ムーミン(、、)は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの『ムーミン・シリーズ』と呼ばれる一連の小説と絵本、および末弟ラルス・ヤンソンと共に描いた『ムーミン漫画(コミックス)』作品の総称、あるいはそれらとそれらを原作とする二次著作作品の総称。または、同作品に登場する架空の生物の種族名であり、同時に主人公(主要な登場生物)の名前でもある「ムーミントロール」の略称あるいは愛称。(次弟のペル・ウーロフ・ヤンソンもトーベと写真絵本を製作している。)トロールは北欧の民間伝承に登場する、広い意味での妖精の一種である。地域や時代によって巨人だったり小人だったりさまざまなバリエーションがあるが、人間によく似ていながら耳や鼻が大きく醜い外見を持つというイメージが共通している。しかしムーミンの物語に登場するトロールは、名前こそ借りているもののこれとは異なる、トーベ・ヤンソンが独自に創造した架空のいきものである。人型の登場人物も人間ではなく、同様に架空のいきものの一種である。第一作である「大きな洪水と小さなトロール」では、こうしたトロールたちは人間と同じ世界で共存しているが人間には察知されない存在として描かれた。昔はタイルストーブの裏に隠れて住んでいたという記述があり、その大きさは人間よりも遥かに小さいものと設定されていたことが伺える。しかし、巻を進めるに連れ登場人物たちは擬人化の度合いを強めていき、彼らに見合った大きさの新聞を読んだり、切手を集めたりといった描写が現れる(すなわち、トロールたちはこれらを発行するだけの独自の文明社会を築いていると言うことになる)。こうした流れはコミックスにおいて更に顕著になる。映画化もされたコミックスの一エピソード「南の島へくりだそう」では、ムーミンらが訪れたリゾートホテルの宿泊客(映画スターや貴族を含む)も、従業員も全員トロールである。ここに至ってはその世界観は、人間に代わりトロールたちが暮らす架空世界と考えるほかない。このようにムーミンシリーズは、トールキンの「指輪物語」を典型とする、あらかじめ綿密に設定された世界観に従い、その世界そのものを描き出そうとするタイプのファンタジーでは全くないということができる。ムーミンの世界観は時代により作品により媒体により、良く言えば自由に柔軟に、悪く言えば一貫性無く適当に変化しており、Wikipediaのようなトリビアルな追求の対象にはそもそもそぐわないものである。ムーミントロールたちは、フィンランドのどこかにあるとされる妖精たちの住む谷・ムーミン谷(スウェーデン語:)に住んでいるとされる。ムーミン谷には、東に「おさびし山」がそびえ、その麓から川が流れている。その川にはムーミンパパの作った橋がかかっていて、その橋の先にムーミン屋敷がある。ムーミン屋敷の北側には、ライラックの茂みがある。西は海に面しており、桟橋の先には水浴び小屋がある。作者のトーベ・ヤンソンは画家でもあり、ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にもたびたび描かれていた。小説として初めて登場するのは1945年にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになる。造形的には、トーベが10代の頃、次弟ペル・ウーロフ・ヤンソンとの口ゲンカに負けたときに、トイレの壁に悔し紛れに描いた『SNORK(スノーク、とても醜い生き物)』として描いたものが、ムーミントロールのルーツであるとされる。ネーミングは叔父の家へ下宿をし学校へ通っている時代、勉強の合間に冷蔵庫から食べ物を失敬しては夜食にしていたのだが、あるときに叔父から注意され「この裏にはムゥーミントロールというお化けがいるからつまみ食いはやめなさい。首筋に冷たい息を吹きかけてくるぞ。」と言われたことがきっかけである。小説は子供向けの作品の体裁をとっているが、その内容は必ずしも子供向けではない。第二次大戦の戦中・戦後に執筆された初期の作品には、洪水や彗星の襲来など自然災害が繰り返し描かれる。新聞連載漫画の大成功によってもたらされた「ムーミンブーム」にほとほと疲れ果てた頃に書かれた第6作『ムーミン谷の冬』を契機として、後期の作品はよりはっきりと内観的であり、おとぎ話の体裁をとった純文学といってよい内容を備えている。1953年からイギリスの大衆紙「イブニング・ニューズ」() にムーミントロールの漫画が週に6日掲載された。