レオーネ("LEONE" )はスバルブランドを展開する富士重工業で生産されていた自動車である。1970年代前半から1980年代後半にかけてスバルの基幹車種であった。OEMを除く歴代の全モデルがスバル1000以来の伝統である水平対向エンジンを採用し、スペアタイヤはエンジンルーム内に収納されていた。サッシュレスドアやステーションワゴンといったスタイル、そして4WDの技術は後のレガシィやインプレッサの基礎となった。初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1.1Lモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。当時のトレンドおよび提携先の日産自動車の影響が感じられるロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、メカニズム的にもブレーキがアウトボードになったり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル・1000/ff-1の技術至上主義を抑え、より市場に受容される「商品」としての性格を強めようとする意図が感じられた。スバル・360/サンバー/1000まで全てのスバル車の基本設計を担当してきた名設計者百瀬晋六を、日産自動車との業務提携が成立した1968年8月に設計本部から技術本部に移し、レオーネの設計に関わらせなかったことも、新型車レオーネの性格を決定付けている。またCMには当時のヒット歌手であった尾崎紀世彦をイメージキャラクター及びCMソングで起用するなど、それまでのスバルからは大きくイメージの異なる広告手法を採用した。だが、レオーネの代になってスバル1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われた点は、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いカーグラフィックなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバンを含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、近年まで採用を続けていたが、インプレッサやフォレスターでは2007年のフルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドアに移行し、最後までサッシュレスドアを採用していたレガシィも2009年の5代目へのモデルチェンジによりラインナップから姿を消した。1972年8月1日、エステートバンに4WDを設定。前年に東北電力の要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験をつぎ込んだ「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。それまで四輪駆動といえば、ジープに代表されるクロスカントリータイプの車を意味し、乗用車タイプの四輪駆動車は存在しなかったが、これ以降、他社の乗用車にも四輪駆動車が設定されるようになった(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社75頁参照)。さらに同年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速MTを装備したホットモデル・「RX」が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、量産車では日本初となる4輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて1973年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされ、エステートバンにはFFのトップグレードとして1400GLを新設定。当時の商用車としては珍しく、前輪ディスクブレーキ(マスターバック付)を標準装備していた。1975年1月20日にはエステートバン4WDに続いて世界初の量産4WD乗用車「4ドアセダン4WD」が、同じく日本の前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトとなった。同年10月には、SEEC-Tと名付けられた排気ガス浄化方式により(ツインキャブのスポーツ系も含めて50年規制を飛び越え一気に)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うために、車種構成全体で1.2L→1.4L、1.4L→1.6Lへと排気量アップが行われた。1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、スポーツカーが軒並み淘汰された他社を尻目にツインキャブのスポーツモデルも引き続き生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズを拡幅、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなった。どことなくアルファロメオを思わせるシンプルな造形のフロントマスクやキャラクターラインの整理、リアデザインの変更によって、初期型に比べるとかなりクリーンな外観となった。インテリアにはホンダがシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボードが備わる。この機会にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。同年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム」(GrandAm)なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型衝撃吸収バンパーや派手な色調の内外装を特徴とした。同年10月、北米の1978年モデルに合わせるタイミングで、輸出専用ピックアップトラックのブラットが発売された。2代目(ザ・ニューレオーネ、エンジンEA81他)が1979年6月1日に発売される。スバルとしては3代目サンバー以来6年ぶりの新型車で、ボディサイズは拡大され、フロントサスペンションには日本製のFF車としては初となるゼロスクラブとハイキャスター寄りにセッティングされたマクファーソンストラットコイルが採用され、更に1.8Lエンジンが設定されるなど、中型大衆車を強く意識した設計となった。ボディタイプは、2代目アウディ・80に良く似た6ライトの4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、リアオーバーハング270mm、ホイールベース80mmを短縮し、全長を4m以下に抑えた3ドアハッチバックが用意された。スイングバックには1.3L 4輪ドラムブレーキの廉価版や、ツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。また、好評の4WDモデルもセダン、エステートバン(ライトバン)、スイングバックに用意された。さらにセダン最上級の1800GTSにはいずれもスバル車初のパワーステアリング・パワーウインドウ・オートエアコンが装備可能であった。また、悪路走行のために1.8Lの4WD車にはデュアルレンジと呼ばれる副変速機が搭載され、4速MTを前進8段、後進2段の超クロースミッションとして使用できるようになった。このように二代目レオーネは広範囲な客層・価格帯をカバーするラインナップとなっていた。ただ、2代目レオーネのエンジンは依然OHVのままで、3速ATや手動式チョーク、4WDのMT車に5速が設定されていないなど、時代遅れな面が隠せなくなってきていた。1981年6月2日にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルは流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなものに改められ、また全車種のリアコンビランプの表面形状が当時のメルセデス・ベンツ流の、汚れても被視認性が確保される凹凸面タイプに変更された。同月25日には、スバル初の5ナンバーステーションワゴンとなる「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30mmかさ上げした二段ルーフを採用し、装備を4ドアセダン 1800 4WD / 1800 GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。ツーリングワゴンの名は後のレガシィツーリングワゴンに引き継がれる。同年10月、ブラットが2代目ベースにモデルチェンジされた。