腕時計(うでどけい)は、ベルトによって手首に巻くことで携帯できる時計である。ベルト(帯、バンド)に時計本体が結合・固定され、これを手首に巻いた状態で携帯でき、かつ視認できる小型の時計である。英語では懐中時計()も含んでウォッチ()、あるいは特に区別する場合はリストウォッチ()と言う。日本語では「時計」で総称されているが、英語ではこれら以外の置時計や掛時計といった身につけない時計はクロック()であり、日本でも業界ではもっぱらこの英語における分類に準じて扱われている。19世紀以降、携帯用の時計として一般的であった懐中時計は、時刻を読もうとするたびにわざわざポケットから取り出す(場合によってはさらに、風防ガラスを保護するための金属製の蓋を開ける)時間のかかる動作をしなければならなかったが、手首に巻いておけば、即座に時刻を読み取れるという利便性がある。また行動中に懐中時計を視認する場合、手のひらに持って視認する必要があり、時間確認の間は時計を持った手がふさがってしまうが、手首に巻いておけば視認の動作は一瞬であり、いつでも両手の手・指が全部使える。ただし、邪魔にならないような形で腕に時計を巻きつけるためには、時計を充分に小型化する必要があり、それは決して容易ではなかった。懐中時計に代わって本格的な普及が始まったのは20世紀に入ってからである。当初は先行した懐中時計同様、ぜんまいばねを動力源とし、ヒゲゼンマイ・天符・ガンギ車・アンクルなどから成る脱進機を計時機構とする機械式時計であった。機械式腕時計は、懐中時計の生産で先行したスイスなどの国々が世界的な市場を占有し、1970年代までの主流であった。これに対し、1960年代に腕時計として実用化された水晶発振計時のクォーツ式は、より高精度であり、また日本のメーカーの活動によって短期間で比較的安価に量産が可能となったことから、以降は圧倒的に多く普及することになった。21世紀初頭現在でも、大衆向けの実用腕時計の駆動方式はクォーツ式が一般的で主流である。ただし、旧来のぜんまい動力で動く機械式時計は、製造に手間がかかり製造コストが高く、結果としてわざわざ機械式を用いることは「希少性」を感じさせるので、現在では主として(実用性を主眼としない)「高級価格帯の製品」の機構として用いられている。なお、世界的には電池入手が容易でないなどの理由から機械式の腕時計が専ら用いられている地域も存在する。最初は単に時刻を示す機能しかなかったが、その後さまざまな機能を付加させる試みが行われた。例えば、ストップウォッチ機能の付加(「クロノグラフ」)、月齢や潮の満ち干を表示するもの、等々である。防水性を高める努力も行われ、ついには潜水用の腕時計も登場した(「ダイバーズウォッチ」)。使う人により、どのような意図で腕時計を用いるかは異なる。時刻や時間を知るために用いるのが基本ではあるが、たとえば登山家・ダイバー・スポーツマンなどのためのモデルは、単なる時刻・時間の表示機能の他に高度な耐候性・耐久性・付加機能の付いた実用品である。他人に見てもらうためのファッション(服飾)アイテム、一種の装身具として用いる人もいる。時代が進むにつれ腕時計の大衆化と必需品化が進行し、20世紀末期には、先進国で職業を持つ人々の多くが腕時計をつけているような状況であった。近年では時計機能を内蔵した携帯電話やスマートフォンが普及したことで、携帯できる時計の機能はそれで済ませ、腕時計を着用しない人が増え、販売数は減少傾向にある。腕時計の最古の記録はジュネーブの時計商ジャケ・ドロー&ルショーが1790年のカタログに記載されたものと言われている。また、現存する最古の腕時計はパリの宝石商が1806年に製作した、時計を組み込んだエメラルドのブレスレットとされている。1810年には時計細工師のブレゲがナポリの王妃(カロリーヌ・ミュラ)のために、金髪と金で編んだベルトで腕に装着できる卵型の時計を製作して2年後に完成させた(現在は行方不明)。このように宝飾品として製作された例は以前からあったがほとんどが一点物であり、普及したものはなかった。腕時計が製品化された契機は、軍からの需要である。懐中時計を片手に砲撃のタイミングを計測していた砲兵が手首に懐中時計をくくりつけて使用する工夫から始まったとされている。ドイツ軍がこのアイデアの製品化を時計メーカーに打診している。