲームは生物学から社会科学へと逆輸入され、プレイヤーの学習、模倣や世代間教育、文化継承などを表現するモデルとして経済学や社会学などの社会科学諸分野にも応用されている。ゲーム理論が普及する以前の支配的パラダイムであった新古典派経済理論は自由市場を是とし政府による市場介入を不要と主張しており、当初は経済理論が工学的に実用化されるとは予想すらされていなかった。他方、ゲーム理論は効率的な資源配分を実現するために政府が制度設計を通じて人々に適切なインセンティブを提供する必要性を示唆していた。一部のゲーム理論の成果は実験的手法を通じてその再現性が科学的に確認され、1990年代から2000年代にかけて積極的に現実の制度設計に応用され始めた。このような経済学史上の画期的なパラダイム転換は、カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学へ」というスローガンになぞらえて「空想から工学へ」と称される。経済理論の工学的応用の中でも特に、既存の市場が解決できない問題を解決するために科学的手法を用いて人工的に市場を設計することを試みる研究分野は「マーケットデザイン」と呼ばれる。米国では1994年に連邦通信委員会がゲーム理論家に設計させた周波数オークションを実施し70億ドル以上の収益を実現し、ゲーム理論は「全オークションの母」としてメディアから賞賛された。その後、周波数オークションは日本を除くほぼ全てのOECD加盟国によって導入され、数兆円規模の政府収益を生んでいる。周波数オークションの成功を機にマーケットデザインは積極的に実用化されており、その応用分野は研修医マッチングプログラム、学校選択制、腎臓交換プログラムなど多岐に渡る。ただし日本は先進国の中では例外的にマーケットデザインの実用化が進んでおらず、特に周波数オークションの導入に対して政府は消極的である。日本ではテレビ局や電気通信事業者などに対して総務省官僚が裁量的に無償で周波数の使用権を配布する比較聴聞方式が依然として行われている。このような日本政府の姿勢に対しては、通信事業と総務省官僚との間の天下りのような私的動機に基づく官民癒着が指摘されている。新古典派経済学の理論モデルは物理量をポテンシャルの最大化原理として記述する理論物理学を模倣し、数理最適化と呼ばれる既存の数学を応用することによって構築された。サミュエルソンによって完成されることとなるこの経済理論がいわば「物理学の借り物」であったのに対して、ゲーム理論は経済学の中から独自に生まれた唯一の数学理論である。ゲーム理論の誕生を機に、経済学が他の科学分野の理論的枠組みを輸入するだけの段階から、他の科学分野に理論的枠組みを提供する段階へと進展した。ゲーム理論の具体的な応用分野については後述する。数理科学としてのゲーム理論の特徴として、不動点定理の利用が挙げられる。古典物理学を始めとする自然科学における対象物が観察者から独立しているのに対して、社会科学における対象物は観察の対象であると同時にまた社会を観察する主体でもある、という点で自然科学と社会科学は本質的に異なっている。特に、プレイヤーが相互の選択を予測し合うゲーム理論では、各プレイヤーが認識する社会に認識主体である彼ら自身が含まれている。したがって、各プレイヤーの社会に対する認識と認識された事実とが整合的である必要があり、さらに、各プレイヤーから一斉に認識される事実がそれぞれの認識に対して頑健である必要がある。社会科学における均衡()とは、プレイヤーが社会に向けた観察と、その社会における彼ら自身の行為や選択との整合性や頑健性であり、このような議論の数学的対応物が不動点定理()である。ナッシュ均衡()とは、各プレイヤーが社会に向けた認識の組と一致するような戦略の組であり、それは認識と行為との対応関係(最適反応関数)の不動点に他ならない。このような不動点議論によって、自然科学における因果関係とは異なる社会科学特有の哲学的基礎を定式化することが可能となる。1937年にフォン・ノイマンによって発表された論文「経済学の方程式体系とブラウワーの不動点定理の一般化」の中ではブラウワーの不動点定理が用いられていたが、1941年にミニマックス定理の補題としてフォン・ノイマンが部下の角谷静夫に一般化された不動点定理を証明させて以来、ゲーム理論にはこの角谷の不動点定理が広く用いられている。不動点アプローチが含意する社会観や哲学的基礎は、明示化こそされていなかったものの、ワルラス的な模索過程()やマクロ的ケインズ均衡のような従来の経済理論にも潜在するものであった。実際、不動点アプローチはゲーム理論以外の「主流派」経済学の一部においても採用されており、1954年にはケネス・アローとジェラール・ドブルーがブラウワーの不動点定理を用いて、同年ライオネル・マッケンジーは角谷の不動点定理を用いて、それぞれ一般均衡の存在定理を証明している。ゲーム理論を始めとする数理経済学において用いられる不動点定理としては、最も基本的な連続関数に対して適用される「ブラウワーの不動点定理」や連続関数を一般化した「閉対応」に対して適用される「角谷の不動点定理」の他に、選択定理を利用した「ファン=ソネンシャインの不動点定理」や完備束上の関数に対して適用される「タルスキの不動点定理」などが挙げられる。