東武8000系電車(とうぶ8000けいでんしゃ)は、東武鉄道の通勤形電車である。1963年(昭和38年)11月1日から導入され、1983年(昭和58年)まで、約20年もの長期にわたって、日本国有鉄道およびJRグループ各社を除いた私鉄電車では最多両数となる712両が製造された。その両数の多さと製造期間の長さから、「私鉄の103系」とも呼ばれる。本項では8000系から改造されたワンマン運転対応の800系電車・850系電車についても記述する。また、個々の編成を表す場合は浅草・池袋・柏方先頭車の車両番号の末尾に「F」(「編成」を意味する英語Formationの頭文字)を付して表記する。沿線人口の急増による乗客増への対応と旧形車両の置き換えを目的として開発され、1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで、約20年もの長期にわたって712両が製造された。ただし、製造年次により細部には様々な差異が生じている。この同一系列での712という数は、国鉄とJRを除いた私鉄電車では最多両数で、本系列はこの記録を1970年代以来保持している。製造メーカーは、ナニワ工機(後のアルナ工機。現・アルナ車両)を中心に日本車輌製造東京支店・汽車製造東京製作所・富士重工業・東急車輛製造(現在の社名は横浜金沢プロパティーズ、事業は総合車両製作所横浜事業所に継承)の計5社である。ただし、汽車製造は1963年(昭和38年)製の初期車2編成(8104Fおよび8105F)のみ製造に携わり、また日本車輌は1971年(昭和46年)の豊川移転統合に伴う東京支店工場閉鎖のために製造から外れ、代わって東急車輛が1973年(昭和48年)の8163Fの新製より加わっている。2・3・4・6・8両の編成が存在する。当初は4両固定編成が登場し、2両の電動車を一括制御する1C8M方式がとられたが、ついで2両固定編成登場時には1両の電動車のみ制御する1C4M方式がとられ、以後、6・8両固定編成が登場するにあたっても、MT比を1:1として両者が混在している。また後に改造で3両固定編成も登場した。組み合わせによってローカル線区の2両から東上線の10両まで、柔軟な運用が可能である。2009年(平成21年)時点では600両以上が残存し、鬼怒川線と伊勢崎線押上 - 曳舟間を除く全線で使用されていた。その中でも、野田線では2004年(平成16年)10月19日のダイヤ改正から2013年(平成25年)4月19日まで、すべての列車が本系列で運用された。2010年(平成22年)12月1日時点では、486両が在籍し東上線・野田線を始め、北関東地区などのローカル線(小泉線・佐野線など)で運用されており、2015年度を目標に東上線がT-DATCへ保安装置を変更するのに対応するための工事が、一部の4両固定編成に実施されている。なお、伊勢崎線浅草 - 館林間と日光線東武動物公園 - 南栗橋間での定期営業列車の運用は2009年度末で終了し、東上線でも2015年1月18日に川越市 - 小川町間の閉塞方式が常置信号機による自動閉塞式から車内信号閉塞式に変更され、車両側の保安装置も、自動列車停止装置のTSP(東武形ATS)と自動列車制御装置のT-DATCが必要となったため、小川町 - 寄居間および越生線坂戸 - 越生間で運用される車両の回送列車を除き運用を終了した。本系列は、その両数の多さと長期にわたる製造期間から、ほぼ同時期の20年間に約3,000両以上が製造された国鉄103系電車になぞらえて「私鉄の103系」と呼ぶ向きもある。実際両開き4ドアの20 m車体、中空軸平行カルダン駆動など旧形車両を置き換える開発当時の新世代通勤形として重要な共通点が多いが、上記の通り端子電圧の異なる2種の主電動機を採用し1C4M方式と1C8M方式を混在させることで短編成から長大編成までMT比1:1を維持する点、発電ブレーキを装備しない点、103系ではコスト面で採用を見送った空気バネ台車を用いた点などは、大きな相違である。また、座席に関しても後で述べるように座り心地の良いものになっている点など、空気バネの採用とあわせ、103系に比べると長距離客の利用に配慮したものとなっている点が異なる。公営の同一形式で1位である東京市電3000形の製造両数が610両、私鉄の同一系列で2位である西武2000系の製造両数が444両、第3位の東京地下鉄05系の製造両数が430両に過ぎないことからも、本系列の両数の多さがうかがえる。かつての東武の看板列車である1720系 (DRC) が31年にわたり特急列車で運用されたことと並んで、東武の保守的イメージの象徴でもあった。また、あまりの膨大な車両数から車両番号の枠が本来の4桁では収まり切らなくなり、通称「インフレナンバー」と呼ばれる5桁の車両番号を持つ車両が登場した。詳細については「#その他・エピソード」を参照。