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KBブリッジ

コロール・バベルダオブ橋()、日本・パラオ友好の橋()またはKBブリッジ()は、パラオの旧首都コロール島とバベルダオブ島を結ぶ全長413メートルのコンクリート製の橋である。過去に崩落事故を起こしており、現在の橋は2002年に作り直されたものである。コロール島とバベルダオブ島の間は幅約250m・水深約30mの海峡で隔てられており、橋が完成する前は渡し船で行き来していた。パラオの国土開発を推進するためには両島を結ぶ橋が必要不可欠であり、パラオ政府成立以前の太平洋諸島信託統治領政府の時代に計画が進められてきた。1977年に、韓国の建設会社であるSOCIOによりコロール島とバベルダオブ島を結ぶコンクリート製の橋が建設された。設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるとされていた。なお、建設業者選定入札において、SOCIOが鹿島建設の半額の入札価格を提示し落札した。SOCIOは、1994年に崩落した韓国の聖水大橋(施工は韓国の東亜建設)にも関わっている。建設直後から橋の中央部がへこみ始め、20年もしないうちに4フィート(約1.2m)も陥没した。各国の会社により補修、補強工事が何度も行われていたが、1990年にパラオ政府は、230万ドルをかけた補強工事を選択した。しかし1996年9月26日午後5時35分頃、轟音と共に突如中央部から真っ二つに折れて崩落して2名が死亡、4名以上が負傷した。橋はコロール島から空港へと向かう唯一の道路であり、またバベルダオブ島からコロールへ供給されていた電気、水道、電話などのライフラインが通っていたため首都機能が麻痺し、クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令した。「暗黒の9月事件()」とも呼ばれている。その直後から官民挙げての復旧作業が進められ、9月30日に緊急の送電線を敷設したことで電気が復旧した。続いて10月6日には橋の両側から消防用ホースを通して、時間制限付きながらも水道を復旧させた。また交通手段として渡し舟が復活した。各国もKBブリッジ崩落を受け、支援を開始した。日本国政府も飲料水の緊急輸送や仮設橋(ポンツーンと呼ばれるプレートをつないで作る浮き橋)の設置などの支援を行った。KBブリッジは、建設当初から手抜き工事の疑惑が指摘されており、住民は避難路を確保するため、車の窓を開けて最徐行するなどの自衛策を採っていた。KBブリッジは、ハングルとアルファベットの碑文が刻まれた記念碑のみが残されているが、何者かにより「KOREA」の文字が削られている。1996年はパラオ大統領選挙の年であり、再選を目指すナカムラ大統領とそれに対抗するトリビオン(後に大統領に選出される)候補とコロール大酋長(アイバドゥール)のギボンズ候補の三つ巴の選挙戦を争っていた。ところが橋崩落に伴う非常事態を迎えたことで、トリビオン候補は「こんな時に争っている場合ではありません」とし、立候補を取り下げた。これに伴い大統領選挙は、ナカムラ大統領とギボンズ候補との一騎討ちとなり、ナカムラ大統領が圧勝して再選を果たすことになった。2002年1月、日本の政府開発援助 (ODA) によって再建されたエクストラドーズド橋。正式名称は「日本・パラオ友好の橋」(Japan-Palau Friendship Bridge)であり、通称で「日本パラオ友好橋」ともいわれる。設計上の耐用年数は50年である。パラオ政府が財政的な理由から自国の資金による建設を断念したため、1997年に日本の無償援助による橋の再建を決定し鹿島建設によって再建された。旧橋と同じ位置に建設されたが、旧橋のコンクリートが低品質であったので旧橋残存部の再利用はせずに一から建て直すことになった。5年後の2002年1月に橋は完成し、1月11日には開通式典が行われた。この新しい橋のたもとの記念碑には、日本・パラオ友好の橋 (Japan-Palau Friendship Bridge) と刻まれ、友好の象徴として両国の国旗が描かれている。この橋と両国の国旗は、橋完成後の2012年1月にパラオ郵便局より発売された建設10周年を祝う記念切手にも描かれた。2002年には土木学会田中賞を受賞している。

出典:wikipedia

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