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アサルトライフル

アサルトライフル()は、実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃のことである。従来の小銃弾(フルサイズ弾)より反動の弱い弾薬(中間弾薬)を用いることで全自動射撃を容易にしているものが多い。一方で、M14小銃のようにフルサイズ弾を使用する自動小銃は全自動射撃に向いていないため、バトルライフルなどと呼ばれて区別される場合もある。現在の軍隊ではアサルトライフルが最も一般的な銃器となっており、旧世代にあたるものならば発展途上国や武装勢力にもよく普及している。日本語では突撃銃と訳される。自衛隊が配備している火器の中では89式5.56mm小銃がアサルトライフルに該当する。連射と単射を切り替え可能な歩兵用の自動小銃としては、かつてフェドロフM1916、、ラインメタルFG42などが存在したが、現代的な意味でのアサルトライフルは第二次世界大戦中にナチス・ドイツで開発されたStG44に端を発する。StG44とは"Sturmgewehr 44"(44年式突撃銃の意)の略称であり、アサルトライフルとは"Sturm"(突撃)"gewehr"(小銃)なる語を英訳したものである。1949年、StG44と同様の設計思想で製作されたAK-47がソビエト連邦にて制式化された。1960年から始まったベトナム戦争では、このAK-47が北ベトナム軍およびベトコンに供給された。アメリカ陸軍およびアメリカ国防情報局が1970年に作成した資料『Small Arms Identification and Operation Guide - Eurasian Communist Countries』(小火器識別および操作ガイド - ユーラシアの共産主義国)では、AK-47を「7.62-mm Kalashnikov assault rifle (AK-47)」として掲載しており、アサルトライフル(Assault rifles)の性質について次のように解説している。1967年には、アメリカ陸軍でもこの概念に合うM16A1を歩兵用主力小銃として制式化していた。AK-47およびM16の制式名はそれぞれ、(カラシニコフ自動小銃1947年型)、(16型5.56mm口径小銃)であり、ソビエト連邦、アメリカ合衆国両国ともアサルトライフルの意味の名称は用いなかったものの、ベトナム戦争以降、AK-47とM16は代表的なアサルトライフルとして認識されていった。その後、各国の歩兵用主力小銃として、当時の東側陣営ではAK-47とその発展型が採用され、西側陣営では主にM16の使用弾に合わせ5.56x45mm弾を使用した自動小銃が採用されていった。現在、主要各国では5.56x45mm弾、5.45x39mm弾、7.62x39mm弾などを使用した自動小銃が歩兵用の主力火器として採用され、アサルトライフルとして認識されている。ただし、アサルトライフルを定義する具体的な数値は決まっていない。銃は第一次世界大戦までは精度や射程を競っていたが、機関銃の登場がそれを変えた。そして、機関銃の軽量化が進むと携行可能な軽機関銃や短機関銃、自動小銃が多く生み出され、歩兵(小銃手)の火器としてはアサルトライフルに収束したのである。アサルトライフルという概念の目標は、短機関銃が担っていた至近距離での掃射と小銃が担っていた中距離(300-400m)での狙撃能力の両立である。これを実現するため、有効射程500m程度の低反動な弾薬を用いることが多い。セミ/フルオートの切替射撃機能(引き金を引くと決められた数だけ連射するバースト機能を有する銃も多い)を持ち、ガス圧作動方式等の自動装填機構、着脱式弾倉を有している。また、反動制御を容易とする目的から、軽機関銃と同様の直銃床スタイル(銃身軸線の延長上に銃床が位置する)が一般的であり、その保持を容易とするためのピストルグリップも重要な要素となっているほか、反動制御の容易なブルパップ方式でデザインされた製品も多い。近年の製品では、金属製の基幹部品(銃身や機関部など)に、環境の変化に強い繊維強化プラスチックの大型構成部品(ストックやハンドガードなど)が組み合わせられたものが多く、鋼板プレス加工や繊維強化プラスチックによる一体成型など生産性に優れた手法で製造され、単価が安い点もアサルトライフルの特徴となっている。アサルトライフルと同種の火器を指す名称は複数あるが、国や組織によって厳密な定義は異なる。ドイツ語で同種の火器を指す「」(StG, StGw, SG,シュトゥルム・ゲヴェーア)という言葉は、第二次世界大戦中に開発された新型小銃MP43を改称する為、アドルフ・ヒトラー自らが考案した名称と言われている。シュトゥルム・ゲヴェーアという言葉が考案されるまで、同等の火器はMaschinenkarabiner(MKb, マシーネンカラビナー、「マシンカービン」)と呼称されていた。例えば1942年に提出されたStG44の試作型にはMKb42なる名称が与えられ、また、1945年に試作された突撃銃はMKb Gerät 06Hと仮称され、後にStG 45(M)すなわちモーゼル型45年式突撃銃と呼称された。ドイツ民主共和国(東ドイツ)では同種の火器をMaschinenpistole(MPi)、すなわち短機関銃と呼称した。国家人民軍設立当初には、StG44がMPi-44の名称で採用され、後に採用されたAK-47はMPi-Kすなわちカラシニコフ式短機関銃と呼称された。