福島藩(ふくしまはん)は、陸奥国南部(岩代国信夫郡)、現在の福島県福島市にあった藩である。居城は福島城。藩主は本多氏、堀田氏、板倉氏の3氏で、いずれも譜代大名であった。福島城下天領20万石を経て、1679年(延宝7年)に本多忠国が大和郡山から福島15万石で入封し福島藩を立藩する。しかし3年後の1682年(慶長3年)には再び天領となる。1686年(貞享3年)から1700年(元禄13年)にかけて堀田氏10万石で入封、藩主を2代務める。1700年(元禄13年)から板倉氏入封までの2年間天領となる。1702年(元禄15年)には板倉氏3万石が封じられた。1868年(明治元年)最後の12代藩主板倉勝達は奥羽列藩同盟に与したため、三河重原に移封されて廃藩置県に至った。(大和郡山藩より)(播磨姫路藩へ)(出羽山形藩より)(出羽山形藩へ)(信濃坂木藩より)各家とも福島藩主時代には支藩の創設は無し。本多氏には、大和郡山藩主時代に分封した播磨山崎藩、陸奥岩瀬藩が存在した。このうち、福島県須賀川市に陣屋を置いた岩瀬藩主の本多出雲守政利は、天和2年(1682年)まで播磨明石藩主であったが不行跡により岩瀬に減転封された。その後、行跡を改めず乱行を続けたとして、元禄6年(1693年)に改易となった。1884年(明治17年)、福島県庁を福島町から中通り中部へ移転させるという動きが起きた際に、その反対運動の先頭役である初代福島町長の鐸木三郎兵衛を熱心に支援したのが、最後の福島藩主板倉勝達子爵であった。板倉元藩主を含めた有力者の支援もあり県庁移転運動が封じられ、福島県庁移転を阻止に尽力した。現在、重昌系板倉家の祖である板倉重昌を崇神している板倉神社が福島城跡敷地内に所在する。9月上旬に執り行われる板倉神社例大祭において、福島藩主の子孫にあたる板倉家当主など関係者が出席。板倉神社の修営にも携わっているなど、継続して福島市との関わりを持ち続けている。
出典:wikipedia
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