けいはんな線(けいはんなせん)は、大阪府東大阪市の長田駅から奈良県奈良市の学研奈良登美ヶ丘駅を結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。けいはんな線の母体となったのは、1977年(昭和52年)に設立された近鉄完全子会社の東大阪生駒電鉄が整備し、1986年(昭和61年)4月1日に近鉄が東大阪生駒電鉄を吸収合併して同年10月1日に近鉄の直営路線として開業した長田駅 - 生駒駅間の東大阪線である。2006年(平成18年)3月27日に「京阪奈新線」の仮称で建設されていた生駒駅から学研奈良登美ヶ丘駅までが開業し、それと同時に東大阪線長田駅 - 生駒駅間もけいはんな線に改称された。また、相互直通運転を行っている大阪市営地下鉄中央線との総称として「ゆめはんな」という愛称が付けられている。当項は、東大阪生駒電鉄・近鉄東大阪線の時代についても取り上げる。長田駅 - 生駒駅間は東大阪線として、沿線の宅地開発が進み混雑が激しくなった近鉄奈良線のバイパスとして開業し、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間の開業時に東大阪線もけいはんな線に改称された。また相互直通運転が行われている大阪市営地下鉄中央線と当路線の総称として「ゆめはんな」という愛称が公募によって付けられた。これは、生駒駅で乗り換えることなく大阪市営地下鉄中央線本町方面と行き来できることをアピールするためである。これに対して沿線自治体である東大阪市は、路線名から東大阪が消えた代わりに駅名に東大阪の名を付けるために同市役所の最寄り駅である荒本駅の駅名を東大阪駅に改称するよう近鉄に対して求めている。ただし駅名変更には莫大な費用がかかり、東大阪市は財政難のため、一般的に自治体が負担すべき駅名変更費用を近鉄の負担で行うよう求めていることから、その後これ以上の動きはない。けいはんな線の開業と同時に、大阪市営地下鉄中央線と通しの駅番号が(旧東大阪線区間も含めて)割り当てられている。荒本以東の接近アナウンスは、他の近鉄の路線と異なり3点チャイムが鳴ってから放送されていたが、延伸開業の6日前の2006年(平成18年)3月21日のダイヤ改正からけいはんな線独自の接近・発車メロディー(コスモスクエア方面行はドビュッシーの海、学研奈良登美ヶ丘方面行はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」)を導入し、案内放送も更新された。東大阪線時代は、近鉄のコーポレートカラーであるオレンジとスカイブルー(正確にはソーラーオレンジとアクアブルー、パールホワイトの3色を近鉄所有車両で使用している)を路線のイメージカラーに取り入れており、現在も近鉄所有車両や東大阪線時代からの既存駅設備にその名残が残っているが、けいはんな線への移行時に改めて路線イメージカラーを薄緑(ライムグリーン )に定めている(ただし近鉄車両の色は従来通り)。全線でスルッとKANSAI対応カードや、PiTaPa・ICOCA・Suicaなどの全国相互利用サービスのIC乗車カードが使用できる。Jスルーカードは自動券売機での乗車券の購入でのみ利用できる。また、東大阪線時代から引き続き建設費回収のための加算運賃が適用されている。ほとんどの近鉄線(1500V、架線式)とは異なり、けいはんな線では第三軌条方式が採用されている。これは元々、大阪市営地下鉄中央線を京都府の新田辺付近まで延伸する路線計画が原型になっていたためである(詳細後述)。全線が大阪統括部の管轄で、長田駅から新石切駅東方の鉄軌分界点までは軌道法による軌道、鉄軌分界点から学研奈良登美ヶ丘駅までは鉄道事業法による鉄道となっている。新石切駅以西は阪神高速13号東大阪線と国道308号の下を走り、長田駅 - 荒本駅間は地下(掘割)区間、荒本駅 - 新石切駅間は高架になっている。これは当時の建設省管轄下で道路と一体的に工事を行うためであり、高速道路の高架橋と鉄道の高架橋による一体的な構造物は日本初で、道路幅員が大きく取れない場合の有効手段として当時大きく注目されていた。東大阪市の市役所、大阪府立中央図書館の最寄り駅の荒本駅を過ぎると地上に出る。吉田駅を出ると阪神高速の中央部を進み、正面には生駒山地が見える。