民族主義(みんぞくしゅぎ、エスニシズム、、エスニズム、)は、自らの民族を政治・経済・文化などの主体と考え、価値観の至上とする思想や運動。エスニック・ナショナリズム()とも言う。国家主義・愛郷主義・地域主義とは相互に関連するが、同一の概念ではないことに注意。一般に誤認されがちだが、本来の民族主義は国家ではなく民族を中心に考える思想である。国家主義と結び付くのは民族主義の理念から民族を政治的に一つにしようとする運動が起こりやすいからで、逆にアメリカやユーゴスラビアのように国家を多民族によって形成する国では、あるいはオーストリアやスイスのように、隣の大国(ドイツ)と多数派の民族が共通する小国の場合は、むしろ各民族主義と国家主義は対立する。特定の民族を優遇する多民族国家(フランコ政権下のスペイン、ブミプトラ政策が敷かれたマレーシアなど)の場合は、その優遇された民族の民族主義を支持基盤にするが、当然弾圧・冷遇される側の民族主義とは対立する。愛国心よりはむしろ郷土愛(愛郷主義)との親和性が強いとも言われる。一方、英語では愛国主義と民族主義は Nationalism と表記され単語としての違いはない。世界的にみても、20世紀に民族自決の原則が唱えられてから、この二つの言葉の意味の違いは減少する方向にある。複数の民族で成り立っている国家が複数民族の権利を主張する場合にエスニシティーと呼ばれる。しかし国内に多民族を内包する国は依然として多く、各地で少数派民族の独立運動が激化している。特に冷戦終結以降の欧州では地域主義の推進などで、より小さな民族集団に分かれて争う傾向が深まっている。マイノリティによる民族主義は、少数民族・先住民族が自らの言語・文化・宗教などの維持存続を求め、民族自決の主張をともなうこともあるが、分離主義など、戦争・紛争の要因になり得る。特定民族による国家の形成・純化・拡大を主張し、対外的に自民族との差異と優越性を主張することがある。大国にあっては近隣諸国の自民族居住地域などの併合、少数民族にあっては分離独立や他民族の追放などを主張し、しばしば戦争や紛争が生じる。自民族居住地域が近隣にない場合も、領土を併合する前や後において、被支配民族との近縁性・一体性(日鮮同祖論など)を強調することで正当性を主張する場合もある。これらは国家主義に民族主義を接合する動きと言える。ナポレオン戦争によるフランスの支配下、こうした概念に触れたヨーロッパの各国民は民族主義を高揚させた。アジアにおいては、日露戦争が同様の役割を果たしており、日本への期待を生んだ。第二次世界大戦後には、多くのアジア・アフリカの国家が民族主義を高揚させて独立を果たした。日本では水戸学・国学の影響を受けた尊王攘夷運動として現れ、明治維新の原動力となった。しかし、近代日本においては、民族主義と国家主義との違いが意識されることは少なかった。日本の民族主義とアジア諸民族の民族主義との連携を模索するアジア主義のような動きはあったものの、帝国主義の時代にあって、日本の民族主義は国家主義に飲み込まれていく。日清戦争・日露戦争後の大日本帝国は、朝鮮・台湾などを領土に加えて多民族帝国を志向し、日本の国家主義は「八紘一宇」を掲げる大東亜共栄圏建設を目指した大東亜戦争(太平洋戦争)でピークに達する。敗戦後、その反省から戦前的な(右派的・国家主義的な)民族主義への抵抗感が強まった一方、反米を掲げる左派的な民族主義が高揚する。左派的な立場からの民族主義は、沖縄返還の原動力となったほか、(列強からの自立を目指す)アジア・アフリカの民族主義には情緒的な共感が寄せられ、ベトナム戦争反対などの反戦運動とも結びつくと同時に、共産主義と結びつく勢力の介入により、国家と民族の分離に利用される一面も持っていた。1960年代には左翼系学生運動に対する対抗として民族派学生組織の運動が活性化する。彼らは親米・反共に傾き民族主義をないがしろにした戦後右翼団体への反発から民族主義への回帰を指向し、新右翼(民族派)の源流となった。
出典:wikipedia
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