LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

国鉄10系客車

国鉄10系客車(こくてつ10けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1955年に開発・試作し、その後量産した軽量構造の客車である。10系客車は、1950年代に軽量化設計で世界をリードしていたスイス連邦鉄道(スイス国鉄)の軽量客車()の影響を強く受けて設計・開発された。既成概念を脱却した革新的な設計の導入により、従来の鉄道車両に比べて格段の軽量化を実現し、輸送力増強や車両性能の向上に著しい効果を上げた。また外装面でも、大型の窓を備えるなどスイス流の軽快かつ明朗なスタイルが導入され、国鉄車両のデザインに新風を吹き込んだ。電車・気動車を含むその後の国鉄車両のほとんどは、この10系客車を基本にした軽量構造を採用しており、後続の旅客車両設計に大きな影響を与えた形式と言える。従来の鉄道車両の構造では、土台となる「台枠」に強度の相当部分を負担させたのに対し、10系では台枠中央部全長を貫通していた中梁を省略し、台枠側梁、構体、屋根、側板、妻板、そして波型鋼板(キーストン・プレート)の床を組んだ車体全体で衝撃を分散負担する「セミ・モノコック構造(準張殻構造)」を採用した。モノコック構造は、元来、重量制限の特に厳しい航空機のために考案されたものであり、戦後の航空技術開発禁止に伴う技術者の移籍により、その理論及び設計ノウハウが鉄道車両開発にも移転され、日本の鉄道車両でも実現可能となったものである。梁や柱は、重い形鋼の加工品から、薄い鋼板のプレス一体成型品に置き換えられて軽量化と工数の低減が図られ、また溶接の最適化やひずみ除去技術の進歩等によって側板厚の削減(2.3mm→1.6mm)が実現するなど、車体の大幅な軽量化が可能となった。車体構体に次ぐ重量部品である台車についても、第二次世界大戦後盛んになった高速電車用台車の研究開発成果を受けて、重い形鋼や一体鋳鋼に代えて、プレスした鋼板部材を溶接して組み立てることで重量の大幅な軽減を実現した、軽量構造の軸バネ式台車(TR50形またはTR200形)が採用された。だが当時は中長距離輸送の殆どを国鉄が担っていたため、乗客の激しい混雑が当たり前であったこともあり、三等座席車は乗車率200 %での使用も考慮され、枕ばねは軽い車重に不釣り合いな硬いものとされた。「すし詰め」の可能性がある以上、混雑度の低い欧州の鉄道車両のような柔らかいばねを採用することができなかったのである。逆にダンパーは歩留まりや耐久性ばかりが重視され、減衰力は完全に不足していた。これにより、従来形客車では見られない短周期の上下動が常時発生する結果となり、乗り心地について多くの不評が寄せられることとなった。高速走行性能については、120 km/hでの速度試験にも耐えたものの、量産時には高速性能よりも混雑時での使用(安全率)に主眼を置いたため、試作車よりもばね定数が上げられ、より硬いセッティングとされたことで、問題をさらに悪化させている。その他にも、従来は砲金や鋳鋼が当たり前であった内装金具の軽金属部品への置き換えや、アルミサッシの採用、それにプラスチック等の合成樹脂材料の多用などによって、新素材を活用した総合的な軽量化が施されている。この結果、内装から木材をほとんど廃した「全金属車体」となった。寝台車・特別二等車・食堂車では、板材をプレスした柱を用いて途中で曲げ、車体幅を2.9 mに広げて裾を2.8 mに絞った車両限界一杯の車体断面を導入して居住性を改善した。この方式も、以後多くの車両に採用された。車体上部の雨どい付近の最大幅は2.95 mである。これ以外の車種では側構の裾絞りは無く、車体幅2.8 m、車体最大幅2.86 mとなっている。また寝台車のうち、旧形車の台枠再利用のオハネ17は車体長19.5 mであるが、新製車は車体長20 m(連結面間20.5 m)を国鉄で初めて採用し、後の特急形電車などに受け継がれた。スハ43系に引き続き、完全切妻形車体であるが、ウィンドウ・シル/ヘッダーはなくなっている。また寝台車通路側には下降窓を採用した。三等座席車の便・洗面所は、出入台より外の車端に設けられ、客室から離すことで臭気を防止した。本系列は、当初はオロネ10以外非冷房であり、その後の冷房化(ナハ・ナハフを除く)により自重が増して重量記号が変更されたこと、また寝台車は多く緩急車に改造されたことで、多くの形式が一括して改造・改形式されている。その一覧は表の通り。細字の形式は改造により形式消滅した。詳細は各形式の項目を参照されたい。10系客車は1955年から1965年まで大量に製造され、座席車・寝台車をはじめとして多数の派生形式が生まれている。初期には、2等座席車と食堂車が特急「つばめ」・「はと」に導入されたほか、新設の「かもめ」には2・3等座席車が、「はつかり」には2等座席車と食堂車がそれぞれ導入された。その後も急行列車を中心とする優等列車に多数導入され、気動車導入が最優先とされ新製配置が実施されなかった四国を除く、全国の主要路線で幅広く導入された。