LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

宇都宮線

宇都宮線(うつのみやせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線のうち、東京都千代田区の東京駅から栃木県那須塩原市の黒磯駅までの区間の愛称である。2015年3月13日以前は、上野東京ラインが未開業であったため、東京都台東区の上野駅から栃木県那須塩原市の黒磯駅までの区間を宇都宮線と称した。宇都宮線は、首都東京と埼玉県北東部、茨城県古河周辺、栃木県小山・宇都宮・那須周辺の北関東地域を縦貫する、首都圏地域間輸送を担う路線の一つである。大宮駅から新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインの列車が宇都宮駅以南で運行されており、池袋・新宿・渋谷・横浜・鎌倉の周辺各地とも直結している。また、2015年3月14日の上野東京ラインの開業により、丸の内および、東京駅から東海道線に直通して新橋・品川・川崎・横浜のほか、藤沢・茅ヶ崎・平塚などの湘南地域や、小田原・湯河原、そして熱海・伊東などの伊豆方面へも直結した。宇都宮線区間に所在する宇都宮貨物ターミナル駅は日本貨物鉄道(JR貨物)による1,200トン級コンテナ貨物列車が運行される北限であり、当駅と名古屋貨物ターミナル駅・福岡貨物ターミナル駅・広島貨物ターミナル駅間を結ぶ毎日2.5往復が1,200トンコンテナ貨物列車で運行されているほか、当駅と南関東沿岸部の各駅間には石油貨物列車が多数設定されている。また、宇都宮線区間には首都圏と東北・北海道間を結ぶコンテナ貨物列車が多数往来しており、中には西日本から東北・北海道に直通する長距離コンテナ貨物列車もある。宇都宮線の沿線には、埼玉県久喜市(旧北葛飾郡栗橋町)以北のほぼ全区間にわたり国道4号が並行している。久喜市以南の区間については、東京都台東区から埼玉県川口市にかけては東京都道・埼玉県道58号台東川口線・東京都道306号王子千住夢の島線・国道122号、川口市からさいたま市にかけては埼玉県道35号川口上尾線・国道17号・国道463号・埼玉県道65号さいたま幸手線・埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線、さいたま市から久喜市にかけては埼玉県道3号さいたま栗橋線・国道125号が並行している。「宇都宮線」と呼ばれる区間は、東北本線列車線の直流電化区間(東京駅 - 黒磯駅間)と一致する。全区間が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」内、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれる。このうち東京駅 - 上野駅 - 大宮駅間は電車特定区間となっており、区間外よりも割安な運賃設定となっている。ラインカラーは首都圏地区の東海道線や高崎線と同様、車体色の一部に用いられているオレンジ()で案内されている。ここでは、1990年3月10日から2015年3月13日まで「宇都宮線」と呼ばれた区間のデータを記す。東京駅 - 上野駅間は「上野東京ライン」を参照。上野駅 - 赤羽駅間が東日本旅客鉄道東京支社、浦和駅 - 黒磯駅間が東日本旅客鉄道大宮支社の管轄であり、赤羽駅 - 浦和駅間に支社境界がある。ピーク1時間(ラッシュ時)の通過人員と混雑率は、土呂駅→大宮駅間で、2008年度がそれぞれ44,590人・174%、また2010年度は44,050人・172%である。この混雑率は「体が触れ合うが新聞は読める」目安とされている180%よりも少々少ない数値である。宇都宮線の名称は、当線沿線自治体の一つである栃木県の県庁所在地・宇都宮市に由来する。1988年(昭和63年)、本来の東北本線の長距離旅客輸送機能が東北新幹線に移され、上野駅 - 黒磯駅区間が東京 - 埼玉県北東部 - 栃木県間の輸送に特化されつつある状況を鑑み、当時の渡辺文雄栃木県知事が同県の県庁所在地である宇都宮市のアピールも絡めて、上野駅 - 黒磯駅間の名称を「宇都宮線」とすることをJRに提案、沿線自治体である東京都・埼玉県・茨城県の各知事の了承のもと実現され、1990年(平成2年)3月10日から公式の愛称となった。経緯にもある通り、地元自治体が働きかけて「宇都宮線」の呼び名が決まったため、関東地方(黒磯以南の直流区間)では「宇都宮線」の呼称が使用され、「東北線」(「東北本線」)の呼び名は黒磯以北に直通する列車に使用されることが多い。JR東日本の運行情報案内では、この区間については「宇都宮線」(路線愛称名)を用いており、黒磯以北区間については「東北本線」(正式路線名)または「東北線」の名を用いている。名称制定について住民感情に基づく紆余曲折を経ているため、一部の駅構内時刻表やのりば案内、列車内停車駅案内で「宇都宮線(東北線)」と併記している。当初は長距離旅客主体の新幹線の車内放送などでは「東北線」と案内することがあったが、現在は「宇都宮線」での案内が定着している。また、JR東日本公式サイト掲載の構内図のうち上野駅・大宮駅などや市販されている雑誌型の時刻表では「東北本線(宇都宮線)」などと表記されている。なお、宇都宮線の呼称制定前の国鉄時代に登場した211系電車の正面方向幕は通常は「普通」を使用するが、まれに「東北線」を表示させることがある(写真参照)。一方、JR発足後に登場したE231系、E233系電車の行先表示器は「宇都宮線」・「湘南新宿ライン宇都宮線直通」・「上野東京ライン宇都宮線直通」である(211系の場合でもJR発足後に新規設定された湘南新宿ライン運用時の表示には「宇都宮線直通」で設定されていた)。日常的なJR東日本(関東)利用者の間では、各鉄道事業者などが車内放送や駅構内案内などで「宇都宮線(あるいはJR宇都宮線)」を日常的かつ恒常的に用いるため、「宇都宮線」の呼称が定着している。「宇都宮線」は「愛称」であるため、出発信号機や場内信号機などの鉄道信号の表記は「東北」もしくは略した「東」が、踏切などの表記は「東北本線」が用いられているほか、東海旅客鉄道(JR東海)が運営する東海道新幹線でも「東北線」と案内している(これは西日本旅客鉄道〈JR西日本〉のJR京都線・JR神戸線などでも同様)。東京駅を発車した東海道線から直通してきた(一部東京駅始発あり)上野東京ラインの宇都宮線列車(および高崎線・常磐線列車)は、しばらく両隣に東北新幹線や山手線・京浜東北線と並走した後、東京駅の他のホームより高い1・2番線から下ってきた中央線と並走し始め、すぐに首都高速都心環状線の高架下を5複線でくぐると逆にこちらは上り坂となり、神田駅付近で新幹線上の高さ約20メートルの多重高架区間を走る。