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大連市

大連市(だいれんし、中国語:大连市、英語:Dalian / Dairen City、旧名:ダルニー市、英語:Dalniy City)は、中華人民共和国遼寧省の南部に位置する地級市(地区クラスの市)。経済的重要性から省クラスの自主権をもつ副省級市にも指定されている。大連市総人口は約600万人超(市区人口は211万、都市的地域の人口は325万人)であり、遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。大連市はアジア大陸の東海岸に位置し、中国東北遼東半島の最南端にあり、東経120度58分〜123度31分、北緯38度43分〜40度10分に跨り、この緯度付近には日本の仙台市、アメリカ合衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市がある。東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。大連は東北、華北、華東地域が世界各地と繋がる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市である。大連市の総面積は12,574平方キロであり、うち旧市街区の面積は2,415平方キロである。山地や丘陵が多く、平野や低地が少なく、地形は北から南へ傾き、北は広く、南は狭くなっている。地勢は中央から南東と北西部にある黄海と渤海へ傾き、黄海への斜面は長く緩やかである。長白山のある千山山脈は旧市街区を貫いており、地形の殆どは山地や緩やかな低い丘陵であり、平野と低地は河川の水が海へ流れ込むところ及び山裾の谷地に点在するだけで、至るところでカルスト地形が目に付き、カルスト地形と海食地形が比較的に多い。大連地区には主な水系として黄海と渤海の2つがある。碧流河、英那河、庄河、賛子河、大沙河、登沙河、清河、馬欄河などの大きな河川は黄海に流れ込み、渤海に注入する主な河川は復州河、李官村河、三十里堡河などである。そのうち、最も長い川は碧流河で、大連市街区の水源河となっている。また、200本余りの小さな河川もある。大連市は北半球の温暖地帯-ユーラシア大陸の東海岸にあり、気候は海洋性の特徴も兼ね備える暖温帯大陸性モンスーン気候に属し、冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしている。年間平均気温は10.5℃、年間降水量は550〜950mm、日照時間は2500〜2800時間である。魏晋の時代には三山と呼ばれ、唐代には三山浦、明清時代には三山海口、青泥洼口と称した。1880年代に清朝が大連湾北岸に砲台を築き、都市が形成され始めた。日清戦争後の1898年、三国干渉の代償として、清から関東州(大連、旅順など)を租借したロシアが、東清鉄道の終着駅を設け「ダルニー」(; 「遠い」)と名づけた。旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりが始まった。しかし、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。これはロシア名のダルニーと発音が似ていることにもよる。ロシアの租借地時代は、現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態であった。日本は、大連を貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させ、道路のアスファルト舗装や、レンガなど不燃建築物が立ち並ぶ町並みができあがる。日本の租借地時代の昭和初期には現在の大連駅とその駅前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になる。また、埠頭・防波堤等の築港工事を進めたことから、1930年代には大連港が満州国貿易総額の約75%を担う貿易港ともなった。