1980年代後期になってから、Sturmgewehrの語を用いるシリーズが開発された。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)で編成されたドイツ連邦軍では、G3やG36に見られるように、制式小銃の名称にはSturmgewehr(StG)ではなくGewehr(G)すなわち小銃という表現のみ用いた。銃器を分類する語としては使われており、例えばドイツ連邦陸軍はホームページ上でG36をSturmgewehrと呼び、G3もSturmgewehrとして言及されることがある。ドイツの大手銃器メーカーヘッケラー&コッホ社も製品の分類にSturmgewehrを用いている。G36のほか、HK416とHK417がここに分類されている。オーストリア軍では、かつて国産化したFALをSturmgewehr 58として採用していたほか、ステアーAUGをSturmgewehr 77の制式名称で採用している。スイス軍では、かつてをSturmgewehr 57として採用していたほか、SIG SG550をSturmgewehr 90として採用している。英語の「Assault Rifle」(アサルトライフル)は、ナチス・ドイツで造語されたシュトゥルム・ゲヴェーア(Sturmgewehr)という用語を英訳したものとされている。1980年代には民生市場でアサルトライフルを原型とするスポーツ用小銃が流通し始め、この語は一般にも広く認知されていった。1945年にアメリカ陸軍で作成されたMP43の改称に関する報告書では、ドイツ側が造語したSturmgewehrの訳語として「Assault Rifle」が使われ、機能については従来通りの「machine carbine」であるとしている。1973年の『Small Arms Identification and Operation Guide - Eurasian Communist Countries』の記述に従えば、アメリカ陸軍におけるアサルトライフルの定義は「短機関銃と小銃の間の威力の弾薬を用い、短く小型で、セレクティブ・ファイア機能を備え、低反動で、フルオート射撃時の有効射程は300m程度の銃である」と解釈することができる。また、全米ライフル協会(NRA)の立法行動研究所(NRA-ILA)では、アメリカ陸軍によるものとして「中間威力の弾薬を用い、セレクティブ・ファイア機能を備えるライフル」(a selective-fire rifle chambered for a cartridge of intermediate power.)という定義を紹介している。では、アサルトライフルという語を次のように説明している。アメリカ合衆国では、銃規制の議論に関連して定義の曖昧な「アサルトライフル」という言葉がしばしば問題となり、また規制対象として法的に定義された用語「アサルトウェポン」()と混同されることも多い。西側諸国(主にアメリカ合衆国)においては、M14小銃のような大口径自動小銃を特にアサルトライフルと区別する場合、バトルライフルという表現が用いられることもある。ロシア語で同種の火器を指す「」(アフタマート)について、現在は1991年に発効したGOST規格28653-90号「小火器・用語と定義」()の中で定義されている。アフタマートは「自動式カービン」()であるとされており、ここで言うカービン(, カラビン)については「短銃身を備える軽量小銃」()とされる。また、小銃(, ビントフカ)は「ライフリングがあり、銃床を肩に当て両手で保持・射撃する構造の小火器」()とされている。日本語で同種の火器を指す突撃銃という言葉は、『防衛省規格 火器用語(小火器)』の中で定義されている。突撃銃は英語の"Assault Rifle"に対応する語であり、「小銃の一種で,突撃射撃に適している銃。全自動と半自動の機能及び多数弾を給弾できる弾倉を有する。」とされている。また、ここで言う「突撃射撃」については「突撃に際して,通常,腰だめ又は立姿で行う射撃」と定義されている。ただし、89式5.56mm小銃や64式7.62mm小銃に見られるように、自衛隊などが採用した"Assault Rifle"に相当する火器は小銃と呼称されている。また、同種の火器についてアサルトライフルというカナ表記や自動小銃という表現が用いられることも多い。各種の自動火器が発達しはじめた20世紀初頭、アサルトライフルという概念は未だ存在しなかったが、その先鞭となる銃器が出現していた。アサルトライフルの概念に近い最初の自動小銃は、1890年に発明されたイタリア製の(Cei-Rigotti)だと言われている。これは20世紀の初めに開発されたガス圧作動方式のセミ/フル両用のカービンサイズの自動小銃だったが、試作レベルに止まって軍隊には供給されなかった。チェイ=リゴッティはイタリア軍の標準的な小銃弾だったのほか、より強力なアルゼンチンの7.65mm弾を用いるモデルもあった。弾倉は固定式で、装填にはストリッパー・クリップが必要だった。同時期、フランスではルベルM1886を更新する為の自動小銃の開発が進められており、その中でとして知られる自動小銃が試作された。この銃は6x60mm弾という小口径弾を使用し、セレクティブ・ファイア機能や着脱式弾倉を備えていたものの、重量が20ポンド以上(ルベル小銃は9.7ポンド)もあった為、結局採用には至らなかった。ENT B1は機関銃の役割を兼ねることも期待されていた。