LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

笑い飯

笑い飯(わらいめし "WARAIMESHI" )は、日本の漫才コンビ。西田幸治と哲夫の2人からなる。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー(大阪吉本)。M-1グランプリ2010王者。それぞれ西田は「たちくらみ」、哲夫は「スキップ」という別のコンビで、どちらもボケを担当していた2人が2000年に共通のライブイベントに出演したことをきっかけに組んだコンビである。コンビ名は哲夫の元相方が付けた自主開催イベント名「笑い飯」から由来。二人ともそれぞれのコンビでボケを担当していたことがきっかけとなり、役割を固定せずボケとツッコミが交互に入れ替わるというこれまでの漫才にはなかった独自のスタイルを築き上げた。このことから「漫才界の革命児」と呼ばれることがある。また、この独特のスタイルは「Wボケ」と呼ばれ松本人志や島田紳助から高い評価を受けている。漫才の本筋は基本的に全て哲夫が説明する。主に哲夫が先にボケて、最後に西田のボケで締める場合が多い。また、後半になってくると、哲夫が西田のボケをパクるというボケを挟んでくるパターンもある。また、コンビ結成当初、哲夫がボケで西田がツッコミを担当しているネタもあった。現在でも、ネタの一部でWボケではない箇所を行う時はこの役回りになることが多い。Wボケ・ツッコミという、スタイルのイメージが強いが、ネタにおける絶妙な間と空気を作ることができることも大きい。この芸風は。ネタ作りの方法はテーマを出して互いにボケ合い、お互いにネタが尽きるまで続けるという独自のスタイル。哲夫は「ネタのシチュエーションは自分が考えているが、西田のほうが抜群に面白いボケを考える」と冗談交じりに述べている。2001年より、吉本興業(大阪本社、2002年より同本部)に所属。所属への経緯について、インディーズでの活動中に第1回M-1グランプリの予選へ出場した事から吉本の目に留まり所属したとの情報があったが、実際はオーディションで入社している。2002年、第2回M-1グランプリに無名かつノーシードながら決勝進出を果たす。その斬新な「Wボケ」で注目を浴び3位に終わるも知名度を上げるきっかけとなる。この年から9年連続M-1グランプリ決勝進出(大会最多記録)を果たしている。baseよしもとの舞台に立っていたが、2008年4月6日の「ガンガンライブFINAL」でbaseよしもとを卒業。2010年春、大阪に家を残したまま東京に進出する。所属も大阪吉本のままで東京吉本へ移籍はしていない。同年12月26日、第10回M-1グランプリでついに悲願の優勝を果たした。コンビで歴代総出場と歴代最年長で優勝となった。2012年、奈良市観光特別大使就任。M-1グランプリが大きなきっかけとなって飛躍した彼らだが、最初に彼らの才能を見出したのはバッファロー吾郎の2人だった。彼らが自らプロデュースするイベント「バッファロー吾郎の爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に出演させたりと、無名だった2人に活躍の場を与えたという話は有名。現在でも彼らと親交は深く、いわゆる「バッファロー軍団」の一員とされている。また、インディーズ時代、千鳥、ヘッドライト、ソラシドらと共に「魚群」というインディーズライブを行っていた。その頃から苦楽を共にしてきた千鳥とは、兄弟同然の仲(哲夫は、大阪時代にノブと一緒に住んでいたことがあり、また東京に進出してきたソラシドの水口を居候させたりしている)。麒麟、千鳥、南海キャンディーズの3組とはbaseよしもと時代からの仲間であり、ライバルでもあった。田村裕曰く「この(4組)中から誰か(M-1)獲ろうぜみたいな気持ちがあった」。後に麒麟が第1回、笑い飯が第2回、千鳥が第3回、南海キャンディーズが第4回大会に無名ながら初めて決勝進出し、それをきっかけにブレイクしている。特に第4・第5回大会では4組とも決勝進出した。2人とも大喜利が大好きで、得意としている。月に一度、千鳥と共に「笑い飯・千鳥の大喜利ライブ」というライブを祇園花月・5up・ルミネtheよしもとで行っている。以前はbaseよしもとで1時間ライブとしてやっていた。2006年の初めには全国ツアーも行なった。ちなみに、関西で行われている大喜利のライブは「ダイナマイト関西」とこのライブだけであり、笑い飯の2人はダイナマイト関西にも頻繁に参加している。