全長20 m・両開き4扉の普通鋼製で、経済性への重視により徹底的な軽量化が図られた。軽量化と車体強度を両立させるため、1963年頃の首都圏の電車としては比較的珍しく、戸袋窓が設けられていない。前面はそれ以前の東武の通勤形電車と同じく貫通式である。窓下の2灯式前照灯や額部の行先表示器は、8000系に先んじて1961年(昭和36年)より新製された2000系の影響が強い。また、種別幕は当初3列の分割幕になっており、列車番号を表示していたが、後に種別表示専用の1枚幕方式に改造された。当時大手私鉄の幹線車両のほとんどに装備されていた通過標識灯は、尾灯のように車体に埋め込まれているのでなく、屋根上に飛び出して設置されるという非常に珍しい形態だった。しかし、その後伊勢崎・日光線の快速(種別名は当時のもの)以上を除いて通過標識灯点灯が廃止されたため、撤去して埋め込まれた。この場所から雨水が入って腐食することも廃止の理由の一つであったという。側窓上部の形状や、車体裾部の構造、側扉の窓ガラス支持方法など、製造年次によって細部に違いがある。またインチネジ使用とミリネジ使用の違い、台枠と外板の溶接方法の違い、床構造の違いなどの差異も多い。自動車との衝突事故に備えて高運転台構造とし、屋根も深くなっている。マスコンハンドルは跳ね上げ式のデッドマン付きだが、ノッチ数は並列全界磁段を省略したため2000系と同様に3ノッチで、事情は異なるが同時期登場の西武701系と同様である。また、前後進・切の切替レバーは、東上線仕様では早くから固定式であり、制御器の鍵でロックを解除するものになっていたが、本線では1990年代まで取り外し式のレバーであった。種別幕回転ハンドルは東上線用車のみ改造され、本線所属車では車体修繕で自動幕になるまで取り付けられなかった編成が多い。通過標識灯の運転室の押しスイッチは「上部灯」と標記されていた。通過標識灯撤去後は、その位置に「乗務員室灯」のスイッチが設置された。なお、運転台のスイッチ類は有接点の押しスイッチがほとんどだったが、前面更新時にパンタグラフ関係のスイッチを除いてほとんどがブレーカー方式の手元スイッチに整理された。乗務員間の連絡マイクは、当初マスコンとブレーキ弁の間の低い位置に固定して設置されていたが、前面改造時に仕業表差し左の一定の高さのある位置に移設され、マイクそのものも任意の角度に調整できるものとなった。戸閉知らせ灯や過電流表示灯などの運転台表示灯類は当初白熱電球を使用していたが、後述の中修繕時を中心にLED化された。冷房装置搭載改造以前の車両は、運転室前後長さが短く(狭く)、運転室の仕切り扉の構造も違っていた。また、車掌側キセには手ブレーキの円形ハンドルが埋め込まれており、ワイヤーで作動する構造であった。発電制動がないため主回路電流計は省略され、パネル上にある電気関係の計器は制御電圧計のみである。なお計器の配置は左から「制御電圧計」・「120 km/hまでの速度計」・「直通管・ブレーキシリンダの2針式圧力計」・「元空気溜管・制動管の2針式圧力計」の順番であるが、前面改造車では制御電圧計だけが運転台左上に移設された。オールロングシートで、扉間は7人掛け、車端部は4人掛けで中間車の座席定員は58人。伊勢崎線・日光線・鬼怒川線での長距離運用も想定し、通勤車ではあるが座席奥行きを深くするとともにクッションを柔らかくし、長距離客にも配慮している。客用ドアは製造当初からステンレス製で、車内側の仕上げについては、1974年(昭和49年)までに新製された車両はベージュ色に塗装されていたが、1976年(昭和51年)以降に新製された車両は内側の塗装が省略され、ステンレス無塗装仕上げとなった。寒冷地における運用を考慮して、長時間停車時等に中間2箇所の扉を締め切ることができる「中間扉締め切り機構」が当初から装備されており、中間の4箇所の扉の上には表示灯がある。これはダイヤカットされたオレンジ色のランプで、横に「このランプがついているときは停車してもこのドアはひらきません」との説明プレートが取り付けてある。なお、同表示灯は後述の修繕工事を施工された車両についてはLED表示灯に改められた。側面窓は天地寸法950 mmと大きめの上段下降・下段上昇式で、上段の方がやや面積が大きい。車両間の貫通路は1,200 mmの広幅タイプで、4両固定編成でも車両間の貫通扉が設置されていないのが特徴のひとつであったが、主に冬期の寒さ対策のため6両固定編成の導入を契機に両開き式の貫通扉の設置を開始し、従来車にも、修繕と同時に後付け改造を施工した結果(未更新の編成にも、その後施工された)、2011年(平成23年)時点では、2両固定編成以外には貫通扉が設置されている。同様に5000系列にも一部のみだが施行された。一方、冷房装置搭載改造以前は扇風機を装備していたが、夏季以外は取り外していた。改造後は冷房装置のみとなり、装置の関係で天井がいくぶん低くなった。