昔の旧東北本線列車線は現在の新幹線の位置を走っていたが、神田駅付近を新幹線が通るスペースが確保できなかったために、東北本線列車線が一旦撤去された経緯がある。30年以上経った2015年3月に山手線・京浜東北線東京駅 - 上野駅間の混雑を緩和するため、東北本線列車線高架(東北縦貫線)が新幹線の上部に通され、上野東京ラインとして上野駅止まりだった宇都宮線(および高崎線・常磐線)の一部列車が走るようになった。神田駅の上空を通過すると、すぐ下り坂となる。神田駅からの下り坂のうち、秋葉原駅直前の部分は、神田川橋梁と都道のガード部分で、ここから上野駅までは旧東北本線列車線の高架を再活用している。従来は地面と平行だったが、神田駅方面のアプローチ部として急坂にする必要があったため、橋梁部の上には新しい高架を載せ、ガード部は一旦ジャッキアップして東京方と上野方で高さを変えた橋脚に造り替えて角度が付けられた。秋葉原駅構内の途中で、再び地面と平行になって、山手線・京浜東北線と同じ高さとなる。新幹線は下って地下へと進む。山手線・京浜東北線と同じ高さとなった直後に中央・総武緩行線の高架をくぐる。秋葉原駅を過ぎると、右側、新幹線が下っていった所へ覆い被さるように4本分の線路の終端部が現れる。これは、上野駅到着列車用の電留線で、上野駅構内扱いである。以前は現在の本線部含め、6本分の線路にて常時宇都宮・高崎・常磐各線の列車が停車していたが、2015年3月14日の上野東京ライン開通により、ここに繋がる上野駅高架ホーム5-9番線からの始発・終着列車が大幅に減少したため、普段の利用頻度は下がっている。更に進むと、先の電留線から延びる回送線が上り線(東京方面)の横に並走、線路が3本となる。京浜東北線寄りの下り線は上野駅5番線、中央の上り線は同6番線、外側の回送線は同7-9番線に繋がっており、御徒町駅付近でそれぞれ目的の線路へ転線し、上野駅へ到着する。東京駅からの宇都宮線下り列車は主に5番線(一部6番線)に到着、東京駅方面に向かう宇都宮線上り列車は7番線(一部8番線)から発車する。上野駅はかつて東北・信越・北関東方面のターミナル駅としてにぎわったが、1991年には東北新幹線が東京駅発着となり、また宇都宮線・高崎線の上野駅始終着列車や快速列車の3分の1が2001年に運行を開始した湘南新宿ラインに振り分けられるなど、利用客数が減少傾向にあり、さらに残った上野駅発着のうち、7割程の列車が2015年に運行を開始した上野東京ラインとして東京駅方面に直通し、途中駅となってしまったため、減少に拍車がかかる可能性がある。ただ、駅周辺には上野動物園や国立科学博物館、国立西洋美術館、東京文化会館などの大規模文化施設が集まり、休日になるとにぎわいを見せている。上野駅界隈の施設・店舗は、上野東京ラインの開通により、東海道線方面向けの集客宣伝を強化している。上野駅では、東京駅からの列車(一部始発列車含む)は高いホームから、上野駅始発列車(一部除く)は専用の低いホームからそれぞれ宇都宮線列車として発車する。上野駅を出てしばらくの間、ポイント上を通過するなど徐行運転を続ける。低いホームと高いホームからの線路が同じ高さに集まり、通過する鶯谷駅・日暮里駅付近からスピードを上げて常磐線(複線)を東に分けた後、山手線・京浜東北線の西日暮里駅を通過する付近で並走していた両線(複々線)および東北新幹線(複線)と分かれて高架を走り、常磐線貨物支線(田端貨物線)をまたいで新幹線操車場の東側を進み尾久駅に停まる。この上野 - 尾久間は回送線の意味合いから複々線区間となっており、高いホームを発着する列車は複々線の外側の線路を、また低いホームを発着する列車は複々線の内側の線路を通り、田端 - 尾久間でポイント分合し、まず高架ホーム発と地上ホーム発の線路間に操車場方面の線路をそれぞれから分岐・合流、高架を下って、本線の下をくぐる立体交差で操車場へ向かう。本線はその後、合流し、尾久駅方面に繋がる。この区間では、上野駅発着の寝台特急(などの客車列車)の推進回送が行われている。尾久駅は1面2線の東京都区内にあっては小さな駅であるが、構内に客車操車場があり、留置線、洗浄線、尾久車両センター(旧尾久客車区)の検修庫、田端運転所があり、日中は寝台特急「北斗星」、「あけぼの」などに使用されていた機関車(EF81形=田端運転所、EF64形1000番台=長岡車両センターなど)や客車編成(24系・14系)のほか、宇都宮・高崎・常磐・東海道各線の回送電車などが留置されている。同構内は電化部分と非電化部分が混在することもあって、客車の入れ換え用機関車としてDE10形やDE11形(宇都宮運転所)が常駐する。尾久駅を出ると駅西側の構内留置線をまとめるように西に向けてカーブを切り(赤羽方は平面交差で操車場から合流・分岐)、すぐに進路を北西に向けて尾久駅の西側を走っていた東北新幹線高架および京浜東北線・東北貨物線の各線路と合流する。東北新幹線と京浜東北線は当線路をまたいで東側に出るが、東北貨物線はそのまま当線の西側を併走する。間もなく都内有数の桜や紫陽花の名所で知られる飛鳥山公園の丘陵地の東裾を経て京浜東北線王子駅を通過する。平坦な直線区間を通って京浜東北線東十条駅を通過すると高架に上がり、西から来る埼京線(赤羽線)と合流すると赤羽駅に着く。赤羽駅は宇都宮線としては東京最北端の駅であり、埼京線、湘南新宿ラインなど都区内から埼玉県に伸びるJR在来線の結集地点になっている。駅の東側には繁華街が形成され、地下鉄南北線・埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵駅も徒歩圏にある。赤羽駅を出ると東北新幹線と埼京線の高架を西に分け、間もなく新河岸川の新河岸川橋梁、荒川の荒川橋梁を渡って埼玉県に入る。新河岸川はこの下流の岩淵水門付近で荒川下流隅田川となる。赤羽駅から大宮駅にかけては、東側から電車線(京浜東北線)、列車線(上野発着の宇都宮線・高崎線、上野東京ライン)、貨物線(湘南新宿ライン)の3複線が走り、走行速度も110-120km/hとなる。沿線には広い緑地帯を持つ高層マンション群(川口、蕨、浦和、さいたま新都心等)や駅前の複合ビルが林立する。埼玉県に入るとまず京浜東北線の駅である川口駅を通過する。川口は江戸期に隆盛した舟運によって特産品の鋳物を江戸に供給し発展を遂げた。沿線は鋳物工場の集積地あったが、近年はベッドタウンとして超高層マンションが林立し、人口が増加している。京浜東北線の西川口駅、蕨駅を通過し、東京外環自動車道をアンダークロスして線路東側にさいたま車両センター(旧浦和電車区)を眺めると京浜東北線と武蔵野線との乗換駅である南浦和駅を通過する。