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聖飢魔II

聖飢魔II(せいきまつ、英表記:"SEIKIMA-II"、"SEIKIMA II"、海外公演の際には"THE END OF THE CENTURY")は、日本のヘヴィメタルバンド。名称は「聖なる物に飢えている悪魔がII(ふたた)び蘇る」の略とされている。音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」であると主張している。目的は地球征服を完遂して解散すること。各構成員は地獄から来た悪魔だとしている。創始者はダミアン浜田地獄皇太子殿下(現サタン45世大魔王陛下)。なお、聖飢魔IIの構成員には閣下・殿下などの敬称や長官・参謀などの役職名までを芸名とする者がいるため、本項および聖飢魔II関連項目ではこれを省かず、もしくは芸名の略称として取り扱う。1982年(魔暦紀元前16年)12月末に結成。1983年(魔暦紀元前15年)3月23日に初黒ミサ(コンサート)を行う。1985年(魔暦紀元前13年)に大教典(アルバム)『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』でCBSソニー(FITZBEATレーベル)から地球デビューし、翌年に発売した小教典(シングル)「蝋人形の館」の大ヒットで一躍有名になる。デビュー時の公約では1999年(魔暦元年)7月で活動を終えるはずだったが、事情を知らない侍従(マネージャー)がその後の予定を入れてしまったために解散を延期。1999年12月31日23時59分59秒、「地球征服を完了した」として解散し、光の中に消えていった。デビュー当初は、バンドのコンセプトに沿った奇異な外見や、デーモン小暮閣下らによる独特のパフォーマンスや説法(いわゆるMC)で世間の話題を集めた。赤色や金色に染めて逆立てたヘアスタイル・歌舞伎の隈取り風の顔の模様(本魔たちによれば、それが素顔であり、メイクではない)や、文字通り悪魔的な世界観に則った歌詞、ヘヴィでラウドな演奏などである。黒ミサでは、キッスばりの火吹きや血吐き(血を模したものを口から吐き出す)、逆の血飲みも披露した。同じソニー系列のレコード会社に所属していた米米CLUB、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていた時期もある。聖飢魔IIのやってきたとされる地獄は、神に反逆したサタンと彼の系譜から生じたデーモン一族など悪魔たち、協力者である「天地共通の凶神」雷神族などの住むとされる世界である。君主制が取られ、サタンの血筋が代々大魔王として統治していると主張している。10万年前悪魔がゼウスにより闇と静寂の国ヨッツンハイムに封じられたという説明もあるが、ヨッツンハイムと地獄の関係性について説明はない。聖飢魔II活動当時の地獄大魔王はサタン44世陛下である。サタン44世陛下は魔暦紀元前13年、聖飢魔II地球デビュー直前に一時危篤に陥り、もしもの事態の皇位継承などに備え、皇太子ダミアン浜田殿下が聖飢魔IIを脱退、地獄に帰獄したが、後無事回復した。のち、人間への転生を認められるとともに魔界追放となったジェイル大橋代官の特赦、悪魔としての復活を執行している。地球征服完了後、ダミアン浜田殿下はサタン44世陛下より譲位され大魔王サタン45世として即位した。以降、聖飢魔IIの作品(復活祭ミサCDやDVDなど)のスタッフ欄の最後は「Say Banzai To His Majesty Damian Hamada!」の文で締め括られるようになる。いかなる世界であるのか言及は少ないが、構成員の発生地地獄の都会ビターバレー、地獄と天国が最も近い場所ゴッズドア、地獄の貿易港サイドビーチ、地獄の鬼ヶ島ヒルマウンテンなどの地区名が公表され、鬼ヶ島や天国との接点がある一方、都会や貿易港が存在するとされている。魔暦紀元前9年、白い奇蹟で歌のトップテンに出演した際デーモンが「地獄に夏はない」と発言しており、季節が存在しない世界であることがうかがえる。