また、電動車の車内に主電動機の点検蓋がないため、すっきりした見付けになっていると同時に、走行時の静粛性にも寄与している。滑らかな加速が得られる超多段式のバーニア抵抗制御と、設計当時としては強力な130 kW主電動機を組み合わせ、コストダウンと走行性能を両立させた。ブレーキは車輪を締め付ける空気制動のみの簡素な設計だが、新開発のレジンシューの採用で必要な制動力を確保している。発電ブレーキの省略措置は、高加速・高減速を必ずしも必要としなかった当時の東武鉄道の路線条件を考慮しての合理的発想である。抵抗器容量を減らし、制御装置も簡素化することで、軽量化による加速力向上や電力消費抑制、主電動機負荷抑制、コストダウンを目指した。また、4両編成と2両編成で主電動機や制御装置の仕様を変えるという手の込んだ策を採り、編成長にかかわらず、常に編成内の電動車と付随車の比率(MT比)が経済的な1:1構成になるように設計されている。6両固定編成は、4両編成1組と2両編成1組をセットにしたのと同じ機器配置となっている。日立製作所製のVMC超多段型制御器(バーニア制御器)。電動カム軸式である。力行のみ55段(弱め界磁起動1段、直列24段、並列21段、弱界磁9段)。発電ブレーキを省略して極力簡素な構成とし、なおかつ超多段制御で加速をスムーズにした。中空軸平行カルダン駆動方式・補償巻線付の130 kW主電動機で、1963年時点では日本の狭軌鉄道向けカルダン駆動用主電動機として最強クラスの出力を有した。制御回路の都合上ユニット車用と1M車用で端子電圧などの仕様を違えているが、130 kWの定格出力や、1,750 rpm(82%界磁)の定格回転数などの特性は極力揃えてある。なお、同一の主電動機が同一歯車比で6000系(後の6050系)や1800系に搭載され、それらは最弱界磁率20%で使用されたが、本系列では30%にとどめてある。それでも、高速性は国鉄近郊形電車に匹敵する。メーカーは日立製作所(記号はHS)と東洋電機製造(記号はTDK)の2社で、共通設計とした。「TM」とは東武独自のモーター符号である。住友金属工業の空気バネ台車を一貫して用いているが、前期(1974年製以前)と後期(1976年製以降)で差異がある。初期形の台車は、揺れ枕吊り式ミンデンドイツ台車であるFS356・056で、メーカー形式とは別に「TRS-62」という東武での社内呼称が与えられている。枕バネは3段ベローズ式空気ばね、台車枠は鋳鋼製、軸距2,300 mmである。ミンデンドイツ式台車はドイツ国鉄(現・ドイツ鉄道)のミンデン研究所で1930年代に考案されたもので、車軸の位置決めを軸受け前後に固定された板ばねで行い、車軸の緩衝自体は別のコイルばねで行うという手法である。日本には西ドイツのクロックナー・フンボルト・ドイツ (Klöckner-Humboldt Deutz AG:KHD) 社と住友金属工業の技術提携により、1961年(昭和36年)に新製された阪急電鉄2000系用FS344より住友と取引のある私鉄各社へ順次導入された。線路方向に剛性の高い板ばねを軸箱の支持・案内に用いるため直進安定性が高く高速走行時の特性が良好で、後に新幹線の台車にもIS式台車として一部改良の上で採用された実績がある。だが、この方式には長い板ばねのために台車枠の全長が延びて大型化してしまうことや、組み立てや部品加工、特に板ばねの固定に高い工作精度が要求されるという難点が存在する。このため、保守に際しても専用治具の設置が求められることなどから私鉄での導入は阪急・京阪・南海・営団・東武・小田急・京成と大手7社に限られた。この高価な台車を東武が導入した理由は「保守の省力化」であった。ミンデンドイツ式は軸箱と台車枠との間に摺動部分がないため一般的なペデスタル式台車で必要となる頻繁な部品交換や摺動面の遊間調整といった作業が不要で、メンテナンスコストが減少する。こうした長期的なランニングコストの低減を考慮すれば、イニシャルコストが高価な軸箱支持機構を採用しても十分採算がとれ、また乗り心地が改善されることから、収益の増進と乗客サービスの改善に資するという発想であった。また、空気バネの採用も本系列の新製が開始された1963年(昭和38年)当時は高価であり、通勤電車用としては贅沢なものであった。これは乗り心地の改善よりもむしろ、車体の軽量化によってより大きくなってしまった満車時と空車時との積空差の吸収が金属ばねでは困難で、乗降時に問題となる危険性がある、という問題の解決策という性格が強く、この点において自動車高調整機能を備える空気ばねには大きなメリットが存在していることになる。後期形の台車は、台車枠が鋼板プレス材溶接組み立て構造に変更され、さらに軸箱支持機構がミンデンドイツ式を基本としつつ住友金属工業が独自に改良したS形ミンデン式に変更された、FS396・096(東武での社内呼称はTRS-75)となった。