数理科学としてのゲーム理論のもうひとつの特徴として、公理論的アプローチが挙げられる。公理論的アプローチにおいては、分析対象の性質や均衡などをその対象が必ずしも意図せず持つような特性などから逆に特徴付けるような手法、すなわち公理的特徴付け()が採用される。ここで用いられる公理系とは論理的な形で与えることのできる究極の形式的表現であり、理論の精密性を保証するために必要不可欠であった。従来の経済学には原理()という言葉が多用されるものの公理()という言葉は用いられなかった。これに対して、ゲーム理論は社会科学において初めて公理系と呼ばれる概念を用いて社会状況を表現してその解を導くことを試みた学問分野である。オーストリア学派の中心的経済学者であったカール・メンガーが公理主義的経済学の構築を提案していた頃、ジョン・フォン・ノイマンはダフィット・ヒルベルトと共同で数学や量子力学の公理化を進めていた。一方、オスカー・モルゲンシュテルンはメンガーらの影響を受け、公理論的基礎を持つ科学的言語の創造とそれに基づく社会科学と倫理学に再構築を構想していた。ゲーム理論はこのフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが出会ったことによって誕生し、その当初から公理論的体系を具していた。彼らの共著書『ゲームの理論と経済行動』(1944年)において用いられた公理論的アプローチは、ナッシュの交渉問題、ナッシュ均衡、シャープレー値など後のゲーム理論研究において多用されることとなった。公理論的アプローチによって構築されたゲーム理論は、社会を構成する人間の理性的行動を明確に記述・分析する言葉として多様な分野で用いられ発展している。公理論的アプローチはゲーム理論以外にも価格理論などの主流派経済学にまで普及しているがその一方で、ポスト・ケインズ派、旧制度派、オーストリア学派、ラディカル派、マルクス学派などの異端派経済学者からは批判を受けている。彼らが共有する批判的実在論()によれば、公理論的アプローチを採用している主流派経済学は何かを説明する際に公理となる仮定や条件から演繹する必要があるが、この方法では社会科学が事象の規則ではなく深層の社会構造や経済主体に関心を持っていることを認識できないという。すなわち、現実世界が社会構造と経済主体からなる「開放系」であるにも関わらず、システムを「閉鎖系」としてしか分析できない公理論的アプローチを用いている限り、理論・実証の双方とも不完全なままにとどまるであろう、という批判がなされている。ゲーム理論が誕生する遥か昔からゲームに関する研究は連綿と行われていた。狩りや耕作の収穫を祈るために、古代社会においてはサイコロやクジを用いた占術が洋の東西を問わず広く行われており、それらに関する逸話は『旧約聖書』や『魏志倭人伝』にも見ることができる。このような、他者の戦略が問題とされないようなゲームは「偶然ゲーム()」と呼ばれるが、偶然ゲームに関する研究はクラウディウス (BC10 - AD54) の『サイコロで勝つ方法』やスエトニュウス (AD69 - AD141)の『ローマ諸皇帝の生涯』にまで遡ることができる。ゲームの研究は確率論が誕生した17世紀に大きく進展した。17世紀には、ガリレオ・ガリレイが著書『ダイス・ゲームに関する考察』(1613 - 1623) の中で効用概念について先駆的研究をしている。また、ブレーズ・パスカルはピエール・ド・フェルマーとの往復書簡 (1654年) の中で数学的期待値を最大化する戦略を論じている。これらはいずれも偶然ゲームの研究であり、他者の戦略は問題とされていなかった。17世紀後半になると、微分積分学の創始者としても知られるドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツによって初めて確率のみに決定されないゲームが研究された。ライプニッツによって分析された、ボードゲームのような相手の戦略が問題となるようなゲームは、偶然ゲームと区別して「技術のゲーム ()」と呼ばれる。確率論が偶然ゲームの考察から誕生したのに対して、ゲーム理論は技術のゲームから誕生したと言える。17世紀から18世紀にかけては、イギリスのJames Waldegrave (1684 - 1741) がフランスのPierre Remond de Montmort (1678 - 1719) への書簡の中で混合戦略とミニマックス原理のアイデアを論じている。18世紀にはイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームが著書『人性論』(1739年)において国民が私的な動機にしか反応しない場合に公的資源が過剰に使用されることを示唆している。このヒュームの思想は、1968年にアメリカの生物学者ギャレット・ハーディンが雑誌『サイエンス』上に論文 "The Tragedy of the Commons" を発表したことにより広く認知されるようになり、ヒュームの指摘した現象は現代のゲーム理論では「共有地の悲劇」として定式化されている。