このほか冗談画報において「電話回線とかそういうものはない」との発言もあった。「吸血鬼は魔界でも下級の種族だ」と雑誌媒体でデーモンが発言したこともあり、吸血鬼が存在することが語られている。この発言に見られるように魔界と呼ばれることも多い。中央情報局長官、大将などの称号を持つ聖飢魔II構成員の存在から比較的近代的な官僚組織、軍隊などが存在することが見て取れる。一方で地獄最悪刑務所拷問官、帝国治安判事という役職から刑務所で拷問が行われ、判事が治安を担当するなど前近代的な一面もうかがえる。これら臣僚の最高位として、閣下の敬称を付される副大魔王の存在が確認されている。先代の地獄副大魔王はデーモン小暮。現副大魔王は不詳。皇太子のダミアン浜田殿下は摂政職に就いていたとのことであるため、序列は大魔王>摂政>副大魔王であるとみられる。地獄最高審問官閻魔の肩書を持つ構成員もおり、閻魔が存在することもうかがえる。協力者である雷神族はライデン湯沢の敬称について「殿下」身分は「公家」とされており優遇されているようである。このように、聖飢魔IIの地獄は悪魔が統治している世界であり、その様相は一般的な認識における地獄、悪人が懲罰を受ける場所とは大きく異なっている。構成員らが地獄と並行して使用する「魔界」の方が一般的認識と近いと言える。デーモン閣下の英語オフィシャルサイトの用語解説ページでは魔界と地獄が別項目として併記され、魔界は「悪魔たちが生まれ、住む世界」、地獄は「魔界の中にあり、人間にとって恐怖・苦痛の場所。また悪魔にとって楽しみの場所」との言及がある。「色物」という一般的な認識上、一時的な人気で終わっても仕方のない受け止められ方だったが、多岐にわたる活動や高い歌唱・演奏レベル、独特のユーモアを持ったエンターテイメント性が奏功して14年3ヶ月の長きに渡り活動を継続、ヘヴィメタルリスナーにとどまらない幅広いファン(信者と呼ばれる)を獲得した。リーダーにしてボーカルのデーモン小暮閣下がマスメディア向きのタレントに恵まれていたこともあり、音楽番組以外のバラエティ番組などにも積極的に出演し、同窓の高寺成紀 、爆風スランプ、大徹、琴富士、大槻ケンヂ水前寺清子など各界の人物とも親交を結びそれまでいかなるヘヴィメタルグループも成し得なかった功績・すなわち「ヘヴィメタルをお茶の間に浸透させること」に成功した。しかし一方では特異なキャラクターと世界観が独り歩きしパロディが登場する、 ゲゲゲの鬼太郎原作「地獄篇」第3話などオフィシャルと無関係に設定が作られる、B・B、魔神英雄伝ワタルなどモブキャラクターとして登場するなど主に外形・設定が広まり、ビートたけしのオールナイトニッポンでリスナーからの投稿作品を紹介する「ヘビメタはマヌケだ」コーナーで聖飢魔IIをモチーフとしたネタが多数投稿され笑い物にされたり、明王伝レイなど悪役にされた挙句騒動が起こる、北斗の拳アニメ第88話などデーモン閣下が不快感を示すなどの事態も発生した。後年には悪魔としての立場で文部省の薬物撲滅CM、自動車教習所の教材VTRなどに出演、世界観を活用・拡大している。写ルンです、スペースワールドなどCM出演も多く行った。一般的には初期の典型的な悪魔的世界観に基づいたヘヴィメタルで語られることが多いままだが、実際には構成員各々の異なった音楽的バックボーンを大きく生かした幅広いロックバンドであった。1989年には「白い奇蹟」でメタル系バンドとして史上初めて『NHK紅白歌合戦』に出場。この年、武道館ミサ(公演)もこなし、極悪集大成盤(人間界でいうところのベスト盤)『WORST』がヘヴィメタルバンドとしては初のオリコン週間アルバムチャート第1位を記録。当時のロックバンドとしても珍しいことであり話題になった。このベスト盤はロング・セラーとしても長くチャートに留まった。聖飢魔IIの中で一番売れたアルバムである。聖飢魔IIのアルバムは、ソニー時代の1990年迄に発売されたものは廃盤が多いが、このアルバムは廃盤とならずに2016年現在も販売が継続されている。