1879年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍用としてジラール・ペルゴに腕時計を2,000個製作させたという記録が残っている。この時計は網目状の金属製カバーを備えていた。その他草創期の使用例としては1899年のボーア戦争でイギリス軍将兵が懐中時計を手首に革ベルトで装着した例がある。当時はホレイショ・キッチナーの名を取り「キッチナー・ベルト」と呼ばれた。オメガは世界に先駆けて1900年に腕時計を商品化し、1902年には広告を打っている。しかし当時は女性用懐中時計の竜頭位置を横に変えて革ベルトに固定しただけのものでデザインの無骨さから、一般に普及することはなかった。その後腕時計専用のケースとムーブメント開発が行われるようになったが、依然として男性用は懐中時計が主流で、腕時計は正式な存在とは見なされなかった。特定ブランドの腕時計として最初に人気製品となったのは1911年にフランスのカルティエが発売した角形ケースの紳士時計「サントス」である。「サントス」の原型は、ルイ・カルティエが友人の飛行家で富豪のアルベルト・サントス・デュモンに依頼され、飛行船操縦中の使用に適した腕時計を製作したものであった。後年その洗練されたデザインがパリの社交界で話題となり、市販されるに至った。「サントス」はスポーツ・ウォッチの古典となり、21世紀に入った現在でもカルティエの代表的な製品の一つとして市販されている。第一次世界大戦は腕時計の普及を促す契機となり、男性の携帯する時計は懐中時計から腕時計へと完全に移行した。戦後には多くの懐中時計メーカーが腕時計の分野へ転身した。第二次世界大戦以前からの主要な腕時計生産国としては、懐中時計の時代から大量生産技術が進展したアメリカ合衆国のほか、古くから時計産業が発達したスイス、イギリスなどがあげられるが、後にイギリスのメーカーは市場から脱落した。アメリカのメーカーも1960年代以降に高級品メーカーが衰亡してブランド名のみの切り売りを行う事態となり、正確な意味で存続するメーカーは大衆向けブランドのタイメックスのみとなった。自動巻腕時計(Automatic watch)とは、時計内部に半円形の錘(ローター)が組み込まれており、装着者が腕を振ることにより錘が回転し動力のぜんまいを巻き上げるものである。錘を仕込んだ自動巻機構自体は懐中時計用としてスイスのにより1770年頃に発案されていたが、ポケットに収まった安定状態で持ち運ばれる懐中時計よりも、手首で振られて慣性の働きやすい腕時計によりなじむ技術であった。それに対してブレゲは振り子による自動巻き「ペルペチュエル」を開発したが、構造が複雑だったため一般には普及せず、19世紀の懐中時計のほとんどは鍵巻き及び、パテック・フィリップの創始者の一人であるが1842年に発明した竜頭による手巻きであった。最初の実用的な自動巻腕時計となったのはイギリスのが開発した半回転ローター式(ローターの片方向回転時のみでぜんまいを巻き上げる)で、1926年にスイスのフォルティスから発売された。続いてより効率に優れる全回転式ローター自動巻(ローターの回転方向を問わず歯車機構の組み合わせで一定方向の回転力を取り出し、ぜんまいを巻き上げられる)がスイスのロレックスで1931年に開発され、同社は「パーペチュアル」の名で市販、オイスターケースと呼ばれる防水機構とともにロレックスの名を広めた。その後も各種の全回転ローター自動巻システムが考案され、現在の自動巻腕時計では全回転ローター式が一般化している。また、ローターの形状もペルレの時代の半円状から、外周部に金などの重金属を使用したり中抜きした形状にするなどして回転効率を向上させている。自動巻腕時計の多くは竜頭を用いてぜんまいを手巻きすることもできるが、構造を簡素化する目的で自動巻専用としたものもある。自動巻は装着されている間ぜんまいの力が適度な程度に蓄えられ、手巻き式に比べて精度が高くなる傾向がある。身に付けていない場合にはワインディングマシーンにセットしておくことでぜんまいを巻き上げておけるため、機械式腕時計の収集家がその種の装置を用いる例が見られる。日本では1913年、服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売しているが、その7石ムーブメントは懐中時計との共用品であった。