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亀甲船

亀甲船(きっこうせん、きこうせん、朝鮮語読み;コブッソン、)とは、李氏朝鮮時代に存在したとされる朝鮮水軍の軍艦の一種。日本では一般に「亀甲船」の通称が用いられているが、本来は「亀船」と呼ばれる船である。亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍艦であるが、現存する船体がない事、史書の記述があいまいな事から詳細は明らかではなく、実在が疑問視される艦である。亀船についての記述が初めて登場するのは15世紀の太宗実録である。豊臣秀吉による文禄・慶長の役で実際に5隻が運用されたとされる。日本側の記録には登場しない。亀甲船(亀船)が具体的に登場する史書は、『李舜臣行録』と『忠武公戦書(李忠武公全書)』(『乱中雑録(乱中日記)』)のみで、名前だけが登場するものに『太宗実録』などがある。亀甲船に対しては当時の朝鮮海軍の動向と同じくらい韓国国内で関心が高く、研究の対象となっている。なぜならば日本軍の唐入りの際、朝鮮半島に攻め寄せる、日本水軍を迎撃する為に用いられた船であり、愛国感情を高揚させる存在だからである。ただ、それが行き過ぎた結果、亀甲船の研究はしばしば現実離れした結論やあり得ない推測が出される事がある。実際には「亀甲船は世界初の装甲艦であった」や「日本海軍を撃破した」等の説は立証されていない俗説である。現在、(右上の写真にある)復元され韓国の鎮海に展示されている亀甲船はこれら架空の設定を反映した装甲艦であり、設計した人物が史書の「李忠武公全書」にある約700字程度の記述と絵図を現代の造船学に当てはめて無理矢理解釈したものである事から、実在した亀甲船とは大きく異なる軍艦であったと思われる。現実の亀甲船は、絵のようなものが存在したと仮定するならば、木造船の一種で手漕ぎの突撃艇であると推測することは可能である。史書の「李忠武公全書」に装甲艦であると指摘できる記述が存在しない事からも装甲艦とは見なすことはできない。帆があるともないともいわれるが、天蓋の上部に足場がほとんどないという記述から、いずれにしても戦闘中は帆の操作はできなかったと思われ、橈走に頼ったものと推測される。渡洋能力については不明で、沿岸部でしか行動できなかったであろうという推測もある。史書で亀甲船が登場する海戦はどれも浅瀬の多い場所であった。また李舜臣が造らせたとする建造数がわずか5隻であったことからも、その用途が非常に限られていた可能性が指摘される。同じ史書の内容では、明・朝鮮水軍は数十から数百隻を動員しており、保有艦船の中の亀甲船の比率は著しく低い。これは日本水軍を撃退したのが亀甲船のおかげではなかったことを示唆する。内外の批判が絶えないため、韓国では実際の亀甲船を発見しようという考古学的な試みが何度か行われている。2008年には、韓国企業が共同出資した資金を基にして韓国海洋科学技術など3つの機関がコンソーシアムを形成し、七川島周辺の海域を探査した。しかし16世紀の遺物を見つけるだけでも困難であり、今のところ調査は成果を上げていない。現在、昌原市鎮海区の海軍士官学校博物館で研究者らにより、想像に基づいて創作された亀甲船が展示されている。同海軍士官学校の学生は、在学中に一度は必ず亀甲船での航海を体験し、伝統を学ぶ。毎年、桜の花が咲く十日間の軍港祭期間中のみ一般公開されており、十人程度の一般客が乗り込む事ができるようになっている。慶尚南道では亀甲船を2011年末にかけて復元し、観光商品化すると明らかにした。新説に基づいて3階構造の亀甲船と板屋船など4隻が新造された。2013年1月、巨済島に運ばれて水上展示される予定だった亀甲船の想像による再現船が、曳航中に沈没した。製作費は7億ウォン以上を要したとされる。

出典:wikipedia

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