ソニー時代の作品は大半が廃盤となっていたが、新たにリマスターされ2013年に復刻した。2015年には、BMG時代の作品もリマスターされた。1988年のアルバム(5枚目)まで、CDよりもLPの方が売れていた(1988年にデビュー・アルバムがCD化されている)。1997年には、契約プロダクションを吉本興業へ移す。1998年には『ふるさと 総・世紀末計画』と題した大規模な日本全国征服計画を遂行した。その内容は、全国47都道府県でのミサツアーと、地元地方自治体・企業のCMにノーギャラで出演し、日本を征服することだった。1999年には年末の三日間に渡って究極の解散黒ミサを行い、聖飢魔IIは地球征服を全うして解散する。これに伴い、任務を完了したデーモン小暮は魔界において新たな地位を獲得(それ以前は前副大魔王であり無官)、以後「デーモン小暮閣下」と名乗るようになる。2005年11月-12月、地球デビュー20周年を記念し期間限定で再集結し、大黒ミサツアーを敢行した。2006年には、新教典の発布も行われている。2009年7月より、地球征服10周年としてセルフカバー、『AKUMA NATIVITY “SONGS OF THE SWORD”』を世界21カ国で配信。日本では9月16日に大教典として発表。なお、最終構成員の内、エース清水長官はface to aceに専念するため参加しないことを自身のブログで公表。ギターにはジェイル大橋代官が参加することとなった。。2015年、地球デビュー30周年を迎え再び期間限定で再集結し、大黒ミサツアーを行う旨を発表した。1982年12月末、早稲田大学にて、ダミアン浜田地獄皇太子殿下を中心に結成された(当初のバンド名は、『は、は、は、は、浜田さんバンド』)。オリジナル構成員は、ダミアン浜田地獄皇太子殿下(リーダー、ギター)、デーモン小暮閣下(ボーカル)、エース清水長官(ドラム)、ゾッド星島親分(ベース)である。のちに魔女RYO子嬢がキーボーディストとして参加(第二期まで在籍したが、1ヶ月程度で脱退)。この時期が第一期聖飢魔IIとされる。1983年9月 - 10月にかけて、第一次悪魔事異動が行われ、エース長官は一度脱退し、二代目ドラマーとしてジード飯島大将が参加、第二期聖飢魔IIとなる(1983年9月 - 1985年3月まで)。1984年3月、結成1周年を記念して行われる予定だったミサは、ダミアン殿下の突然の帰獄のため急遽『聖飢魔II解散ミサ』となった。しかし解散が決まる前に応募していたコンテストに勝ち進んでいたことを理由に、何とか存続している状態が続くことになった。残されたデーモン閣下・エース長官・ジード大将は、後の構成員Sgt.ルーク篁III世参謀とともに紫馬肥という新たなるバンドの活動を始めていたが、その直後にダミアン殿下が1年の猶予で復帰したことにより、解散は撤回された。その後、ダミアン殿下からデーモン閣下に統帥権の移行・即ちリーダーの交代が漸次行われた。1984年6月、マツダカレッジサウンドフェスティバル(MCSF)に出演。このとき見に来ていたソニー付けのプロデューサーである(尾崎豊などの担当でもあった)「サテュロス」丸沢和宏が聖飢魔IIを目に留め、CBSソニーのオーディションに誘っている。エース長官は第二期聖飢魔IIでは初代ドラマーからギタリストに転向して再参加、再脱退。1984年8月、エース長官再脱退後に一時期参加していたジャントニオババヤシの後続のギタリストとして、再々参加する1984年9月頃、CBSソニーのオーディションで決勝まで駒を進め特別賞を獲得。やがて地球デビューが決まる。1985年2月18日、王位継承ミサによりダミアン殿下脱退。後継ギタリストとしてガンダーラ・サンゲリア・チグリス・ユーフラテス金子が参加した。ジード飯島もこの時期に脱退し、後続のドラマーとしてジャギ古川が参加。ジャギ古川の在籍した3ヶ月ほどの期間が第3期聖飢魔IIとされる(1985年3月 - 1985年6月まで)。