『めちゃ×2イケてるッ!』に出演する際は、西田のドM、哲夫のドSに対する性的嗜好を暴露するのが定番化している。また、2人ともロリコンを自称している。哲夫はデイリースポーツのインタビューで辻希美の大ファンだと答えている。ヨシモト∞では、西田はブス専だと千鳥に暴露された。『ジャイケルマクソン』で、「クイズ!吉本芸人122人に聞きました」という企画の「憧れの芸人は?」というアンケートで1位 - 4位にダウンタウン、明石家さんまなどがランクインする中で、若手ながら5位にランクインしており、後輩芸人たちからの信望は厚い。ダイノジは笑い飯について、アイドル的要素の強い芸人ではなく単純に面白い芸人が評価されるという、baseよしもとにおける価値観をつくりあげた功労者であると述べている。「笑い飯」としての芸歴は2000年から(吉本入社は2001年)だが、西田、哲夫個人の芸歴は共に1996年からのため、年数のみからみると大阪NSC15期(ストリーク、ランディーズなど、西田も実際に在籍したが後に中退)・東京NSC1期(品川庄司など)とほぼ同期にあたる。NSC出身以外では、同じ1996年に初舞台を踏んだロザン、すっちー(元ビッキーズ)、りあるキッズなどが同期と思われる。しかし、ロザン、りあるキッズ、品川庄司らは彼らを後輩扱いしている。芸歴は下だが先に吉本に入社した千鳥は「さん」付けだが、仲が良いためか半分タメ口混じりで呼んでいる。年々2人きりで会話することも減っていき、最近ではネタ合わせ以外で会話している所を見た人はあまりいないという。シャバダバの空に内の企画で2人きりにされた時は、5分以上沈黙が続いた事もあるが不仲ではない。コンビ結成から数年は、2人で飲みに行ったり、2人でプリクラを撮ったこともあるという。ちなみにそのプリクラには、「ともだち」という文字を書いた。2011年度は不参加であったが、翌2012年度でTHE MANZAIに出場。認定漫才師50組に選ばれ、予選3位の成績で決勝進出するも最終決戦進出は逃す。なお笑い飯のTHE MANZAIへの出場はこの回のみとなっている。M-1グランプリ決勝戦は第2回から第10回まで過去9回進出。第1回(2001年)は2回戦敗退。審査員の得点はいずれも100点満点。2007年度の会見で、「7回中6回出るということは、もはやレギュラー番組」とボケていた。2010年度には、M-1が2010年で終了することを受け「僕たちの貴重なレギュラー番組が終わってしまう」「9年連続出場ということで、我々のM-1義務教育もようやく終わる」とボケた。『アメトーーク!』の「M-1芸人」では「金のキョロちゃん・銀のキョロちゃんみたいに、5回決勝行ったら1回優勝、みたいなルールにならないものか」とボケた。最終決戦に進出できず4位以下で終わった年は毎回敗退時のインタビューで笑いを取っている(主に西田)。また、毎年控え室でのリアクションで笑いを取っている(主に哲夫)。「M-1リターンズ2008」では2009年がラストチャンスと言われていた。しかし、M-1の出場資格は、開催年の4月30日現在に於ける芸歴(10年未満)であり、2000年7月結成の笑い飯は2010年がラストイヤーであった。よって、2009年の時点での出場権は2009年度と2010年度の2回あったが、2009年度の会見で何故か「今年がファイナル」と発言しており、大会後島田紳助にも「ラストイヤー」と言われていた。しかし、M-1直後のよしもとオンラインに西田が電話で出演したとき、来年も出るかと聞かれ「出るねん」と答え、出る可能性を示唆していた。そして2010年度大会にその通り出場、悲願の初優勝を果たした。しかし、優勝後は準優勝のスリムクラブがマスコミに注目され、オファーはスリムクラブの十分の一となった。そのことを自虐ネタにし続けたためか、『お笑いワイドショー マルコポロリ!』でスリムクラブを一日密着するロケを行うオファーが来た(このこともネタにした)。また、M-1をきっかけにスリムクラブと親しくなり、缶コーヒー「ジョージア」のCMで共演した。優勝後、最終決戦で披露したネタ「小銭の神様」にちなみ500円玉2万枚(総量140キロ)で賞金1000万円が授与された。また、「小銭の神様」にちなんでM-1グランプリ2010完全版のDVDには初回限定特典として2円還元された。"個人での出演は、「西田幸治」もしくは「哲夫」を参照。" "62464

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。