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シュプール号

シュプール号(シュプールごう)とは、「シュプール号」として、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)および九州旅客鉄道(JR九州)が、それぞれスキー客輸送のために運転を行っていた臨時列車の総称である。1986年、日本国有鉄道(国鉄)は冬のスキー客輸送のため、北海道と四国をのぞく全国の主要都市から各地のスキー場へ、従来にないタイプの列車「シュプール号」の運行を開始した。当時の列車名称は「シュプール○○」(○○には目的スキー場の地域名)であった。格安で大都市圏とスキー場とを直結するスキーバス(スキー場発着のツアーバス)に対抗すべく、特急車両を使用し、渋滞知らずをセールスポイントに大々的なPRを行い、列車種別は急行列車としながら運賃込みの格安パック料金を設定し、目的地からゲレンデまでは「シュプールバス」が接続するなどそれまでの国鉄では考えられない画期的な試みとして運転開始当初は成功を収めた。特にスキーブームが絶頂期に達したバブル経済期(1980年代後半 - 1990年代前半)は、ジョイフルトレインまでもが使用された。基本的には往路は夜行列車、復路は夕刻始発の昼行列車(京阪神方面は一部夜行列車あり)として運転された。JR西日本の京阪神地区発着列車に関しては、1994年は「シュプール白馬・栂池」が北陸本線、大糸線(または中央本線)経由で多数設定し、最盛期には和歌山駅・姫路駅発着も設定されていた。しかし1995年に大糸線が7.11水害で長期間不通になって以降、中央本線の運転容量の関係上、大幅に減便となった。1997年以降は北陸本線経由で「シュプール苗場・湯沢」「シュプール雷鳥・信越」など、播但線経由で「シュプール神鍋・鉢伏号」、中央本線経由で「シュプール白馬アルプス」など、7方面に1日最大6往復もの「シュプール号」が運転されていたが、白馬方面は減便を被っていた。また、広島駅 - 三井野原駅間でもジョイフルトレインを使用したスキー客向けの臨時列車(シュプール号ではない)を芸備線経由で走らせていた時期もあった。同社は南野陽子や西田ひかるらアイドルを起用したシュプール号のCMを1996年頃まで展開し、その後も有名タレント(2005年シーズンは長澤まさみ)を起用した駅ポスターやパンフレットの展開を継続していた。各「シュプール号」ともダイヤが過密な路線における設定であり、さらに新宿駅など主要駅で相互の列車間が乗り換えすることができるように発着時間をそろえるといったサービスを図った結果、ダイヤ設定に無理が生じることとなった。このため、時刻表において見かけ上は首都圏(山手貨物線・高崎線・中央本線沿線)もしくは京阪神近郊の主要駅とスキー場最寄駅間で直結となってはいても、実際は復路の列車を中心に定期特急などの待避や長時間の運転停車、さらには普通列車と殆ど変わらないような低速運転を行う列車がほとんどで、安いが遅いというイメージが口コミなどで徐々に浸透し、利用を敬遠する層を生む結果も招くこととなった。例えば上り「シュプール白馬」2号は定期特急の待避が4回もあり「あずさ」と比較すると白馬駅 - 新宿駅間で3時間近くも余計にかかっていた。下り「シュプール白馬」も急行「アルプス」(現在の快速「ムーンライト信州」)と近接したダイヤで運行され、定期・臨時あわせて最大で3本もの「アルプス」の待避を行うというダイヤ設定であったために、スキー客が「アルプス」に集中し、結果として「アルプス」の乗車率は満席に近い状態でありながら、「シュプール白馬」・「アルペン」は閑散、という日もあった。首都圏からの発着では、1991年に東北・上越新幹線の東京駅延伸により東海道本線・中央線快速などからの乗り継ぎの利便性が向上するとともに、JR東日本によるガーラ湯沢スキー場の開設と相まって同年から「JR ski ski」キャンペーンを展開。新幹線沿線にスキー場が点在するJR東日本では新幹線によるスキー客輸送強化に傾倒することとなり、やがて「ガーラ日帰りきっぷ」(2011年度で販売終了)など日帰りの往復新幹線とリフト券がセットされた特別企画乗車券も多種発売されるようになった。