サイズの制約が厳しい腕時計の技術でスイスやアメリカの製品に比肩することは容易でなく、日本製腕時計への評価は当の日本でも第二次世界大戦後まで決して高くなかった。1957年時点でも日本の腕時計市場ではスイス製品が大いに幅を利かせ、スイス時計は年間で約200万個程度が流入していたが、そのうち正規ルートで輸入されたのは30万個程度であとの大部分は密輸入だったという。それでも1950年代以降、日本の腕時計の技術は着実に進歩して国内の廉価帯市場では輸入品を圧するようになり、1960年代以降はカメラと並ぶ主要な輸出商品となった。1955年には国産初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が発売され、その後も「グランドセイコー」、「シチズン クロノメーター」など、スイス製に匹敵する精度の国産時計が登場した。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。セイコーは電子計時を採用し、オリンピックで初めて計時に関してノートラブルを実現した。これを契機に日本製腕時計が世界的に認められるようになる。日本の主要な腕時計メーカーは、電卓分野からエレクトロニクス全般に成長した総合メーカーであるカシオ計算機を除くと、すべて懐中時計や柱時計の分野から参入した企業である。セイコーとシチズン時計、カシオの3社が主要大手メーカーである。機械式腕時計時代の国産第3位であったオリエント(吉田時計店→東洋時計が前身)は業績不振から現在はセイコーエプソン傘下にて存続する。リコーエレメックスは旧・高野精密工業の後身で、1957年から「タカノ」ブランドで腕時計を生産したが、中京圏に本拠があったため1959年の伊勢湾台風で大被害を受けて業績悪化、1962年にリコーに買収され、のち腕時計ブランドもリコーに変更した。機械式の腕時計には振り子の代わりとなるテンプが組み込まれており、その振動数が高ければ高いほど時計の精度は上がる傾向がある。並級腕時計のテンプは振動数が4 - 6回/秒のロービートだが、高精度型腕時計では8 - 10回/秒の多振動となっておりハイビートとも呼ばれる。現代の機械式時計のうちスイス製の多くはハイビートであり、また日本製でも上級品はハイビートが多い。ただしハイビート仕様とすると部材の疲労や摩耗が早まり、耐久性では不利である。電池エネルギーで作動する腕時計はアメリカのハミルトンが開発し、1957年に発売した「ベンチュラ」が最初である。これは超小型モーターで駆動する方式で、調速の最終段階には機械式同様にテンプを使っていたが、電源をトランジスタで整流して駆動力の安定を図っていた。ボタン状の小型電池を使う手法は、以後の電池式腕時計に踏襲されている。1959年にはやはりアメリカのブローバが音叉式腕時計「アキュトロン」を開発した。超小型の音叉2個を時計に装備して、電池動力で振動を与え、音叉の特性によって一定サイクルの振動を得る。この振動を直接の動力に、ラッチを介して分針時針を駆動するものである。振動サイクルは毎秒360回とクォーツ腕時計登場の前では最高水準の精度であったが、ブローバが技術公開やムーブメント供給に積極的でなかったこともあり1976年には生産を終了している。クォーツ時計自体は1920年代に発明されていたが、当時は能動素子に真空管を使用していたため、タンス並に大きな据え置き式時計となり、しかも高価なことから、天文台等の研究機関や放送局における、極めて精度の高い計時手段を要する需要でわずかに利用されただけだった。クォーツ時計が携帯可能なサイズとなって一般に広く使われるようになるには、集積回路が安価に利用できるようになる1960年代を待たなければならなかった。ブローバのアキュトロンに危機感を抱いたセイコーは「遠からず水晶時計の時代が来る」と確信し、1959年にクォーツ腕時計の開発プロジェクトをスタートした。1967年、世界初のアナログ回路を用いたクォーツ腕時計のプロトタイプが登場した:スイスのCentre Electronique Horloger (CEH) によるBeta 1、および日本のセイコーによるのプロトタイプである。1969年12月25日にセイコーは世界初の市販クォーツ腕時計「アストロン」を発売した。当時の定価は45万円で当時42万円だった大衆車トヨタ・カローラよりも高価であった。振動数の高さは圧倒的で、機械式はおろかブローバの音叉式「アキュトロン」をもはるかにしのぐ日差±0.2秒以内、月差±3秒以内という高精度を実現した。