さまぁ〜ず()は、三村マサカズと大竹一樹の2人からなる日本のお笑いコンビ。所属事務所はホリプロ。キャッチコピーは「東のコント職人」。大竹・三村共に東海大学高輪台高等学校工業科(現:東海大学付属高輪台高等学校)に単願推薦で入学し、2年生時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う。実は俳優の坂上忍も同級生であったが、大竹・三村と出会う前に中退してるため、芸能界で初対面となった。1988年5月、すでに事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられ、ホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進むことになった。当初は元同級生・大竹・三村のトリオ(トリオ名は「しゃぶしゃぶ」)として活動を開始した。しかし、元同級生がいつの間にか他の芸人とコンビを組んで舞台に出ていたため、三村が「お前は1人で舞台に立ってた方がいい」と発言しトリオを解散する(後年、『リンカーン』に元同級生が登場した際、さまぁ〜ずの二人は昔からとにかく面白かったと語り、盛り上げ役の三村に対し「タケ(大竹)はキレのある鋭い笑いを入れ込んでくるタイプだった」と評した)。そしてこの後、東海大学在学中であった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。なお、2度のトリオ結成について三村は「俺と大竹はちょっとやる気がなくて、一人引っ張ってってくれるリーダー的な人を立てないと一生売れないだろうなと思っていた」と発言している。1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在)」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていたときに着ていたバカルディのTシャツの文字から取った。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」も込められている。同期に田口浩正、小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたお笑いコンビ「テンション」等がいる。1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に、当時の人気力士に準えて「お笑い界の若・貴」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、しばらく不遇の時期を過ごした。当時、『ボキャブラ天国』の出演打診を受けるも大竹は断った。後に番組はヒットし、ボキャブラブームが到来する。その後番組から途中出演の打診を受けるも「一度決めたことを今更変えられない」という想いを固持し続け、『ボキャブラ天国』への出演はなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁ〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「 - かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再びブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中にあって、ゴールデンタイムから深夜番組まで、八面六臂の活躍が出来る中堅芸人としてテレビ番組を中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞。2007年はフジテレビとNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた。2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員に選ばれた。最終決戦では笑い飯に投票し、笑い飯が優勝した。2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員に選ばれる(2012年からは時間帯変更によりモヤモヤさまぁ〜ず2と放送時間が重なった影響で、選ばれなかった)。2014年7月、日本テレビ系で新番組ネリさまぁ〜ずが開始し、NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ。同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞。2015年、コンビで第8回キングオブコント決勝の審査員に選ばれる。大竹は、お笑いコンテストの審査員は、2011年のTHE MANZAI以来で、三村は初めて審査員に選ばれた。深夜帯の番組が多いことから、テレビタレントとしてのさまぁ〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。芸風はコントで、ネタ作りは2人が共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「 - かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンの漫才の芸風に似ていると言える。毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブはチケットが即日完売するほど人気や評価が高い。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考えており、多くのレギュラー番組を持っている2011年現在でも、コントライブに重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。テレビでは、コントをベースとした漫才(コントでは使用する道具を使用しないなど)を披露することもある。他にも、三村が提示されたフリップに対してひたすら「○○かよ!」とツッコミをいれる芸もテレビで披露することがある。爆笑問題の太田光は、バカルディは「シュールなコントの草分け」で、シュールを売りにした若手がやっているネタも全部バカルディが元だ、と語っている。爆笑問題が事務所を独立して仕事がなかった際にはバカルディの活躍を見て奮起したという。即興芸の場では2人ともに下ネタを好み、セクハラネタも多い。オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが、情報誌『日経エンタテインメント!』が毎年行っている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差は、それほどない。また、同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している。漫才形式のネタの際は、登場時の「つかみ」として、汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。このつかみの原案を考えたのは有田哲平(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はこの動作をやらず、三村に「やれよ!」とつっこまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBEの『SUMMER CITY』などが使われる。デビュー当時はツッコミ・ボケ担当を入れ替えてネタを行っていたが、三村がボケていると自覚する笑顔が不評だったため、ツッコミを担当するようになった。元々は、コント以外のフリートークやバラエティ番組などでも、ボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』に出演するようになって以降、こうした番組では両者が等しくボケ合ったり、むしろ大竹がツッコミ役に回ることも多くなった。これについて三村は、「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている。ゲスト出演した『グータンヌーボ』では「ボケがドSで、ツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出たことがある(精神科医の名越康文による)。実際、コント内でも理不尽な大竹のボケの連続に三村が対応しきれなくなり慌てふためいたところに笑いが起こる、といった状態がよく見られる。冠番組を多数持つが司会業には苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言し、周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』など司会を務める番組の進行は強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ〜ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見は一致している(3人目のメンバーの例として、『Qさま!!』で一緒に進行しているテレビ朝日の清水俊輔アナウンサーを上げている)。「笑わず嫌い王決定戦」の常連であり、ゲストが嫌いな芸人を当てるゲームにも関わらず、何故かさまぁ〜ずは毎回優勝を狙っていた。TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。「さまぁ〜ず」というコンビ名は内村光良によって命名。由来は内村が二人に何が好きかと質問した際に、三村・大竹とも「夏」と答えたこと。脱力感のあるひらがなと「〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは大きな抵抗があったが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」に移行したという。当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクして「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わずに終了し、その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったという。その後ビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田哲平が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり、これにより海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する。しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。内村さまぁ〜ず135回では三村の口から、当時会う度に謝罪されていたことが明かされた。めちゃイケでは、笑わず嫌い王決定戦に常連出演しており、第1回当時は「バカルディ」であったが、第2回以降は現在の「さまぁ〜ず」に改名していた。そこで、「めちゃイケ大百科事典」では、どちらで用語を収録すればいいかとめちゃイケメンバーが伺いに行ったことがあり、その際に三村が「じゃ、いいよバカルディで」といったことから、「バカルディ」の項目で収録されることになった。 レギュラー スペシャル ネット配信 「バカルディ」時代を含む。 その他 スペシャル ネット配信
出典:wikipedia
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