西に神代からの歴史がある調神社の境内林や武蔵浦和駅周辺の高層マンションを見ながら高架に上ると県庁所在地駅の浦和駅に着く。埼玉県庁やさいたま市役所の最寄り駅で、埼玉県警察、地方裁判所といった官庁街が広がる。駅前は浦和区(旧浦和市)の中心繁華街で、西口には伊勢丹浦和店・浦和コルソ、東口には浦和パルコといった商業施設があり駅ビル(アトレ)が建設されている。埼玉会館、県立文書館、うらわ美術館(浦和ロイヤルパインズホテル内)なども所在する。高層マンションの建設が相次いでいる一方、駅からやや離れた常盤や別所などの低層住宅地は高級住宅街として知られている。浦和駅を出ると高架を下り、新浦和橋・浦和橋をくぐって京浜東北線の北浦和駅を通過する。周辺は近代美術館や浦和高校があり、浦和画家に代表される文教都市となっている。北浦和駅を過ぎ北に向けてカーブした付近で東北貨物線線路の上下線の間に武蔵野線大宮支線が地下から合流する。この線路の与野駅 - 大宮駅間は東北貨物線の複々線部となっており、大宮駅を発着して武蔵野線、京葉線、中央本線方面を結ぶ「むさしの」や「しもうさ」、臨時快速「ホリデー快速富士山」などの快速列車が同線経由で運行されている。京浜東北線与野駅を通過するとさいたま新都心が見えてくる。東北貨物線が大宮操車場に入るとまもなくさいたま新都心駅に停車する。さいたまスーパーアリーナやさいたま合同庁舎の最寄り駅となっているが、大宮操車場には旅客駅設備が無いため、貨物線を走る湘南新宿ラインや武蔵野線直通列車は通過となる。さいたま新都心駅・大宮操車場を出ると、上り旅客線の高崎線からの合流地点がある。また、東北貨物線は操車場の留置線群をまとめ下り複線・上り単線となる。そして下り線が広い大宮駅構内の西側辺縁に沿って大きく反れ、上り貨物線が下り旅客線及び高崎線上り旅客線の下をくぐって、宇都宮線上り旅客線との間に入り、下り貨物線も近づいてくると、西から東北新幹線や埼京線が接近し、下り旅客線は高崎線下り線を分岐してすぐ、大宮駅に着く。下り列車のうち、約半数が高崎線列車として分岐して、大宮駅のそれぞれのホームへ入線する(湘南新宿ライン北行きのみ大宮発車後に分岐する。上りも約半数が高崎線からの乗り入れで大宮駅のそれぞれのホームを発車後、上野・東京方面と新宿方面へと分岐・合流する)。大宮は氷川神社の門前町であり、江戸時代には中山道の宿場町大宮宿となった。近代以降は東京と東北・信越・関東北部方面を結ぶ列車の結集点として国鉄大宮工場や大宮操車場(その後貨物駅)が立地する「鉄道のまち」として発展し、京浜東北線・川越線・東武野田線といった短距離通勤電車が結節する東京の北側にあって随一のターミナル駅となった。駅付近は東口・西口ともに繁華街が形成されているが、駅東側は大規模商業施設が高島屋一軒である一方、駅西側は新幹線開業時の再開発により誕生した大宮ソニックシティ、丸井、そごうが所在する。大宮駅を出ると下り線は北西に向かう高崎線の線路を跨いで右にカーブし北北東に進路をとり、併走する東武野田線を東に分けると土呂駅に着く。土呂駅北方の低地には東大宮操車場があり、大宮駅から併走している回送線(単線)がここまで伸びている。同操車場は大宮総合車両センターの東大宮センターとして車両も配置されるほか、東京・大宮総合訓練センターも併設されている。土呂 - 古河間は、関東山地中北部、三国山脈南麓、そして足尾山地への降雨が東京湾(一部は犬吠埼の太平洋)に注ぐ流路帯を横断していく。車窓には沿線の水辺の風景と遠く北西に日光連山の姿を臨みながら進む。当線区間が日本鉄道第二区線として開通した1885年(明治18年)7月より8年後の1893年(明治26年)8月20日、世界一周の途上で日本を訪問していた当時のオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント公は当線を利用して日光を訪問しており、その滞在記の中で上野から宇都宮までの沿線風景を『みごとに手入れがなされた田園』と賞賛している。まず、土呂駅を出ると見沼代用水西縁を越え芝川を渡り、東大宮操車場(東大宮センター)とその一端にJR東日本の東京・大宮総合訓練センターを見ながら台上に上り左にカーブすると東大宮駅に着く。東大宮駅を出ると上尾市に入り国道16号の高架橋をくぐり見沼代用水東縁および綾瀬川を渡って蓮田市へ。両水路の河岸に連なる田畑を越えて再び市街地に入ると蓮田駅である。蓮田駅を出るとまもなく元荒川の橋梁を渡る。江戸時代以前は元荒川が荒川の本流であったが、利根川東遷事業と呼ばれる河川工事の結果、荒川は入間川に合流して隅田川(住田川)となる現在の流れに瀬替えされ、この川は元荒川となった。元荒川沿いの低地から台上に上がり、新興住宅街の中を走って積水化学武蔵工場、東光高岳埼玉事業所の東側を通りマンション群が見えて来ると白岡市の白岡駅に着く。白岡駅を出て隼人堀川を越え東北自動車道の高架をくぐり姫宮落川を越すと新白岡駅となる。新白岡駅を過ぎ、田畑や果樹園を見ながら備前堀川、備前前堀川を越えると久喜市に入る。暫くすると市街地に入り、西から東北新幹線の高架、東から東武伊勢崎線の線路が近づくと久喜市の中心駅久喜駅に着く。久喜付近からは車窓東側に筑波山が見えてくる。久喜を出て間もなく青毛堀川を越したところで東武伊勢崎線は宇都宮線を跨ぎ、西へ向かう。田園地帯に入り間もなく古利根川の源流部にあたる葛西用水を渡って旧鷲宮町の東鷲宮駅に着く。この駅は1981年(昭和56年)に貨物駅として開業、その後旅客駅となったが間もなく貨物扱いは廃止され旅客扱いのみとなった。こうした経緯から配線が変則的になっており、下りホームは地上に、上りホームは高架上に設置されている。駅南東部には新幹線の保線基地がある。駅東口は貨物駅を再開発した集合住宅街が広がり、その北側の戸建て住宅街も含め一大団地となっている。東鷲宮駅を出ると田園地帯を走り、中川を渡って旧栗橋町に入る。築堤上に敷かれた東武日光線の線路が宇都宮線を跨ぐと住宅地となり、ほどなく栗橋駅に着く。栗橋は江戸時代には日光街道栗橋宿の宿場町、渡良瀬川(利根川)渡しがある交通の要衝として賑わった。栗橋駅では東武日光線直通特急が客扱いホームの無い連絡線を通り、東武日光線に入る。また、近年西口が開設され、加須市(旧大利根町)民にも利便性が高まった。栗橋駅を出ると宅地の間の築堤を登りながら東側にカーブし加須市域をかすめ、日本国内最大級の河川で坂東太郎の異名でも知られる利根川を渡って茨城県古河市に入る。この付近になると車窓北側の日光連山の山並みが鮮明となる。利根川は江戸時代中期以降、この地を経て鬼怒川と合流し、銚子にて太平洋に注ぐ川となったが、それ以前は古利根川を経て東京湾に注いでおり、この付近の利根川は同じく東京湾に注ぐ渡良瀬川(太日川)の流路であった。