銀電池で1年以上駆動する。ウォッチに限らずクロック等、あらゆるクォーツ時計に共通のことであるが、水晶発振子の周波数には、単純な2分周の繰返しで1秒を得られるなど扱いやすい32,768Hz(=2Hz)がもっぱら使われている。クォーツ腕時計は、機械式やそれ以前の各種電池式に比べ圧倒的に誤差が少ないこと、セイコーがを行ったため各社が製造に参入し急速にが進んだことから、1970年代に市場を席巻した。なおスイス側から見てスイス国内の時計生産はセイコーにおけるクォーツ時計の量産により瀕死の状態まで追い詰められたため、これを「クォーツショック」と呼んでいる。アストロン発売と同時期の1970年に、初の、文字表示式のいわゆるディジタル時計式の腕時計すなわちディジタル腕時計、アメリカのハミルトンの「パルサー」が発売された。しかしパルサーは発光ダイオード(LED)を表示器に使用していたため実用性に問題があり、実用的なディジタル腕時計の実現はその後の液晶表示器(LCD)の導入以後である。当初は物珍しさもあり極めて高価な価格設定の製品とされたが、すぐに可動部品が皆無な構造で大量生産に適するという電子機器の常で低価格化が促進され、現代では一般にアナログ式より廉価な存在となっている。その後アラーム機能、ストップウォッチ機能など腕時計の高機能化が進む一方で低価格化が進み、かつて高級品であった腕時計は、子供でも買えるような身近な存在となり、消耗品化し、分解掃除不要で、メカ時計技術者の時計店、全国3万軒が、廃業に立たされた。1980年代に入ると、精度ではクォーツに劣るものの熟練工によって作り上げられる機械式の腕時計の良さが再評価され始め、スイス製の高級機械式腕時計が徐々に人気を取り戻してきた。クォーツ時計登場以降、欧州では機械式時計のメーカーやムーブメント製造を行う専門メーカーの再編と淘汰が進み、コストカットの観点から部品の製作・加工に自動化設備が導入され、世界的な規模でムーブメントの共有化が進んだ。その結果、スイスのエタがヨーロッパの機械式腕時計業界へのムーブメント供給で大きなシェアを占めるようになった。このため、高級ブランドは大衆ブランドと同型のムーブメントを共用しつつ、ケーシング(精度、仕上、耐久性、デザイン等を決定する最終組立)による差別化に技術とコストを集中できる状況となった。一方でマニュファクチュールと呼ばれる、一部の特殊なパーツを除きムーブメントの開発・製造から組み立て、仕上げまでを一貫して行えるメーカーも存在する。時計製造を専門としない無名のアッセンブリーメーカーがアジア製の廉価なクォーツムーブメントをやはり廉価なケースに収めて実売1000円 - 3000円程度の格安価格で流通させる事例は、1980年代以降の日本でも一般化した。この種の無名な廉価時計は中国などで組み立てられるものが多く、外観こそ粗末だが実用上支障ない精度と必要充分な防水性を備えているため、世界的に量販価格帯を席巻した。このようにして手軽かつ高機能なクォーツ時計と、高級な工芸品・嗜好品の機械式時計という位置づけで棲み分けがなされるようになった。スイス製の機械式腕時計が右肩上がりの成長を始めるのと同時に日本製のクォーツ式腕時計の業績は急激に悪化し、さらにアジア製のクォーツ時計との価格競争に敗れ、大幅にシェアを奪われた。しかも日本メーカーは自らが生み出したクォーツ技術により、1970年代以降世界的に認められていた機械式時計技術を持つ職人をほとんど失っており、苦境に立たされた。1980年代なかばから、完全にコモディティ化した方式の針式や液晶ディジタル表示の腕時計に変わる、新たな付加価値を模索する動きが始まった。以下に各社の動向などを記す。セイコーは復権をかけ、高級機械式腕時計として1960年代に名声を博した「グランドセイコー」などを復活させるなど、機械式腕時計に再度力を入れた。機械式ばかりではなく、ビスカススイープ・キネティック・スプリングドライブなど新方式の研究も進め、実用化している。2000年代に入ってからはクレドールブランドの超高価格帯製品「スプリングドライブ ソヌリ」などや「セイコー・スペクトラム」のような新コンセプトのモデルも作っている。ビスカススイープはクォーツ腕時計で音叉時計のようなスイープ運針を、ダンパとばねにより実現した方式であったが、採用したムーブメントは1988年の5S21と90年の5S42にとどまった。