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アンモナイト

アンモナイト(分類名:アンモナイト亜綱、学名:subclassis Ammonoidea)は、古生代シルル紀末期(もしくは、デボン紀中期)から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つ。全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴である。古生代と中生代の下位に当たる各年代を生きた種はそれぞれに示準化石とされており、地質学研究にとって極めて重要な生物群となっている。アンモナイト亜綱は、オルドビス紀から生息するオウムガイ亜綱(Nautiloidea)の中から分化したものと考えられている。以来、彼らは実に長くの時代を繁栄していたが、中生代の幕引きとなる白亜紀末のK-T境界を最後に地球上から姿を消した。古代地中海世界においてアンモナイトの化石は、ギリシアの羊角神アンモーン( ; Ammōn)にちなみ、「アンモーンの角」()として知られていた。大プリニウス『博物誌』では貴石類に関する章において の名を挙げ、「エチオピアの聖石の最たるもののひとつ」として紹介している。こうした伝統を踏まえ、Ammon に鉱石名の語尾 -ite を添えて ammonite の名を造語したのは、18世紀後半のフランスの動物学者であったともされる。化石の出土数が多いことに加え、年代によって形に差異が見られ、なおかつ、その特徴が信用に足る規則性を持っているため、示準化石として地質学上有用なものとなっている。すなわち、アンモナイトの化石は多くの年代地層で見出されるが、その種類は限定的・規則的であるので、各種のアンモナイト化石が発見される地層の年代をアンモナイトで特定できる、ということである。化石の出土が多い理由は、そもそも生息数が多く生息域が広かったこともあるが、劣化しにくい殻という材質に負うところも大きい。アンモナイトの殻(螺環)の外観は一見しただけでは巻き貝のそれと同じようにみえるが、注意深く観察するとそうではない。一般的なアンモナイトの殻は、巻き貝のそれと共通点の多い等角螺旋(対数螺旋、ベルヌーイ螺旋)構造を持っていることは確かであるが、螺旋の伸張が平面的特徴を持つ点で、下へ下へと伸びていき全体に立体化していく巻き貝の殻とは異なり、巻かれたぜんまいばねと同じような形で外側へ成長していくものであった(もっとも、現生オウムガイ類がそうであるように縦巻きである)。また、殻の表面には成長する方向に対して垂直に節くれ状の段差が多数形成されていることが多い。巻き貝との違いは殻の断面からもわかる。螺旋が最深部まで仕切り無くつながっている巻き貝の殻の内部構造に対し、アンモナイトの場合、螺旋構造ではあるが多数の隔壁で小部屋に区切られながらの連なりとなっている(連室。右最上段、テンプレート内の画像を参照)。この構造は、現生オウムガイ類の殻と相似性をなしており、このことからアンモナイトは頭足類であると考えられた。殻(螺環)の内部は、現生オウムガイ類(オウムガイ属〈ノーチラス属〉 ')と同様、軟体部が納まる一番外側の大部屋(住房;じゅうぼう)と、その奥にあって浮力を担う小部屋(気房;きぼう)の連なりとで構成されている。住房と気房とは細い体管(連室細管)によってつながり、ガス交換がなされていたはずである。気房は、数学的規則性(ベルヌーイ螺旋)をもって配置される隔壁(セプタ、septa)によって奥から順次区分される造りになっている。そこにあった体液は排出され、代わりに空気が採り込まれることで中性浮力が発生する。これによって気房は魚の鰾(ひょう。浮き袋)に相当する器官として働いていたと考えられる。この説から、たとえ巨大な種であっても行動に不自由は無かったと推測できる。現生オウムガイ類の飼育研究から、殻の成長に伴って軟体部が断続的に殻の口のほうへ移動し、その後に残された空洞は最初は体液で満たされているものの浸透圧が作用して体液が自然に排除される仕組みであったと推測されており、積極的にガスを分泌するのではないと考えられている。現生オウムガイ類との相違点として、現生オウムガイ類の隔壁が殻の奥に向かってくぼむのに対してアンモナイトの隔壁は殻の口の方向に突出する傾向があること、隔壁間の空洞を連結する連室細管は現生オウムガイ類では隔壁の中央部を貫通するのに対してアンモナイトでは殻の外側に沿っていることが多いことなどが挙げられる。