1893年(明治26年)のフランツ・フェルディナントの日本滞在記によると、利根川畔から日光までの日本鉄道沿線には杉並木が続いていたと記されており、並行して走る当時の日光街道(現国道4号)には未だ並木道が保たれていたことが分かる。利根川の橋梁から築堤を下ると70 km/hの速度制限のある急カーブをゆっくり進み、日光街道中田宿付近を通って古河市大堤(旧総和町)の距離の長い林に続く。日本鉄道第二区線として開業した時には利根川鉄橋が開通しておらず、この付近に中田仮駅が置かれ、栗橋駅 - 中田仮駅間の利根川には渡し船が就航していた。利根川架橋とともに廃止されたが、その後再びこの近隣地には中田信号所が置かれ、近年まで運用されていた。列車は林間にトモヱ乳業を見ながら直線区間を走り、高架に上ると2面4線の古河駅に着く。古河は宇都宮線唯一の茨城県内の駅であり、江戸時代には古河城の城下町また日光街道古河宿の宿場町として賑わい、また渡良瀬川の渡し場があった場所でもあり、当時の交通の要衝であった。また室町時代には古河公方が座した土地としても知られ、その遺構は古河総合公園として整備されている。古河駅前後の高架線路沿い約2 kmは桜並木になっており、季節には車窓から目の高さに咲き並ぶ花々を楽しめる。古河駅を出て再び70 km/hの速度制限のあるカーブを走る。この古河市内の2箇所の急カーブ地点では、車窓から15両編成の前後の車両が見える。古河の市街地を出ると栃木県野木町に入り、ゼブラ、不二家、日鉄鉱業、日本ピストンリング、栄研化学といった野木工業団地の工場群を線路の左右に見ながら市街地に入ると野木駅に着く。野木は平安時代末期に源頼朝に抗して旗揚げした常陸国の豪族志太義広の下野国侵攻に対し頼朝方小山朝政等が陣を置いた野木宮の鎮座地で、当線の古河 - 野木間の北西部が野木宮合戦の古戦場である。野木駅を出ると小山市に入り間々田駅、さらに小山駅にかけては栃木県南部の田園地帯で線形がほぼ直線であり、その只中を疾走する。この区間は西方に谷中湖や渡良瀬遊水地の低湿地が立地し、渡良瀬川、巴波川、思川の三河川の合流地点となっていることもあって、季節によっては濃霧が発生しやすい区間でもある。間々田駅にはかつて乙女河岸からの乙女人車軌道が連絡していたが、水運から鉄道運輸への転換により廃止された。間々田駅を出て宅地と田畑の間を行くと東北新幹線が東側から接近し、しばらく住宅地の中を並走すると水戸線が東から合流して小山駅に着く。小山市は栃木県第2の都市であり、古くは俵藤太の別称で知られる藤原北家魚名流藤原秀郷の後裔を称する小山氏の居城・祇園城の元で栄え、江戸期には日光街道の宿場町(小山宿)となった。近年では源頼朝の乳母寒河尼を娶った小山政光の故地、また徳川家康、秀忠父子が関ヶ原の戦いを前に小山評定を行った舞台としての町おこしが展開されている。小山から宇都宮までの区間では、国道4号(日光街道)と東北新幹線がほぼ併走する。小山を出ると両毛線が西に分岐し、左手に小山新幹線車両センターや羽川付近では右手に大沼を見ながら下野市に入り小金井駅に着く。下野市内の走行距離は10kmに満たないが、この区間に駅が3つ存在する。小金井駅は最も東京方の駅であり、江戸時代には日光街道小金井宿、以後近年までは旧国分寺町域に属した。この小金井駅の北方・東側には、宇都宮線・高崎線・東海道線・日光線・湘南新宿ライン(宇都宮線系統)の各線で使用する車両が所属する小山車両センターが立地し、上り列車は入れ替え線をまたぐ築堤上を走るため、東側車窓から車両センター全体を望むことができる。一方の下り列車はこの築堤の西側を走行するため、築堤が目隠しとなってその存在に気がつき難い。小金井を出ると下野市の新興住宅街を遠景に見ながら、下野市で2番目の停車駅で旧国分寺町・南河内町域の自治医大駅に着く。同駅の北東側には自治医科大学(旧南河内町域)の白亜の建物と広大なキャンパスが広がり、さらにその奥には下野薬師寺跡が立地する。薬師寺は下毛野氏の氏寺で奈良時代には奈良の東大寺や筑紫(太宰府市)の観世音寺と並んで三戒壇に指定され、当時の関東の文化的中心地であった。次の下野市域最後の停車駅は、江戸時代には日光街道石橋宿、旧石橋町の玄関駅であった石橋駅である。石橋駅は日産自動車の街として知られる上三川、真岡木綿とSLのまちで知られる真岡、そして獨協医科大学病院やバンダイ、タカラトミー、エポック社などの玩具メーカーを抱えるおもちゃのまち(壬生)への玄関駅でもあり、下野市内3駅で最も乗降客が多い。なお、上三川・真岡方面へは路線バスが出ているが便数が少なく、おもちゃのまち方面へはタクシー利用となる。石橋駅を出てしばらく走ると、宇都宮線の東側に広大な宇都宮貨物ターミナル駅AホームおよびBホームが見えてくる。駅構内では下り線と上り線が分かれ、構内線路群Cホームを挟む形で通過する。高架の上り線をまたぐために新幹線の高架橋はかなり高い位置にあるが、さらにその上を北関東自動車道がまたいでいく。同駅の名には宇都宮が冠されているが、所在地は下野市と上三川町にまたがっており、宇都宮市域ではない。宇都宮貨物ターミナルを過ぎると、まもなく宇都宮市に入り雀宮駅に着く。雀宮駅は宇都宮市の南部に位置し、陸上自衛隊北宇都宮駐屯地や宇都宮市営スケートセンター、そして栃木県総合運動公園への最寄駅であり、江戸時代には日光街道の宿場町雀宮宿が置かれていた。駅東地区には2011年9月に宇都宮工業高校が移転してくる。宇都宮市内の走行距離は約20kmに及ぶが、この区間に駅は3つのみ(雀宮・宇都宮・岡本)である。雀宮駅を過ぎて日光線が左から合流し、宇都宮グランドホテルが建つ丘を左手に見ながら田川橋梁を渡ると、県都宇都宮市の玄関駅である宇都宮駅に到着する。田川橋梁付近からは市庁舎や東武宇都宮百貨店など宇都宮の中心街ビル群が望まれるほか、その背後には日光連山の山々がそびえ、男体山、大真名子山、女峰山といった日光表連山の名峰を望むことができる。宇都宮駅は東北新幹線・宇都宮線・日光線・烏山線の各列車が集まるターミナル駅であり、また県内各地に向かう路線バスが発着する栃木県内第一のバスターミナルを擁する。宇都宮市は平安時代以来の歴史を有する北関東第一の商工業都市であり、栃木県の県都である。繁華街は江戸時代の宿場町宇都宮宿の所在地に近い宇都宮駅の西側約1 - 2km、宇都宮二荒山神社を中心として広がり、繁華街を挟むように北側に栃木県庁、南側に宇都宮市役所が立地し、市役所の東側は宇都宮城址公園となっている。宇都宮城は二荒山神社の神官としてこの地に赴任し、平安時代後期から22代500年にわたって鬼怒川流域一帯を統治した藤原北家道兼流宇都宮氏の居館であった。なお、東武宇都宮線の東武宇都宮駅は繁華街の西端、当市街の中心部に位置する。