この時期地球デビューに向けたオーディションの結果、1985年6月にジェイル大橋代官とライデン湯沢殿下が加入した。この悪魔事異動により、地球デビュー構成員が固まる。これが第4期聖飢魔IIとされる。9月に地球デビュー大教典『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(発売)。『BURRN!』において同誌ディスクレビュー史上空前絶後の『0点』をつけられたことも話題になった。1986年4月、小教典『蝋人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。(蝋人形の「蝋」の字は正しくは蠟(U+881F)であるが、一部の日本語環境では表示できないため、以後本文中では基本的に「蝋」と表記する)『ザ・ベストテン』出演などで注目を集め、大教典はオリコンチャート5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。バンドのキャラクターグッズやゲームソフト『聖飢魔II 悪魔の逆襲』が発売されるほどだった。ちなみにファミコン版のBGMはオリジナル曲だが、MSX2版『聖飢魔IIスペシャル悪魔の逆襲』では「EL・DO・RA・DO」や「アダムの林檎」などの、聖飢魔IIの曲が採用されている。この大ブレイクを受け、聖飢魔IIは『夕やけニャンニャン』や『森田一義アワー 笑っていいとも!』などへの出演など、多くのレギュラー番組を持つようになった。1986年6月、ゾッド親分が演奏テクニックの不足を理由に脱退、ゾッド親分のベースの師でもあったテクニシャン・ゼノン石川和尚が加入する。この悪魔事異動により、第5期聖飢魔IIとなる。ゼノン和尚はフュージョン系バンドに所属していたため、聖飢魔IIから声がかかった時相当意外だったという。和尚加入の翌月、デーモン閣下が岡山・蒜山高原での野外ライブ中ステージ上のテントから飛び降りた際に足を骨折。いくつものミサ、テレビ出演が延期や中止となった。閣下は鳥取県米子市の病院に担ぎ込まれ足の手術(閣下は「改造手術」と呼んでいた)を受けた。この時閣下は悪魔の姿のまま病院に担ぎ込まれ、当時閣下を知らない一般人が多かったこともあって病院は騒然となったという。そんな中、第3大教典『地獄より愛をこめて』の制作がスタートする。前2作は聖飢魔II創始者であるダミアン浜田殿下作曲によるデビュー前の遺産を中心に収録されていたが、この教典の楽曲のほとんどはジェイル代官による作曲である。ジェイルは本作におけるコンポーザーとしての成果をステップとし、自らの原点であるハードなロックンロールでの全世界デビューを実現すべく1987年1月に聖飢魔IIを脱退。その後1995年、1999年の『ザ・サタン・オール・スターズ』、2005年ミサにゲスト参加している。1987年2月、デビュー前のギタリストオーディションでは、ジェイル代官とどちらを採用するか悩んだとされる、紫馬肥(むらさきうまごやし)のギタリスト、Sgt. ルーク篁III世参謀が加入。この悪魔事異動により聖飢魔IIは第6期を迎え、以後解散まで悪魔事異動は行われなかった。第6期聖飢魔IIの活動は1987年小教典「EL・DO・RA・DO」からスタートした。この曲は最後の最後まで聖飢魔IIの大黒柱的楽曲として機能していた。11月に発布した大教典『BIG TIME CHANGES』では、ルーク参謀の加入によるバンドの変化が如実に現れていた。エース長官とルーク参謀を中心に各構成員が作曲をするようになり、「ヘヴィメタル」とはジャンル分けし難い幅の広い音楽性を持つロックバンドとなっていった。再出発を果たした聖飢魔IIは、新規信者を獲得していくことを目指して、シンセサイザーを大胆に導入した小教典「STAINLESS NIGHT」を発布し、スマッシュヒットを記録する。1988年にはNHK登場も果たした。その後、プロデューサーにレベッカの土橋安騎夫を迎え、大教典『THE OUTER MISSION』の製作に着手し、これに先駆けて発布された「WINNER!」は自己最高の売り上げを記録した。