内閣情報調査室(ないかくじょうほうちょうさしつ、Cabinet Intelligence and Research Office)は、内閣官房の内部組織の一つ(情報機関)。略称は内調(ないちょう)、CIRO(サイロ)。内閣に属する情報機関である。職員は約170人(2016年現在、200人以上に増員)。所在地は内閣府庁舎6階。内調は、日本政府の情報機関の代表・取りまとめ役としての役割を持ち、内調トップの内閣情報官は内外の特異情報についての分析を内閣総理大臣に直接報告している。この定例報告は週1回、各20〜30分程度行われるのが原則であるが、事情がある場合はそれ以外にも面会している。情報収集の手段別に見ると、シギントは情報本部など、国内諜報や防諜に関わるヒューミントは公安調査庁や公安警察が主に担っており、内調自身は内閣の重要政策に関する国内外の政治や経済、治安(テロ等)に関しオシント、ヒューミントを中心に担っている。2013年には内調にもヒューミントの専門部署を設置する検討が政府内で行われた。また内調の下部組織の内閣衛星情報センターは情報収集衛星の画像を基にした情報活動(イミント)を行っている。内調はアメリカ中央情報局(CIA)・イギリス秘密情報部などの外国政府の情報機関との公式なカウンターパートとなっている。そのほか、合同情報会議の事務手続きも行っている。日本の国家安全保障に関する司令塔として国家安全保障会議ならびに事務局の国家安全保障局が設立されているが、国家安全保障局が国家安全保障に関する政策提言・立案を行うため、内調が必要な情報を国家安全保障局に提供している。この連携のため国家安全保障局の情報班長には内調出向者が当てられている。内調には生え抜きの職員をはじめとして様々な省庁からの出向者が所属しているが、トップの内閣情報官をはじめ、警察庁から出向者が非常に多い。このため、霞が関では警察庁の出先機関と捉えられており、各省庁から情報が集まらない一因ともなっている。なお、シギントを行っていた情報本部の前身組織のひとつである陸上幕僚監部調査部第2課別室(調別)は、実質的に内閣情報調査室の下部機関で歴代トップは内調から出向してきた警察官僚が占めており、この経緯から現在も情報本部の電波部長は内調出向者の指定席である。内閣情報調査室のルーツは総理府に設けられた内閣総理大臣官房調査室である。調査室設置の背景には「治安関係者だけでなく、各省各機関バラバラと言ってよい内外の情報を一つにまとめて、これを分析、整理する連絡機関事務機関を内閣に置くべきだ」「外務省情報局に代わるべき内閣直属の情報機関が必要」という吉田茂の意向があり、その意向を受けて戦前に朝日新聞社副社長や情報局総裁を務めた緒方竹虎副総理と、元内務官僚で国家地方警察本部警備課長の村井順を中心に日本版CIA構想の先駆けとして創設された。吉田はこの調査室を土台として、組織の拡張または別組織の立ち上げを行うことで日本のインテリジェンス機能を強化しようと考えており、関係各省庁も国警の村井順が「内閣情報室設置運用要綱」を、外務省が「内閣情報局設置計画書」を、法務府特別審査局が「破壊活動の実態を国民に周知させる方法等について」をそれぞれ提出するなど、情報機関設置に関して警察・外務・法務各省庁がそれぞれ案を提出した。最終的には村井の案が通り、調査員は各省庁から出向させることになった。こうして1952年(昭和27年)4月9日に総理府内部部局組織規程(総理府令)の一部改正により、内閣総理大臣官房調査室が、特別審査局を発展させた公安調査庁と共に新設される。なお、同時期に有末精三や辰巳栄一などの旧軍人グループにより「内閣調査室別班」の設立が提唱されており、その結果「睦隣会」が発足し、その後、世界政経調査会となっている。しかし、この後調査室が大規模な「中央情報機関」となる事はなかった。その原因の1つは当時の世論である。緒方は内調を「世界中の情報を全てキャッチできるセンターにする」という構想を持っていたが、これに対して読売新聞を中心とする全国三紙が「内調の新設は戦前の(マスコミの統制やプロパガンダを担った)内閣情報局の復活である」として反対運動を展開した。これにより内閣情報局創設構想は後退を余儀なくされる。もう一つは内務官僚と外務官僚の縄張り争いであった。インテリジェンスに理解のあった緒方が1956年に死去したことも大きかった。1957年(昭和32年)8月1日には内閣法(法律)の一部改正、内閣官房組織令(政令)の施行及び総理府本府組織令(政令)の一部改正により、内閣総理大臣官房調査室が廃されるとともに、内閣官房の組織として内閣調査室が設置された。