宇都宮駅は、宇都宮線同駅以南の上野発着列車(上野東京ライン列車含む)・湘南新宿ライン列車と、同駅以北の黒磯発着列車の始発・終着駅であり、日光線(宇都宮駅 - 日光駅)の全列車および烏山線(宝積寺駅 - 烏山駅)のほぼすべての列車も始発・終着駅としており、駅構内には列車の留置線が存在する。これはかつて当駅に客車牽引用機関車の車庫があり、列車の出発仕立線や洗浄線、留置線があったこと、および貨物列車の発着駅であり貨物の積み下ろしも駅構内で行われていた名残である。1910年には、日清製粉宇都宮工場と同駅間に敷かれた貨物線を使用した小麦粉輸送が開始され、1966年には、小麦粉輸送専用貨車のホキ2200形の登場によって、同社宇都宮工場 - 鶴見工場間の小麦輸送が当線経由で行われた。また、旅客部門においても国鉄近郊形車両の標準形式の一つである115系電車の第一号は、初めて当駅構内の宇都宮運転所に新製配置され、その後小山電車区(現在の小山車両センター)を当運転所管轄の車庫として新設し115系電車が転配されるまでは宇都宮駅構内に留置されていた。駅東側の電留線は当駅発着貨物列車の廃止に伴う再開発によりそのほとんどが撤去され、2008年にはロータリーが完成した。現在、ほとんどの列車が宇都宮駅でそれぞれ南北に折り返す運行形態となっており、当駅を跨いで上野・日光方と黒磯方を移動する際には当駅で乗り換えるのが標準となっている。宇都宮駅を出発すると、宇都宮運転所を右手に見ながら構内を抜け、陸羽街道の踏切を越すと北東に進路を取りながら宇都宮北部住宅街を通過し、平出工業団地北辺部のパナソニック、コカ・コーラ、三菱日立パワーシステムズ精密鋳造(旧三菱製鋼)といった工場群の隣接地を進んで岡本駅に着く。岡本駅は旧河内町の駅であったが、合併によって宇都宮市3つ目の宇都宮線の駅となった。かつては当駅から汽車製造(現ジェイバス)宇都宮工場や日光製紙(のちの高崎製紙、現王子マテリア)日光工場への引き込み線が分岐していたが、現在は廃止され線路も撤去されている。岡本駅を出ると、まもなく住宅が途切れ、河岸段丘を下って田園地帯を走り抜け、まもなく栃木県中央部を南北に流れる鬼怒川を渡る。同橋梁上からは、天候が良ければ車窓左側(北側)に左から日光連山(男体山、子真名子山、女峰山など)・高原山・那須岳、南側にはすぐ下流側に国道4号の鬼怒川橋(下り線)・新鬼怒川橋(上り線)と筑波山を見ることができる。鬼怒川を渡るとすぐ左に大きくカーブを切り、切り通しを登って鬼怒川左岸段丘に上がるとまもなく烏山線の分岐駅であり、高根沢工業団地の最寄り駅でもある宝積寺駅に到着する。宝積寺駅を出ると烏山線が段丘を東に下り、宇都宮線はしばらく台上を走る。この付近では右手(東側)車窓に栃木県と茨城県の県境をなす八溝山地の山並みが、そして左手(西側)には男体山をはじめとする日光の山々そして高原山が見渡せる。まもなく段丘を下ってさくら市の中心地で喜連川温泉の入口でもある氏家駅に着く。氏家駅を出るとすぐに国道4号が宇都宮線をまたぎ、高原山の山容が左手前方(北側)に大きく見えてくる。しばらく田園地帯を走って市の堀用水を渡ると蒲須坂駅に着く。当駅は開けた平地部に位置し、駅の西-北-東側には左から日光連山、高原山、(奥に)那須岳、そして八溝山地と180度の大パノラマが広がる。のどかな田園のただ中にあるが、かつては一部優等列車の停車駅となったこともある。蒲須坂駅を出ると、荒川を渡り、小高い丘が連なる塩那丘陵の起伏地に入る。電車は丘の間を縫うように走り国道4号と併走して左にカーブし、住宅地に入って片岡駅に着く。片岡駅を出ると東北新幹線の高架がまたいでいく。すぐに東北自動車道の矢板ICの取付道路をくぐってりんご等の果樹園畑の中をしばらく進むと、再び田園地帯に入って内川を渡り、住宅地に入ると矢板駅に着く。この内川付近の西側の丘陵地は、鎌倉時代初期に源姓塩谷氏を継いだ宇都宮朝業が築いた川崎城跡である。矢板駅を出ると、再び丘陵地帯の合間を走り、すぐに上下線が分かれ、宇都宮線区間唯一のトンネルとなる針生トンネルを抜け、国道4号と併走しながら箒川(ほうきがわ)を渡って那須野が原の田園地帯に入る。那須野が原は、箒川と那珂川に挟まれた木の葉状に広がる広さ4万haに及ぶ日本最大級の複合扇状地で、高原山火山などの火砕流などで基礎が形成され、その後の河川などの砂礫の堆積により形成された。那須野が原の地質は水を通しやすく、両河川の間を流れる蛇尾川(さびがわ)と熊川は水無川で伏流水となっており、蛇尾川・熊川の両橋梁からは、多雨期をのぞいて河原に水流を見ることはできない。開墾に当たっては、那須野が原北端の那珂川より取水(岩崎取水堰)して、灌漑用水を地表に引き客土することでようやく農地とし、現在では栃木県一の米および生乳の生産地となっている。現在でも、開拓・開墾の歴史を那須疏水の清流にしのぶことができる。また、関東の名族は戦国時代 - 江戸時代初めごろまでに歴史の表舞台から姿を消すが、この那須地方は中央政権による改革を免れ、室町時代には関東八屋形の一角をなした那須氏一門が江戸時代以降も脈々とその歴史を刻み続けている。その影響で、大田原市の那須神社や黒羽雲巌寺などの当時からの歴史的建造物も比較的良好に現存し、松尾芭蕉の奥の細道紀行にも登場する。箒川を渡るとまもなく国道4号が宇都宮線をまたいで大田原市内唯一の駅である野崎駅に着く。この北部には野崎工業団地が立地し、当線はその南端部を北上していく。野崎駅を出ると、まもなく那須疏水第4分水を渡り、すぐに東側から東北新幹線の高架が迫ってこれと併走する。那須疏水鍛冶屋堀を渡って直線区間をしばらく行くと西那須野駅に着く。西那須野駅の下には那須疏水第3分水が流れる。この付近から那須塩原駅、黒磯駅にかけては、那須の茶臼岳、朝日岳、三本槍岳を望みながら走る。西那須野駅は、栃木県内有数の温泉郷である塩原温泉郷、そして米および生乳の県内第一の生産地である那須塩原市の玄関駅である。同駅は当初那須駅として開業し、東北本線が電化されその座を黒磯駅に譲るまでは那須地区を代表する駅であり、開業当初から優等列車の停車駅であった。駅周辺は那須野が原の開拓社の一つ肇耕社の開墾地であり、肇耕社の開設者の一人で、その後栃木県令となって塩原に公道を開設した三島通庸にちなむ旧三島村の地内であった。三島村はその後西那須野町を経て現在は那須塩原市に編入され、西那須野駅周辺の三島の地名に那須開墾の歴史がしのばれる。西那須野駅を出ると、列車は斜面を下って接骨木用水を渡り、しばらく進んで水無川の蛇尾川を渡る。堤防で区切られた河道には白い巨石が連なり河川であることが分かるが、多雨期をのぞいて河川水は見えない。ブリヂストンの工場の合間を抜けて同じく水無川の熊川を渡ると住宅地に入り那須塩原駅に着く。