新石切駅を過ぎると、大阪電気軌道時代に造られた旧生駒トンネルの一部を再利用している生駒トンネル (4,737m) を抜け、奈良県生駒市に入り、生駒駅に到着する。生駒駅は奈良線・生駒線・生駒鋼索線の接続駅である。生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間は約6割がトンネルとなっている。生駒駅から奈良線に沿って東に進み、東生駒駅付近で左にカーブして東生駒トンネルに入る。右にカーブすると白庭台駅で、トンネルを抜けて谷を渡るとすぐに学研北生駒駅がある。再びトンネルに入って住宅地の地下を抜けると、奈良市に入って右手に登美ヶ丘車庫が見え始め、下り勾配を進むと終点の学研奈良登美ヶ丘駅に到着する。長田駅から全列車が大阪市営地下鉄中央線コスモスクエア駅まで相互直通運転を行っており、生駒・学研奈良登美ヶ丘方面との列車で長田駅を始発・終着とするものはない(平日の生駒・学研奈良登美ヶ丘方面行きの一部に森ノ宮駅を始発とする列車がある)。相互直通運転のため、大阪市交通局の車両も運転されている。また、延伸区間(生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間)開業時から全線でワンマン運転を実施しており、その運行補助のために全駅に赤外線検知式のホームセンサーを設置している。学研奈良登美ヶ丘駅 - 長田駅間の標準所要時間は22分である。なお、快速列車の運転も検討されていると伝えられたが、これは見送られた。全列車の約半数が生駒駅発着で運転されているが、生駒駅折り返し列車は生駒駅到着後に東生駒信号場(車庫)まで回送して折り返す。長田駅 - 生駒駅間の運行間隔は、ラッシュ時は約4分間隔、日中は7分30秒間隔(1時間あたり8本)、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間はラッシュ時は約7分間隔、日中は15分間隔(1時間あたり4本)である。2006年(平成18年)7月19日に一部ダイヤが変更され、夜間の学研奈良登美ヶ丘駅から東生駒車庫への回送列車2本が生駒行きの営業列車に変更されたほか、新線区間の利用客数増加により2009年(平成21年)8月30日にけいはんな線のみダイヤ改正を行い、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間の平日朝ラッシュ時間帯のコスモスクエア方面行き列車本数が7時台で改正前の7本から倍の14本に、8時台で改正前の7本から10本に大幅に増便された(それぞれ学研奈良登美ヶ丘発基準)。これは改正前の生駒駅を始発とする列車を延長運転する形での増発となり、朝ラッシュ時は生駒駅を始発とする列車は設定されていない。2013年(平成25年)3月23日には、平日朝方に学研奈良登美ヶ丘行きの増発(生駒行き列車が生駒駅到着後回送列車として学研奈良登美ヶ丘駅へ向かう列車の営業列車化)および地下鉄中央線内の終電繰り下げに伴うダイヤ改正が実施されている。なお、大晦日から元旦にかけての終夜運転は、ここ最近ではコスモスクエア駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間を30分間隔で運行する形となっている。1999年(平成11年)12月31日から2000年(平成12年)1月1日にかけての終夜運転では、コンピュータの2000年問題でシステム等に障害が発生することを懸念して各社局で様々な対応が行われ、近鉄では午前0時前後も列車を通常どおり運行させていたものの、大阪市営地下鉄では午前0時前に列車を最寄駅に一時停車させる措置が行われたため、当時の東大阪線内でも生駒発コスモスクエア行きの1本が午前0時前に新石切駅で一時停車させる措置が行われた。生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間の開業後は運転区間が延びることから所要時間を短縮するため、最高速度をそれまでの70km/hから95km/hとし、これに先立ち、2006年(平成18年)2月25日から旧東大阪線の区間の最高速度が70km/hから95km/hに引き上げられ、一部列車で習熟訓練が始まった。同年3月21日にはおよそ16年ぶりとなるダイヤ変更が行われ、全列車の最高速度が引き上げられた。