スペシャルオリンピックス(、略称:SO)とは、知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として、日常的なスポーツプログラムや、成果の発表の場としての競技会を提供する国際的なスポーツ組織。いつもどこかで活動しているということから、「Olympic"s"」と複数形になっている。1962年6月にジョン・F・ケネディの妹のが自宅の庭を開放して35人の知的発達障害のある人たちを招いてデイキャンプを行ったのが始まり。その後、財団"Joseph P. Kennedy, Jr. Foundation"によって全米に活動が広げられ、トロント出身のカナダ人フランク・ヘイドンらが関わり、1968年7月20日に第1回の夏季国際大会がアメリカのイリノイ州シカゴのソルジャー競技場で開催される。1968年12月には"Special Olympics, Inc."が設立される。1988年に、国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピックの名称使用について認める議定書を交わす。現在、ユーニスの子息、ティモシー・ペリー・シュライバーが会長を務める。現在、スペシャルオリンピックスの競技は夏冬合わせて26種類あり、約170万人の知的発達障害のある人と50万人のボランティアが150を超える国と地域で、この活動に参加している。2003年にアイルランドの首都・ダブリンで行われた2003年スペシャルオリンピックス夏季世界大会は、その年行われたスポーツイベントの中で、もっとも盛大なものとなった。また、スペシャルオリンピックスにはディビジョニングと呼ばれる特殊なルールがあり、これによってアスリートは性別や競技能力によって、競技技能が同程度になるよう組み分けされる。また、スペシャルオリンピックスでは他の人に勝つ事を目標としておらず、アスリートが自己の最善を尽くす事を目的としている。これはアスリート宣誓の"Let me win. But if I cannot win, let me be brave in the attempt."という言葉にも込められている。日本では、1980年4月に聖ミカエル学院の山本貞彰により、神奈川県鎌倉市にジャパンスペシャルオリンピック委員会(JSOC)が設立され5月にスペシャルオリンピックスの本部から42番目の組織として認可された。1983年には第6回夏季国際大会(米国ルイジアナ州バトンルージュ)に初めて日本として選手団を送った。その後JSOCは1992年に解散することとなる。現在のスペシャルオリンピックス日本のはじまりは、JSOC解散後、熊本の有志により、新たにスペシャルオリンピックス・熊本が1993年に設立(細川佳代子理事長)され、その後スペシャルオリンピックス日本(SON)が国内本部として1994年にSO国際本部の認証を受け発足、SONは2001年に特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受け、2006年には認定特定非営利活動法人として認定を受け活動中(現在の理事長は有森裕子)。2012年4月1日より、公益財団法人スペシャルオリンピックス日本として活動。厚生労働省社会・援護局障害福祉部企画課自立支援振興室によると、厚生労働省が所管官庁だったが、2014年4月から文部科学省へ移管される。スペシャルオリンピックスでは世界大会などではアスリートの代表がアスリート宣誓を行う。これは1968年にアメリカで第1回の国際大会が行われた際に、創設者のユーニスが、古代ローマで剣闘士が闘技場に入る時に口にしたという"Let me win. But if I cannot win, let me be brave in the attempt."(2002年スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲームで使用されたアスリート委員長訳:わたくしたちは、精一杯力を出して勝利をめざします。たとえ勝てなくても、がんばる勇気を与えてください)という言葉を用いたのが始まり。スペシャルオリンピックスでは、日常のスポーツトレーニングプログラムを大切にしている。週に1回以上で8週間の期間(ターム)を区切りとして練習会を実施し、その後に練習の成果の発表の場である競技会を開催し、アスリートの努力と勇気をたたえる。スポーツトレーニングプログラムと競技会はどちらも大切な活動であり、これらの活動はアスリートの成長にとって大変重要な役割をはたしている。ディビジョニングはスペシャルオリンピックスの競技会で行われる組み分けである。これは性別・年齢・競技能力といったものを基準に組み分けを行い、最終的に競技能力が同程度の競技者同士が競い合うためのスペシャルオリンピックス独自のルールである。スペシャルオリンピックスの競技会では通常、予選での成績に応じて、個人競技では3名から8名のディビジョンに組み分けをし、各ディビジョン毎に決勝を行う。その為スペシャルオリンピックスでは、棄権ないし失格にならない限り、予選に参加した競技者全員が決勝に進むこととなる。つまりスペシャルオリンピックスの予選は、トップレベルのアスリートを選抜するものではない。