那須塩原駅はかつて東那須野駅と称し、開業以来優等列車や速達列車のほとんどが通過していたが、東北新幹線の開業に伴い新幹線停車駅となり一転、塩原温泉郷および那須温泉郷の玄関駅となった。那須塩原駅を出るとすぐに那須疏水第2分水を渡って林地を進み、再び田園地帯に入って那須疏水第1分水を渡り、住宅地に入るとまもなく宇都宮線列車の終点・黒磯駅に着く。黒磯駅は、昭和期には関東地方の一大避暑地である那須高原の玄関駅となり栄えたが、新幹線開通後は那須塩原駅と機能を二分、現在は宇都宮線終点として利用者数も減少傾向にある。那須高原は北に勇壮な那須連山、南に広大な関東平野の絶景を楽しめる絶好のビュースポットでもあり、休日は春の新緑シーズンから秋の紅葉シーズンまで行楽客でにぎわう。黒磯駅は東北本線の直流電化区間と交流電化区間の境界駅であるため、直流式の電車で運行される宇都宮線列車は黒磯駅で宇都宮方面に折り返し、これより北側の東北本線区間は交流用の電車によって運行されている。かつて東北本線が非電化であった時代には特急・急行列車も含め上野駅・宇都宮駅を始発終着とする客車列車が東北地方までの長距離を走行していたが、その後の高度経済成長と相まって鉄道輸送も高速化・速達化が図られ、中距離輸送ではキハ45000形や44500形などのディーゼルカーが、さらに電化に伴い80系や157系電車が投入されると、上野駅 - 宇都宮駅・黒磯駅間を運行する電車列車が徐々に増発され、115系や165系電車が普及すると客車運用されていた従来の長距離普通列車も黒磯駅を境に運用が分けられ、上野駅 - 黒磯駅間は115系・165系といった直流電車での運行に置き換えられ、これにより黒磯駅を跨ぐ普通列車は全廃された。また長距離輸送についても、東北線東北地方管内の完全電化により客車・ディーゼルカー輸送を引き継いだ485系や583系・455系電車などによる在来線特急・急行列車での運行を経て、さらに東北新幹線の開業に伴い新幹線に移行された。最終的に、当線を経由して黒磯駅をまたいで直通運転する定期旅客列車は、東京と北海道方面間を結ぶ寝台夜行特急のみとなったが、2015年3月14日のダイヤ改正で定期運行は終了した。普通列車(快速列車を含む)は、上野駅発着の列車・上野駅から東京駅を経由して東海道線へ直通する上野東京ラインと、池袋駅・新宿駅を経由して東海道本線の横浜駅・大船駅および横須賀線の鎌倉駅・逗子駅まで直通する湘南新宿ラインを中心に、高崎線・両毛線・日光線・烏山線に直通する列車が設定されている。このほか、東京と栃木県北西部地区を結ぶ特急列車「日光」・「きぬがわ」、高崎線方面の特急列車「あかぎ」「スワローあかぎ」などが当線経由で運転されているが、いずれも東京と宇都宮線沿線地区以外の遠隔地を結ぶ列車となっており、宇都宮線区間内で利用可能な特急列車は皆無となっている。日中は1時間あたり上野東京ラインが3本、上野駅発着系統の宇都宮線列車が1本、湘南新宿ラインが2本(1本は快速)が設定されており、高崎線方面に直通する列車(1時間あたり6本)も含め、東京駅 - 大宮駅間は、併走する京浜東北線電車に対する快速列車の役割も果たしている。普通列車の運転系統は、宇都宮駅を境にして南北で分離されつつあるが、2006年7月のダイヤ改正では、削減傾向の上野駅 - 黒磯駅間の直通列車が増発され、また車両運用に絡んで小金井駅 - 黒磯駅間の区間列車が新設(宇都宮駅乗り換えから小金井駅乗り換えに変更)されるなど、柔軟なダイヤ設定となっている。宇都宮駅を境に南側ではグリーン車を組み込んだ10両編成または15両編成の近郊形E231系・E233系電車を中心に、北側では4両編成の205系電車を中心に運転されている。かつては小金井駅で増解結を頻繁に行っていたが、2004年10月16日の改正で現在の運行形態に至ってから黒磯駅発着などの一部の列車をのぞいて減少傾向にある。2015年(平成27年)3月14日の改正現在、当路線を運行する普通列車・快速列車は、両毛線・烏山線直通系統を除いて4ドアの車両に統一されており、小山車両センター・国府津車両センターに所属するE231系・E233系電車(いずれも近郊型)と小金井駅・宇都宮駅 - 黒磯駅間用の205系(小山車両センター所属)で運行されている。快速列車は上野駅 - 小山駅間(通勤快速は浦和駅 - 小山駅間)で快速運転を行い、小山駅 - 宇都宮駅・黒磯駅間は各駅に停車する。このため、所要時間は上野駅 - 宇都宮駅間で1時間30 - 40分程度、大宮駅 - 宇都宮駅間で1時間5 - 10分程度と、快速「ラビット」が小山駅 - 宇都宮駅間でも通過運転していた時代に旧式近郊型電車の115系電車が上野駅 - 宇都宮駅間を1 - 2本、所要時間1時間25 - 30分程度、大宮駅 - 宇都宮駅間を1時間程度で結んでいたのに比較しても延長傾向にある。また、東北新幹線開業前に宇都宮線区間内で利用可能であった昼行特急の「はつかり」・「やまびこ」・「ひばり」・「やまばと」・「つばさ」などの所要時間が、上野駅 - 宇都宮駅間1時間10分程度、大宮駅 - 宇都宮駅間50分であったのに比較すると、最短所要時間は大幅に延長している。なお、2015年3月14日ダイヤ改正時点のこの区間の最速優等列車は、東京 - 北海道間を結ぶ臨時寝台特急「カシオペア」であるが、所要時間は上野駅 - 宇都宮駅間が1時間26分、大宮駅 - 宇都宮駅間が1時間1分と、寝台客車特急と昼行電車特急を単純には比較できないものの、中距離区間の最短所要時間は過去より延びている。首都圏のJR線では、年末年始で終夜運転を実施しており、宇都宮線では『終夜臨時列車』の扱いで湘南新宿ライン(宇都宮駅 - 逗子駅間)が1時間あたり1本運転されていたが、年を追う毎に規模が縮小している。2004年までは上野駅発着の終夜運転もあったが、2005年以降は上野駅発着列車の終夜運転は京浜東北線および高崎線のみとなった。2014年の元日は小金井駅までに短縮され、2015年元日は小山駅までに短縮、運転本数も上下2本のみとなった。各快速列車などの現在の停車駅は駅一覧を参照。2010年(平成22年)12月4日のダイヤ改正で「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」が廃止され、宇都宮線内を相互発着する特急列車がなくなった。2016年3月26日ダイヤ改正時点で以下の列車が当線経由で運転されているが、すべて東京方面と他線区沿線各地を結ぶ列車となっている。詳細は、各列車の記事を参照。平日ダイヤの夕方以降に運転される快速列車である。JR発足後の1988年3月13日に新設され、「スイフト」の愛称で毎日夕方に運行された。1990年3月10日のダイヤ改正で愛称がなくなり列車種別が通勤快速に変更されるが、土曜・休日ダイヤが導入される1994年の12月2日までは「スイフト」時代と同じく毎日夕方の運行であった。