キネティックは1988年にセイコーが発売した、世界初の自動巻き発電クォーツ腕時計「セイコー オートクオーツ」のムーブメントに使用された方式である。キネティックは自動巻き時計と同様にローターを内蔵し、腕の振りによって発電を行う電池交換不要のクォーツ腕時計である。装着していない時には省電力のため針の動きが自動的に停止し、再び装着され振動が与えられるとそれを感知して自動的に現在時刻に復帰するオートリレー機能を組み込んだ「キネティックオートリレー」、小の月だけでなくうるう年においても正しい日付を示すパーペチュアルカレンダーの「キネティックパーペチュアル」、手巻き充電にも対応し、パワーリザーブ表示機能を持つ「キネティック・ダイレクトドライブ」もある。スプリングドライブは1999年にセイコーがリリースした、機械式ムーブメントに水晶振動子を使用した調速機構を組み込み、動力源にぜんまいを使用しながらクォーツ時計と同等の高精度を実現したものである。手巻きあるいは自動巻きによって巻き上げられたぜんまいは針を動かすと同時に発電を行い、その電力によって水晶振動子を備えた調速機構を動作させる。このため機械式調速機構で使用されるテンプや、クォーツ時計で使用される電池が不要である。セイコーではこのスプリングドライブを「メカニカル式とクオーツ式に並び立つ第三の駆動機構」と位置づけている。シチズンの「エコ・ドライブ」は光発電によって駆動する。また外気温と装着者の体温の差を利用しゼーベック効果によって発電した電気エネルギーを動力源にする「エコ・ドライブ サーモ」の腕時計もあった(現在、エコ・ドライブ サーモを適用した腕時計は販売していない)。カシオ計算機は「腕時計は床に落とせばたやすく壊れる」という常識に反し、2〜3階から落としても壊れないという耐衝撃性能を備えたタフな腕時計、G-SHOCK(Gショック)を1983年から発売した。このGショックはその頑丈さを買われ、過酷な状況にある湾岸戦争やイラク戦争などの戦場で兵士たちに愛用されていたという。最初はディジタルウォッチのみの展開であったが、1989年にはアナログ(デジアナ)ウォッチもラインナップに加えた。日本ではそうした堅牢性を重要視される事は殆ど無く耐衝撃を考慮したやや厚めのサイズと無骨なデザインということもあって発売早々ヒットとはいかなかったが、90年代に映画作品などで登場したり(販売推進部の策として、登場させたり)、また商品収集ブームも視野に入れ、「限定商品」を多数投入する販売推進策も採用し、それによって一人が多数購入するようにしむけた結果、販売数の大躍進に至った。スウォッチは、安価なクォーツ時計に鮮やかな色彩、有名アーティストによるデザイン、少数限定販売という付加価値を与えることでユーザーの支持を集めた。ディジタル表示腕時計の生産に踏み切った際は、ニコラス・ネグロポンテの協力を得てインターネットタイムを提唱したが普及には至っていない。2010年頃において、壁時計では秒針の音を避けるなどの目的でスウィープ運針のものも多いが、クォーツ腕時計は、セイコーの超高級ラインのスプリングドライブ機を除き全て秒刻みの運針であった(壁時計ではリズム時計工業がサイレントステップという新しい方式を発表している(製品はシチズンブランド))。そんな中で、シチズンの技術により傘下のブローバから、毎秒16回駆動のクォーツ腕時計が発売された。シチズンとブローバは以前に音叉式腕時計で提携し、ブローバからの技術導入でシチズンが国産化した、という経緯がある。また、機械式腕時計における、脱進機の新機構の考案も続いている。スイスの老舗メーカーであるユリスナルダンが2001年に発表した「フリーク」は新しい脱進機の導入により、潤滑油を不要としている。オメガはジョージ・ダニエルズが発明した「コーアクシャル」と呼ばれる新機構を導入し、機械式時計の心臓部である調速機構との動力伝達を果たす脱進機機構(アンクル爪、ガンギ歯)における摩擦の大幅な低減に成功している。さらに近年では「フリーク」「コーアクシャル」に追随するように独自の脱進機を開発したり、ガンギ車やアンクル、ヒゲゼンマイにシリコンや新たな特殊合金などの先端素材を採用したりして、オイルフリーや精度向上を目指す動きもあり、さながら脱進機革命とも呼ぶべき状況が生まれつつある。