藤田 小女姫(ふじた こととめ、1938年1月4日 - 1994年2月23日)は、福岡県福岡市出身の霊感占い師。別名は藤田小乙姫とも。本名は藤田 東亞子(ふじた とあこ)。1938年、福岡県福岡市に生まれる。幼いころ、両親が離婚し、父親と生き別れる。太平洋戦争で実家が空襲に遭ったため、知人を頼って各地を転々とする。9歳のとき、ハワイの狐が憑依し、霊感を得たという。1950年、小学校6年生のとき、『産業経済新聞(サンケイ新聞東京)』(5月1日付、現:『産経新聞』)の社会面トップに「奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ」との見出しで占いがよく当たる少女として紹介された。この当時は「ことど姫」と名乗っていた。サンケイ新聞の産経ビルの中の1部屋を与えられ、経営陣に可愛がられる。昭和30、40年代にも霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられた。岸信介、福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの政財界の大物を顧客として財を成した。日米安保条約の成立と岸信介首相の退陣、今上天皇の結婚、朴正煕暗殺事件、周恩来中国首相の死などの予言を的中させたと言われる。1961年、不動産業者と結婚するが、3年で離婚。1968年3月13日に名目上の経営者となっていたサウナが火事で死者を出す惨事となり、経営者責任を問われる。これらのことからマスメディアからその占いの能力について疑問を投げかける批判が起こり、応援してきた年配の有力者たちも離れて行った。1973年、35歳のとき、ハワイに移住する。1994年2月23日、ハワイの高層マンションで射殺された(藤田小女姫殺害事件)。謎の多かった彼女の人生については、実弟の藤田洋三が自著『東亜子と洋三・藤田小女姫の真実』(出版研、2004年刊)において詳しく語っている。この他、『吉田健一対談集成』(小沢書店、1998年)に「幽霊は生きている」のタイトルで吉田健一との対談が収録されている。
出典:wikipedia
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