その後、1913年にロシアでショートリコイル方式のフェドロフM1916自動小銃が実用化され、第一次世界大戦と続くロシア内戦で実戦使用された。フェドロフM1916は12,000丁あまりが生産されたが、ロシア革命後の混乱と、使用弾薬である6.5mmx50SR有坂弾(三八式実包)の供給(革命後に関係が悪化した日英から供給されていた)上の問題から10年足らずで製造中止となった。しかしその後1939年の冬戦争に再度実戦投入され、鹵獲された同銃は後のMP43出現のきっかけとなった。開発者の自身はこの銃を歩兵用小銃と考えていたとされるが、軍部からは軽機関銃の一種と見なされていた。第一次世界大戦中、フランスはアメリカ製半自動小銃を2,500丁程度購入し、その大部分にセレクティブ・ファイア機能や大容量の着脱式弾倉を追加する改造を施した。この改造小銃は1917年から1918年まで使用された。M1907が使用するは、後の7.62x39mm弾と同程度のエネルギーを有する比較的弱装の小銃弾であった。ウィンチェスター M1917マシン・ライフル(Winchester Model 1917 Machine Rifle)は、観測気球を攻撃する為にアメリカで考案された自動小銃である。.351 WSL弾を小口径化した.345ウィンチェスター弾を使用し、機関部上に2本の着脱式弾倉が突き出した特徴的な外見をしていた。いくつかが地上装備に転用され、着剣装置も設けられたとされている。直銃床など後のアサルトライフルに見られる特徴を備えていた。1918年、フランスでが設計された。.351 WSL弾を原型とする8mm弾を使用する自動小銃で、着剣装置と二脚が設けられていた。重量が5.1kgと非常に重く、また400m以上の射撃において精度が低いことが問題視され、採用には至らなかった。この時代に試作された自動小銃には、当時の水準では弱装とされる弾薬を使用することで反動の軽減を試みるものが見られた。これら弱装弾薬のエネルギーは、後に中間弾薬と総称される事になる弾薬と同水準であった。一方、従来の小銃弾を用いるセレクティブ・ファイア機能付き自動小銃も多数実用化されている。例えば1915年にフランスで採用されたMle1915自動小銃、1917年にアメリカで採用されたブローニングM1918自動小銃(BAR)などである。これらは当時としては軽量な個人用自動火器として設計されたが、後には軽機関銃的な銃器と見なされるようになった。そのほか、第一次世界大戦末期には拳銃弾を用いる軽量な個人用自動火器としていくつかの短機関銃が開発されている。第一次世界大戦後も、各国で新型自動小銃の研究は続けられた。1920年、スイスでMP1920として知られる銃器が設計された。の責任者だった技師が手がけたもので、彼がかつて設計した短機関銃とよく似た構造をしており、機関部側面に30発着脱式弾倉を備えていた。MP1920はを原型とする7.65x35mm短小弾(ラウンドノーズ、弾頭重量123gr、初速2,000 ft/s)を使用していたが、改良型のMP1921では同じ短小弾をネックダウンした7mm尖鋭弾が用いられた。フラーが手がけたいくつかの銃器は、後にドイツの自動小銃開発に影響を及ぼしたとも言われている。1921年、イタリアでM1921として知られる半自動小銃が試作された。これは長距離射撃よりも比較的近距離での戦闘を重視した銃で、新型の短小弾を用い、大容量の着脱式弾倉も備えていた。1930年代、ヴァイマル共和政時代のドイツでも弱装弾薬および新型自動小銃の研究が行われた。ナチ党の権力掌握を経てナチス・ドイツの時代が幕を開けた頃、技師によってあるいはMKb 35と呼ばれる自動小銃が試作された。この銃は7.75x40.5mmという弱装弾薬を用い、陸軍および空軍への配備を想定して開発が進められていたものの、第二次世界大戦直前の1939年にはプロジェクトが中止された。各国で実用的な自動小銃の開発が進む中で、米国では.30-06スプリングフィールド弾に替わる弱装小銃弾としてを使用するピダーセン自動小銃の採用が検討された。.276ピダーセン弾はチェイ=リゴッティに使用された6.5mmx52カルカノ弾やフェドロフに使用された6.5x50mm有坂弾に近い弱装弾薬であり、弱い反動から自動小銃の弾薬として適当だと考えられたが、自動小銃の機械的信頼性が低かったため実用化が遅れているうちに満州事変が勃発したため、有事を前にしての弾薬変更のリスクを危惧したマッカーサーによって1932年に.276ピダーセン弾の採用は却下された。この時、スプリングフィールド造兵廠が試作した.276ピダーセン弾用の自動小銃は.30-06弾用に再設計されて、後にM1ガーランド小銃として1936年に制式採用されている。また、太平洋戦争直前の1941年には、拳銃や短機関銃と小銃の中間にあたる用途にM1カービンなる小型自動小銃が開発された。もともとはフルオート射撃もできるように設計されていたが、最初のバージョンではこれは省略され、後のM2カービン・M3カービンで選択可能となった。M1カービンに使用された.30カービン弾は(1,190J)で、.45ACP弾より倍近く強力だったが、小銃弾である.30-06弾にははるかに及ばない弾薬だった(後に.30カービン弾を使用する短機関銃や拳銃が製造されている)が、457mmの銃身から撃ち出される事で、短機関銃よりもはるかに高い初速を出し、精密な射撃も可能であり、軽快な速射性から近接戦闘にも向いていた。