隔壁はしばしば殻の本体と接する縁の部分で複雑な襞(ひだ)状に折れ込んでいる。これは、ダンボールや波板、H形鋼などと同様、殻の強度を高めつつ軽量化を図るという相矛盾する課題を達成するための仕組みである。殻の内面に現れた隔壁と接する縫合線 (Suture Line) の形状は年代による差異が明確で、後代のものほど複雑になっており(一部例外あり)、分類学上重視される形質の一つである。この縫合線はまた、複雑に入り組んだ自然の織りなす模様となってアンモナイト化石に美術的価値を生み出してもいる。幾何学的で、かつ、どこか植物的でもあるその模様は、日本や中国では菊の葉を連想され、アンモナイトが「菊石」と呼ばれる由来となった。殻皮を剥がして磨きをかけることによって商品化されるものである。通常のアンモナイトの殻は同一平面に螺旋に巻いた渦巻状の形態である。ところが中生代も後期の白亜紀に入ると、「異常巻き」と呼ばれる奇妙な形の種が数多く見られるようになってくる。細長く伸びたようなものや、紐がもつれたような非常に複雑な形状のものなど、様々な形態が現れ(ニッポニテスが有名。左の画像参照)、過去の研究者を悩ませた。これらは系統進化上の“寿命”なるものが尽きることで引き起こされた一種の末期的な畸形(きけい)の症状であると見なすのが旧来の説だったが、現在は浅海域が発達した白亜紀という時代の環境に因を求め、そこに生じた複雑なニッチ(生態的地位)に適応して様々な生活型のアンモナイトが分化した結果であるという説が唱えられている。なお、一見不規則に見える異常巻きアンモナイトであるが、ニッポニテスを含むいくつかの種では海中に浮遊した状態で殻口の向きが一定の範囲に収まるように成長方向を調節していた、と仮定することでコンピュータシミュレーションで再現でき規則性があることが確認されている。アンモナイト亜綱の動物は、殻の直径で数センチから十数センチメートル程度のものが多い。しかし、中には大きな種も存在し、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州の白亜紀後期層から発見された史上最大のアンモナイト、パラプゾシア・セッペンラデンシス(パキディスクス・セッペンラデンシス。"Parapuzosia seppenradensis" ("Pachydiscus seppenradensis")。アンモナイト目- アンモナイト亜目- デスモセラス科〈la:デスモケラス科〉。右の画像参照)などは殻の直径2mに達するものであった。アンモナイトは軟体動物なので、柔らかな軟体部分(本体部)が極めて残りにくい。しかし同年代に生息していた同じ頭足類のタコ、ベレムナイトについてはかなり稀であるものの軟体部が保存された化石が見つかっており、アンモナイト研究者の焦燥を煽っている。タコ、イカ、ベレムナイトに比べてアンモナイトの軟体部が保存されていることが極めて稀なのは筋肉組織がイカやタコに比べて軟弱であったのではないかという説がある(三笠市立博物館の解説より)。軟体部分の痕跡を留めた化石の発見例は存在するがごくわずかしかなく、それも大半が断片的にしか痕跡を残していないため、研究資料として十分な量には達しておらず、軟体部分がどのような構造であったかについては未だ解明されていない。現生のイカやタコのように吸盤のある触手が複数あったであろうことは痕跡化石から推測されているが、触手の本数はまだよくわかっていない。化石はほぼ全てが殻であって、おびただしい数の化石標本が確保され、主要な産地であればたやすく見つけられるが、軟体部分の復元は(貝殻部分も含めて)現生の頭足類との比較による推定でしか行う事ができない。現生動物との比較は復元の常套手段であるが、現存する頭足類でこのような殻を具えているのは、オウムガイ類のほかは、フネダコ("Argonauta hians"、殻の呼称は「タコブネ」)やアオイガイ(別名:カイダコ。"Argonauta argo")が属するアルゴナウタ属 (genus "Argonauta") のみである。現生オウムガイ類は、多数の短い触手を持ち、浮遊するように遊泳する。アルゴナウタ属はタコの仲間で、やはりこれも浮遊型の遊泳動物である。そのほかの頭足類では、イカはより活発に遊泳し、タコは海底を匍匐(ほふく)するが、いずれも殻は退化させている。