2013年5月のBaselworld(バーゼル・フェア)において、スウォッチはSistem51を発表し、同年末頃発売を開始、日本では翌14年春頃から販売している。Sistem51は通常10万円以上するような機械式自動巻き腕時計と同程度の性能を持ちながら、スウォッチの発表によれば完全機械化された製造工程と「51」の由来である部品数など現代的な再設計により、スウォッチの他のクォーツ式と同様のファッショナブルなスタイリングと同程度の価格帯における新しいコンセプトとしての機械式を提案した腕時計である(トラディショナルなスタイリングで廉価な機械式としてはセイコー・ファイブなどがある)。1990年、ユンハンスが世界初の電波式腕時計『メガ1』を発売した。1993年、シチズンは世界初の多局受信型電波時計を発売した。電波式腕時計は、2000年代に入ってから売れ行きを伸ばしている。電波時計は、標準電波を受信することにより時刻を自動的に補正する。基本的にはクォーツで時を刻むが、一日に数回、原子時計で管理された標準電波を送信局から受け取り、自動的に正しい時刻に修正するため、電波を受信できる環境にあれば誤差が蓄積せずいつまでも正しい時を刻むことができる。2011年、シチズンが世界初の人工衛星を使った衛星電波式腕時計『エコ・ドライブ サテライトウエーブ』を数量限定で発売した。また、2012年にはセイコーがGPS衛星を使った衛星電波式腕時計『アストロン』を発売した。2014年7月にはカシオから、衛星電波または地上標準電波どちらかを受信して時刻修正する世界初の機能『GPSハイブリッド電波ソーラー』を搭載したG-SHOCKが発売され、10月にはフルメタルボディーのOCEANUSにも搭載された。電波時計と違い、送信局を経由して時刻修正することが不要となり、屋外で位置情報が受信できる環境にあれば現在地時刻を取得できることが可能となる。時計付きの携帯電話の普及により、手首の腕時計を見るのでなく、懐中時計のように、携帯電話を取り出して時間を確認するという、20世紀初頭の時代へ逆行するような現象も一般化しつつある。日本では、「腕時計を身に付けている時でも、ほとんど携帯電話で時刻を確認している」という人がほぼ半数を占めるという調査結果もある。Apple Watchなどのウェアラブルコンピュータ(スマートウォッチ)の登場によりイギリスのロンドン大学ではあらゆる腕時計について、携帯電話と同様に会場に持ち込まないよう通達を出し、かわって試験中の時間確認のための置時計を購入する予算を組んだ。日本でも、日本英語検定協会が実施したIELTSのテストで、腕時計の全面的な持ち込み禁止のほか、受付時にメガネの確認を行うという、スマートウォッチはもちろんスマートグラスにも対応したルール改定を行った。ムーブメントを水分から保護する仕様のケースを装備した腕時計を防水腕時計と呼ぶ。現在では一般に市販されている腕時計の多くが、何らかの防水仕様を備えている。規格については一般用耐水時計の規格として、ISO 2281/JIS B 7021 に記されている。腕時計の防水機能は、「気圧」もしくは「水深 (m/ft)」で表される。基本的には、小雨に打たれたり日常の水仕事で水がかかっても大丈夫というレベルの「日常生活防水」(3 - 5気圧防水)、水泳や潜水などで着用する10 - 20気圧防水、そして本格的なダイビングに使用される潜水用腕時計(数百メートルから極端なものでは一万メートル防水も)までさまざまなレベルがある。表示の見方については注意を要する。「3気圧防水」と言っても、「水深30メートルまで潜っても大丈夫」というわけではない。この気圧は、静止した状態でこの水圧に耐えられるという意味であり、水中で勢いよく腕を動かせば浅い水中でもこれ以上の水圧が腕時計にかかることになる。従って3気圧防水程度では水泳時に着用すると浸水する恐れがある。水深で表される場合には実際に表記どおり潜ることも可能な性能を持つが、メンテナンスを怠ると性能を充分に発揮できずに浸水する場合があるので、注意が必要である。この種の時計は第1次世界大戦前後に出現しており、初期の発想としては、ガラスののぞき窓と竜頭操作用のねじ込み蓋を備えた別体ケースに腕時計を入れ、ケースごとベルトで装着するものがあった。これは防水性は確保できるがかさばって使いにくく、体裁も悪かった。早い時期に近代的な防水構造を採用した代表例は1926年のロレックスである。