これにより、第三軌条方式(サードレール)を採用している鉄道路線としては、これまでの横浜市営地下鉄の80km/hを上回る日本国内最速の運転が実現することとなった。けいはんな線の最高速度は、当初、旧東大阪線と同様の70km/h(設計最高速度は85km/h)で計画されていたが、事業免許申請時と比較して輸送人員が大幅に減少することが予想され、また近鉄奈良線と比べて速度面で劣っていたため、対策の一環としてスピードアップが検討された。なお、従前より、近鉄ではサードレールの速度向上に関して、鉄道総研に依頼して夜間実験などを行っていた。運転最高速度は、95km/hと決定された。その理由は、当初、80km/h - 110km/hまで10km/hきざみで検討されたが、90km/hに改造するコストで95km/hまで速度向上ができること、また95km/hと100km/hの間には費用に2倍以上の差があり、短縮時分が25秒と小さいことが判明したのが決め手となり、95km/hまでの速度向上となった。費用差については、モーターの新製、ギア比の変更、信号灯器の5現示化(近鉄では5灯式信号機を全線において1基も採用していない)等が新たに必要だった。運転最高速度の引き上げに伴い、車両については主電動機(モーター)の強度アップ、主制御装置ソフトの一部変更、ATC装置に照査速度95km/hを追加などの改造が実施された。また、地上設備についても、G現示(緑)=70km/hであった信号現示をYG現示(橙・緑)=70km/hに変更し、G現示=95km/hとなったほか、信号機の移設や中継信号機の新設などが実施された。けいはんな線では同一系統の列車が多数運転されていることもあり、「近鉄時刻表」にも記載されている列車番号は近鉄の他の鉄道路線と付与方が異なっている。具体的にいえば東京メトロの各線と同じような付与方を採用しており、列車番号の千位・百位は始発駅の発車時間帯を、十位・一位は車両の運用番号を表している。2013年(平成25年)3月23日改正ダイヤにおける運用番号は、大阪市交通局所属車両が01…、近鉄所属車両が70…、となっている。東京メトロでは列車番号の頭に「A」「B」を付与して方向を区別しているが、けいはんな線では学研奈良登美ヶ丘方面行きには前述の法則に3000を加算した列車番号を付与して方向を区別している。なお、平日朝方に学研奈良登美ヶ丘発の列車が増発された2009年(平成21年)8月30日改正ダイヤにて、大阪市交所属車両1本がけいはんな線内で、また近鉄所属車両1本が中央線内でそれぞれ夜間留置となる「外泊運用」が設定されたが、2013年3月改正ダイヤにて外泊運用は再び設定されなくなった。けいはんな線には、東生駒信号場東側(奈良線東生駒駅北東側)にある東花園検車区東生駒車庫と学研奈良登美ヶ丘駅西側にある東花園検車区登美ヶ丘車庫の2か所の車両基地がある。東生駒車庫は長田駅 - 生駒駅間開業時に設置された車庫で、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間で試運転が開始された2005年(平成17年)11月頃までは現在の生駒駅 - 東生駒信号場間の学研奈良登美ヶ丘方面行き本線を車庫線として使用していた(単線で現生駒駅2番線から延びていた。延伸工事の際に奈良線の生駒駅 - 東生駒駅間の一部で上下線を南に1線分移設し用地を確保)。奈良線とも線路がつながっているが、けいはんな線用車両の重要部検査や全般検査などはこの連絡線を利用して東生駒車庫 - 奈良線 - 大和西大寺駅 - 橿原線 - 橿原神宮前駅(往路)- 八木西口短絡線(復路はここで直接折り返し) - 大阪線経由で五位堂検修車庫に回送して行う(7000系の更新工事の際にはさらに高安車庫まで運行された)。ただし、けいはんな線用車両は電車への供給電圧や集電方式・車両限界が異なり、経路となる奈良・橿原・大阪の各線では自力回送ができないため、台車に装着されている集電靴(コレクターシュー)と車体のドアステップを外して3両単位で電動貨車2両(モト75形77+78)の間に挟まれて無動力回送される。登美ヶ丘車庫は、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業時に設置された車庫である。