現代のアサルトライフルに使用される弾薬と比較すれば.30カービン弾は弱すぎる弾薬だったが、100万丁以上製造されたM1/M2カービンの閉鎖機構は、小口径高速弾を使用するアサルトライフルに多く採用されている。米軍から本銃を供与された自衛隊や韓国軍でも長く使用され、初期のベトナム戦争ではAK-47に対抗できる有効な火器を持たなかった米軍で、最もアサルトライフルに近い銃として使用された。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにおいてStG44が開発され、現代的なアサルトライフルの基本概念が確立された。StG44は7.92x33mmクルツ弾と呼ばれる弾薬を使用した。StG44の出現以降、これを鹵獲してアサルトライフルの概念を理解した各国で様々な弾薬が開発され、戦中から戦後を通じてソ連・英国・ベルギー(FN社)・西ドイツといった諸国・企業でアサルトライフルの試作・配備が進んだ。しかし、冷戦の中でソ連本土を攻撃できる核兵器とその運搬到達手段の開発を重視し歩兵用装備の更新を見送ったアメリカと、インドシナ・アルジェリアへの介入戦争で戦時状態が続いたフランスは、この流れに乗り遅れた。第二次世界大戦後のソビエト連邦では、ミハイル・カラシニコフ技師によってAK-47の開発が行われた。AK-47が使用する7.62x39mm弾は、既存小銃弾と同口径の尖頭弾だったが、弾頭重量は軽量化されており、また、発射薬も減らされていた。第二次世界大戦中に独軍から鹵獲した突撃銃の研究を進めていた英国は、.276ペデルセン弾・6.5mmx52カルカノ弾・6.5mmx50有坂弾(三十年式実包)と良く似た弾薬である.280ブリティッシュ弾を試作し、これを使用するEM-2自動小銃の開発を進めていた。.280ブリティッシュ弾は同時期に開発された独ソの突撃銃用弾薬より弾道特性が良好で、低伸性に優れていながら低反動であり、遠距離での狙撃から近距離でのフルオート掃射まで対応できる優秀な弾薬だった。しかし、北大西洋条約機構(NATO)の一員として疲弊した欧州諸国を保護する立場にあったアメリカの軍上層部では、第二次世界大戦中から独軍が示した突撃銃のコンセプトが理解されていなかった。そのため、NATOにおける銃弾の標準化が提案された折、アメリカ陸軍は狩猟用弾薬として販売されていた.308ウィンチェスター弾を"短小・軽量弾"として採用する事を要求した。.308ウィンチェスター弾は、.30-06弾の薬莢を短縮したたものだったが、装薬の改良によりほぼ同じエネルギーを出しており、このため、反動も同じように大きく、フルオート射撃には向かないものだった。これに対して英国やカナダなどが強硬に反対を唱えたものの、アメリカからの政治的圧力もあり、結局は.308ウィンチェスター弾が7.62x51mm NATO弾として採用された。世界各国に銃器を輸出してきたベルギーのFN社は、大戦中にドイツに占領され、ドイツ軍への兵器供給に協力した事から、ドイツの兵器開発思想を吸収しつつ、戦後は英国の.280ブリティッシュ弾構想に賛同してFN FALを試作した。.280ブリティッシュ弾構想は7.62x51mm NATO弾の採用によって潰えたが、FN FALは伝統的な切削加工による頑丈なレシーバのおかげで7.62mm NATO弾への対応に難なく成功し、英国をはじめ各国で採用されるなど、世界中に輸出されるベストセラー製品となった。FN FALはM14に比して反動をコントロールし易い直銃床スタイルでデザインされていたが、強烈な反動を生じる7.62mm NATO弾を使用してのフルオート射撃の制御には困難があり、多くの諸国ではフルオート機能を外して運用されている。戦後に再軍備を許されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、当初FN FALをG1として装備したが、ライセンス生産の問題でFN社との交渉が難航したため、戦後にスペインへ移った旧モーゼル社技術陣により開発され、同国で採用されていたセトメ モデルB小銃が新生ドイツ連邦軍の関心を集め、1959年にはH&K社によって改良されたものがG3小銃として採用された。原型となったセトメ モデルBは、7.92x33mmクルツ弾と同系統の7.92x40mmセトメ弾や7.62x51セトメ減装弾を使用し、ローラー遅延閉鎖機構を持つStG45(M)を母体としていた。既にドイツ連邦軍でも7.62mm NATO弾が採用されていたため、強力な弾種への変更に伴う再設計を迫られたが、セトメはロッキング・ピース部の傾斜角度を変えるだけで難なく7.62mm NATO弾に対応できた。G3のローラー遅延閉鎖機構は命中精度を悪化させるガス導入孔やガス・ピストン等が存在しないため高い命中精度を有し、単純な構造から高い信頼性を両立させていた上に、製造を担当したH&K社には、ナチス・ドイツ時代に省力化のため開発されたプレス加工技術や、冷間鍛造技術によってライフリングや薬室を一度で成型する銃身製造法など、他国に存在しない高度な技術が継承されており、これを応用したG3は低コストで大量生産する事ができた。その後、G3は各種弾薬・形態に発展させた一連のシリーズへ発展し、世界各国で好評を博し、発展途上国を中心に多くの国が制式採用し、ライセンス生産も盛んに行われたため、FN FALと並ぶベストセラー製品となっており、H&K社は飛躍的な成長を遂げて現在の地位を築いた。