トグロコウイカ ("Spirula spirula") は非常に明確な渦巻構造を示す殻を有するが、それは完全に体内に納められている。現在では、殻の構造及び軟体部の痕跡の残された化石から、アンモナイトは殻の形の似ているオウムガイよりも、現生のイカやタコに近縁であるとする説が有力で、オウムガイ類との類似性および関連性は薄いと考えられている。イカに近く復元した場合は、ごく短い足を多数持って、水中半ばを漂うように泳いでいた、という姿となり、タコに近く復元すれば、殻から長い足を出して、海底をはい回ったという図になるが、いずれも推定による物であり、結論は出ていない。前述の通り、アンモナイト亜綱の系統発生は、古生代オルドビス紀から生息していたオウムガイ亜綱からの分化と考えられている。生態ピラミッドの最高次捕食者として栄えた時期もあったオウムガイ亜綱とは違い、アンモナイト亜綱はその進化史の初めから食い食われる中位の捕食者としての出現であった。何を祖先と見なすかは、諸説で割れる分類が最初期のアンモナイトを何と定めるかによって違ってくる。バクトリテス目をもってアンモナイト亜綱の発生とし、その直接的祖先とされるオルソセラス目(la:オルトケラス目、直角石の類い)のスフェオルソセラス(la:スファエルオルトケラス、')を上に置く考えもあれば、直錐形の殻を持つバクトリウス目をオウムガイ亜綱に分類し、彼らから分岐して螺旋形の殻の進化傾向を初めて見せるアナルセステス類をもって最古のアンモナイト亜綱と見なす説、その他がある。アナルセステス類を含むゴニアタイト類は、古生代デボン紀中期からペルム紀にかけて繁栄したが、未曾有(みぞう)の絶滅期であるP-T境界を超えることはなかった。ペルム紀中期出現のセラタイト類はしかし、P-T境界を超えて三畳紀を迎え、この時代を繁栄期としている。そして、アンモナイト亜綱の代表たるアンモナイト目(狭義のアンモナイト類、Ammonitida)は、セラタイト類を母体として三畳紀中期に現れている。彼らはジュラ紀・白亜紀を通して大繁栄することになるが、その陰でセラタイト類は三畳紀末に姿を消した。登場以来、古生代から中生代にかけて長く繁栄することとなったアンモナイト亜綱ではあるが、幾度となく到来した絶滅イベントによって彼らのうちの古い形質を残すものは失われていき、ジュラ紀にはアンモナイト目だけが亜綱を構成する状況となっていた。それでも、アンモナイト亜綱の隆盛期はこのアンモナイト目によってもたらされたものである。そのようなアンモナイト目のなかにも盛衰はあり、代表的な一群であるアンモナイト亜目 (Ammonitina) は白亜紀には減衰し始め、異常巻きで有名なアンキロセラス亜目 (Ancyloceratina) が繁栄を見せている。自らも獲物を捕らえ、また大小様々な捕食者の生態を支えてきたであろうアンモナイトはしかし、約6,500万年前の一時期に突如として姿を消した。中生代の幕引きとなる白亜紀末の絶滅イベントが、今度はアンモナイト目を地上から消し去り、アンモナイト亜綱の命脈を絶ち切る悲劇を現出させ、彼らの進化史の全てを終わらせている。一方、アンモナイト亜綱より先に存在していたオウムガイ亜綱は、これも長い地質時代の間に多くの種が現れては消えていった。それでも、遠い子孫がわずかに生き延び、我々はそれを「オウムガイ(オウムガイ属、現生のオウムガイ類)」と呼んでいる。20世紀末以降の学会では、断片的に軟体部の痕跡を留めているアンモナイト化石を基にした知見から、殻の形の似ている現生オウムガイ類よりも、歯舌にある歯の数などで共通性を見出せるイカやタコを近縁とする説が有力になっている。現生のイカやタコを含む鞘形亜綱 (Coleoidea) の原初的な分化も、アンモナイト亜綱の発生の頃にまで遡って考えるのが、今日的な説である。アンモナイトと現生オウムガイ類は別の系統群と見なされるようになったわけであるが、類似する生活様式を持っていたための一つの収斂進化であると考えられている。イカに近い生態で復元する場合のアンモナイトは、ごく短い足を多数具え、水中半ばを漂うように泳ぐ姿を想定される。それが、タコに近い生態での復元であれば、殻から長い足を出して、海底をはい回る様子が描かれることとなる。頭足綱の分類は非常に流動的で、統一見解が無い。諸説ある中の有力な2説に基づく、アンモナイト亜綱の上位分類、および、近縁の分類群をここに示す。