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第五航空戦隊

第五航空戦隊(だい5こうくうせんたい)とは、日本海軍の部隊の1つ。太平洋戦争開戦直前の1941年9月に編成された空母機動部隊。当時の日本海軍の空母建造技術の粋を集めた最新鋭艦、翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)、春日丸級特設航空母艦(大鷹型航空母艦)「春日丸(大鷹)」、護衛の吹雪型駆逐艦17番艦「朧」、陽炎型駆逐艦19番艦「秋雲」、第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)等が所属もしくは指揮下に入った。ミッドウェー海戦で主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を喪失後、大規模な艦隊再編にともなって解隊され、3隻(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)は新たに編成された第三艦隊・第一航空戦隊に所属した。航空機搭乗員の充員が完了したのは1941年10月初旬であり、真珠湾攻撃のために10月から鹿児島湾で行われた訓練にも参加できず基礎訓練を実施していた。航空隊の練度については同じく第一航空艦隊を形成していた第一航空戦隊の空母2隻(赤城、加賀)、第二航空戦隊の2隻(蒼龍、飛龍)に及ばないものとして扱われ、珊瑚海海戦での航空機の大量損失も搭乗員の練度の低さが原因とされた。ただし「赤城」から1941年5月「翔鶴」の戦闘機隊に異動した小町定は「陸上基地から配置転換されたばかりで、練習不足の者も数人はいましたが、他艦で訓練を積んでから異動して来た者もおり、必ずしも全員が練度不足というわけではない」と書いている。1941年(昭和16年)9月1日附で編制、日本海軍は原忠一少将を第五航空戦隊司令官に任命する。初代旗艦は春日丸級特設航空母艦1番艦「春日丸《大鷹》」となる。9月8日、第一航空艦隊旗艦を空母「翔鶴」から「赤城」に変更。9月10日、第五航空戦隊旗艦は「春日丸」から「翔鶴」に交代した。9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、第一航空戦隊を翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)と第11駆逐隊(吹雪、白雪、初雪)で再編、それまでの一航戦(赤城、加賀)は第51駆逐隊(白雲、薄雲)と共に第五航空戦隊となる予定であった。だが、この編制を実施する前に、日本海軍は太平洋戦争に突入する。9月25日、翔鶴型2番艦「瑞鶴」が竣工し、第五航空戦隊に編入される。五航戦の駆逐艦は「朧」1隻だったが、9月27日附で陽炎型駆逐艦19番艦「秋雲」が編入され、所属駆逐艦は2隻(朧、秋雲)となる。だが「朧」は南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官、旗艦「鹿島」)の指揮下に入りグアム島攻略作戦に参加、第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、秋雲)および南雲機動部隊とは別行動となる。11月14日、五航戦旗艦を「瑞鶴」に変更。第一次攻撃隊では第二集団急降下爆撃隊と、第三集団制空隊のうち第五制空隊と第六制空隊を担った。第二集団急降下爆撃隊はフォード島のヒッカム飛行場とホイラー飛行場への攻撃を担当した。使用機材は九九式艦上爆撃機。高橋赫一少佐が指揮官であった。翔鶴の第十五攻撃隊は26機で攻撃隊指揮官は高橋赫一少佐が兼任した。瑞鶴の第十六攻撃隊は25機で攻撃隊指揮官は坂本明大尉が担当した。真珠湾攻撃における航空攻撃の初弾は第二集団急降下爆撃隊がホイラー飛行場に投下した250kg爆弾である。第五制空隊と第六制空隊はカネオヘ航空基地上空の制空を担当した。使用機材は零式艦上戦闘機。瑞鶴の第五制空隊は6機で指揮官は佐藤正夫大尉。翔鶴の第六制空隊は5機で指揮官は兼子正大尉。第二次攻撃隊では第一集団水平爆撃隊を担った。使用機材は九七式艦上攻撃機。嶋崎重和少佐が指揮官であった。翔鶴の第六攻撃隊は27機で指揮官は嶋崎重和少佐が兼任し、カネオヘ航空基地への攻撃を担当した。瑞鶴の第五攻撃隊は27機で指揮官は市原辰雄大尉。フォード島のカネオヘ飛行場への攻撃を担当した。緒戦期の実戦参加を通じ実力を向上し、大日本帝国海軍の中心戦力に成長した。1942年(昭和17年)4月10日、駆逐艦2隻(朧、秋雲)は第五航空戦隊から除籍。「朧」は横須賀鎮守府警備駆逐艦となり、「秋雲」は4月15日附で夕雲型駆逐艦3隻(夕雲、巻雲、風雲)の第10駆逐隊に編入されている。一方、南雲機動部隊(第一航空艦隊)としてセイロン沖海戦に参加した第五航空戦隊は、ポートモレスビー作戦に参加すべく南洋部隊(第四艦隊)に編入され、南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊長官の指揮を受けることになった。同時に護衛部隊として第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)が加わる。本来、空母「加賀」(内地修理中)が参加することになっていたが、南洋部隊(第四艦隊)と連合艦隊と協議した結果取りやめとなる。そこで南洋部隊は第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)の派遣を希望するも、第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)に差し替えられたという経緯がある。同年5月上旬、第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、時雨、白露、有明、夕暮)は珊瑚海海戦を戦うが、日本側機動部隊の指揮官は第五戦隊(妙高、羽黒)司令官高木武雄少将で、五航戦司令官原忠一少将は『機動部隊の航空戦の指揮を行う』という立場だった。本海戦で「翔鶴」が大破、無傷だった「瑞鶴」も搭載航空機部隊の消耗により、それぞれ日本本土に戻った。修理と補充のため、五航戦はミッドウェー海戦に参加していない。同海戦で第一航空艦隊は空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を一挙に喪失。日本海軍はアメリカ軍機動部隊がアリューシャン列島より来襲すると予期し、北方への戦力集結を開始する。6月14日、「瑞鶴」と駆逐艦「浦風」は北方部隊編入を命じられ、駆逐艦2隻(秋月、朧)に護衛され柱島を出港、4隻(瑞鶴、浦風、秋月、朧)は大湊へ向った。北方方面で行動中の第五艦隊等と合流後、6月20日附で瑞鳳型航空母艦1番艦「瑞鳳」(第一艦隊所属)が第五航空戦隊に編入された。7月14日附で第三艦隊が新編(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)、第一航空戦隊は第三艦隊司令長官の直率部隊となり、旧第五航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)を中心として再建された。これに伴い第五航空戦隊は解隊、原忠一少将は利根型重巡洋艦2隻(利根、筑摩)の第八戦隊司令官へ転任した。7月22日、第五航空戦隊部残務整理事務所を設置。8月15日、残務整理事務所は撤去された。

出典:wikipedia

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