ライバルのFN FALはフルオート機能を外して運用される事が多かったのに対し、ローラー遅延閉鎖機構を持つG3は多くの国でフルオート使用が可能な状態で運用されており、技術力で強烈な反動を持つ7.62mm NATO弾の制御に成功した数少ない例となっている。その後、ローラー遅延閉鎖機構は同社のMP5短機関銃シリーズにも採用され、GSG-9やSASなど各国の特殊部隊・対テロ部隊に「最も信頼のおける短機関銃」と評価されている。東西統一を果たした後のドイツ連邦軍は、冷戦期にH&K社との間で進められていたケースレス弾薬を用いるG11の開発計画をキャンセルし、1996年に強化樹脂を多用した新世代の構造ながら、堅実なショートストロークピストン式を採用したG36を制式採用した。先進的な技術で一時代を画したH&K社だったが、ナチス・ドイツ時代の遺産だった各種の生産技術が普通に利用できる技術として一般化した事で、技術的独自性よりも大市場である米国におけるマーケティングを重視する姿勢へと変化しており、外国企業ながら米軍との緊密な関係を築くに至っている。戦後の復興が進んでいた日本でも、自衛隊の制式小銃を国産化しようとの機運が高まり、1957年から新型小銃の開発が開始される。いくつかの試作品を経て、1964年には64式7.62mm小銃として採用された。研究の過程では沖縄戦での戦訓からフルオート射撃とその集弾性が重視されたため、AR-10のように先進的なタイプの自動小銃も検討されたが、欧州各国の自動小銃の中からG3の原型となったスペインのセトメを参考に、また、FN FALやSKSカービンなどと同様に製造が容易で信頼性が高いティルティング・ボルト式閉鎖機構が採用された。また、反動が強烈な7.62mm NATO弾をティルティング・ボルト式閉鎖機構で使用する限り、フルオートでのコントロールは不可能であるとの結論に至り、セトメの例を参考に7.62mm NATO弾を減装とした専用弾薬の採用が検討された。欧米人より小柄な日本人の体格や、日本の地形的・地理的な事情から遠大な射程は必要ないとの判断も加わり、減装弾を採用した事によって64式小銃はフルオート射撃での抜群の集弾性を実現した。独自仕様の減装弾は、有事の際に米軍と補給を共用する点を考えれば不利となる要素だったが、64式小銃はガス圧調整弁を設ける事で、標準の7.62mm NATO弾も使用できるよう設計されていた。第二次世界大戦から朝鮮戦争期にかけてのアメリカ軍では、第二次世界大戦以来極めて効果的かつ有効に運用されてきた.30-06弾とこれを用いるM1ガーランド及びBARへ絶大な信頼を寄せており、さらに冷戦下には核開発が重視された為、歩兵装備の更新は見送られてきた。また、戦時中にドイツ軍が示した突撃銃の概念も広く理解されていなかった。ただし、既に第二次世界大戦中期の1942年にはスプリングフィールド造兵廠でM1ガーランドとBARの箱形弾倉を組み合わせ、全自動化した小銃の実験試作が開始されており、小銃分隊の兵士全員に全自動射撃能力による大火力を付与する構想は米軍内部にも存在した。また、対独戦が終結した時期に.30-06(7.62x63)弾の薬莢長を1.5インチ(38mm)まで短小化させた弾薬も試作されている。戦時大増産態勢下において国家戦略的見地上さほど重要ではない小火器の能力向上が見送られたのは、米国的合理主義に基づくものである。戦後は上記の理由で再び小火器装備類の更新は見送られ、全自動射撃可能な小銃を兵士全員に装備させる計画の進行は非常に緩慢なものとなるが、実験試作と改良および比較試験は繰り返されており、次世代歩兵用小火器に対する正しい方向性と考えを持った人々は米国にも確かに存在していたが、「政治的判断」が正しい流れを阻害していた。米軍の銃器採用には伝統的に実戦経験を積んだ軍人達の意見が強く反映されるため、M1ガーランドとBARを統合させた存在と考えられていたT44自動小銃(後のM14)を採用すべき、とする意見が大勢を占めていた。7.62x51mm NATO弾の標準化提案もこうした背景によるものだった。アメリカ国防総省ではFN FALの製造ラインを輸入して2,000挺あまりを生産し、各種の小銃と共にM14との比較試験を実施した。なお、このトライアルには後にM16の原型となるAR-10も参加していたが、軽量化を優先して使用した鋼-軽合金の複合構造で製造された銃身が破裂事故を起して脱落している。そしてT44はM14として制式化される。米軍のアサルトライフル導入は、後のM16出現まで大幅に遅れた。なお、一種の都市伝説あるいは陰謀論として、輸入されたFAL(T48E1)の製造ラインが"CIA FAL"、即ち中央情報局(CIA)が運用する「生産国の定かでないFAL」の製造に転用され、これらのCIA FALが後のピッグス湾事件などで使用されたと伝えられている。同様にM14との比較試験のためだけにFALを米国内で生産したのは、生産国不詳の優秀な自動小銃を親米的な政府や軍事組織に供与するための方便だったと語られることもある。1961年、アーマライト社のAR-15がアメリカ空軍にて制式名M16として採用された。これはユージン・ストーナーがU.S.M1カービンの代替を狙いAR-10をスケールダウンしたもので、.223レミントン弾(正式名M193弾)なる新型の小口径高速弾を使用していた。まもなく陸軍でも採用が始まり、M16はベトナム戦争を通して代表的アサルトライフルの一つと数えられるようになる。ソ連は米国の小口径高速弾採用に刺激され、独自の小口径高速弾である5.45mm×39弾と、これを用いるAK-74を制式採用した。