1955年には国際部に「軍事班」が設けられ、元海軍中佐の久住忠男らを中心としてベトナム戦争の推移や沖縄に駐留する米軍の動向などを観察した。60年安保をきっかけに内調は論壇の流れをフォローするようになり、安全保障論の育成のために中村菊男、高坂正尭、若泉敬、小谷秀二郎ら現実主義的な論客の結集を助け、論議を普及するなどした。現在でも内調は勉強会を数多く行っており、学識経験者や企業を招いて情勢分析を聞くなどしている。1977年(昭和52年)1月1日には内閣調査室組織規則の施行により、内部体制が総務部門、国内部門、国際部門、経済部門、資料部門の5部門となる。第1次中曽根内閣時代には当時の官房長官後藤田正晴の決定によりそれまで官房長官に行っていた「長官報告」が「総理報告」に格上げされ、世界的スタンダードである国家最高権力者への直接報告体制が確立された。1986年(昭和61年)7月1日に内閣官房組織令の一部改正により、「内閣調査室」から現在の「内閣情報調査室」となる(5部門体制は継承)。1995年には阪神・淡路大震災が発生した。この際、政府の立ち上がりが遅れた教訓から1996年(平成8年)5月11日に内閣情報調査室組織規則(以下「規則」という)の一部改正により、内部体制に内閣情報集約センターが加えられた。また、阪神大震災をきっかけに官邸が自衛隊機を飛ばすなどして積極的に情報収集を行ったり、民間との協力体制の確立、マスコミへの情報発信など官邸の情報収集体制や危機管理体制の改革が行われた。北朝鮮のミサイルや核兵器も重要な課題であった。米朝が核兵器を巡って対立していた1994年2月に行われた日米首脳会談で、アメリカは細川護熙首相(当時)に強硬策も辞さないとする意志を伝えた。首相は帰国後直ちに米朝開戦に備えて内調に北絡みの情報収集を指令。内調は「空爆は最後の手段で、海上封鎖か公海上での臨検が主となるだろう」という情勢見通しを行った。また、北朝鮮工作員による破壊工作に備えて朝鮮戦争時の破壊工作の状況について研究を行った。金日成死去にあたっては米国の情報もあって北朝鮮軍の動きを把握しており、体制が安定していることを掴んでいる。これらの経験から関係者や国民の間で情報収集衛星(=偵察衛星)の需要が徐々に高まっていった。そして1998年にテポドン1号が発射されると世論が一気に高まり、1999年(平成11年)3月1日に規則の一部改正により内部体制に情報収集衛星導入準備室が設置され、本格的に情報収集衛星の計画がスタートした。1996年(平成8年)〜 1998年(平成10年)の橋本政権において、後藤田正晴の発案で内閣情報局設置法案が用意され、実現一歩手前まで漕ぎ着けていた。これは、「内閣情報局」を創設して、戦前の情報局を復活させることを目指したものだった。2001年(平成13年)1月6日には中央省庁再編に伴う内閣法及び内閣官房組織令の一部改正により、内閣情報調査室長(政令職)が廃され内閣情報官(法定職)と改められた(組織の長の格上げのみで組織の名称・内容には変更なし)。4月1日には内閣官房組織令及び規則の一部改正により、情報収集衛星導入準備室が廃され内部組織として内閣衛星情報センターが設置される。室内の他の部門・センターが規則に基づく区分呼称に過ぎないのに対し、このセンターは規則より一段上の政令で設置された内部組織である。7月1日には規則の一部改正により、資料部門が情報管理部門に改称されたものの、2004年(平成16年)4月1日には業務は総務・国内・国際の3部門に分散承継され、情報管理部門は廃止された。2008年(平成20年)4月1日には規則の一部改正により、内閣情報分析官が新設され、内閣衛星情報センターの「管制部」が「技術部」に改編された。また、政府機関の防諜を取り扱う「カウンターインテリジェンス・センター」も設置された。2013年11月13日には同月にフィリピンをおそった台風30号の被害状況を情報収集衛星の画像情報、公開情報等を集約した情報を基に作成したレイテ島の中心都市タクロバンから南約20キロ、東西約15キロの台風被害の被災状況推定地図をNGOなどの活動支援のため一般提供を開始した。2013年(平成25年)12月、第2次安倍内閣で「国家安全保障会議」(日本版NSC)が設立され、2014年(平成26年)1月、国家安全保障会議の事務局「国家安全保障局」が設立された。国家安全保障局は国家安全保障に関する政策提言・立案を行うため、これに資する情報を得る必要があり、内調とのインテリジェンス面での連携強化が必要であり、国家安全保障局の参事官の情報班長には内調出向の警察官僚が就任している。