けいはんな線の計画は、1971年(昭和46年)の都市交通審議会第13号答申で示された大阪市営地下鉄中央線を京都府の新田辺付近まで延伸する路線計画が原型となっている。戦後、近鉄は沿線の宅地開発が進み混雑が激しくなった奈良線の混雑緩和策として石切 - 森ノ宮間のバイパス線を計画するものの、同時期に京阪が大和田 - 森ノ宮間を、大阪市が4号線(現在の中央線)を本町 - 森ノ宮経由で放出まで延伸する計画をそれぞれ立てたため、一部区間で重複することとなった。協議の結果、近鉄と京阪は荒本までを、都心部は大阪市がそれぞれ建設して相互直通運転することとなった。だが、結局大阪市が4号線を第三軌条式で建設したため京阪は新線建設を断念し、残る近鉄が自社線内を架線式として架線式・第三軌条式両方に対応する車両を開発した上で4号線と相互直通する方針を固めたものの、大阪市が難色を示したため、近鉄も新線建設を断念した。このため、大阪市が独自に石切まで延長する計画も出したりもしていた。その後しばらくこの話は放置されていたが、1971年(昭和46年)に出された都市交通審議会答申第13号で「大阪市営地下鉄中央線を延伸して生駒まで緊急に整備すべき」とされたことから再び新線建設の機運が高まった。しかし、市営モンロー主義を採る大阪市が市域外に新線を建設することに難色を示したため、1974年(昭和49年)に大阪府の提案で最終的に大阪市が東大阪市長田駅までを建設し、そこから先は近鉄が建設することで話がまとまった。近鉄は1977年(昭和52年)に長田駅 - 生駒駅間の免・特許を取得し、すぐに全額出資子会社の東大阪生駒電鉄を設立して免・特許を譲渡した後に工事に充て、1979年(昭和54年)に日本鉄道建設公団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)のP線として工事が開始された。奈良線のバイパスとして建設した経緯から一体的に経営することが望ましいと考えた近鉄は、工事がほぼ完了した1986年(昭和61年)4月に東大阪生駒電鉄を吸収合併し、同年10月1日に長田駅 - 生駒駅間が近鉄東大阪線として開業した。この手法は京阪鴨東線の建設でも活かされた。当節の参考文献:川島令三「全国鉄道事情大研究 大阪都心部・奈良篇」(1992年、草思社)大阪と関西文化学術研究都市(学研都市)を結ぶ路線として東大阪線を延伸する形で建設され、奈良県の生駒市北部および奈良市北西部に広がる住宅地群の足となっている。ただし、この区間は学研都市の中心地域である京都府相楽郡精華町から外れていることから、学研都市への路線というよりも、奈良県にあるベッドタウンから大阪都心への通勤・通学客のための路線という色が濃い。1982年(昭和57年)に国土庁(現在の国土交通省)が発表した「関西学術研究都市基本構想」で、生駒 - 高の原間と同区間から分岐して精華・西木津方面へ向かう路線が示され、1989年(平成元年)の運輸政策審議会答申第10号では、生駒 - 高の原間が2005年(平成17年)までに整備すべき路線、同区間から分岐して祝園付近(2004年の近畿地方交通審議会答申第8号では新祝園)までと高の原 - 木津方面までが整備を検討すべき路線として盛り込まれた。当初は近鉄独自で事業にあたることが考えられていたが、建設費の補助を受けられる第三セクター方式を採ることになり、1998年(平成10年)に建設主体として第三セクター会社の奈良生駒高速鉄道が設立された。完成後は同社が施設を保有する第三種鉄道事業者、近鉄が運営にあたる第二種鉄道事業者となる上下分離方式をとることになり、2000年(平成12年)に着工された。また、開業目標も当初は2005年(平成17年)秋としていたが、用地買収に手間取り、また運転士の習熟訓練に時間がかかることから半年ほど延びて、2006年(平成18年)3月27日に開業を迎えた。先述の通り、学研奈良登美ヶ丘駅から祝園(新祝園)・高の原方面への延伸計画があるが、当面は凍結される見込みである。理由はおおむね以下の通りとされている。2012年11月13日、近畿日本鉄道調査前述のような歴史的経緯から、けいはんな線では、距離を示すキロポストが2つに分かれている(矢印の方向にキロ数が増える)。
出典:wikipedia
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