同弾は、その後AN-94や、イズマッシュ社製の各種後継版アサルトライフルでも採用されている。5.45mm×39弾は米国のM193弾よりエネルギー・速度などで劣っているが、従来の7.62mm×39弾と大差ない腔圧のため、銃器に与える負担が少なく、ソ連は従来のAK製造ラインをそのまま転用する事が出来た。5.45mm×39弾は7.62mm×39弾に比べて装薬が少なく、エネルギーは半分程度しかないため、殺傷能力が劣ると見られていたが、弾頭の形状や材質を工夫した事で7.62mm×39弾よりも高い殺傷力を有している事が、後のソ連によるアフガン侵攻で判明し、当時FN社で開発中だったM855/SS109の弾頭はこれを参考に完成されている。5mm台(5.56mm、5.45mm)の小口径・高初速弾に移行したことで、アサルトライフルは新局面を迎え、形態や素材が大幅に変更され、標準でスコープ(光学照準)が取り付けられるようになってきたほか、レールによる複数装備の着脱化なども近年のトレンドである。また、多くの国では弾薬を他国と共通化して調達を容易にする傾向が強まり、5.56mm NATO弾が広く普及している。この時期から多数のブルパップ方式アサルトライフルが開発されるようになり、1970年代から現在に至るまで多種・多数が実戦配備されているが、実戦投入された結果、いくつかの問題点も露呈している。初期のブルパップ方式は1940-50年代にソ連・イギリスで試作され、イギリスのEM-2の開発思想は後にL85 (SA80)へと発展した。その後、これらの試みに刺激された各国・各社でブルパップ方式の試作が進み、1970年代後半から本格的に採用されるようになった。これらのブルパップ方式アサルトライフルは、廃莢口の左右切り替えによる両手利きに対応しており、いくつかは短い照準線長を補うとともに野戦での照準を容易にするための低倍率スコープ(光学照準器)を標準装備している。他にも、シンガポールのSAR21、イスラエルのIMI タボールAR21、中国の95式自動小銃、フィンランドの、イランのKH2002 "Khaybar"などがある。ブルパップ方式のアサルトライフルは、薬室をグリップ(銃把)の後ろに位置させることで、銃全体をコンパクトにしながらも、バレル(銃身)を長くできるという利点を持っている。ブルパップ方式は全長がコンパクトであり、重心がグリップのすぐ後ろに来るため、市街戦やジャングル戦などの索敵時に取られるポイント&シュート(銃身をやや下に向け、銃床を肩に当てて保持し、敵を発見した瞬間に銃口を視線の先に合わせて銃口を持ち上げ、顎下で銃の動きを止める事で、素早く敵に照準を合わせて射撃を行う)の姿勢を保つのに適しており、兵士の動線を短縮化させる事ができる。欠点としては、伏射姿勢ではマガジン交換がしにくい点と、一度廃莢口の向きを決めてしまうと、分解してボルトの向きを入れ替えない限り廃莢方向を切り替えられないのと、廃莢口が顔のすぐ横に来てしまうことが合わさり、とっさに逆の手で発射すると頬に熱い空薬莢が直撃する危険性が挙げられ、この欠点を解決するために、軍用火器メーカとしては最大手のFN社では自社のブルパップ方式火器で廃莢方向を真下(FN P90)または前方(FN F2000)としている。また、初期型AUGなど固定スコープ照準は近接戦闘時のポイントに不向きであるため、スコープ上に近接戦闘用の固定サイトが刻まれていたが、改良型では固定スコープを止めてレールにより各種の照準器が選択装着できるよう改められている。1990年代の終わりに、ドイツとスペインが共同開発したH&K G36は、ブルパップ方式ではない伝統的な形式のアサルトライフルだが、スコープを内蔵しており、複合材料を多用している。G36を元に開発されたXM8は、内蔵式レーザーサイトとレーザーポインタ、残弾数カウンタといった電子装備を導入しており、アメリカ軍への採用を働きかけたが、2005年10月末にXM8計画はキャンセルされた。陸上自衛隊では長らく64式7.62mm小銃を使用してきたが、89式5.56mm小銃との置き換えが進んでいる。これもブルパップ方式ではなく、伝統的なデザインである。弾倉にはM16A2などと互換性があるSTANAG規格を採用し、使用弾である89式実包は新NATO弾と同じものである。削り出し加工と木材を使用していた64式小銃の4.3kgに対して、プレス加工と複合材料を使用した89式小銃は3.5kgと軽量化が図られている。命中精度は決して劣っていないと言われている。どちらにも二脚が標準装備されているが、スコープは標準装備ではない。ドイツでは1970-1980年代にかけて、4.73mmケースレス弾(ケース=金属製薬莢がなく、弾薬で成形してある)と、その弾薬を用いる新しいアサルトライフルH&K G11を開発していたが、この計画は1990年の東西ドイツ再統一により凍結され、量産に移ることはなかった。歩兵の機械化が進み交戦距離が短縮する中で、ベトナム戦争のジャングル戦に適応するために始まった小口径・高速弾化であるが、近距離化していたはずの交戦距離の概念が、2001年からのアフガンにおける紛争や2003年に勃発したイラク戦争といった山岳部・砂漠地帯での非対称戦争では、.303ブリティッシュ弾や7.62x39mm弾といった旧式弾薬の有効射程と殺傷力の前に再度あやふやとなり、自軍兵士の犠牲を減らす事が政治的に重要な要素となった事もあって、最近の戦闘では交戦距離を延長する試みが増えている。