グリモワール(、)とは、フランス語で魔術の書物を意味し、特にヨーロッパで流布した魔術書を指す。グリモワ、グリモアとも表記される。奥義書、魔導書(魔道書)、魔法書ともいう。類義語に黒本、黒書(black books)がある。狭義では悪魔や精霊、天使などを呼び出して、願い事を叶えさせる手順、そのために必要な魔法円やペンタクルやシジルのデザインが記された書物を指すが、魔術を行う側の立場から書かれた悪魔学書、魔術や呪術などに関する知識、奥義を記した古文書、書物全般のことを指す場合もある。『ソロモンの鍵』『ソロモンの小さな鍵』『黒い雌鶏』などが有名で、特に『大奥義書』の異本『赤竜』に加えられた、黒い雌鶏を使った召喚儀式に登場する「エロイムエッサイム 我は求め訴えたり」("Eloim, Essaim, frugativi et appellavi")という呪文は、『魔界転生』や『悪魔くん』、『四月は君の嘘』などの作品に取り入れられ、日本でも有名である。グリモワールは主として中世後期から19世紀までヨーロッパで流布した魔術の手引書・指南書・便覧を指す。霊的存在の力を利用する「神霊魔術」(demonic magic)や「降霊術」(necromancy)に関するものが多く、儀式、呪文、護符、呪具の作成法、儀式魔術に関連する鬼神学の記述などを主な内容としている。また、種々雑多な“まじない”のレシピ集のようなものもグリモワールに分類される。グリモワールとそうでない魔術書を峻別する絶対基準はないが、ヘルメス主義やネオプラトニズムに基づく哲学的な魔術論や、錬金術や占星術、博物学的な自然魔術の知識の記述を主眼とした書物(アグリッパの『隠秘哲学』、ジョルダーノ・ブルーノの『魔術論』、デッラ・ポルタの『自然魔術』など)は通常グリモワールと呼ばれない。A・E・ウェイトは著書『黒魔術の書』の中で、グリモワールと黒魔術的でない魔術書を暗に区別し、『ホノリウスの誓いの書』はグリモワールではないとしている。グリモワール(grimoire)という言葉の由来については「文法(書)」を意味するフランス語の grammaire から派生したとの説が有力である。フランスではかつて grammaire はラテン語で書かれた書物を指した。中世ヨーロッパで「文法」(grammatica)といえばラテン語の文法や教養を意味したが、一般の人々にとってラテン語は聖職者などの限られた人だけが読める“ちんぷんかんぷん”なものであった。民衆の中でしばしば「文法」と「魔法」が関連付けられたであろうことは、イギリスで grammar の異形 gramarye が「魔法」の意味で用いられたという事実からも窺知される。グリモワールという言葉が普及したであろう18世紀のフランスでは、民衆語で書かれた廉価本の出版が盛んで、その中には通俗的な魔法書も少なからずあった。そのような魔法書の大衆化傾向にあっても、依然としてラテン語で書かれた魔法書の写本も流布していた。フランス語では grimoire という言葉は「わけのわからない書物」「判読不能な文字」の比喩としても用いられる。しばしば「グリモワールは中世のヨーロッパで書かれた」と言われるが、必ずしもそうではない。13世紀前半にはパリの司教、が、1267年頃にはロジャー・ベーコンがこうした書物に言及しており、中世盛期後半の12-13世紀ごろには今日グリモワールと呼ばれているような書物がすでにあったことがわかる。しかし現存する写本や刊本の多くは17世紀以降のもので、中世に書かれたものは例外的である。『ソロモンの鍵』の現存する写本の多くは17-18世紀のものであり、『レメゲトン』の現存する最古の版は1641年のものである。現存するグリモワールの中には、中世を起源とする書物の近世における異本と考えられるものもあるが、権威付けのために「中世、あるいは古代に記された原典を現代語訳したもの」と自称している「近世・近代の産物」も多いと考えてよい。キリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ教徒の文化が共存していた12-13世紀のイベリア半島やシチリアでは、アラビア語の書物が盛んにラテン語に翻訳された。