11月には日本初の4WDでオートマチックトランスミッションを持つ「レオーネ1800cc4WDオートマチック」をセダンとツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる「湿式油圧多板クラッチ MP-T」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が、4WDシステムを中心に再び復活の兆しを見せ始めた。このMP-Tはオートマチックトランスミッションのライン油圧を利用するため、マニュアルトランスミッション車には装備されなかった。1982年11月には、折からのターボ車ブームに乗り、日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1.8L、グロス120PS、燃料噴射方式)をセダンとツーリングワゴンに追加(オートマチックトランスミッション車のみ)、翌1983年7月には4ドアセダンに1800ターボと1600 4WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD 1.8Lツインキャブのスポーツモデル「RX」(グロス110PS)に一本化し、FF車を廃止した。なお、他社の1.8Lターボ車がグロス135PSの時代に、グロス120PS止まりであったのは、エンジンがOHVだったため、最高許容回転数が5,500rpmに過ぎなかったためである。そのため、1980年代に起こったパワー競争で遅れをとっているのは否めなかった。1983年10月には、4WDターボに油圧式車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加し、ATにロックアップ機構を付けた。こうした4WD車種の積極的な拡充の結果、レオーネのユーザーは4WDに価値を求める層が大半となり、他社の廉価なライバル車が数多く存在した2WDモデルはその影に隠れる地味な存在となっていった。3代目へのモデルチェンジ後も海外向けの3ドアハッチバック(日本名・スイングバック)とブラットは2代目ベースのまましばらく生産された。モデル後期(上記写真の『ALL THE NEW LEONE』)の頃はドアミラー装着解禁の過渡期であり、イメージリーダーとしてレオーネのドアミラー装着車の写真(4WDターボモデルやツインキャブハードトップモデル)が広告などで掲載されるようになった。「オールニューレオーネ」と名乗る3代目は1984年7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された。ボディサイズは一回り大型化されて当時流行の直線的なものになり、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きくアピールされた。その一方で従来型にあった個性的な武骨さは薄れたため、スバルファンの中には「スバルらしさが無い」という意見もあった。伝統の水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1.8Lのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のギア駆動のカムシャフトによるOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高回転化が可能となって高出力化(ターボの場合、グロス135PS、ネット120PS)された。変速機は5速MTが採用されたが、先代以来の装備である「デュアルレンジ」副変速機も引き続き採用され、走行中の実質変速段数は10段にまで達していた。最上級グレードのGTにはエアサスペンションが採用され、車高調整機能の「ハイトコントロール」もついていた。1985年11月 - ドアミラーを、フロントサイドガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのホイールハーフキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。デビュー当初のマニュアルトランスミッション車の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クワトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、国内初のマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD乗用車のマツダ・ファミリア4WD(1.6Lターボ)に僅かに遅れて、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1.8Lターボ)から、傘歯車(ベベルギヤ)とバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用によってセンターデフ付きフルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。このとき、セダン/ワゴンのフロントグリルとテールランプの意匠変更が行われた。1987年10月 - 電子制御式4速AT「E-4AT」採用とあわせ、それまでのMP-T4WDから専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4」(電子制御MP-T)と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。1988年9月 - エステートバンをいすゞ自動車へジェミネットIIとしてOEM開始。1989年2月 - 後継車種であるレガシィの発売により、クーペ、ツーリングワゴン、セダン1.8L車が販売終了し、販売車種がセダン1.6Lのマイア/マイアIIとエステートバン1600LCのみに縮小された。1992年10月 実質的後継車種であるインプレッサの発売によりセダンが販売終了。警察の捜査用覆面パトカーとしても多数導入されていた。1993年7月 - いすゞ自動車へOEMしていたジェミネットIIの供給終了。1994年3月 - 日産自動車からADバンのOEM供給が開始することによりエステートバンの販売終了。本車がスバルの主力車種だった80年代後半には、好調なレオーネのアメリカ向けの輸出に依存をしていた中で起こったプラザ合意による円高や、デザインは流行に合わせた直線的なものだったが、スバル・1000から基本設計が変わらないエンジンとプラットホーム、3速しか無いAT、手動式チョークなど設計の旧態化が進んだことなどにより販売台数が伸び悩んだことで富士重工業の業績悪化を招いてしまった。このため、打開策として開発されたのが、初代レガシィである。1994年8月 当時の提携先であった日産自動車からのOEM供給で、Y10型ADバンを「レオーネバン」として販売開始。1997年5月 - マイナーチェンジ(キャブレターから電子制御化など)。1999年6月 - ADバンのモデルチェンジにあわせてY11型の販売開始。YD22DDディーゼルエンジン+4WD(5MTのみ)の設定もあった。2001年3月 - 販売終了。「レオーネ」の車名は名実共に30年の歴史に幕を閉じた。1991年ごろ、自動車専門誌等で、長く不在だったレガシィとジャスティの中間車種が開発中であると報道された。この時点では正式な車名が決定しておらず、自動車専門誌編集部などでは「おそらく『レオーネ』になるのではないか」と推測していた。しかし、この車種が正式に発売された際には『インプレッサ』と名づけられ、『レオーネ』の復活は幻に終わった。前述の通りレオーネは一般的な乗用車としては初めて4WD車をラインナップした車種である。当初は業務用がメインで販売台数も極めて少なかったが、ラリーでの活躍などを通して独自のスポーツ性を築き、現在まで続く「スバル=4WD(AWD)」のイメージを作り上げた。外観は普通のサルーンでありながら高い悪路走破性を持つことから、山間部や降雪地域の一般ユーザーに重宝された。また、スキーなどを楽しむ層にも支持され、日本で初めて4WDのステーションワゴンを発売した。レオーネの4WD車は、時にはオフロードをも含む悪路や、雪国での実用面が考慮されているため、乗用車としては最低地上高がやや高めである。また、対地障害角も大きくとられており、短めの前後オーバーハングや地面に干渉しにくいバンパーデザインも特徴である。このように合理的かつ良心的な設計であったが、同時にレガシィ以前のスバル車共通の「雪国向け・田舎くさい・垢抜けない」というイメージを作ってしまったことは否めない。1983年(昭和58年)からは路面状況に応じて車高を上下できるハイトコントロール機能を搭載したグレードが用意された。「レオーネ (LEONE) 」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す。
出典:wikipedia
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