一部の兵士からは「5.56mmは撤退させるための弾、7.62mmは殺すための弾」などといった、5.56mm NATO弾が威力不足とする不満が表明されており、民間軍事会社の社員達が7.62mm口径の火器を使用するのを見て、これを真似して鹵獲や闇市場で入手したAKを使用する兵士が出現したり、引退して倉庫に眠っていたM14がマークスマン・ライフルとして再度持ち出される事態まで発生した。こうした状況から、有効射程の延長と殺傷能力の向上を目的に、初速と弾頭重量を保ちつつ、弾薬の口径を6mm台に上げ直す動きがあり、米軍の次期アサルトライフルトライアルでは5.56mm NATO弾、6.8mm×43SPC弾(7.62x39弾相当)、7.62mm NATO弾(.303弾相当)の3種の弾薬に、最小限の部品交換で対応できる共通のプラットフォームを持った製品が必要条件とされている。一方で、弾頭の大口径化は銃自体の重量増加にもつながるため、小柄な体格の兵士が多い軍隊では、威力を重視した大口径の銃弾を使用する銃は運用上不利となりかねないという問題をはらんでいる。また、銃弾が大型化すれば携行弾数は多かれ少なかれ、減少せざるを得ないという基本的な問題もあり、評価は定まっていない。また、近年では光学照準器などの普及により、単純に命中していなかっただけである可能性も指摘されている。尚、5.56mm NATO弾以外に独自の小口径高速弾薬を採用しているのはロシア(5.45x39mm弾)と中国()の二国であり、両国とも5.56mm NATO弾と同程度のサイズ・重量の弾薬を歩兵小銃の弾薬としているが、ボディアーマーへの貫徹力を重視している点で共通している。5.8mm×42弾は銃口初速930m/s、弾頭重量4.26g、運動エネルギー1,842Jで、中国はこの新しい弾薬について、新NATO弾やロシアの小口径弾よりも高性能で殺傷能力が高いと主張している。ベトナム戦争中にM16用弾薬として採用された小口径高速弾は5.56mm NATO弾(1,800J, 実包重量 11.2g)へ発展し、兵士が携行できる弾薬の量は劇的に増加し、同時に銃本体の小型・軽量化も進み、各国で広く採用される標準的な弾薬となった。現在、5.56mm NATO弾以外の独自小口径高速弾薬を採用しているのはロシア(5.45x39mm弾)と中国(5.8x42mm弾)の二国であり、両国とも5.56mm NATO弾と同程度のサイズ・重量の弾薬を採用しているが、ボディアーマーを貫通できる能力を重視している点でも共通している。ソ連では米国の小口径高速弾採用に刺激された研究が1970年代に始まり、独自の小口径高速弾である5.45mm×39弾(1,390J, 実包重量 10.5g)とAK-74を採用し、AN-94やイズマッシュ社製の各種アサルトライフルでも同弾が採用されている。5.45mm×39弾は米国の5.56mm NATO弾よりエネルギー・速度などで劣っているが、従来の7.62mm×39弾と大差ない腔圧のため、銃器に与える負担が少なく、ソ連は従来のAK製造ラインをそのまま転用する事が出来た。当初、5.45mm×39弾は7.62mm×39弾や5.56mm NATO弾に比べて装薬が少なく、エネルギーは半分程度しかないため殺傷能力が劣ると見られていたが、弾頭の形状や材質を工夫した事で7.62mm×39弾よりも高い殺傷力を有している事がソ連によるアフガン侵攻で判明し、当時FN社で開発中だったM855/SS109の弾頭はこれを参考に完成されている。1980年代に開発された中国の5.8x42mm弾(初速930m/s、弾頭重量4.26g、1,842J、実包重量不明)について、5.56mm NATO弾や5.45mm×39弾よりも高性能で殺傷能力が高く、有効射程は800mまで延長されており、600m程度まで良好な弾道特性を保ち、1,000mで3mmの鋼板を貫通する能力があると中国側は主張している様々なメリットをもたらした小口径高速弾だが、5.56mm NATO弾には一貫して中距離での殺傷力の低さが問題視される傾向があり、戦時には必ず威力不足を指摘する兵士達の不満が表明されてきた。この傾向は2001年からのアフガンにおける紛争で再度強まり、全体のサイズはそのままに、弾頭の重量を倍にした6.8mm×43SPC弾が試作され、米軍でテスト運用されている。しかし、重弾頭を用いれば兵士が携行する弾薬の重量増加にもつながるため、小柄な体格のマイノリティ出身兵士が多い近年の米軍では運用上不利となりかねないという問題が存在し、大量の5.56mm NATO弾ストックを維持している同盟国との調整など様々な問題をはらんでいる。同弾の採否について今以って結論は出されていないが、米軍が5.56mm NATO弾と6.8mm×43SPC弾を同一プラットフォームから使用できるアサルトライフルの試作を各メーカに要求するようになったため、近年の製品では多くが6.8mm×43SPC弾が使用できるバリエーションを有している。歩兵の機械化が進み交戦距離が短縮し続けた第一次世界大戦以降の戦訓に基づき、歩兵用小銃の射程距離は短縮の一途を辿り、ベトナム戦争における小口径高速弾の採用で頂点に達した。しかし、現代軍同士の交戦やジャングル戦では近距離化していたはずの交戦距離の概念が、2001年からのアフガンにおける紛争やイラク戦争といった近年増加している山岳部・砂漠地帯といった開けていて見通しの良い場所での対テロ戦争(非対称戦争)では通用しなかった。見通しの良い場所で.303ブリティッシュ弾のようなフルサイズ小銃弾で狙撃を受けると、有効射程の短いアサルトライフルでは反撃ししづらかったのである。