※内閣総理大臣官房調査室顧問内閣情報調査室は4部門・2センターに分かれており、総務部門、国内部門、国際部門、経済部門、内閣情報集約センター、内閣衛星情報センターが設置されている。各部門の長は慣例的に「主幹」と呼称される。内閣衛星情報センターを除く4部門・1センターは内閣情報官と次長両者の管理下に属するが、内閣衛星情報センターは内閣情報官の管理にのみ属し他の部署より1ランク上(次長とほぼ同格)の扱いであり、自前のセンター所長・センター次長の下にさらに内部組織(分課・副センターなど)を持ち、情報収集衛星の管理・分析などを統合的に行っている。この他にカウンターインテリジェンス機能を強化するため、内閣情報官をセンター長とするカウンターインテリジェンス・センターが設置されている。長は内閣情報官(中央省庁再編に伴い「内閣情報調査室長」に替えて設置)。その下に管理職たる内閣審議官(次長1人)、内閣参事官(所要の人数)、内閣情報調査室調査官(9人)、内閣情報分析官(現在は6人)が置かれ、さらにそれらの事務を整理する事務官(所要の人数)が業務に従事している。また、内調では情報を迅速に伝達するために課係制を採用せず、フラットな組織としている。辞令上、「専任者」と「他省庁との官職併任者」がおり、時局に応じて専門知識を持つ出向者等を柔軟に受入れて人事配置できるようにするため、室内の所属職員数は法令では限定されていない。業務の内容から警察官僚の出向者も多い。2005年(平成17年)4月1日時点での所属職員数(併任者を含む)は、内調プロパー(生え抜き)約70人、警察庁からの出向派遣者約40人、公安調査庁からの出向派遣者約20人、防衛庁からの出向派遣者約10人、外務省、総務省、消防庁、海上保安庁、財務省、経済産業省等から若干名の計約170人(第162回国会 衆議院安全保障委員会における政府参考人の答弁より)。内調に勤務する職員は、プロパー職員と各省庁(警察庁警備局、公安調査庁、防衛省情報本部、外務省国際情報統括官組織)といった我が国のインテリジェンス・コミュニティー等の出向者で構成されている。プロパー職員は、国家公務員一般職(旧II種)合格者のうち、旧帝大、有名私大等から優秀な人材が毎年数人規模で内閣事務官として採用され、入室後、人事院の主催する初任者研修を受けた後、各部署に配属され、基本的にOJT(オンジョブトレーニング)によって業務に必要な能力等を学んでいくことになる。最近では、採用人数が昔より微増していると同時に、以前より所管業務が増えたことで組織が大きくなったため、新規採用者は、最初の概ね数年間は情報業務を担う国際部や国内部等ではなく、総務部に配属される傾向あり。その総務部での基礎的業務を終えた後、情報業務に携わる国際部、国内部、経済部等に本人の適性を考慮した上で配属され、大学や研究機関での研修、警察大学校での語学研修、在外公館への出向、その他防衛省等への出向などのキャリアを積みながら主査あるいは情報専門官(情報専門官、上席情報専門官、特任情報専門官と昇格する)を経て管理職への道が開かれる。また、プロパー職員は、情報収集又は情報分析の専門家(インテリジェンスオフィサー)としてのキャリアパスを想定された採用ではあるが、最近では特定秘密保護法を所管するなどの理由で、一般行政官庁的業務が増え、情報業務の訓練が、近年入庁の若手プロパー職員に対し十分になされておらず、情報の専門家が育ちにくいという問題もあるという。一方、独自採用で国家総合職をとっていないことから、他省庁と比べて研修受講など、キャリア形成のチャンスは多いようである。加えて、内調プロパーは、内閣の重要政策に関する情報収集・分析に2年程度で親元省庁に戻ってしまう出向者と異なり、長く携わることができるため、総理大臣や官房長官等が必要とする、内閣の重要政策に資する情報収集及び分析のプロフェッショナルとして、日本の政府機関職員の中でも、特殊な立場といえる。プロパー職員は、国内外の人的情報収集ヒューミントに携わる者(ケースオフィサー)、公開情報(オシント)やその他秘密情報に基づいて分析を行う者(アナリスト)、総務部等でのマネジメント業務を行う者(行政職)の3つの職員に大別される模様。内閣情報調査室は、内閣の重要政策に関する情報の収集分析が所管業務であることから、治安維持のための情報収集を目的とする警察や公安調査庁とは、収集すべき情報の種類が異なり、内閣(政権)が重要な政策を遂行する上で必要とされる情報を対象としており、その時々の国内情勢(政局や世論)や国際情勢(諸外国の政策やテロ)によって求められる情報が変化する。