このS形ミンデン式はオリジナルのミンデンドイツ式の短所である「台車枠の全長が長くなり床下スペースを大きくとる」点を解消した構造で、枕ばねの両脇から突き出した上下2枚の板ばねで軸箱の位置決めをするカンチレバー(片持ち)式の軸ばね支持機構を備える。コイルばねを2本並列配置で軸ばねとして用いるミンデンドイツ式とは異なり、軸ばねはシングルとなり、非常に簡潔な構成となった。阪急3300系で採用されたFS369・069を皮切りに、主に私鉄の通勤電車用として1970年代以降盛んに用いられた形式である。また、枕ばねについても揺れ枕吊り構造をやめ、背の高いベローズ式空気ばねに代えて横方向にも剛性(復元力)のあるダイアフラム形空気ばねで荷重を直接負担する「ダイレクトマウント構造」を採用しており、台車枠の側枠中央部を引き下げ、その上に枕ばり(ボルスタ)を配置して、枕ばりの直上に大径かつ薄型の空気ばねを置くように変更された。軸距は後述する揺れ枕部の改良もあって2,200 mmに100 mm短縮され、軸箱支持機構の変更に伴う側枠寸法の大幅縮小や各部の簡素化も相まって、大幅な省スペースと軽量化を実現した。当時日本の各私鉄において一般に使用されていたHSC電磁直通ブレーキが採用された。ただし在来車との混用は考慮せず、自動空気ブレーキ部の三動弁を非常弁で置き換えた、実質的にSMEEブレーキと同等の仕様のものが採用されている。前述のように発電ブレーキは装備せず、車輪を空気圧作動の制輪子(ブレーキシュー)で締め付ける「踏面ブレーキ」のみとして、機器類を簡素化しているが、制御装置とともに応荷重装置と連動していて、乗客の多寡に応じてブレーキシリンダー圧力が自動的に調整される機構を持っている。踏面ブレーキ単独で見た場合、発電ブレーキ併用車に比して制動能力が劣ることになるが、ブレーキシューを従来の鋳鉄製から制動能力に優れたレジン(樹脂)製に変更することでブレーキ力不足を補った。このため、停止時には独特の匂いが発生する。しかし、レジンシュー使用の踏面ブレーキのみに頼った制動は滑走が多発して車輪の偏摩耗によるフラット現象を起こしやすく、これによってしばしば乗り心地が悪くなることは本系列の恒常的弱点の一つである。当初は非冷房仕様で新製された本系列であるが、1972年(昭和47年)に新製された8156F - 8158F(富士重工製)から集約分散式の冷房装置が新製時より標準装備となり、それまでに製造された非冷房車も順次冷房改造工事が実施された。他社の20 m級通勤車がようやく8,000 - 8,500 kcal/hの分散式クーラー4 - 5基(もしくは集中式1基)を搭載し始めた時代に、東武は阪急電鉄や小田急電鉄とほぼ同時期により強力な10,500 kcal/h(12.2 kW/h)の集約分散式を採用し、各車4基搭載としている。これに伴い、屋根上室外機のスペースを稼ぐためにパンタグラフは従来より小型の下枠交差式パンタグラフPT-4801-Aに変更された。室内は当時の冷房車では珍しく最初から平天井構造となっている。改造工事は当初、西新井工場内の津覇車輌工業で実施する計画であったが、当時の同社は旧型車の3000系への更新工事で手一杯だったため、一部の工事はアルナ工機で行われた。同系列の更新が一段落すると津覇車輌で冷房改造が行われるようになり、1984年(昭和59年)までに全車の冷房化を完了している。なお、冷房化で取り外されたPT-42J菱形パンタグラフや押し込み式ベンチレーターの一部は、7800系更新車である5000系の車体新製に際して流用された。※以下の節では、編成の組成両数について、2両編成は「2R車」、4両編成は「4R車」、6両編成は「6R車」、8両編成は「8R車」、3両編成は「3R車」と表記する。1963年(昭和38年)の新製開始当初からの基本的な編成で、1970年(昭和45年)製の8155Fまですべて4Rで新造された。電動空気圧縮機(コンプレッサー)は当時の標準型のC-2000Mを装着する。後期はHB-2000CAとなった。このうち、8101F - 8114Fの14編成は1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてサハ8700形-モハ8800形を組み込んで6R車グループに移った。このほかに、修繕工事の際に中間車化改造された2R車を組み込んで6R車グループに移った編成が10編成やクハ8400形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成(後述の#野田線の8000系を参照)も存在する。一方では8R車が分割改造されて新たに4R車グループに編入されるケースも生じている。2010年(平成22年)より東上線(小川町 - 寄居間)・越生線用のワンマン車は、2015年度(平成27年度)を目標に東上線(池袋 - 小川町間)が従来の東武式ATSからT-DATCへ保安装置を変更するにあたって、これに対応する追加工事が行われている。