年末に発布された『THE OUTER MISSION』は、オリコン7位を記録し、売り上げ面でも好調だった。1989年に入り、上半期は音楽活動をしていなかったが、8月に発布された小教典『白い奇蹟』は初のバラード小教典で、大ヒットを記録する。翌月発布された極悪集大成盤(いわゆるベストアルバム)『WORST』は、オリコン1位を記録した。これはヘヴィメタルを標榜するグループでは初めてである。また、年末には『第40回NHK紅白歌合戦』にも出演した。1990年、「白い奇蹟」に続きバラード小教典「BAD AGAIN 〜美しき反逆〜」を発布し、TV CMでも使われた。同年、アルバム『有害』をリリースする。バラードが2曲続いた反動でハードロック路線の教典となった。プロモーションビデオは香港で撮影された。宣伝ポスターはスラム的風景が広がる九龍城において撮影されたものが使用され、初期の悪魔的世界観への回帰を感じさせた。1991年夏、期間限定のバンド爆裂聖飢魔IIとしてシングル「夏休み」をリリースする。爆裂聖飢魔IIのメンバー名の頭には「爆裂」が付き、衣装は蛍光色を用いた派手なものだった。爆裂聖飢魔IIとして『ミュージックステーション』に出演した際にはデーモン閣下が「爆裂聖飢魔IIだ」を連呼し普段と違うことを強調した。結局、爆裂聖飢魔IIとしてのリリースはこの1枚だけだったが、デーモン閣下はこの時の衣装を解散後にもよく使用している。さらには、映画主題歌となった「赤い玉の伝説」をリリースし、ヒットを記録する。また同年、初の海外公演としてニューヨーク、ロンドン、セビリアにおいてもミサを行い、うちロンドンとスペイン公演は、活動絵巻教典(いわゆるVHS,DVD)『実録!欧州非常事態宣言』に、ロンドン公演だけは大教典『LIVE! BLACKMASS IN LONDON』に収められている。なお、MCや歌詞の一部は、現地の言葉による。このライブがきっかけで、アメリカのレーベルからオファーが来たが、そのプロダクションが倒産してしまったため、この話は流れた。この前後には、構成員全員が毎週レギュラー出演するラジオ番組『聖飢魔IIの電波帝国』の放送がスタートしている(文化放送制作)。この時期、聖飢魔IIの活動の合間を縫って全員がソロ活動を行い、それぞれCDも発表している(これらの活動に関してはデーモン小暮閣下、ACE、ルーク篁、RXを参照)。1992年、アニメビデオ『HUMANE SOCIETY 〜人類愛に満ちた社会〜』とそのテーマ曲「正義のために」を発布。また、悪魔的な世界観に回帰し、12曲中10曲で人が死ぬ大教典『恐怖のレストラン』を発布。「殺人教典」とも呼ばれ、あまりにも過激な内容のため、NHKから出演禁止処分を受けてしまう。ただし、これはアルバムの内容上、折り込み済みだったらしい。同年夏にはブラバムF1チームのスポンサーになった。これは同年途中より、同チームのドライバーに、閣下と同じ名前のイギリス人ドライバーのデーモン・ヒルが起用されたことが縁でスポンサーになったものである。しかし援助も空しく、ブラバムは資金難のため年度途中で撤退。マシンの開発資金も乏しく、予選突破も困難な体制で、閣下の絵が描かれたマシンが決勝レースを走ったのはわずか1レースだった。なお、デーモン・ヒルはその後ウィリアムズ・ルノーに移籍し1996年には見事、F1世界征服(チャンピオン)を果たした。ただし、ヒルのファースト・ネームのスペルはDamon(デイモンが近い)であり、悪魔を意味する閣下のDemon(ディーモンが近い)とは実際には意味も発音も異なる。両者とも日本語発音ではデーモンに変換されてしまう日本ならではのコラボレーションといえる。1993年には『ロックオペラ ハムレット』に出演。そのエンディングでは出演者一同、聖飢魔IIの「世界一のくちづけを」を演奏した。さらに、デーモン閣下のCM(フジカラー写ルンですやローソンなど)も好評を博した。1994年夏、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた大教典『PONK!!』