また一部報道では、内調職員による週刊誌等のマスコミへの頻繁な接触や政治家スキャンダル収集、閣僚候補に対する身体検査、政局の動向や世論の動向の調査が報じられており、その点、他の情報の官庁と比して、政治色の強い情報の収集を行っている。大規模災害など緊急事態における情報の集約・分析・連絡とその体制整備を行う。阪神大震災の際に官邸の情報収集体制が機能しなかった反省から創設された部門で、元々は国際部にあった「国際2部」という部門を改組したものである。人員は20名ほどで、防衛省、警察庁、消防庁、海上保安庁から出向した職員からなる。組織は緊急時の連絡網を整備する「システム整備班」、内外のマスコミの報道をチェックする「庶務班」、通信社のフラッシュを整理する「ニュース班」からなり、5個班がローテーションで常駐して24時間体制で内閣に入る大災害や重大な事故・事件に関する情報を処理している。また、防衛省、警察庁、消防庁、海上保安庁、気象庁等と直通のホットライン等で結ばれているほか通信社との専用回線も保有しており、緊急時には自衛隊や警察のヘリコプターを利用してヘリテレを使った情報収集も行う。実際に緊急事態が発生した場合はすぐに内調から内閣総理大臣に報告され初動対応態勢が整えられる。首相官邸の地下には内閣危機管理センターがあり、初動対応時における内閣の指揮所になる。初動体制が整えられると内閣危機管理センターに内閣危機管理監と、これを補佐する内閣官房副長官補以下所要の職員(旧内閣安全保障・危機管理室構成員に相当)が参集する仕組みとなっている。英称:Cabinet Satellite Intelligence Center(略称CSICE)。「中央センター」、「情報分析センター」とも呼ばれる。日本国の安全の確保、大規模災害への対応その他の内閣の重要政策に関する画像情報の収集を目的とする情報収集衛星の運用、情報収集衛星により得られる画像情報の分析その他の調査に関する事項及び情報収集衛星以外の人工衛星の利用その他の手段により得られる画像情報の収集及び分析その他の調査に関する事項を担当する組織。東京都新宿区市谷本村町に所在している。定数は219名(2011年7月現在)。1999年に設けられた情報収集衛星導入準備室が発展し、2001年に設置された。情報収集衛星は2013年1月までに光学衛星が4機、光学実証衛星が2機、レーダ衛星が4機打ち上げられた。運用は光学衛星とレーダー衛星の2組4機で行う。また、日本スペースイメージング株式会社からイコノス、デジタルグローブ社からクイックバードとワールドビュー1の画像を買い取り分析しているという。また、内閣衛星情報センターではアメリカ合衆国の衛星情報も扱うためか厳重な情報保全体制がとられており、例えばセンター内にはプリンターが設置されていないほか、インターネットにつながる機器や記録媒体は一切持ち込む事が出来ない。また、情報持ち出しを防ぐためアメリカ国家地球空間情報局に倣って私物は「ビニルバケツ」という独自の容器に入れて管理する規則となっており、カバンは持ち込む事が出来ない。そのほか、衛星情報には各省庁共通の「衛星秘密」という情報保全基準が設けられており、情報保全体制が整っていることが確認されない限り機密情報にはアクセスできない仕組みになっている。このような体制にもかかわらず、内調職員が在日ロシア大使館のコンスタンチン・ベラノフ二等書記官らに情報を漏洩した事件(ベラノフ事件)では、内閣衛星情報センターの衛星画像が漏洩したことが分かっている。日本国や日本国民の安全に関する情報のうち、内閣の重要政策に関するものについて、官邸と外交・防衛・治安等の情報を担当する省庁が緊密に連携して情勢を総合的に把握するため、原則として年2回開催される内閣情報会議が設置されている。この内閣情報会議の下には合同情報会議、情報収集衛星推進委員会、情報収集衛星運営委員会が置かれており、内閣情報調査室はこれらの会議の運営を担当している。内閣情報調査室はシンクタンクなどに調査の一部を委託している。なかでも世界政経調査会、国際情勢研究会、国民出版協会は幹部に内調や警察のOBが就任しており、資金もほとんどが内調から支出されるなど、事実上内調の「別働隊」として機能している。これらのシンクタンクは公開情報を元に海外の情勢や国内メディアの動向を分析する活動を行っている。内閣官房から情報調査委託費が交付されている団体過去に情報調査委託費の交付が確認されている団体
出典:wikipedia
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