また18世紀中葉には、アダム・スミスが著書『道徳情操論』(1759年) の中で人間社会を「偉大なるチェス盤」に喩え、「人間社会のゲーム ()」が成功するための条件を論じている。19世紀には、フランスの経済学者アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーが1838年に発表した論文『富の理論の数学的原理に関する研究』()において寡占市場のナッシュ均衡を分析した。この枠組みは今日ではクールノー・ゲームと呼ばれている。特殊な複占モデルであったとはいえ、クールノーはナッシュ均衡の定義をゲーム理論成立の一世紀以上前に先触れしており、このクールノーの業績はゲーム理論の古典の一つとして数えられ、同時に、産業組織論の一つの基礎ともなっている。クールノーが生産量を「戦略」と解釈して寡占市場を分析したのに対し、は1883年に発表された論文 "Théorie Mathématique de la Richesse Sociale" において価格が「戦略」であるモデルを分析している。20世紀初頭には、ドイツの数学者エルンスト・ツェルメロが「チェスの理論への集合論の応用について」 () という論文を発表し、チェスのように単純なゲームを分析した (1913年)。この論文においてツェルメロは(現在の言葉で言えば)完全情報を持つゼロ和二人ゲームに純戦略で最適戦略が存在することを証明している。この命題は今日では「ツェルメロの定理」と呼ばれている。1920年代にはフランスの数学者エミール・ボレルが三つの論文、、の中でWaldegraveが200年以上前に論じていた混合戦略とミニマックス解を初めて厳密な数学的手法によって分析しようと試みた。ただしボレルは非常に単純なケースのみを分析しており、戦略集合が一般的なケースではミニマックス解が存在しないと予想していたが、この予想は後にフォン・ノイマンによって否定的に証明されている。ゲーム理論はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの大著『ゲームの理論と経済行動』が1944年に出版されることによって誕生したとされるのが一般的であるが、その数学的基礎はフォン・ノイマンが1928年に発表した論文「社会的ゲームの理論について」() から始まる。この論文では、ゼロ和2人ゲームのミニマックス定理が区間 [0, 1] で定義された点対集合写像の不動点定理を用いて証明されると同時に戦略形 人ゲームと戦略の定式化、提携とマックスミニ値を用いたゼロ和3人ゲームの分析など、現代のゲーム理論の基本概念と分析方法が提示されている。このフォン・ノイマンの論文で戦略ゲームの例として挙げられていたのはルーレットやチェス、じゃんけんなどの室内ゲームだけであったが、最初の頁の脚注で「戦略ゲームは与えられた外生的条件の下で利己的なホモエコノミカスはいかに行動するかという古典経済学の主要問題である」と述べられており、「社会的ゲーム」という論文のタイトルとともにこの脚注で示されている問題意識は明らかにフォン・ノイマンがゲーム理論を単に室内ゲームの数学理論でなく経済行動の数学理論として認識していたことを示している。フォン・ノイマンのような一流の数学者が経済学的な問題意識に基づいた研究を行った背景としては、当時のウィーンではオーストリア学派のカール・メンガーが主催する数学コロキアムを通じて数学者と経済学者の活発な交流が行われていたことが指摘されている。オーストリア学派の経済学者オスカー・モルゲンシュテルンは1928年に刊行した著書『経済予測—仮定とその可能性についての考察』においてフォン・ノイマンとは独立に、経済学におけるゲーム的状況の重要性を論じていた。この著書の中でモルゲンシュテルンは、経済主体が他の主体の決定を反映していない「死んだ」変数とそうでない「生きた」変数の二種類の変数に直面していることを明らかにし、現実の経済にとって後者がより重要であること、さらに従来の経済理論が「死んだ」変数しか扱えないことなどを指摘していた。さらに、モルゲンシュテルンは1935年に発表した論文「完全予見と経済均衡()」で当時の思想界から高い評価を受けたが、それをカール・メンガーの主催するコロキアムで報告した際に数学者チェクからモルゲンシュテルンの扱っている問題がフォン・ノイマンの「社会的ゲームについて」で扱われている問題と同じであることを教えてもらった。当時、モルゲンシュテルンはウィーン景気循環研究所の所長であり、現実経済の研究で忙しくゲーム理論の研究には取り組めていなかったが、1938年のナチス侵攻が原因で研究所所長を解雇されるとモルゲンシュテルンはフォン・ノイマンとの共同研究を期待してプリンストンに移住した。モルゲンシュテルンはプリンストン大学に赴任した1939年2月1日には同僚のフォン・ノイマンやニールス・ボーアと数時間に渡ってゲームや実験に関する議論をした。やがてモルゲンシュテルンは経済学への応用を念頭にゲーム理論を体系化した論文の草稿「ゲームの理論と経済行動」をフォン・ノイマンに見せるが、フォン・ノイマンは「短すぎてわかりにくい」とコメントし、「この論文を共同で書こう」と提案してきたという。