を発布。プロデュースにはルーク参謀も加わっている。ポルカやフォークソングなど、それまでの聖飢魔IIにはない楽曲が収録されていた。このアルバム制作当時はディレクターの交代、デーモン閣下のスキャンダル報道など、バンドとしては非常に混沌とした時期だった。ソニーからのオリジナルアルバムのリリースは今作が最後となった。1995年には地球デビュー10周年記念として、過去の構成員であるダミアン浜田殿下、ジード飯島大将、ゾッド星島親分、ジェイル大橋代官が復活しミサツアー『THE SATAN ALL STARS』が行われた。この模様は活動絵巻教典『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』に収録されている。また、この頃に公式ウェブサイトを立ち上げており、デーモン閣下によると、日本で最初に公式ウェブサイトを立ち上げたアーティストが聖飢魔IIだという。1996年、BMGに移籍した聖飢魔IIは地球デビュー前の曲「野獣」に続き大教典『メフィストフェレスの肖像』を発布した。このアルバムでは離れていった信者を呼び戻すべく、旧構成員ダミアン殿下とジェイル代官の楽曲を収録している。「GREAT DEVOTION」や「HOLY BLOOD 〜闘いの血統〜」といった、解散時や再集結時にも演奏された曲も収録されている。それまでを考えれば非常に低予算での制作で、仮録音のはずのテイクが多数本番に使用される、ジャケットも音楽もシンプルなスタイルとなった。1997年、『NEWS』をリリース。悪魔云々というスタイルから脱却し、プログレッシブ・ロックにも通じる前衛性な手法も取り入れていた。なお、今作のブックレットと『PONK!!』のCDレーベル面には同じ人物の写真が使われているが、この人物については1999年12月31日のミサ中に明かされた。同年には所属事務所を吉本興業に移籍し、『THE BRAND NEW BLACKMASS TOUR』というライブハウスでのツアーを行い、周囲を驚かせた。1998年、解散を翌年に控えた聖飢魔IIはジョー・リノイエをプロデューサーに迎え『MOVE』をリリース。一般に聖飢魔IIというとイメージするようなヘヴィメタルの曲を一切含まない、ハードポップ的な教典である。また、この時期デーモン閣下は金色の長髪を逆立てず、オレンジ色の比較的短めのおかっぱ頭をしていた。また、この髪をオールバックにすることもあった。『ふるさと総世紀末計画』と題した全47都道府県に於けるツアー、および地方CM制作においての選曲は、この『MOVE』に収録されている曲が大半を占めた。1999年4月、地球デビュー当時からの予定通りに解散することを改めて発表した。4月にリメイク曲「蝋人形の館 '99」、5月に新録・新曲を含む本家極悪集大成盤『1999 BLACK LIST』、7月に新録を含む元祖極悪集大成盤『1999 BLOOD LIST』、11月にソロ活動のベスト盤『聖飢魔II 個悪魔活動大選抜』といったコンピレーション作品を多くリリースした。10月には最終大教典『LIVING LEGEND』をリリースし、最後のツアー「THE FINAL BLACKMASS TOUR LIVING LEGEND」を行った。また、最初で最後のディナーショー、『ONE NIGHT SPECIALバラードナイト地獄の晩餐』も行なった。1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホール(千葉県 浦安市)にて究極の黒ミサ『THE ULTIMATE BLACK MASS』が開かれた。3日間メニューが異なり、全部で68曲が演奏された(ちなみにダブリ曲は2曲である)。初日は演出に趣向を凝らし聖飢魔IIの歴史をシアトリカルに物語られる「THEATRICAL DAY」として日本舞踊家花柳鳴介と劇団☆新感線をゲストに迎えて行われた。二日目は「THE SATAN ALL STARS' DAY」として過去の構成員のうち2名を除く新旧構成員全13名でミサを行った(その2名はビデオメッセージで登場)。