この時代の大連に関しては清岡卓行の芥川賞を受賞した『アカシヤの大連』をはじめとする一連の作品群、鮎川哲也の「ペトロフ事件」などにおいて描かれていることでも有名である。また、司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、日露戦争時代の大連・旅順が舞台である。『坂の上の雲』は、NHKのスペシャル大河ドラマにもなり、大連や旅順でロケを行った。第2次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約破棄によりソ連赤軍が対日参戦。このときにソ連は大連を占拠した。同年9月に戦争終結後も、同年8月に結ばれた中ソ友好同盟条約に基づきソ連は大連港を旅順港や南満州鉄道と共に引き続き管理下においた。このために、国共内戦下でも国民党側の支配下に入ることはなかった。中華人民共和国に返還されるのは1951年のことである。1951年に旅順市を合併し、旅大と改称したが、1981年に元の大連に名前を戻している。1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げている。遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。大連市政府は、中山路の人民広場の北側の主要ビル(もとの関東州庁)および市内各地のビルにある。その組織には、商業局、外国経済貿易局、衛生局、情報(信息)産業局、警察(公安)、宗教、科学技術局などがあり、区レベルの該当部署とも連絡を取りながら事務を司る。大連市の最近の産業政策としては、2003年に「大・大連計画」を発表し、4つの基地(石油化学工業、造船工業、現代設備製造工業、電子産業基地)と1つの中心(航運中心=物流センター)になるように努めていて、2004年には「旅順南路ソフトウェア産業地帯」を発表し、大連ソフトウェアパーク第2期などを進めている。また渤海に浮かぶ中国北部で最大の島といわれる長興島の開発も進めている。大連市は以下の7区、2市、1県から構成されている。旧来からの大連にあるのが、中山、西崗、沙河口、甘井子の4区であり、俗に「市内4区」と呼ばれている。中山区は大連駅から東側の旧市街で、中山広場、大連港などがある。西崗区は駅の西側の旧市街で、市政府(=市役所、旧関東州庁)等がある。沙河口区と甘井子区はもともと住宅地区であったが、大連周水子国際空港、大連高新技術産業園区、大連ソフトウェアパークもあり、近年商業化・市街化が進んでいる。北郊外の金州区(開発区・保税区を含む)と西郊外の旅順口区は、それぞれ金州駅・開発区金馬路と軍港近くの市街区域以外はほぼ農村・漁村で、そこへ大学・工場が建設されている。普蘭店区、瓦房店市、庄河市の北方2市は普蘭店駅、瓦房店駅、庄河市街区を除いてはほぼ農村・漁村であるが、工場の進出も始まっている。長海県は黄海に浮かぶ諸島で大連港と皮口からフェリーが運行している。また2008年度より大連周水子空港より飛行機にて行く事も可能となった。上記の通り、大連広域市は区・市・離島を含む行政区域の構成をしており、広域市全体の人口は600万弱。また、戦前の日本租借地(関東州)は、現在の大連広域市の南半分で(ほぼ普蘭店駅と皮口を結ぶ線の南側)、現在のほぼ7区の範囲に当たり、北方2市は満州国に属していた。なお、経済発展の牽引が目的で功能区が設けられている。李万才の時期、大連は毎年火事があるため、李万才が辞任した。大連はもともとは農業・漁業が主体の土地であって、いまも農業ではトウモロコシ、野菜、リンゴ・サクランボ・モモなどの果物の栽培が盛んである。漁業は特に盛んで、現在は各種の海水魚の捕獲、コンブ・ワカメ・帆立貝・ウニなどの養殖が行われ、日本・韓国への輸出も多い。大連は日本統治時代から造船(大連汽船)、鉄道車両の製造(南満州鉄道の沙河口工場)などが存在したが、戦後、重・軽工業、化学工業も盛んになった。貿易港として発展した経緯から、流通業も盛んで、中国の主要流通業者の支店がある。大連は中国第3の港湾都市で、大連港は中国東北地方の代表的な港で、中国最大の石油輸入港でもある。過去には世界銀行の援助も受けながら整備が進んできた。