愛称廃止後も115系や211系には「スイフト」の行先幕が残されていた(ただし一部を除く)。現在は平日の上野発下り18 - 22時台と宇都宮発上り16 - 21時台に1時間あたり1本、1日に下り5本、上り6本が運行されている。このうち、上り1本のみ黒磯発で運行されるほかはすべて上野駅 - 宇都宮駅間のみ運行となっている。快速「ラビット」との停車駅の違いは、尾久駅に停車し、蓮田駅を通過することである。設定当初より停車駅は変更されておらず、上野駅 - 宇都宮駅間の所要時間は1時間29 - 39分。当初(1時間40分前後)より若干短縮されている。朝夕時間帯に運転される快速列車である。もともとの前身は新特急「なすの」で、日中の大半を格下げする形で1988年3月13日のダイヤ改正で登場し、「ラビット」と命名され、下り9本・上り8本で運行を開始した。その後残っていた日中の「なすの」も全列車格下げとなる形で増発され、日中1時間あたり1 - 2本の毎日1日下り12本・上り10本が運行された。土曜休日ダイヤが導入されると夕方・夜間の通勤快速も土曜・休日に限り快速「ラビット」として運行されるようになったため、土曜休日ダイヤでの快速「ラビット」の運行本数は1日下り18本・上り17本に達した。新設当初は小山駅 - 宇都宮駅間でも快速運転を行っており、この区間の停車駅は石橋駅のみだった。その後、土曜・休日に通勤快速の代替として小金井駅・自治医大駅・雀宮駅にも停車する快速「ラビット」が運行されるようになり、1995年12月1日のダイヤ改正で小山駅 - 宇都宮駅間が各駅停車に統一された。2004年10月16日のダイヤ改正で日中の快速「ラビット」はすべて湘南新宿ライン快速に置き換えられた。上野東京ラインが開業した2015年3月14日現在のダイヤでは、毎日朝に東京発宇都宮行き(国府津発:東海道線内では普通として運転)の下り2本が運行されている。土曜・休日は夕方・夜にも設定があり、下り7本(朝運行列車を含む)・上り6本が運行されている。この時間帯は原則として上野駅 - 宇都宮駅間の運行で、上野発小金井行きと黒磯発上野行きがそれぞれ1本ずつ運行されている。毎日運行の下り1本と土休日夜の下り2本・上り3本(うち1本は小金井まで10両)が15両で運行される以外はすべて10両で運行される。上野駅 - 宇都宮駅間の所要時間は1時間27 - 40分で、列車によって小金井駅での増解結や小山駅での東北新幹線との接続の関係で約10分の所要時間の開きがある。新宿駅改良工事などの大規模工事で湘南新宿ラインの運行ができない場合、湘南新宿ラインの快速は上野駅発着の快速「ラビット」として運行される。停車駅の変遷宇都宮線にホームのある各駅に停車する。2015年3月14日の上野東京ライン開業による改正では、大半の列車が東海道線に直通し、このうち一部は東海道線内で快速「アクティー」として運転されている。平日朝ラッシュ時の上野方面への上り列車はおおむね3 - 5分間隔で運転されている。日中時間帯は1時間あたり上野駅 - 大宮駅 - 古河駅間で4本程度、古河駅 - 小金井駅・宇都宮駅間で2 - 3本程度運行されている。朝6時台には大宮発宇都宮行き、宇都宮発夜22時台の上り終電は大宮行きが各1本運行されている。また、小山発宇都宮・黒磯行きも朝5時台に設定されている。一部列車は上野駅・小金井駅 - 黒磯駅間の直通系統である。上野発の下り1本は後寄り1両(1号車)を新聞輸送に用いる。日中の基本的な運行パターンとしては次の通りである(1時間当たり)。南行列車は、古河駅 → 上野駅:1本、宇都宮駅・小金井駅 → 小田原駅・沼津駅:1本、宇都宮駅・小金井駅 → 熱海駅・伊東駅:2本(うち1本快速「アクティー」)。北行列車は、上野駅 → 小金井駅・宇都宮駅:1本、熱海駅 → 小金井駅・宇都宮駅(快速「アクティー」):1本、熱海駅・小田原駅 → 小金井駅・宇都宮駅・黒磯駅:1本、熱海駅・小田原駅 → 古河駅:1本。全区間10両または15両編成で運転される。15両編成で運転する列車は小金井駅で列車の増解結を行う列車がある。これらの一部は小金井駅 - 宇都宮駅・黒磯駅間では付属編成のみの5両編成で運行される。宇都宮駅 - 熱海駅間の全区間を15両編成で運転する列車も多く、全国で最も長い距離を走行する長編成普通列車のうちの1つとなっている。所要時間は、上野駅 - 大宮駅間で約25分、上野駅 - 久喜駅間で約45分(途中駅での待避がない場合)、上野駅 - 小山駅間で約1時間15 - 20分程度、上野駅 - 宇都宮駅間で約1時間45 - 50分程度(最速列車は1時間40分、最遅列車は平日では白岡駅で特急スペーシアきぬがわの待避を行い、小金井駅で車両解結を行う列車の1時間59分、土休日では久喜駅で湘南新宿ライン快速など10分間待避を行う列車の2時間3分 )である。宇都宮駅の始発は4時37分、終電到着は1時25分と、通勤型車両を含まない東北本線区間内の普通列車の中では最も始発が早く、最終が遅い(ただし、上野発の終電23時38分発は同駅を起点とする路線では最も早い)。2010年(平成22年)12月4日のダイヤ改正で小金井駅発着の湘南新宿ラインの一部が宇都宮駅発着に延長されたことに伴い、古河駅 - 宇都宮駅間の日中の運行本数の見直しが行われた。快速と普通が運転されている。いずれも大宮駅 - 田端駅間では東北貨物線を走行するためホームの無いさいたま新都心駅には停車しない。また2013年3月16日から浦和駅に停車するようになった。小山車両センターまたは国府津車両センター所属のE231系・E233系で運用される。ほとんどの列車が基本編成(10両)と付属編成(5両)を連結した15両編成で運行されているが、一部は基本編成のみの10両編成で運行される。湘南新宿ラインの快速列車は、日中時間帯に1時間あたり1往復程度運行されており、新宿駅経由で横須賀線と直通運転する。以前の日中の上野駅発着の快速「ラビット」を置き換える形で新設されたことから、停車駅は快速「ラビット」と同じである。運転本数は、新宿発9 - 17時台に1時間あたり1本(計9本)、南行は宇都宮発9 - 15時台(土曜・休日は8 - 15時台)に1時間あたり1本(計7本、土曜・休日は計8本)である。平均的な所要時間は新宿駅 - 宇都宮駅間が1時間35分、池袋駅 - 宇都宮駅間が1時間30分、大宮駅 - 宇都宮駅間が1時間5 - 10分である。北行(下り)は久喜駅(最終列車は古河駅)で、南行(上り)は古河駅で、それぞれ先を走る上野東京ラインの普通列車に接続する。湘南新宿ラインが東京経由に比べて距離的に大きく迂回することや、横須賀線内の停車駅が多い等の理由から、この普通列車との横浜駅以西の到着時刻は数分程度しか変わらない。