8000系は当初上記の4R車が製造されたが、通勤需要の増大で6両編成が必要になった際に4両ユニットの間に中間車を入れずに1M1Tの増結用として、また支線用として1964年(昭和39年)より新製された。形式は上記4R車の8100 - 8400に続き、8500・8600が付けられた。コンプレッサーはクハ8600形に7800系と同様の旧型機であるD3-FRを搭載するが、修繕工事などで新型のHS-20Cへ換装したものもある。1974年(昭和49年)製の8564F以降はHB-2000CAを搭載している。8501F - 8580Fの80本が製造されたが、修繕工事の際に中間車化改造された上で4R車に組み込まれた編成が10本、またモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して4R車と共に事実上6両固定編成を組む編成(後述の#野田線の8000系を参照)も存在している。東上線系統所属車のうち8505F・8506F・8510Fには、検査時や本線系統との車両転配時に該当車を牽引して秩父鉄道線を走行可能なように秩父鉄道のATSを搭載している。これらの編成は主幹制御器(マスコン)を10000系と類似の形状のものに交換した。その後8505F、8510Fは廃車されている。ワンマン運転を実施している大師線(2003年3月19日 - )・小泉線(東小泉 - 太田間・2003年3月19日 - 、館林 - 西小泉間・2006年9月28日 - )・亀戸線(2004年10月19日 - )・佐野線・桐生線(2006年3月18日 - )では、対応機器が備えられている。本線での2R車は、他の編成と連結されて運用される場合がほとんどだったが、それらの編成の組合わせは頻繁に変わっていた。2R+2R+2Rの6両編成(通称:ブツ6)や編成組み替えの結果未修繕車・初期修繕車・後期修繕車がさまざまに組み合わされた編成を見ることができた。また、朝ラッシュ時には2R×5本で組成された10両編成(ブツ10)で運行されることもあった。東上線では2R車×2本で4両編成を組成した例が見られたが、2014年(平成26年)現在はすべて8R車のみと組み合わされて使用される。なお、2R車を8500系として4R・6R・8R車と区別する場合もある。3M3Tの編成。1972年(昭和47年)落成の8156Fが初の新造6R車となる。制御系統は既存のシステムを利用し、4R用1セット+2R用1セットという変則的な形態になっている。同編成は東武初の通勤形電車新製冷房車でもあった。1974年(昭和49年)製の8164FからはコンプレッサーがHB-2000CAへ変更され、塗装色がセイジクリームへ変更となった。形式は上記4R車の8100 - 8400に、8700・8800が中間に入る形になる。8101F - 8114Fは前述のように当初4R編成として新製されたが、1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてサハ8700形 - モハ8800形を組み込んで6R車グループに編入された。その際に新製された中間車ユニットのうち、モハ8814は非冷房車では唯一下枠交差型パンタグラフPT-4801-Aを搭載した異端車であった(後述の「#その他・エピソード」を参照)。その他に、修繕工事の際に4R車に中間車化改造した2R車を組み込んで6R車化した編成が10編成、また、4R車のクハ8400形と2R車のモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成(後述の「#野田線の8000系」を参照)も存在する。2R車から中間車化改造した8115F(すでに廃車)のサハ8715とモハ8815の2両と8118F(すでに廃車)のサハ8718とモハ8818の2両は運転台撤去部分が側面窓上部のRがなく、その他の部分は側面窓上部のRがある異端車となった。4M4Tの編成。当時既に8両編成列車が主体であった東上線向けとして1977年(昭和52年)に登場したグループである。制御系統は4R用を2組配置とした。形式は4R車同様の8100 - 8400の他、中間付随車は新形式のサハ8900形となった。これで本系列は9形式に達している。導入当初は大山駅のホーム両端に踏切があり、有効長が6両分に限られていたため、サハ2両を外した6両編成 (4M2T) で使用されていた。その後、ホームが延長できないまま本来の8両編成での使用を開始し、同駅に停車する際には2両分のドアを締め切るドアカット扱いで対応した(通称:大山対策車)が、後に一方の踏切を除去してホーム有効長を10両分に延長したことで解消している。この間、ドアカット非対応車については運転台上のマーカーライトを常時点灯させることにより大山停車の運用に入らないよう運用区別を行っていた。