2003年の輸出総額95.3億米ドル、輸入総額77.7億米ドルであった。2005年北郊外の大孤山半島で最新港(おもに鉱石・石油の輸出入)の使用も始まっている。東北地方への鉄道の出発点である大連駅、大連国際空港、高速道路網と相まって、大連は巨大な流通センターとなっている。1978年に始まった改革開放政策の一環として、1984年に北郊外の金州区の東半分が「大連経済技術開発区」に指定されている。詳しくは、「大連経済技術開発区」のページを参照。外国企業、特に日本企業の進出が著しい。三菱電機、東芝、三洋電機、日本電産、CANON、マブチモーター、三島食品、アイリスオーヤマ、TOSTEM、OMRON、ローム、富士ファイン、池宮印刷、大連フレッシュ食品、サンケン、日本微型電機、原田工業、北興ハーネス、北村閥門、スター精密、大連大陽日酸気体、富士電機、山営化成、岩谷産業、YKK、YKK AP、セイコー、TOTO、一広タオル、三井森包装、三洋制冷、コニカミノルタ、光洋精工、日本電産、大連三協、旭計器、富士塑料、紀伊塑料、大連富士発英、グンゼ、親和測定、大連中村精密、TDK、リョービ、大連三越精密部品、大連藤洋鋼材、出光、栗田工業、最上世紀、ミツバ(旧:自動車電機工業)、日清製油、クリエートメディック、JMS、KISCOなど。その他多数が進出してる。次いで韓国企業、欧米企業(ファイザーなど)の進出が著しい。INTELは、2010年10月26日から、中国で初めての大規模半導体工場を双D港(DDポート)地区で操業を開始した。その他、米国や日本のIBM、DELL、Hewlett-Packard、ORACLE、PANASONIC、SONY、NECなどのIT業務については、下記の「情報産業」を参照のこと。大連には中国の5大銀行(中国銀行、中国建設銀行、中国工商銀行、中国農業銀行、中国交通銀行)の他に、中国招商銀行、中国光大銀行、中国民生銀行、中国中信銀行などの支店(支行・分行)がある。2007年に大連市商業銀行は、大連銀行と改名され、公共交通機関用の明珠ICカードの販売など市と密接した業務なども扱っている。日系の銀行は、三菱東京UFJ銀行、みずほコーポレート銀行、山口銀行、山陰合同銀行、北洋銀行などがある。その他の外資系の銀行は、Citibank(中国語名は花旗銀行)、HSBC(中国語名は匯豊銀行)、スタンダードチャータード銀行(中国語名は渣打銀行)、東亜銀行(BEA)、南洋商業銀行()などの支店もある。日本の損保ジャパン(中国語名は日本財産保険)の中国本部も大連にある。大連商品交易所は中国で唯一の商品先物市場で、大豆などの穀物から他の商品へ拡大中であり、金融業界のオペレーションを集めて、星海広場の北側に大連金融街の建設が始まっている。大連市は1990年代からIT産業育成に力を入れており、西郊の大連ハイテクゾーン(大連高新技術産業園区)と 大連ソフトウェアパーク(大連軟件園)に集中している。華信グループ、海輝グループ、東軟グループなど中国のIT企業の開発拠点があるだけでなく、世界のソフトウェア開発・情報サービス(データ入力・コールセンター・業務引き受けなど)関係の企業も多く進出してる。日系企業の代表は、PANASONIC、SONY、NECなどがある。その他の外資系企業では、IBM、DELL、Hewlett-Packard、ORACLE、CSK、ALPINE、OMRON、Trial Company、NHST(NHNの子会社)、SAP AG、Genpact、MPGその他多数が進出している。現在、進出してる日系の商業施設としては、SOGO(久光百貨)大連店、マイカルは大連内に複数ある。以前は、三越大連店も存在した。その他、市内には欧米の商業店であるIKEA、メトロ、デカトロン、ウォルマート、カルフールなどもある。また、欧米の高級ブランド(LOUIS VUITTON、CHANEL、COACHなど)だけが入ってる商業施設もある。市内、市郊外に万達広場などの近代的なショッピングセンターの建設も盛んである。日系商社の三井物産や丸紅は、領事館と同じビルに支店を構えている。星海広場にある大連現代博物館には、大連の代表的企業の展示が年中を通して開催される。