大畑線(おおはたせん)は、下北交通が運営していた鉄道路線。青森県むつ市の下北駅で大湊線から分岐して下北半島を縦断し、下北郡大畑町(現・むつ市)の大畑駅までを結んでいたが、2001年に廃止された。旧国鉄の特定地方交通線である。津軽海峡に面した下北半島は日本の国防上重要な拠点で、陸奥湾側の拠点のあった大湊まで鉄道が開業したのは1921年のことであった。翌年に制定された改正鉄道敷設法においても別表第1号に「青森縣田名部ヨリ大畑ヲ經テ大間ニ至ル鐡道」として規定されたが、しばらく着手されることはなかった。この予定線が建設線に昇格するのは、大間にあった海軍の要塞の施設強化に伴うもので、1937年に第1期線として下北 - 大畑間が着工され、1939年に開業した。この頃は、田名部の北に位置する樺山飛行場の資材運搬に利用された。大間までの予定線(大間線)も引き続いて建設が進められたが、太平洋戦争の戦局悪化にともなって1943年12月に工事は中止された。津軽海峡の対岸にあたる北海道の亀田半島においても要塞の施設強化のため戸井線が建設されていたが、これも未成のまま工事が中止されている。戦後しばらくは、海産物や木材の輸送で活況を呈したが次第に減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定された。協議会では一時バス転換に傾いたものの、1984年になって南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの引受を表明。これに対し地元のバス会社「下北バス」が経営地盤の防衛から引受けを表明し、一転して鉄道として存続することとなった。特定地方交通線が純民間資本の民営鉄道に引き継がれた希な例で、他には同じ青森県の弘南鉄道に引き継がれた黒石線があったが、バス会社の鉄道引受としては唯一の例である。下北バスには、鉄道経営の経験はなかったが、バス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受け、1984年に社名を下北交通に改称。1985年7月に大畑線の営業を引き継いだ。しかしその後も経営は苦しく、車両や施設の老朽化も相まって、結局廃止されることとなった。当初は2001年6月1日廃止予定だったが、2か月早められ2001年4月1日に廃止された。1日10往復ほどの運行だった。国鉄時代は大湊発着で、野辺地駅 - 大湊駅 - 大畑駅という運転系統もあった。夜間滞泊も大湊駅を使っていたが、下北交通への転換で大畑駅に車庫が設置され、大畑駅に車両を留置するダイヤになった。当線から大湊駅への直通もなくなった。全駅が青森県に所在下北交通はバスが本業であったため、自社によるバス代替運行を開始した。当初は下北駅 - 大畑駅間を運行し廃止された田名部駅も経由していたが、のちに佐井線と統合された系統となり、現在は朝晩を除き下北駅 - 佐井車庫間の運行となり、田名部駅も経由しなくなった。国鉄からキハ22形3両(キハ22 149・150・151)の譲渡を受け、便所・デッキの撤去、ワンマン運転対応のための整理券発行機の設置、車体塗色変更(白地に赤色)を実施し、形式をキハ85形(キハ85-1・2・3)として投入した。3両とも廃止まで使用され、廃止後は3両とも大畑駅跡において民間の趣味者団体「大畑線キハ85動態保存会」により動態保存されている。
出典:wikipedia
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