1940年の秋頃、フォン・ノイマンはこの論文は雑誌論文としては長すぎるので分割して発表しようと提案したが、執筆する内にますます文量が増え、独立した100頁の書籍として出版することがプリンストン大学出版局との間で契約された。執筆途中にモルゲンシュテルンがボレルの編著『確率の計算とその応用』(1938年)に収められたジェーン・ヴィルの論文「ゲームの一般理論とプレイヤーの技能について」を偶然読んだことが契機となり、ブラウワーの不動点定理ではなく凸集合の分離定理を用いること着想し、プリンストン高等研究所におけるフォン・ノイマンの部下であった角谷静夫に補題を証明させ、それを用いてミニマックス定理を証明した。このとき角谷によって証明された補題は「角谷の不動点定理」として知られている。1942年のクリスマスにフォン・ノイマンが軍事出張のワシントンからプリンストンに帰った際に最後の数頁が書き終わり、1943年1月1日に序文が書かれ、予定の100頁をはるかに超える1200頁の大著『ゲームの理論と経済行動』(、略称: TGEB)が完成した。この大著は角谷静夫の校正を経て1944年1月18日に出版された。フォン・ノイマンが著者名の掲載順を通例に従いアルファベット順にしようと提案していたが、モルゲンシュテルンはそれを拒否したため、von Neumann and Oskar Morgenstern という掲載順で出版に至った。『ゲームの理論と経済行動』においてフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンは、まず、2人ゼロ和ゲームを展開形ゲームと戦略形ゲームによって表現し、このゲームにおける2人のプレイヤーそれぞれの最適な行動であるミニマックス行動を与え、その存在を示した(ミニマックス定理)。さらに、2人のプレイヤーの利害が完全には対立しない2人非ゼロ和ゲームを考え、3人以上のプレイヤーからなるゲームについてはプレイヤー間で話し合いが行われ協力行動が起こると考えその表現形式として提携形ゲームを定義し、協力ゲームの解概念である安定集合を定義・分析した。本書後半では安定集合を用いた市場分析などの経済学へのゲーム理論の応用が論じられた。1944年に出版された『ゲームの理論と経済行動』に対する反響は大きく、以下のような書評が寄せられている。ハーバート・サイモン(1978年ノーベル賞受賞)は「社会理論を数学的に扱うことの必要性を確信している社会科学者たちを—まだ考えを変えていないがその点に対する説得には耳を傾けようとしている社会科学者と同様に—『ゲームの理論と経済行動』を修得するという仕事にとりかかること」を勧めた。サイモンは彼自身が構想していた研究をフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって先んずられてしまうのではないかと不安であり、1944年のクリスマス休暇のほとんどを『ゲームの理論と経済行動』を読むことに費やしたという。レオニード・ハーヴィッツ(2009年ノーベル賞受賞)は「著者たちが経済学の問題の処理に用いた手法は十分な一般性を持っており、政治科学にも、社会学にも、また軍事戦略にも用いることができる」とし、「本書のようなすばらしい書が出版されることはめったにないことである」と賞賛した。ミシガン大学教授の数学者アーサー・コープランドは「後世の人々は、本書を20世紀前半における主要な業績として評価する」と称賛した。シカゴ大学教授のジャコブ・マルシャックは「この書の注意深く厳密な精神」を賞賛し、「このような書籍は10冊以上出るだろうし、経済学の進歩は確かである」と語った。1947年には第2版が出版され、初版の第3章では論文誌に発表すると予告されていた付録が加えられた。この付録によって初めてフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用関数が明確に定義され、期待効用理論が誕生した。なお、第2版の付録には産業の立地理論への応用や4人以上のゲームの問題などに関する付録も予定されていたが、著者らの多忙により断念された。1953年に出版された第3版と第2版との違いは誤植の訂正だけであり、現在では1947年に出版された第2版が定版とされている。ベルヌーイが1738年に提唱した期待効用原理は当初からさまざまな批判に遭い長らく受け入れられなかったが、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンがベルヌーイの思想を期待効用原理として公理化したことによって学界からも広く受け入れられることとなった。『ゲームの理論と経済行動』はその構成からも分かるように公理論的なアプローチを採用している。彼らは経済学に初めて公理論的なアプローチを取り入れたと言われており、その方法・構成・表現は後のゲーム理論研
出典:wikipedia
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