各ディビジョン毎に1位〜8位があり、全員が表彰台に上がって1位〜3位には金銀銅メダル、4位以下にはリボンが贈られる。また、失格となった競技者も参加賞のリボンが贈られる。これは、競技会は日常のスポーツトレーニングプログラムの成果の発表の場であり、「参加することに意義がある」というオリンピック精神に基づき、成績の如何に関わらず、すべての競技者が賞賛され、表彰されるという特徴がある。また、スペシャルオリンピックスの表彰式は、最下位の順位から表彰され、最後まで拍手がなりやまないように工夫されているのも特徴である。直訳すると「正直・努力」である。これは競技者が常に全力で競技を行うことを目的に考えられたルールである。スペシャルオリンピックスでは、競技者が最後まで競いあうことができるようにディビジョニングというルールで組み分けを行うが、予選でわざと悪い成績を出し、競技能力の低い組で決勝に進むと、容易に1位になることができてしまう。そこで、スペシャルオリンピックスでは、予選と決勝で15%以上の差がある場合は失格になるマキシマム・エフォート等のルールが存在する。チームスポーツで、知的発達障害のあるアスリートと同等の競技能力のある健常者が混成チームを作り、混成チーム同士でゲームを行う競技形式のことをスペシャルオリンピックスでは、ユニファイドと呼んでいる。スペシャルオリンピックス国際本部の本部はワシントンD.C.にあり、その傘下にスペシャルオリンピックス・北アメリカ、ラテンアメリカ、ヨーロッパ/ユーラシア、アフリカ、中東/北アフリカ、アジアパシフィック、東アジアの7つの地域にわかれ、スペシャルオリンピックス日本等、世界175カ国・地域に公式プログラムと呼ばれる組織が存在する。それぞれの公式プログラムは通常、国ごとに存在しているが、アメリカは組織発足時の名残で州毎に公式プログラムがある。この為、世界大会に参加する場合、アメリカの各公式プログラムは"Team USA"として参加するが通例となっている。また台湾も"Chinese Taipei"で、"Special Olympics China"とは別組織であるといったように、それぞれの地理的・政治的要因によって公式プログラムが存在するため、参加国数が150なのに対し、公式プログラムの数は200を超える。また世界大会が開催される際には、現地でその大会の実行委員会が発足される。それぞれの実行委員会はスペシャルオリンピックス国際本部の直属であり、その国の公式プログラムとは相互協力体制となる。ただし、日本で行われた2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野の場合、大会実行委員会の資金調達が困難となり、国、長野県、長野市等の公的資金の注入等が行われた後、大会実行委員会は資金調達に徹し、契約を結んだ長野県の現地法人である特定非営利活動法人2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野が実務を行うという特殊な状況が生じた。なお、スペシャルオリンピックス日本始め、多くの公式プログラムには地区組織と呼ばれる、地域密着型の組織がある。日本の場合、いくつかの地区組織はNPOとなる等、独立した組織運営体制が取られており、それぞれの組織はスペシャルオリンピックス日本からの認定を受けている。2008年4月1日現在、33の都道府県に地区組織が、13の県に設立準備委員会が組織されているが、秋田県は組織が未設立となっている。スペシャルオリンピックス日本は世界大会開催時に日本知的障害者スポーツ連盟、日本障害者スポーツ協会傘下の団体の助力協力が得られている。しかし逆にこれら団体の活動に対してスペシャルオリンピックス日本は非協力的だとする声がある。そしてスペシャルオリンピックスの活動で、ある程度の習得や成長の見られたアスリートの中にはSOのルールでは物足りなくなって、障害者スポーツ国内最高の舞台と位置づけられる各種ジャパンパラ競技大会などに挑戦しはじめている。※全21公式競技※全7公式競技スペシャルオリンピックスの大きな特徴として、競技以外の取り組みが多くあることが挙げられる。スペシャルオリンピックス日本ホームページよりスペシャルオリンピックスの全体についての公式記録映画ではないが、1999年、アメリカ、ノースカロライナで行われた大会に参加した日本のアスリートをドキュメンタリでTV番組として紹介した作品が、反響を呼び、監督の小栗謙一が、それを映画化した作品『able』(エイブル、2001年作品・日本・アメリカ合作)がある。これが好意的に受け止められたため、2003年のダブリン大会は、現地の障害者とその家族に焦点を当てて映画が製作された。『Host Town/able2』(2003年作品・日本・アイルランド合作)。ナレーションを担当しているマラキ・マコートは、『アンジェラの灰』の著者フランク・マコートの弟である。2005年に長野で開催された世界大会では、普段アスリートとして参加している知的発達障害者自身が撮影した映像を映画『Believe ビリーブ』と題して製作。渋谷、イメージフォーラムで上映された。
出典:wikipedia
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