仁堀連絡船(にほりれんらくせん)とは、日本国有鉄道が広島県呉市の仁方港と、愛媛県松山市の堀江港との間を運航していた鉄道連絡船。仁方港は呉線仁方駅近く、堀江港は予讃本線堀江駅近くにそれぞれ位置していた。利用が低迷したことから、戦後唯一赤字を理由に廃止された国鉄の航路である(他の航路廃止は橋梁やトンネルの開通で代替された事によるものである)。もともと、戦後の混乱期に輸送力不足に陥っていた宇高連絡船の補助航路として開かれたものであるが、その本来の目的を果たしていたのは戦後の短期間に留まり、以後は鉄道連絡船としての存在意義の薄いまま、ローカル航路として推移した。このような航路であったため、専ら大島連絡船の余剰船で運航されていたという。あまりにもマイナーな立地で、国鉄職員でも知らない者が多かった。連絡船の便数が少なく、双方の港も駅から離れており、両港での接続列車は東京駅 - 広島駅間の急行「安芸」が仁方駅に停車していた呉線の電化前を除くと基本的に普通列車のみで、航路に合わせた時刻設定にもなっていなかった。列車の車内放送では連絡船接続の案内すらなかったという。但し、日本交通公社から発売されていた日本国有鉄道監修時刻表には仁方・堀江両駅における接続列車の時刻が掲載されていた。このため実際に列車乗り継ぎで鉄道連絡船として利用する客は皆無に近く、トラックなどのフェリー輸送が主であったが、のちには仁方港に近い呉郊外の阿賀港から堀江まで民営のカーフェリー(呉・松山フェリー)が頻発するようになり、苦戦を強いられた。最後に就航した瀬戸丸はカーフェリー仕様の新造船であったが、国鉄と造船会社の間で建造費を巡ってトラブルが起き、就航が約半年遅れるという珍しいエピソードがあった。なお、航路廃止によりわずか7年で用途廃止となった瀬戸丸は売却されている。堀江港には航路の記念碑が建立されている。また、呉・松山フェリーは仁堀航路の廃止からちょうど27年後の2009年7月1日に廃止となった。運賃・料金はすべて廃止時のものである。普通運賃はこども半額。
出典:wikipedia
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