その中には、中世アラビアのヘレニズム的魔術を集成した『ガーヤト・アル=ハキーム』や、自然魔術的な内容を含む偽アリストテレスの『秘中の秘』などもあった。中世ユダヤの魔術書『天使ラジエルの書』もこの時期にラテン語訳が作られている。こうしてもたらされた占星術や魔術の知識はヨーロッパのキリスト教徒に刺激を与え、キリスト教的要素をもつ新しい魔術書がヨーロッパで生み出されることとなった。ロジャー・ベーコンやアルベルトゥス・マグヌスといった中世の著述家の残した記述から、フランスやドイツで当時出回っていたさまざまな魔術書の名を知ることができる。12世紀のキリスト教を背景として13世紀頃までに生まれた中世キリスト教的な魔術のジャンル「アルス・ノトリア」については、50種類以上の写本が伝存している。中世においては、こうした書物は主として聖職者や学者、学生など、ラテン語の読み書きができる多少なりとも教養のある人々に読まれ、写本の形で流布していた。これらの書物に記された儀式魔術は識字者による識字者のための魔術であり、民間に口承で伝えられる民衆魔術と対比される。そのことは、ヨーロッパ中世において儀式魔術の担い手の多くが聖職者であったことを意味する。儀式魔術は悪霊と交渉する異端的なものとしてトマス・アクイナスなどの神学者から非難されていたが、一部の聖職者は魔術に手を染めていた。たとえば12世紀のヘンリー2世の頃の学僧、は少年の頃、鏡を使った魔術を行う神父に霊視者の役をさせられたという。降霊術を行った廉で告発された聖職者の宗教裁判の記録は数多く残っており、その中には司教も含まれる。修道士、下級聖職者、小教区の司祭や助任司祭といった末端の聖職者は、神学には比較的無知であったかもしれないが、キリスト教の典礼に通じており、その知識を儀式魔術に転用することができた。中世宗教史の研究者リチャード・キークヘファーは、下位の聖職階級のひとつであった祓魔師に叙階されたことのある者の中には、道を外れて悪魔を呼び出そうとする者もいたのではないかと指摘している。冬の間だけ大学で学び、夏は流浪し、農民に魔術の力を吹聴してイカサマを働く貧乏放浪学生もいた。魔女狩りの時代には大っぴらにグリモワールを作ったり所持することはできなかったが、異性の愛を得る、財宝を発見するなどの世俗的な目的の魔術は人々の間で需要があった。17世紀から18世紀は宝探しが盛んな時代であったが、隠された財宝は精霊や幽霊に守られているとの伝承があり、宝探しには魔術が有効と考えられていた。そのため一獲千金が狙えるグリモワールは高値で取引されたという。近代には一般民衆の識字率が上がり、種々のまじないを寄せ集めた通俗的な魔術本が出版されるようになった。かつては聖職者や大学人や宮廷人のものであった魔法書は、16世紀頃から医師、弁護士、軍人といった新興インテリ層にも広がり始め、さらには職人や商人といった一般の人々も所持する民衆的な書物となった。イングランドでカニングマンと呼ばれたような民間の占い師や治療師も、グリモワールに図示された護符などを利用するようになった。フランスでは17世紀から18世紀に行商人によって「青本」という民衆本が売りさばかれたが、その中には通俗的な魔術書の類も多かった。ドイツでは18世紀に一般民衆を対象とした「家父長のための書物」と呼ばれる実用書の出版が盛んになったが、その一環として魔術書も出回るようになった。しかし魔法書は自分で筆写したものでなければ力あるものとならないという考えも根強く、印刷されたものでない手書き写本の魔法書が多く用いられていた。グリモワールという言葉が生まれるずっと前のものであるが、古代後期のヘレニズム文化に属するエジプトの魔術パピルス文書が多数見つかっており、それらはカール・プライゼンダンツによって「ギリシア語魔術文書」(Papyri Graecae Magicae、略称PGM)として集成された。20世紀の英語圏では、幻想文学に触発されて新たなグリモワールが生み出された。ラブクラフトの小説に登場する架空の書物『ネクロノミコン』を実際に作り上げようと試みたり、『ネクロノミコン』に仮託した本がいくつか出版されている。その中で魔術書の体裁をとったものを以下に挙げる。
出典:wikipedia
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