湘南新宿ラインの普通列車は、新宿駅経由で横須賀線と直通運転し、宇都宮線内の各駅に停車する。日中時間帯は1時間あたり1本が宇都宮駅 - 逗子駅間で運行されている。朝ラッシュ時は約10 - 15分間隔、夕方ラッシュ時は南行がおおむね15 - 20分間隔、北行がおおむね30分間隔、夜間は40 - 60分間隔で、それぞれ宇都宮駅・小金井駅 - 大船駅・逗子駅間で運行されている。また、平日朝には古河発の南行も1本設定されている。所要時間は、新宿駅 - 大宮駅間が約32分、新宿駅 - 小山駅間がおおむね1時間20 - 25分、池袋駅 - 小山駅間がおおむね1時間15 - 30分である。この区間はすべての普通・快速列車が各駅に停車する。8 - 40分間隔(1時間あたり1 - 3本程度)で運転されており、宇都宮駅 - 黒磯駅間直通の所要時間はおおむね50分である。下り3本(土曜・休日の1本は宇都宮駅で乗り換え)と上り5本は上野駅 - 黒磯駅間を直通運行する。このうち快速列車は夕方の上野行きの上り1本のみで、平日は通勤快速、土曜・休日は快速「ラビット」として運行されている。これ以外はすべて普通列車である。上野方面からの黒磯行きの下り3本はすべて東海道線から東京駅を経由して直通する上野東京ラインの列車で、土曜・休日に宇都宮駅 - 黒磯駅間で区間運休する列車1本が小田原発(小金井駅 - 黒磯駅間:グリーン車なし5両)、残りの2本が熱海発(小金井駅 - 黒磯駅間:グリーン車付き10両)となっている。黒磯発の上り列車は、朝5時台に平日が上野行き(2015年5月11日から2017年12月ごろまで毎週月曜日は黒磯駅工事で黒磯駅 - 那須塩原駅間運休)、土曜・休日が上野東京ライン東京・横浜方面小田原行きとなる列車が設定されており、6時台には平日が上野東京ライン品川行き、土曜・休日が上野東京ライン熱海行きとなる列車も設定されている。宇都宮発6時台の下り1本は小山発(5時台)、午後の宇都宮発2本と朝9時台の黒磯発1本は小金井駅発着となっている。早朝5時台には氏家発の上野東京ライン熱海行きが設定されている。3ドア車両を使う列車として、午前中に両毛線直通の高崎駅発着の列車が1往復設定されている。大半はグリーン車なしの205系4両編成(一部は8両編成)による運転であるが、宇都宮駅を越える列車(上野駅発着・上野東京ライン・小山発)を中心として、グリーン車を連結したE231系・E233系10両編成や、一部列車にグリーン車連結なしのE231系・E233系5両編成も使用される。ほぼすべての列車が、宇都宮駅で上野・新宿方面の列車と接続している。この区間では車内温度維持を目的に全列車でドア開閉が半自動に統一されている。ただし、宇都宮駅・黒磯駅では到着時および出発前はすべてのドアが一旦開くようになっている。本項では、宇都宮線(東北本線)と隣接する他路線とを直通する列車について記載する。電車線については記載しない。列車記事が存在するものについての詳細は列車記事を参照。大宮駅を始発・終着とし、当線と武蔵野線・中央線方面とを直通する以下の臨時快速列車は、各列車項目を参照。このほか、集約臨時列車として神奈川県内の学校の日光方面修学旅行列車(主に品川駅・湘南新宿ライン経由で東海道本線、横須賀線、南武線 - 日光駅間。シーズンは毎日1往復運転)や、同じく栃木県内の小学校の湘南方面修学旅行列車(主に品川駅・湘南新宿ライン経由で宇都宮線各駅 → 鎌倉駅間、小田原駅 → 宇都宮線各駅間。鎌倉駅到着後は逗子駅または横須賀駅まで回送、小田原駅入線前は根府川駅または早川駅から回送。シーズンの主に平日に運転)が運行されている。"「沿革」の節で概説する。"列車記事が存在するものについての詳細は列車記事を参照。東北本線を走る貨物列車は東北・北海道・上越方面 - 隅田川駅発着列車を中心とする首都圏発着便が多数を占めるが、首都圏を超えて福岡・広島・大阪・名古屋といった中京・西日本・九州方面を発着する長距離便も複数設定されている。宇都宮線内にある宇都宮貨物ターミナル駅にはこれらの東北本線定期貨物列車が多数停車するほか、同駅を始発・終着駅とし福岡・金沢・南関東各地(新座・東京・隅田川・川崎・浜川崎・根岸・千葉)を結ぶ貨物列車も運行されている。ほかに矢板駅(オフレールステーション)でコンテナ扱い、小山駅で変圧器扱い、東鷲宮駅でレール扱いがある。2011年春のダイヤ改正より、これまで日本海縦貫線経由でのみ設定されて来た関西-北海道直通貨物列車がはじめて東海道本線および東北本線経由で運行されている。この貨物列車は、梅田(2013年廃止)を夜11時に発車し翌々日朝5時半頃に札幌に着く便と、北旭川を深夜0時半頃に発車し翌日昼過ぎに梅田に着く便として設定され、当線区間は札幌行きは午前中早い時間帯に、また梅田行きは夜遅い時間帯に通過する。宇都宮線上野発着列車および上野東京ライン(東海道線-宇都宮線・高崎線系統)、湘南新宿ライン(横須賀線-宇都宮線系統)の普通列車および快速列車は、大宮支社小山車両センターおよび横浜支社国府津車両センター所属のE231系・E233系で運行されている。小金井 - 黒磯間については、小山車両センター所属の205系も使用される。これらの車両はすべて通称「湘南色」とも呼ばれるオレンジ色と緑色()の帯を巻いている。このほか、当線と日光線・烏山線・両毛線・高崎線・常磐線等を直通する列車は各線用の車両で運行されている。4ドア車両のE231系・E233系・205系にはバリアフリー対応の洋式トイレが設置されている。他路線から宇都宮線に乗り入れる列車は、その路線の車両で運行されている。大宮より北の始発駅や途中駅で優等列車などの待避のために一定時間停車する際には、車内温度を維持するためドアが半自動扱いになる。なお、宇都宮 - 黒磯間では全列車でドア扱いが終日半自動扱いとなる。"宇都宮線区間の歴史は「東北本線の歴史記事」に詳述し、本項では当線区間の運行形態の沿革を概説する。また、当線区間の新旧優等列車の沿革の詳細については、以下の項目を参照。"宇都宮線区間が東北本線の一部として東北地方各地 - 関東地方栃木県各地 - 東京を結ぶ広域都市間輸送機能を主体としていた時代には、最盛期で毎時2 - 3本の東京 - 東北間長距離特急・急行列車、および1日数本の長距離普通列車が往来し、長編成の貨物列車も定期運行されていたが、1982年(昭和57年)の東北・上越新幹線開業にともない東北新幹線経由の輸送体制にシフトし、同年11月のダイヤ改正では特急「はつかり」・「ひばり」や急行「日光」などが当線区間から姿を消し、1985年(昭和60年)の東

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。