登場時点で東上線には一部列車が10両編成で運転されていたが、検査時の秩父鉄道経由の移動の都合もあり、10R車は登場しなかった。帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)有楽町線との相互乗り入れ開始後に、東上線は10両編成列車が標準になったため、2R車を増結した10両編成を組成して使用されることが多かった。2008年(平成20年)6月以降、東上線池袋発着列車は全列車10両編成となったため、原則として8R+2Rで運用されていた。17編成が製造されたが、うち5編成 (8187F・8193F・8195F・81101F・81103F) はワンマン運転対応の3両編成の800・850系(後述)へ改造され、余剰となったサハ8900形10両は廃車・解体された。また、6編成のサハ8900形に運転台を取り付け、ワンマン運転対応車に改造された、残りの6編成は全て東上線に配属されているが、うち2編成が2010年(平成22年)、1編成が2012年(平成24年)、1編成(8185F)が2014年(平成26年)6月末に廃車、1編成(8181F)が2014年(平成26年)10月末に廃車され、2014年(平成26年)12月現在では下記の1編成が現存しているが、2015年1月17日の「ありがとう8000系 Finalツアー」をもって営業運転終了が発表された。これにより、東上線池袋 - 小川町間の8000系旅客運用が終了したほか、本形式における8両および10両編成の定期旅客運用も終了した。8175F(8175-8275-8375-8975-8976-8276-8376-8476 1970年代後半製造)修繕工事の際、支線向けに8R車からサハ8900形2両を抜いた残りの車両を3両編成2本に改造し、ワンマン運転対応機器を装備したもので、2005年(平成17年)に登場した。この際に形式称号が変更され、元の車両の連結位置によって800系と850系に分けて系列・形式が付与された。編成のMT比は2:1構成で、電動車比率は高くなっているが、車両性能は在来車両に合わせられ、起動加速度は他車の2.23 km/h/sに対して2.5 km/h/sとされている。改造された編成は、2005年(平成17年)7月5日から暫定的に800系+850系の6両編成を組み、本線系統で運用された。そして、翌2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正から伊勢崎線の太田 - 伊勢崎間と佐野線での運用を開始し、老朽化していた1800系通勤転用車や吊り掛け駆動車の5050系を置き換えた。また、2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正で伊勢崎線館林 - 太田間においても日中の時間帯を中心にワンマン化が行われ、使用されている。左側が浅草・池袋・柏寄り。形式の変遷が分かりやすいよう登場順に配列。8Rの※印は、クハ8100(奇数)に対し番号が1つ増える。本系列は、本線系統所属車と東上線系統所属車で仕様に細かな違いが見られる。本線系統所属車には、運転台左上に「次駅停車」と表記された小さな表示器が設置されている。これは停車駅の誤通過防止のために設けた装置で、複々線区間で急行線走行中に駅が近付くと光と音で注意喚起する。東上線系統所属車は、未修繕車でも前面貫通扉の行先標(サボ)受けが撤去されている。かつては同線で種別を行先標で表示していたが、種別が表示幕で表示されるようになってから撤去され、本線系統所属車とやや異なるスタイルになった。ただし、1996年(平成8年)頃に10000系・10030系などの増備途上から本線系と東上線系での相互転属が頻繁に行われ、一部編成では行先標受けが残ったまま東上線に転じた編成や、逆に行先受けがないまま本線に転じた編成も存在していた。また、東上線用は客室貫通路上に広告枠が取り付けられている。この広告枠は10000系・10030系でも同様だが、1990年代後半頃から広告代理店が東武本線系統と同一になったため、使用されていない。東上線所属車(2R車と4R車のごく一部を除く)は、同線沿線にある川越工場だけでなく、本線系統の南栗橋車両管区でも検査を施工している。このため、秩父鉄道線の羽生駅 - 寄居駅間では頻繁に本系列が走る光景が見られる。また、出場車の試運転を日光線新栃木 - 南栗橋 - 東武動物公園間で実施するため、本線系統でも東上線所属車両を見る機会がある。1986年(昭和61年)から2007年(平成19年)にかけて経年による陳腐化解消のため車両の修繕工事が施工された。この修繕工事は後年東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の国鉄103系や113系・115系、東京地下鉄(←帝都高速度交通営団)、小田急電鉄、京浜急行電鉄、都営地下鉄などの更新・延命工事の手本になったといわれている。