最終日は「THE DOOMSDAY」として、二幕構成による聖飢魔II史上最も多くの曲を演奏するミサが行われた。このミサの最後を飾った曲「EL. DORADO」を演奏し終わった後、1999年12月31日23時59分59秒、聖飢魔IIは光の中へ姿を消しデビューから約14年4か月の歴史にピリオドを打った。2005年に、地球デビュー20周年を記念して年内限定で再集結した。ちなみに、再集結の話は結成20周年となる2002年にもあったが流れ、2005年の再集結の発表は6月6日の悪魔の日に行われる予定だったが、スポーツ新聞のスクープにより6月2日になった。永続的な活動をするための「再結成」ではなく、あくまでも期間限定の「再集結」である。10月に着うたフルにて元メンバー6名が1曲ずつ持ちより配信小教典として新曲5曲を発表。これは2005年6月はじめの限定再集結発表の際には既にレコーディングされていたものである。デーモン閣下が同年3月から9月まで、全国放送ネットで『デーモン小暮 ニッポン全国 ラジベガス』という月-金曜日22時から24時まで放送の番組予定が入っており、咽の調子のために早めに録音されたからである。11月にNHK『ポップジャム』への出演(オンエアは12月2日、演奏曲は「創世紀」と「SAVE YOUR SOUL 〜美しきクリシェに背をむけて〜」)した後、『聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE LIMITED BLACK MASS TOUR D.C.7 恐怖の復活祭』(11月17日から12月26日までの11公演)と『聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE SPECIAL BLACK MASS オールスタンディング処刑(一部を除く)』(12月10日から17日までの4公演)の2つのツアーを行った("一部を除く"となっている理由は、ライブハウス会場によっては二階などに座席があるためである)。ミサ会場の規模は、解散後の各々の構成員のソロ活動においての動員人数を合計するなどして決められたが、いざ発売日となると予想を遥かに凌ぐ売れ行きになり、結局は全会場即日ソールド・アウトとなった。急遽アリーナ規模での大幅な追加公演が予定されたが、日程が差し迫っていたこともあり、ほとんどの会場は空きが無いという状態であり、やむなく追加公演は12月26日東京国際フォーラム ホールAのみとなった。案の定5,012枚のチケットは瞬く間に売り切れ、前列の方の席はネットオークションで28万円まで釣り上がった。復活祭の全日程には最終構成員および怪人マツザキ様に加え、ホール会場限定ではあるがジェイル代官も参加した。12月26日の追加公演にはゾッド親分も参加し、長年ミサで楽曲の一部が使用された縁で水前寺清子が迎えられた。また、デーモン閣下の目元が解散後の赤ではなく青に戻っていたことが信者を大いに喜ばせた。翌2006年4月29日25:20-26:00、『再集結聖飢魔II最後のミサ』がNHK総合テレビジョンにて放送された後、既に発売されていたDVD『オールスタンディング処刑 THE LIVE BLACK MASS D.C.7』が、各レコード店において売上ランキングの上位を記録。新たな信者を獲得した。再集結終了後は再び個々の活動に戻っていたが、地球征服10周年にあたる、2009年7月17日、聖飢魔II公式ウェブサイトにて、英語でのセルフカバーアルバム『AKUMA NATIVITY "SONGS OF THE SWORD"』が世界21カ国のiTunes Storeで7月15日より配信発布されることと、日本では9月16日にCDで発布されることが発表された。これは、世界的に活躍する静野孔文監督から欧米での発表を前提とするアニメーションでのコラボレーションの誘いを受けたのを機に制作されたもので、初回版にはその映像、通常版には新曲が収録されている。