また、自軍兵士の犠牲を減らす事が政治的に重要な要素となった事もあって、近年では交戦前に敵を遠距離から攻撃する試みが増えている。小火器におけるその試みのひとつが、弾頭重量を増加させ中距離以遠での精度と殺傷力を向上させた中口径高速弾の試用と、フルサイズ小銃弾の復活であり、近代化改修を受けたM14 DMRや、AR-10を継承したSR-25やHK417といった、7.62mm NATO弾を使用する命中精度の高い自動小銃が、簡易な狙撃銃として使われる機会が増えた。簡易狙撃銃は精密射撃用の狙撃銃と一般の小銃と中間に位置し従来よりマークスマン・ライフルと定義されてきた。西ドイツでは、1970年代から4.73mmケースレス弾薬(金属薬莢がなく火薬が固形化されている)と、その弾薬を用いた新しいアサルトライフルであるH&K G11が開発されていた。H&K G11と4.73mmケースレス弾薬は、とともに、米軍のプログラムに参加したが、現用のM16に対して低い評価しか得られず、その後の東西ドイツ再統一による財政負荷軽減のため、ドイツ本国での採用もキャンセルされ、量産に移ることはなかった。既存銃器のライフル銃身と弾薬の限界を突破する試みとして、現代の戦車砲に用いられるAPFSDS弾頭と同形態の弾頭を用いた小火器が、1970年代のステアー社で考案された。この案の試作品に用いられたのが、フレシット弾薬と呼ばれる特殊な弾薬であり、鋼製の釘状弾頭をプラスチックのサボットで覆った弾体を、ライフリングの無い銃身から射出する事で、従来の高速弾を遥かに超える1,500m/sの弾速を持つ“”と呼ばれる新種の銃器を開発した。ステアーACRは固定銃身と上下に移動する遊動チャンバー(薬室)を持ち、下方に下りた状態の薬室に弾倉からフレシット弾薬が供給され、引き鉄を絞ると薬室が上方へ持ち上がり、撃発位置に来ると固定撃針により着火するというオープンボルトの短機関銃のような撃発機構を持ち、発射後に下方へ下りた薬室内の空薬莢(プラスチック)は、次弾の装填によって排莢されて真下に落ちる、という構造になっていた。H&K G11とともに米軍のアドバンスド・コンバット・ライフルプログラムに参加し、良好な成績を収めたが、発射後に離脱するサボットが高速で四散し、射手の周囲の兵士に被害を与える可能性が危惧され、それ以上の実用化は進められずに終わった。採用をキャンセルされたH&K G11の代替として、1990年代の終わりにドイツとスペインが共同開発したH&K G36がドイツ連邦軍に採用された。同銃はスコープを内蔵しており、機関部全体が金属で補強されたプラスチック素材で製造されるなど、素材や製法の面では従来の製品より進化していたが、使用弾薬は5.56mm NATO弾を用い、自動装填機構にはショートストロークピストン方式を用いるなど、既存技術を組み合わせただけの製品だったが、これを基にXM8システムが開発された。XM8システムはコンポーネントとして構成された各パーツを組み合わせる事で、SAW・ライフル・カービン・短機関銃に相当する4種の火器を自在に構成でき、内蔵式レーザーサイトや残弾数カウンタといった電子装備を導入していた。H&K社の提案を受けて、米軍によるXM8システムの採用テストが行われ、優秀な成績を残したが、採用の可否についての結論は出ないままキャンセル状態となっている。更新対象だった7.62mm NATO弾が一転して重要な存在となった米軍では、5.56mm NATO弾、6.8mm×43SPC弾(7.62x39弾相当)、7.62mm NATO弾(.303ブリティッシュ弾相当)の3種の弾薬に、最小限の部品交換で対応できる共通のプラットフォームを持った次世代アサルトライフルを求めるようになった。弾薬のサイズが近似した5.56mm NATO弾と6.8mm×43SPC弾の共通化は多くのメーカで達成できたものの、大きくサイズが異なり、発射時の衝撃も大きな7.62mm NATO弾との共通化は既存のアサルトライフルでは困難であり、7.62mm NATO弾用には別サイズのプラットフォームで対応したM16をベースとするHK416/417と、独自設計のFN SCAR-L/Hが提出された。1950年代に設計されたAR-10の発展型であるHK416/417よりも、先進的な設計のFN SCARがテストでわずかに優秀な成績を収め、2009年4月に米陸軍第75レンジャー連隊が最初に納入された600挺を受領し、実戦でのテスト段階へ移行している。グレネードランチャーとアサルトライフルを一体化させた複合火器の研究は、M14採用前後の米国で“計画”として始まり、M16とM203のコンビがベトナム戦争で有効な兵器として活用された経緯があり、これに倣ったソ連/ロシアもAKシリーズやAN-94に装着できるGP-25/30を採用している。近年では、とH&K社が共同開発した“XM29 OICW”のようなアドオン式グレネードランチャーに光学照準器、レーザー測距装置、コンピューターなどを装備したシステムが注目を集めるようになり、各社の競作が始まっている。FN社の“FN F2000”システムをはじめ、“”(豪)、“”(仏)、“K11複合型小銃”(韓国)、マルチバレルのアサルトライフル“”(インド)といった製品の開発が進められているが、重量やコストの問題から実用化に至っているものはごくわずかである。

出典:wikipedia

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