主な展示会として、中国国際ソフトウェア・情報サービス交易会、大連国際ビール祭り、大連国際オートショー、大連国際ファッション祭りが開催される。毎年1月にスイス・ダボスで開かれる世界経済フォーラム(別名、ダボス会議)の新興国・新興企業版「夏季ダボス会議 Summer Davos」(中国語で、夏季達沃斯)の第1回会議が、大連で2007年9月6〜8日に開催された。2008年の第2回、2010年の第4回は天津市で行われたが、2009年の第3回は9月10〜12日に再び大連で開催され、2011年の第5回も9月12日〜14日に大連で開催する。また2009年11月1〜3日には、言論エヌピーオーが主催の第5回東京フォーラム北京フォーラムが開催された。過去4回は北京、東京という日中の首都都市で行われた会議であるが、初めて首都以外での同会議開催となった。大連には次のような高等教育機関、学校、研究所がある。 大連発行の新聞には、大連日報、半島晨報、大連晩報、新商報といういずれも朝刊紙がある。2008年7月28日から日売り価格が0.5元からそれぞれ1元に値上げされた。テレビは大連テレビ があり、現在8チャンネルを有している。テレビ番組の配信はすべてケーブル(有線)で行われている。大連天途有線電視会社へ月額料金(現在20元)を支払うと、北京からの中国中央テレビ (CCTV)や各省の代表局などを受信できる。大連テレビ局でパスポートを見せて許可を得て、デコーダー(頂盒)を買った上、天途へ追加月額料金(100元)を支払うと、外国のテレビ局(日本放送協会(NHK)、英国放送協会(BBC)、CNN、韓国放送公社(KBS)など)の海外ケーブル配信業者向け放送を視聴することができる。大連テレビの番組は、ケーブルを通すと、中国全土で視聴可能となる。(大連天途有線電視網路)が視聴可能。大連人民広播電台(大連ラジオ)はインターネットで7チャンネルをストリーミング聴取可。毎月1日頃を中心に、ホテル・日本食レストランなどで、無料で入手できる。「Concierge大連」、「Whenever大連」、「iD」、「LOOK大連」、「ビプレ」、「大連散歩」などである。日本は大連に、在瀋陽日本国総領事館在大連領事事務所 がある。東北地区では瀋陽に、日本も、韓国 も、米国 も、総領事館を置いている。経済関係ではJETRO 大連事務所もあり、日中企業の経済活動をサポートしている。その他各県の出先機関がある。民間では、大連日本商工会 が組織されていて、700社余りの会員をかかえている。戦前大連に住んでいた人々の「大連会」も活発に活動している。現在の大連在住者間では、大連リラの会(奨学金援助)、大連山の会、大連留学生社団など、沢山の日中友好の会がある。遼寧芸術団、大連歌舞団等の歌舞団の他、時々国内・国外の楽団、演奏家、声楽家の演奏会が中山広場に面した大連人民文化クラブで行われている。京劇のファンも多く、これは勝利路の大連京劇団麒麟舞台(もと東本願寺大連別院)で行われてきたが、宏済大舞台(もと天福茶園)が2012年に再建されて、おもに毎土曜日午後にそこで行われている。 「東北地方の子守歌」はもともと大連市の民謡であった。参加するスポーツとして、バスケットボール、サッカー、卓球、水泳、チェンツ(羽子板遊びの羽を蹴鞠のようにして蹴る遊び)、陸上競技などが盛んで、大学生だけでなく社会人も会社対抗の競技会が時々ある。陸上競技場(サッカー場)は大連市内と金州区にあるが、市営の室内体育館はなく、大学の体育館を利用する。大連では特に水泳、サッカー、ウォーキングが盛ん。水泳は夏季に海岸や島で泳ぐだけでなく、市内に4つほどの温水プールがあり、特に寒い冬季のいい運動になっている。スケートは市内の児童公園の池(戦前の「鏡が池」)がスケート用に整備されていて、スキーは最近市内近くの林海スキー場、金州区の銘湖スキー場、普蘭店区の安波温泉スキー場ができて、徐々に浸透してきている。プロスポーツとしては、中国サッカー・スーパーリーグの有名チーム「大連実徳」(大連海昌国際)が本拠地を置く。ホームスタジアムは、大連市金州体育場、大連市人民体育場。