また一部のシュプール号は線区によって普通列車扱いのため、期間によっては青春18きっぷの利用ができる夜行快速に取って代わられた。しかしこういった鉄道側の原因以上に大きかったのは、スキーブーム絶頂期から終息後の平成不況期にかけて普及したスキーバスの台頭である。スキー場へ直行するため煩わしさがなく、列車よりも少ない人数で採算が取れる上に同業者間の価格競争によりバス料金(運賃相当)に弾力性があることで、各旅行会社はより多くの集客と利益が期待できるスキーバスとリフト券等をセットにしたパックツアーをこぞって企画するようになり、可処分所得の少ない若者に支持されるようになる。それに反比例するかのようにツアーバスに対して1人当たりの運賃が高く、新幹線よりも送達性に劣るシュプール号を使った旅行商品の取り扱いは減っていった。また、1995年頃より雪道の走行安定性や積載量に優れたRV・ミニバン・SUVが国産車メーカーから相次いで登場したことで、重い荷物を持ち歩く必要もなく、機動性も高いマイカーでスキー場に向かう利用者が増えるようになった。さらに、長野オリンピックに合わせて上信越自動車道など志賀高原・妙高方面の高速道路が次々と整備された結果、交通手段が鉄道から相乗りすることで廉価となる自動車へ徐々にシフトするようになった。これに加えてスキーブーム終焉によるスキー人口の減少が続いたこと、シュプール号に使用されていた車輌が老朽化で引退するようになったことから、「シュプール号」の運転本数も削減の一途をたどるようになった。このような外的環境の変化を受け、JR東日本は2001年度を最後に運転を終了。JR東海やJR九州も各種「シュプール号」の運転を取りやめ、JR西日本だけが「シュプール号」の運行を継続したが、JR福知山線脱線事故が発生した2005年度シーズンを以て利用客の減少を理由に運転を終了した。2013年現在でスキー客向けに運転される臨時列車は東武鉄道が運行する「スノーパル23:55」やJR東日本の「シーハイル上越」、JR東海の「きそスキーチャオ」程度にとどまっている。1987年の運転状況は以下の通り。次に1999年度に運転された列車を記載する。これらの車両にはシュプール号として使用するために大型の荷物が置けるスペースを設置したり、座席をグレードアップするなどの改良をした物が存在した。スキー人口の減少に伴い利用客が減少したことから、2002年度から2005年度まで、JR西日本のみが大阪駅 - 黒姫駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線経由で臨時寝台列車を運転していた。2003年度は最大2往復へ縮小、2004年度から毎日運転が廃止され、12月23日から3月13日まで、2005年度は12月27日から3月12日までの週末を中心に、急行「シュプール」および特急「シュプール雷鳥信越」が運転され、2004年は合計90本と、2005年度は70本運転されていたが、2006年度に廃止された。大阪駅 - 新大阪駅 - 高槻駅 - 京都駅 - 大津駅 - 草津駅 - 米原駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新井駅 - 妙高高原駅 - 黒姫駅黒姫駅 → 妙高高原駅 → 新井駅 → 直江津駅 → 糸魚川駅 → 京都駅 → 新大阪駅 → 大阪駅シュプール号にはJR西日本の京都総合運転所に所属していた583系が専用車両として使用されていた。グリーン車はフリースペースとしていた。485系と583系の併結運転が行われたことがあり、先頭車の貫通扉が使われた。このほか、「シュプール雷鳥信越」には485系が充当されていた。JR東日本は、スポーツ用品販売のアルペンとタイアップし、2001年度に運転する列車名を「シュプール○○」から「アルペン○○」に変更して、下り列車のみであるが次の列車が運転された。

出典:wikipedia

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