特に信越本線には、牽引定数が換算36両(=360t)と非常に厳しい制約のあるアプト式区間(碓氷峠)での輸送力増強を目的に重点配備され、「在来車3両分の牽引定数で4両連結できる」軽量設計の強みを最大限に発揮し、同線の輸送力強化に大きく貢献した。一方、戦前以来の復活となった3等寝台車は、利用者から大いに歓迎され、引き続き大量に増備された。一部車両には、遊休化していた車両を改造したものも存在する。食堂車であるオシ17形は、占領軍からの返還や特急の電車化で余剰となった展望車など、3軸ボギー台車を履いた旧型優等客車の台枠流用による改造車として製造された。また、寝台利用者の増加に応える為、スハ32系二重屋根車など古い2等車や3等車の台枠と台車を流用したオハネ17形(後のスハネ16形)が多数製造され、高度経済成長期の輸送力確保に大きな成果を上げている。しかし、極度に軽量化に徹しすぎたために短所も生じた。軽量車体に見合わないセッティングの台車ばねによる振動・動揺の大きさはその最たるものである。また断熱・保温が構体内に吹付けられたアスベストのみに依存し、窓も大型であるため、内装に木材を多用し窓も小さい従来型客車と比較して、保温性が悪いことも不評だった。さらに1970年代以降、薄い鋼板を採用した事による外板の状態の劣化や、寝台車における一段下降窓が災いした車体下部の腐食が急速に進行、老朽化が目立つようになった。国鉄の労使紛争により保守環境が悪化したことも、状態の悪化に拍車をかけた。1971年10月、山陽本線を走行していた急行「雲仙」の座席指定車として使用されていたナハ10形の洗面台から出火し、火元の車両を含む3両が焼失する事故が発生した。この時は屋外での火災だったが、逃げ遅れた乗客1名が煙に巻かれて窒息死した。しかし、この時点では車両に対して火事対策等は実施されなかった。1972年11月、北陸トンネル火災事故が発生し、死者30名の大惨事となった。当初、出火原因が10系食堂車オシ17形の石炭レンジにあったとされたため、事故後、当時急行列車用として残存していたオシ17形はただちに営業運転から外されたが、検死の結果、全員の死因が一酸化炭素中毒による中毒死である事が判明し、前年の事故とともに、可燃性かつ有毒ガス発生の危険がある合成樹脂材を10系客車の内装材に多用している事による防災面での不備が問題視された。国鉄では、狩勝実験線での走行試験を含め、実車を使用した火災試験を数度に渡り実施し、現状の内装では火災の危険が高い事、また火事対策を実施した車両の火災に対する防火性の高さが確認された為、合成樹脂材からアルミ化粧板への取替えなどの難燃化工事が実施されたものの、急行列車の特急格上げおよび電車・気動車化によって43系客車に余剰が発生したことから、老朽車については未施工のまま廃車された。座席車については、予想以上の老朽化の進行や隙間風などによる乗り心地の不評もあって、1970年代中盤には急行列車運用から撤退し、オロ11形など電気暖房のない車両を中心に廃車が進められた。残された車両は、もっぱら普通列車を中心に使用されたが、客車の根本的近代化を図った50系客車に追われる形となり、中央線飯田橋駅の中央快速線横の車両基地にオユ10、ナハフ11、オシ17、オロ11 22、オハ35とともに長期間使用されず放置され、当時、貨物専用駅として飯田橋駅のホーム南側にあった飯田町駅で引込線専用に使用されていたDD51に入れ替えされていた。1985年3月14日国鉄ダイヤ改正で、全車が営業車としての現役を退いている。一方寝台車については、1975年3月の山陽新幹線全通によるダイヤ改正での急行列車の廃止や特急への格上げにより、西日本地区から大量廃車が開始された。1976年からは、一部列車が格下げされた20系客車によって置き換えられたが、そのほかの列車については適当な代替車も無い事から、結局1982年11月15日国鉄ダイヤ改正まで急行列車に使用され、普通列車の寝台車として使用された車両も、山陰本線を最後に上記の1985年3月14日国鉄ダイヤ改正で完全に運用を退いた。その後は、ナハフ11形2両のみ(2021・2022)事業用車代用(控車)として東日本旅客鉄道の尾久客車区に車籍を残していたが、これらも1995年11月1日をもって除籍され、日本の営業路線上から完全に姿を消した。本系列に属する車輛として、以下の形式がある。郵便車は、1986年に鉄道郵便輸送が廃止されたため、すべて現役を退いている。オユ14・スユ15・スユ16形の後期製造車は、実働5年に満たない車両も存在した。タイ国鉄では、1960年代中頃から日本の国鉄軽量客車を基本設計とする客車を日本の鉄道車両メーカーから輸入し、その後1984年頃まで自社マッカサン鉄道工場でも同系車多数を製作して使用している。2等寝台車、3等座席車、荷物車ほか複数のタイプがあり、これらの車両のおもな特徴は次のとおり。近年、これらの車両のうち初期に導入されたものは、JR西日本から余剰となった12系・14系・24系などの冷房付き車両が中古導入されることにより置き換えられている。: 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2011年11月号 No.856 特集:合造車 P.24 - P.34

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。