なお、エース清水(ACE)はface to aceの活動に集中するために聖飢魔IIの活動には参加しないことを自身のブログにて発表した。2010年3月15日、地球デビュー25周年を記念して年内限定の再集結と、9月から11月にかけての日本国内黒ミサツアー日程が発表された。まずA-Kon 21!(現地時間6月4日、アメリカ合衆国テキサス州ダラス)、JAPAN EXPO(7月4日、フランスパリ)、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』(8月13日、日本石狩)、『VIVA!Korea Rock Festival』(9月3日、韓国大明)と国内外のフェスに参加した。その後、『〜地球デビュー25周年記念・期間限定再集結〜 聖飢魔II ICBM (Inter Continental Black Mass) TOUR』をスタートさせた。なお、当初発表されたのは9月18日の川口リリアホール公演から11月14日の中野サンプラザ公演までであったが、後に追加公演として12月11日・12日の東京国際フォーラム公演が発表された。最終日の12日には爆風スランプの一日限りの再結成コンサートが東京国際フォーラムCであり、ファンキー末吉からゼノン石川に「デーモン閣下出てくれないかな」と打診があった。デーモン閣下は断ったが、爆風スランプの開演前のMCをデーモン閣下が行う、爆風スランプのチケットを持っていれば聖飢魔IIのグッズ売り場まで通してくれるなどの計らいが行われていた。これらの活動は2011年3月から4月にかけてCDやDVDとして発布された。2011年7月から9月にかけて、前年の再集結ツアーの模様を上映した『聖飢魔Ⅱ ICBM TOUR ENCORE "3D映像(MOTION PICTURE)ライヴ"』ツアー(フィルムコンサート)が行われた。(7ヶ所11公演)ここでは3D映像とサウンドで大黒ミサが再現された。収益金は全額東日本大震災の義援金として寄付された。また、8月14日のZepp Sendai昼の部は東北のファンに少しでも楽しんでもらおうという意図により無料で開催された。11月30日と12月1日にチャリティーミサ(ライヴ)『聖飢魔II Presents「Tribute to JAPAN」』が両国国技館で開催された。ミサには聖飢魔IIに賛同する日本のアーティスト達が結集して、今回特別に再集結した聖飢魔IIと共に出演する。本イベントの収益は「吉本興業(株)【よしもとあおぞら花月】」を通じ、日本赤十字社に寄付された。(11月30日出演ゲスト:NOKKO、cali≠gari、MAN WITH A MISSION、12月1日出演ゲスト:氣志團、jealkb、ROOKiEZ is PUNK'D)2013年、聖飢魔IIとしての活動は無いが、ソニー時代の大教典9作が7月から段階的にBlu-spec CD2でリリースされ、またiTunes Store、mora等での配信も開始された。2015年8月から2016年1月にかけて、夏フェスへの参加と2種類の大黒ミサツアーを開催。また、30年間の活動を網羅した極悪集大成盤『XXX -THE ULTIMATE WORST-』と、BMG時代のオリジナル大教典4タイトルのリマスター版をBlu-spec CD2仕様で、更に12月29日には、長らく入手困難な状態であった活動絵巻経典『THE ULTIMATE BLACK MASS (COMPLETE)』を、Blu-ray仕様で再発布。2016年2月20日、日本武道館で行われたデビュー30周年記念ツアーの千秋楽公演をもって、前年8月からの期間限定再集結を締めくくった。上記の内、「魔界〜」という肩書きは2009年以降のもので、それ以前は「地獄〜」となっていた。エース長官のみ旧来通り「地獄〜」のままになっている。"聖飢魔IIの教典一覧参照"聖飢魔IIの悪魔用語一覧参照" "75096

出典:wikipedia

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