オイスター社が開発した削り出しによる一体構造の「オイスターケース」方式を採用したもので、腕時計本体のケースにねじ込み竜頭を備え、従来よりコンパクトでスマートな防水時計を実現した。1928年にはロレックスを装着した女性記者メルセデス・グライツがドーバー海峡横断遠泳に成功、ロレックスの防水性を広く喧伝した。ねじ込み式竜頭は原理自体は理想の方法だが、ぜんまい巻き上げや時間合わせで頻繁に竜頭を使うと、摩耗して気密性が下がる弱点がある。それに代わる簡易な手段として裏蓋や竜頭部分のパッキンにOリングと呼ばれるゴムリングを使い防水性を確保する手法が広まった。リングの個数を増やせば気密性が高まり、またリングの老化で気密性が下がってもリングの交換で復旧できる。あわせてケース材質をさびにくいステンレス製とすること、頻繁な開閉を考慮せずともよい裏蓋部分を極力扁平なねじ込み蓋にして密閉性を高める手法も一般化した。Oリング方式は第二次世界大戦中には連合国側で通常型の軍用時計に広く使われ、戦後は大衆時計にまで普及した。ねじ込み式竜頭と併用してより厳重に防水する手法も行われており、現在ではもっとも一般的な防水法である。だが初期のOリング式防水時計は現代で言う「日常生活防水」レベルの防水性能がほとんどであったため、日本でも大衆向け価格帯の分野に防水時計が出現した1960年代前期に、メーカーの宣伝とも相まって、ユーザーが防水性を過信して着用したまま入浴や水泳を行い、水の侵入で時計を故障させるトラブルが続出したことがある。一部のメーカーは耐久性の要求される時計について、一種の多重ケース構造に近い手法とOリングの併用で気密性をさらに高める方法を採った。「オメガ・シーマスター」シリーズの高性能版はその代表例である。クォーツ時計では廉価に電池交換を請け負う店舗が(専門の時計店以外にも)広く存在するが、この際に防水Oリングの組み込み、再組立てが時計メーカーでの生産工程同等に厳密になされるかは(一部例外を除いて)確証できない。従って、電池交換の際に「電池交換後は防水機能を保証できない」とする時計店もあるが、電池交換時に新品Oリングと無料交換する店もある。夜光塗料を塗布した文字盤を装備して暗い水中でも視認でき、ねじ込み式竜頭やOリングなどで防水機能を確保することで、水深100m以上の水圧に耐えられる「ダイバーズウォッチ」は、1930年代に軍用向けに出現した。潜水時間を管理する安全上の理由からも夜光防水時計は必須だったのである。オフィチーネ・パネライのダイバー用大型腕時計はその初期の例であるが、本格的な普及は第二次世界大戦後である。1943年にジャック=イヴ・クストーが考案したアクアラング装置が戦後に広まり、スキューバダイビングが容易になったことが普及の契機と見られる。美術工芸品としての腕時計もある。材料に金や銀などの貴金属をふんだんに用い、ルビーやダイヤモンドといった宝石を散りばめた華美な装飾品としての腕時計である。極端なものでは、風防に数カラットの大粒ダイヤモンドを用いるなど、数億円の腕時計まで存在する。こうした時計は、クオーツ式ではなく機械式であることが多い。視覚障害者が時間を確認できるように、指で直接針や文字盤を触れるようにした腕時計。文字盤には突起が設けられており、時間を確認する時には、文字盤を覆っているカバー部分を開いて指で触れるようになっている。無論通常の腕時計としても使用可能である。手法自体は先行して出現していた視覚障害者用の懐中時計からの踏襲である。またこのような腕時計とは別に、音声で時刻を知らせるディジタル式の視覚障害者用時計も存在する。時刻表示に加えてさまざまな機能を有するアナログ式腕時計のことを「複雑腕時計」あるいは単に「複雑時計」と呼ぶ。機械式腕時計のトゥールビヨン、ミニッツリピーター、永久カレンダーは評価が高く、非常に高価である。一方で永久でないカレンダー機能、サン&ムーン表示及び電子音の時刻音(リピーター、ソヌリ、アラーム)機能はこれに含めないことが多い。単純なカレンダーや電子アラームを除いては、実用よりも趣味性が強いものである。機械式時計と比較して、ディジタル時計には時間計測(ストップウォッチ)、カレンダ、アラームといった機能の付加がはるかに容易であり、初期の頃からそういった付加機能付きの製品があった。さらに、各種センサー類を取り付けることによって、従来の時計とは異なる機能(気温、気圧測定、電子コンパスなど)といった、いわゆる「ディジタルガジェット」的機能が付け加えられた。