これに後年登場した9000系、10000系電車へも踏襲された他、JR東日本485系でも3000番台という新区分番台を与えられた点から俗に言うリニューアルへの走りともされた。2007年10月時点での車体修繕未施工編成は、2R車の8571F・8578F・8580F(南栗橋車両管区春日部支所所属車)であった。これらの編成も2007年度中に修繕工事を施工される予定であったが、同年度に工事は施工されないまま翌2008年(平成20年)6月に同3編成は除籍となり、8000系の修繕工事は事実上終了した。工事は21年もの長期に亘って行われたため、修繕時期別に大きく5種類に分類されている。工事は津覇車輛工業(西新井→館林)で行われており、加えて2005年度分からアルナ車両も担当している。1998年度から、未修繕車を対象に前面行先表示器が手動の幕式からLED式へ改造された。この改造は行先表示器の機械化が目的で、車体側面には行先表示器は設置されておらず、また前面貫通路扉と側面の行先標(サボ)受けは残っている。この改造によって種別・行先表示部分がやや大きくなった。東上線所属の後期車より改造が始まり、後に伊勢崎線や野田線でも同様の改造が行われたが、前述の修繕工事までのつなぎ的な性格が強く、修繕工事完了と未修繕車の廃車によって、現在ではこの姿は見られない。2008年(平成20年)4月当時、原形タイプの前面を持つ車両で行先表示器が幕式の車両は1986年度修繕車(8104F・8111F・8112F〈以上6R車〉8127F・8130F〈以上4R車〉・8509F・8516F〈以上2R車〉)のみであり、修繕の際に方向幕の自動化・運転席窓下の通風器撤去などの改造を受けたため、前面が若干変わった。したがって、落成当初のオリジナルの前面形状を有する車両は消滅したことになる。その後の置き換えによって2013年(平成25年)現在では東武博物館所有になった8111Fを除いて廃車・解体された。本系列は、非電化の熊谷線や貨物支線以外の全線で運用された。2013年(平成25年)1月18日現在は、伊勢崎線館林 - 伊勢崎間・野田線・亀戸線・大師線・小泉線・佐野線・桐生線・日光線南栗橋 - 新栃木・宇都宮線・越生線・東上線小川町 - 寄居で運用されている。大宮 - 船橋間を結ぶ野田線は、1977年(昭和52年)まで18 m級車体の旧型更新車両の3000系が使用されていたが、同年8月2日に本系列の前期製造車が4両編成で転入した。これが同線初の20 m級カルダン駆動車・冷房車となった。しかし、7800系を更新した吊り掛け駆動車5050系・5070系の配置と引き換えに1983年(昭和58年)に同線から一旦転出した。1989年(平成元年)以降、10030系の本線・東上線系統への新製投入により捻出された本系列(修繕工事施工済み)が再び配置されるようになった。配置数は年々増加し、1992年(平成4年)12月には2080系と3000系列を置き換えて20 m級車に統一し、2004年(平成16年)10月には5000系列を置き換え、2013年(平成25年)4月19日まで、野田線の一般列車はすべて本系列で運用されることとなった。また、同線の4+2編成の6編成分の中間運転台部分については、運転台機器の一部が撤去されている。これは、前述の8R車を3R車(800・850系)への改造時の(モハ8200・8300形の一部の)先頭車化改造に伴うもので、外観では表示器類、ライト類、ジャンパー栓受け、ワイパー、前面スカートの撤去、内部については貫通扉の鍵と遮光幕を撤去したり、貫通扉に警告文を貼付している。なお、外された機器類やスカートなどは、それらに転用されている。また、その対象車および組み合わせは以下の通りである(現在はすべて廃車)。(2007年10月現在)2014年(平成26年)4月1日より、野田線に「東武アーバンパークライン」の愛称名が導入されたことに伴い、1号車と6号車と前面と側面両側にロゴが付けられた。これは同線を運行する10030系と同系50番台、60000系にも施された。本系列は、これまで日光線快速「たびじ」や修学旅行列車に相当する「林間学校号」、東上線の越生線直通「越生梅林」号などの臨時列車で使用されてきた。他には、1986年(昭和61年)10月9日の野岩鉄道会津鬼怒川線開業直後より臨時列車に投入されたことが良く知られている。同線の開業直後の利用者は予想以上で、列車は激しく混雑した。当時、快速用の6050系は22編成44両(他に野岩鉄道所属の2編成〈61101F・61102F〉4両)しかなく、混雑緩和のために本系列を使用した臨時快速列車が会津高原(現・会津高原尾瀬口)まで運転された。運用されたのは4両編成で、2R車×2と4R車×1が交互で使用されていた。