トーベ・ヤンソンが漫画を描きスウェーデン語のセリフをコマに書くと、語学が堪能な末弟のラルス・ヤンソンがセリフを英語に翻訳した原稿が印刷に回る。途中ラルスが作品のアイディア自体を提供する時期を経て、1960年からは直接絵も描くようになり、完全にコミックの仕事はラルスの担当となり、1975年まで合計73作品が連載された。うち21作はトーベの絵である。小説作品は長編・短編集あわせて9作品が刊行されている。ムーミンの原作はスウェーデン語で書かれた。以下、日本語題名は講談社の全集による。トーベ・ヤンソンは1945年にムーミントロールを主役にした小説第1作『小さなトロールと大きな洪水』を出版。1952年に第3作『楽しいムーミン一家』の英語版が出ると、当時世界最大の発行部数を誇ったイギリスの夕刊紙「イブニングニュース」から、ムーミンを主役に新聞漫画を描いてみないかと申し入れを受ける。こうしてコミック版ムーミンは1953年から1975年まで日曜日を除く週6日掲載され、たちまち大人気となり世界各国に配信されて愛されるようになる。(ちなみにこの時配信を請け負ったのがスウェーデンのBulls Press社で、同社は今日もムーミンの総ての権利の総代理店である。)日本語版は全73作品から数編を選んで、まず1969年から1970年に講談社から『ムーミンまんがシリーズ』として、1991年から1993年に福武書店(現ベネッセ)から絵本『ムーミンの冒険日記』として、2000年から2001年に筑摩書房から『ムーミンコミックス』として刊行された。講談社版『ムーミンまんがシリーズ』(訳者不明、草森紳一解説)はトーベとラルスの作品29作を収録している。※ スノークのお嬢さんは、アニメーション『ムーミン』での音響監督、田代敦巳の名づけたノンノンと訳されている。※ 共同執筆者の弟ラルス・ヤンソンの絵である作品も掲載されているが、ラルス・ヤンソンの名前は記載されていない。※ 作品の枠の一部に2人が書いたサインは消されている。日本向けに左右反転されており右開きになっている。セリフは縦書きに変更されている。福武書店版『ムーミンの冒険日記』(野中しぎ訳)はトーベの作品10作を収録している。※ スノークのお嬢さんは、訳者がテレスクリーンでプロデューサーとして係わったアニメーション『楽しいムーミン一家』と同じくフローレンと訳された。※ ラルスの作品は扱われなかったにも関わらず、執筆者紹介は姉弟仲良く写真付きで掲載されている。※ 『楽しいムーミン一家』でのラルスの名前は愛称の"ラッセ"として表示されたが、当作品では本名のラルスになっている。筑摩書房版『ムーミンコミックス』(冨原眞弓訳)はトーベとラルスの作品42作と漫画の元となったトーベの作品1作を収録している。他2社と違いスウェーデン語版を基にしている。スノークのお嬢さんはスノークの女の子と訳されている。※ 10『春の気分』に収録された「南の島へくりだそう」は、後述する『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』の原作。1969年(昭和44年)10月5日 - 1970年(昭和45年)12月27日、フジテレビ系列にて放送。企画製作は瑞鷹エンタープライズ。アニメーション制作は第1話 - 第26話まで東京ムービー(Aプロダクション)。キャラクターデザインは大塚康生であったために、大塚ムーミンとして親しまれてきた。第27話以降最終回迄は、東京ムービーが降板したために、間を措かずに虫プロダクションへと交代した。なお制作会社の交代については、トーベ・ヤンソンのクレームのため、あるいは赤字を垂れ流す番組を切り捨てるためともいわれるが、演出を務めた大隅正秋によれば、大隅や大塚らの制作チームははじめから26話までの約束で参加した(その後には「ルパン三世」の制作が控えていた)のであり、ヤンソンからのクレームは体の良い表向きの理由として誇張して喧伝されたのだという。放送時間帯は日曜日19時30分 - 20時00分の30分番組であった。「カルピスまんが劇場」の第2作である。1972年(昭和47年)1月9日 - 同年12月31日、フジテレビ系列にて毎週日曜日の19:30〜20:00に放送。企画製作は瑞鷹エンタープライズ。アニメーション制作は虫プロダクション。番組表によっては「新ムーミン」と表記されることもあった。