同チームは大連市のシンボル的な存在で、労働公園や友好広場にサッカーボールを模した巨大なモニュメントも設置されている。大連市を挙げての年中行事は、大連春節煙火晩会(国慶節の花火大会)、大連国際槐花節(大連市の花であるアカシア祭り)、大連国際服装節(大連国際ファッションショー)、CISIS(国際ソフトウェア情報サービス交易会)、大連国際マラソン大会-全日本空輸協賛 -星海広場をスタートして市内道路を通過して大連市人民体育場がゴール、大連国際徒歩大賽(大連国際ウォーキング大会)-日本航空協賛、星海広場をスタートして濱海南路がゴール、大連国際オートショー、大連国際馬拉松大賽、大連国際啤酒節 (大連国際ビール祭り)、などが行なわれている。道教の寺廟は大連市街地区に目だったものはないが、旅順口区の塔河湾に龍王観が、金州区には市街の北に金龍観(@大魏家)が、大黒山の北西麓に響水観が、少し離れた金州区亮甲店鎮に真武廟(以前の金頂山廟で、日露戦争の日本人脱走兵が「満州人」として暮らした伝説があるところ)がある。仏教のお寺としては、市内の唐山街に唐代から続く松山寺があり、旅順北路の鞍子山の北麓に安山寺、大黒石に渤海を見下ろすように千手観音像、五百羅漢があり、金州区の大黒山麓に観音閣勝水寺、朝陽寺が、旅順口区の龍王塘に横山寺がある。キリスト教カトリック(中国語で、天主教)関係では、西安街に大連カトリック教会(大連天主教教堂、(1926年建設)がある。キリスト教プロテスタント(中国語で、基督教)では、中山広場近くの玉光街礼拝堂(戦前の大連聖公会教会で、日本聖公会が英国国教会と共同で1928年に英国領事館の敷地に建設)、長江路に大連市承恩堂(戦前はデンマーク・ルーテル教会、最近まで北京街礼拝堂と呼ばれた)、西南路に新しい朝鮮族礼拝堂(戦前は日本長老教会の分室)、最近建てられた4000人を収容できる大連豊収堂、金州区の金州礼拝堂、旅順口区の旅順礼拝堂(戦前はデンマーク・ルーテル教会)などがある。この他、地下の教会(家の教会)はプロテスタント教会に多い。外国人専用のプロテスタント礼拝は、毎日曜日に大連友好ビルで開かれている。 イスラム教では、北京街に大連清真寺がある。戦前に日本人が独自で建てた宗教建築物は壊されたか、他の用途に転用されている。大連聖公会が唯一の例外で、これは日本聖公会が戦勝国(英国)との共同で建設したため。中国国内で唯一の中日文化交流協会である、『大連中日文化交流協会』 がある。尚、台湾には、『台北駐日経済文化代表処』があり、香港には、『香港日本文化協会』があるが、中国国内では唯一となる。中国国内唯一の中日文化交流協会が、大連にある背景として、遼寧省や中国東北地区一帯が日本の領土であった時代があり、日本人が多く移り住みその子孫である日本人や日本人の血を引くハーフなどが多くいる事がある。また、当時から移り住んだ日本人が日本文化を広めた事にある。また、近年、中国の日系企業の進出の大幅な伸びにより、大連を含む中国の多くの都市に大幅に日本語や日本企業、日本文化に関わる人々が増えた事がある。大連では、中国語の北方方言をベースにした標準語である普通話がほぼ使われている。ただし街角では大連方言が話される場合も多い。大連方言は、北方方言の一種である「膠遼官話」または「燕語」に属し、大連人の多くが19世紀後半から20世紀前半に主に山東省から「闖関東」と呼ばれる人口移動現象で渡ってきた貧しい農民・漁民なので、山東方言から一定の影響を受けている。大連方言の単語には日本語の影響(ワイシャツ、モチなど)、ロシア語の影響も残っている。現在、自転車の運転は禁止となっているが、禁止以前から所有していた自転車の運転は認められている。また市内の自転車専門店やカルフールなどの大型スーパーで自転車の販売が行われており、有名無実のものとなっている。しかし大連市内は坂が多いため、元々自転車の姿はあまり見かけない。渤海に面する地域には、「大連ゴマフアザラシ(またはゼニガタアザラシ)自然保護区」が設定されており、2002年1月には117kmがラムサール条約登録地となった。

出典:wikipedia

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