だが、一部編成に会津高原の表示がないので、種別表示器に快速または臨時を表示の上、行先表示器を白幕表示で運転されていた。また一部では行先標(サボ)が使用された。この頃は新塗装化が進んでおり、現行色編成とセイジクリーム色編成の混結もあった。訓練などの手間を省くため、修繕工事による前面変更編成については入線実績はない。この臨時列車は長期間運転されたが、ロングシートでトイレもない通勤用車両は、浅草から175 km、3時間以上の長距離運用には不向きで、乗客などからの評判は悪かった。加えて、抑速ブレーキ無しで空気ブレーキのみでは山岳路線での降坂運転が難しいことから、乗務員からも敬遠された。そして、1988年(昭和63年)に6050系完全新造車7編成14両(および野岩鉄道所属の1編成〈61103F〉2両)が増備され、本系列の野岩鉄道乗り入れは終了した。以来一度も入線していない。前述の修繕工事の中で2R車と4R車および3R車(8R車を2つに分割して改造した800・850系)がワンマン運転改造されている。2007年(平成19年)12月現在のワンマン運転改造修繕車の運用は以下の通りである。車籍上の本系列は事故廃車がなかったとされているが、実際には踏切事故により大破した先頭車両について、台車とその他機器類は再利用して車体のみ新製した例がある。クハ8139がそれである。1969年(昭和44年)12月9日、伊勢崎線館林 - 多々良間の踏切で上り列車として走行中であった8139Fと大型クレーン車が衝突し、先頭車両のクハ8139は衝突時の衝撃により車体が「つ」の字に折れ曲がるほど大破した(館林事故)。修復不能となったクハ8139は翌1970年(昭和45年)4月に車体新製により復旧されたが、東武はこれを修繕扱いとしており、代替新製扱いとはなっていない。本系列は、登場から40年以上の長きに亘って廃車が発生しなかったが、2004年(平成16年)12月に前述の3R車800・850系を8R車から組成した関係で、サハ2両が余剰となり登場から41年目にして初の廃車が発生した。サハはその後も3R車化に伴い合計10両が廃車された。また、3R車化により30両が800・850系に改造されたため、2007年(平成19年)10月時点の在籍数は800・850系を含め702両、8000系単独でも672両在籍していた。その後は50000系列の増備、および本線系統ではそれに伴う30000系の地上転用などから編成単位での廃車が進んでおり、特に2010年(平成22年)には、4月1日時点では558両が在籍していたが、上半期に6R車3本18両、4R車4本16両、2R車8本16両の計50両が廃車され、半年後の10月1日時点での在籍両数は508両となった。この中には1997年(平成9年)以降にバリアフリー対応工事が同時施工された車両も含まれている。これに加えて、2010年末までに東上線用8R車1本がさらに廃車されている。その後も廃車は進んでおり、東武の車両紹介ページでの記述によれば、8000系列(8000系・800系・850系)の現在の在籍数は8000系372両・800系15両(5編成)・850系15両(5編成)の402両となっており、8000系列は長らく守ってきた在籍両数最大系列の座を10000系列(10000系・10030系・10080系あわせて486両)に明け渡した。2015年11月末現在の在籍車両数は264両(東武博物館所有の8111F含む)となった。1979年(昭和54年)製造の8R車の8199Fの4両(寄居・伊勢崎寄りのサハ8900 - クハ8400まで)から製造番号が100番台へ突入し、前述の通り5桁の車両番号を持つ車両が登場した。このインフレ番号車は8R車×5編成(8199Fの4両・81101F・81103F・81105F・81115F)36両、6R車×4編成 (81110F・81113F・81114F・81117F) 24両、4R車×8編成 (81107F - 81109F・81111F・81112F・81118F - 81120F)32両である。なお、8Rのうち81101F・81103Fは、前述の3R車(800・850系)への改造および改番とサハの廃車により消滅している。2007年(平成19年)12月現在での各形式別の最大車両番号は以下の通りである。下記のうちサハ8900形は81115Fのサハ89116が最大だったが、2007年(平成19年)10月31日の宇都宮線ワンマン化に伴い、同編成他2編成(8189Fと81105F)が修繕工事を受ける際に、同編成のサハ89115と共に先頭車化改造され形式が改称された。他の車両も前述の通り、3R車の改造に伴う廃車と越生線ワンマン化改造により、サハ8900形のインフレ番号は消滅した。
出典:wikipedia
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