ズイヨー(瑞鷹)は本放送終了後も1989年頃まで、1969年版とともに再放送やVHSソフト、レーザーディスクソフトへの作品配給や、キャラクターグッズの発売許諾を行っていた(この時期の商品には著作権表示が©瑞鷹または©ZUIYOとなっているものがある)が、1990年から正規の許諾のもとで「楽しいムーミン一家」の放送が開始されるにあたり、ムーミンキャラクターズ社(ヤンソン姉弟が設立したムーミンの著作権管理会社。現在の代表はラルスの娘ソフィア=ヤンソンである。)の指示により全て中止された。以来ズイヨー作品の再放送・配信・パッケージソフト化は正規の形では一切行われていない。1990年(平成2年)4月12日 - 1991年(平成3年)10月3日テレビ東京系列にて放送。製作はテレスクリーン。ヤンソン姉弟の監修のもと、プロデューサーであるデニス・リブソンらフィンランドスタッフが参加。名倉靖博がトーベの原作を基にキャラクターデザインを行った。制作協力はテレイメージ(現: ワコープロ)、ビジュアル80。1991年(平成3年)10月10日 - 1992年(平成4年)3月26日、テレビ東京系列にて放送。『楽しいムーミン一家』の第2シリーズとして、休止期間を挟まずに放送された。こちらにはオープニングには登場するスノークが全く出なくなり、白鳥英美子のナレーションもなくなった。原作は主にコミックスから採られている。1979年にトーベ・ヤンソン監修のもとポーランドで作られたテレビ放映用ストップモーションアニメーション。全78話。日本では1969年版と1972年版の日本製TVアニメーションでムーミンの声を演じた女優岸田今日子が一人で全てのキャラクターの吹き替えを演じ、1990年よりNHK BS2「衛星アニメ劇場」枠で放送された。その後2003年にプチグラパブリッシング配給により36話が劇場公開され、同年アスミックからDVD-BOXも発売された。1979年にポーランドで作られたムーミン・パペット・アニメーションの、フィンランド本国によるデジタルリマスター版。日本では新たに段田安則と松たか子の二人が全キャラクターを演じ分ける形で再吹き替えが行われ、2012年3月24日~2013年3月26日にNHK BSプレミアムにて放送された。後にNHKエンタープライズによりDVDも発売された。1992年8月8日に松竹の配給で公開。上映時間: 62分、製作国: 日本2008年にムーミン・パペット・アニメーションのデジタルリマスター版の一部を劇場版として再編集したもの。日本ではアスミック・エース配給により2009年に公開。ナレーションを小泉今日子が務めた。角川エンタテインメントからDVDが発売された。「ムーミン パペットアニメーション」(デジタルリマスター版)から、小説「ムーミン谷の彗星」を原作とするエピソードを抜き出し、劇場用長編アニメーションとして2010年に制作された。主題歌をビョークが歌い、声の出演はマッツ・ミケルセンやアレクサンダー・スカルスガルドなど担当するなど、宛ら北欧映画関係者大集合の配役になっている。日本では2015年にチャイルドフィルムの配給によって公開された。ビクターエンタテインメントからDVDが発売されている。2015年(平成27年)2月13日に公開。製作国: フィンランド・フランストーベ・ヤンソン生誕100周年を記念し、初めて母国フィンランドで製作された長編アニメーション作品(フランスとの共同制作)。監督はグサヴィエ・ピカルドと、ハンナ・ヘミラが担当。日本では2015年2月15日から公開。吹き替えは1990年テレビ東京で放送された『楽しいムーミン一家』の出演者が担当している。ムーミンワールド()はフィンランド西スオミ州南西スオミ県トゥルクに近いカイロ島のナーンタリにあるムーミンに関するテーマパークである。フィンランド以外では初めての「ムーミン」のテーマパークとして、埼玉県飯能市に「Metsä(メッツア)」("ä"はウムラウトのついた"a")が2017年にもオープンすることが、2015年6月30日に発表された。「メッツア(metsä)」はフィンランド語で“森”という意味。宮沢湖の周辺の約18万7000平方メートル(東京ドーム4個分)の用地に展開され、有料の「ムーミンゾーン」と無料の「パブリックゾーン」が設けられる。メッツアを参照。
出典:wikipedia
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