頭足綱をオウムガイ亜綱・アンモナイト亜綱・鞘形亜綱の3亜綱に大別する。頭足綱をオウムガイ亜綱と新頭足亜綱の2亜綱に大別し、新頭足亜綱をアンモナイト類と鞘形類(絶滅したベレムナイト類、および、現生のイカ、コウモリダコ、タコを含む)に二分する。頭足綱を四鰓亜綱と二鰓亜綱の2亜綱に大別し、オウムガイ類とアンモナイト類と前者の下位に、現生を含む全ての鞘形類を後者の下位に置く。諸説ある中の有力な2説に基づく、アンモナイト亜綱の下位分類をここに示す。アンモノイド類は、狭義のアンモナイト類(アンモナイト目)と区別して言う場合のアンモナイト亜綱の呼称。なお、分類 (1) は分類 (2) より多くの目を含むがゆえ、先に記したに過ぎない。分類 (2) は多くの支持を集める分類法である。略号の意味: †=絶滅(ここでは全て絶滅種)。la=ラテン語発音に準じた仮名転写(以下同様)。日本語による別の読みもあるが、ここでは省略する。バクトリテス目をアンモナイト亜綱の始原的一群とする説に基づく。アンモナイト亜綱を、バクトリテス目からアンモナイト目に至る7目4亜目に分類。バクトリテス目をアンモナイト亜綱に先行するものとして除外し、オウムガイ亜綱に分類する説に基づく。アナルセステス類をもってアンモナイト亜綱の出現とする。このほかにも、アンモナイト亜目をアンモナイト亜目とペリスフィンクタス亜目 (Perisphinctina) に二分する説もある。主な産地としては、モロッコ、ロシア、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ合衆国、マダガスカル、日本が挙げられる。他に、フランス、スイス、ナイジェリア、カザフスタン、インドネシア、ペルーも知られる。日本では北海道が世界的産地の一つとして知られており、これまでに600種類以上が発見されている。特にアンキロセラス類の産地として有名。 アンモナイトの化石は、しばしば観賞用やアクセサリーとして販売・利用されている。古代生物の化石であることはそれ自体価値であり魅力であるし、地球上海底から高山まであらゆる場所で見つけられ採掘も容易であり、優れた造形もまた、人を惹きつけるものがある。風水で語られ、利用されることもある。さらには、宝石の輝きを持って出土するものがあり、それらは加工され、高値で取り引きされる。アンモナイトの殻の中層にあって光沢を放つ真珠質層が損なわれることなく化石化したアンモライトは、琥珀(こはく)・真珠・珊瑚(宝石サンゴ)とともに有機質(生物)起源の宝石の一つに数えられる。高いイリデッセンス効果によって蛋白石のような虹色の輝きを放つこの化石は世界各地から見出されるが、宝石と呼べる良質のものは米国とカナダにまたがるロッキー山脈の東斜面のみで産出し、とりわけカナダ・アルバータ州の約7,000万年前の地層に由来のものは価値が高い。アンモライトは、古くはインディアンのブラックフィート族 (Piegan Blackfeet) が護符として用いていたという。世界的に知られるようになったのは1970年代以降で、現在最大の市場となっているのは日本、これに産地カナダ、その他が続く。ロッキー山脈のアンモライトはほぼ全てプラセンチセラス(la:プラケンティケラス、")属の1種に由来している。左(上段)の画像:アンモライト(未加工)。左(中段)の画像:アンモライト・ジュエリー。アンモナイト・パイライト (Ammonite pyrite) は、殻の組織に黄鉄鉱(パイライト)が入り込んで結晶化したアンモナイト化石である。これも宝石的価値のある良質のものは加工され、ペンダントトップ等のアクセサリーとして用いられる。左(下段)の画像:アンモナイト・パイライト。アンモナイトの優れた造形は多分野の芸術家に愛され、多くの創作物がこれをモチーフとしている(右列上の画像の街灯は一例)。対数螺旋はレオナルド・ダ・ヴィンチやアントニ・ガウディの建築様式にも見られるが、ガウディの螺旋階段などは上から見ると段差の一つ一つがアンモナイトの連室を想起させ、巻き貝の殻とは違うアンモナイトの殻がモチーフであったとする話を説得力あるものとしている。右列下の画像は別のものであるが、これも対数螺旋の階段の一例。

出典:wikipedia

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