腕時計は利き腕と反対側の腕に着用することが多い。また女性の場合、盤面を腕の内側に向けて着用する例も比較的多いが、男性においてはまれである。女性用腕時計は男性用腕時計に比べて小型に設計されているが、中には必要以上に小型化されている例もある。男性用サイズと女性用サイズの中間的なサイズの腕時計はボーイズサイズと呼ばれる。なお腕時計成立の経緯から腕時計登場当初は懐中時計に比べて略式とみなされ、礼装時に着用しないものとされてきたが、現在ではそのようなことは言われなくなった。腕時計が普及し始めたのは女性のアクセサリーとしてであり、ブレスレットに時計のケースを取り付けたものが原点である。それに次いで実用的な道具として腕時計は強度と装着感が要求され、革ベルトにワイヤーを通してワイヤーの両端をケース本体に溶接するスタイルが生まれた。しかしベルトの損傷時などに取り外しが不便であることから、バネ棒をベルトの接合部に通しておき、このバネ棒をラグにはめ込むスタイルが確立し、現代まで続くことになる。これと併行してコマをつないで装着感と強度を両立させたブレスレットも登場・発展していき、やはりバネ棒を介してラグにはめ込むスタイルが採用された。NATOストラップのように引き通し式のベルトをバネ棒に直接通すベルトも存在する。ブレスレットの素材は比較的安価でメンテナンスが容易なステンレスが現在の主流である。その他金や鉄に鍍金したもの、チタニウムなどの金属がよく使用されている。まれに貝や骨、アクリル樹脂などのブレスレットも存在する。ブレスレットの形状には次のようなタイプと、特徴がある。ブレスレットはピンを調整することで腕周りを調整することができるのでベルトと比べて大きいサイズの腕時計を身につけられる。現在の主流は、ケースと同素材のソリッドブロックか、ロールブロックである。横へ単連から10数連まで、ブロック=コマをピンやネジで繋ぎ留める。コマ数が多いほど、可動部分が多いために柔らかで装着感も良く、豪華な外観になるが、コストや手入れのし易さ、強度などの理由で、3連から7連が主流である。人間工学を駆使した独自の形状により、装着感を向上させるなどの工夫を施すメーカーもある。高級時計の場合、ベルトは伝統的に爬虫類、ほ乳類の動物の天然皮革が用いられる。一般論として、耐水性や見た目の豪華さで爬虫類の皮革が高級とされるが、装着感や安価という点では、ほ乳類の皮革が勝る。そのためカーフ革に高級感を持たせるために鰐皮のような紋様を型押ししたり、爬虫類系のベルトにカーフやラバーなどの裏打ちをすることが多い。いずれにしても表面は見た目の良い素材や部位を使用し、裏面は柔らかな素材や部位を用いて縫い合わせるのが一般的である。装着感を良くするためなめし方に工夫するメーカーもある。また、この縫い合わせの糸のカラーがデザインのエッセンスとなる場合もある。近年では人造皮革が採用される例もある。ベルトはピンが存在しないので、ブレスレットと違い腕割りのサイズ調整が難しく、腕周りになるべく近いサイズを身に付ける必要がある。サイズによってはブレスレットの腕時計より小型の腕時計に為ることも少なくない。正装ではベルトの方が向いている。欧米と比較すると、日本では革ベルトよりもメタルブレスレットが好まれる傾向にある。これは、日本では夏場の蒸し暑い気候により、多く汗をかくため、革ベルトがへたりやすいことが、大きな理由だと考えられる。ダイバーズなどのスポーツモデルでは耐久性を重視して単一成型のラバーやポリウレタンが用いられることが多い(耐久性があるとはいえ、数年使用すると経年変化で分解してしまう)。近年では、ウブロを皮切りとして高級時計でもラバーベルトを採用するメーカーが増えている。用語としては「尾錠」「クラスプ」とも呼ぶ、ベルトやブレスの留め金。一般的には、次のタイプが多い。なお、金具にリリース用のボタンを設けたり、さらに小型の押さえ板を設けて、不意の脱落が起こりにくいようにするものもある。またバックル内に収納された板を引き出してブレスの長さを伸ばすことが可能な、エクステンション方式と呼ばれるものもある。バックルだけを保管しておき別のブレスレットやベルトに用いる方法がある。
出典:wikipedia
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