LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

泰緬鉄道

泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。存置部分は、タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。バンコクのトンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)を始発駅とし西部へ進みナコーンパトム県、ラーチャブリー県、カーンチャナブリー県を通り、ミャンマー・ヤンゴンへ至る。現在では泰緬(タイ・ミャンマー)両国は国境付近の鉄道を取り払い、タイ側ではトンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)からナムトック駅(臨時列車がナムトックサイヨークノーイ停車場まで運行されることもある)まで1日2往復の列車が運行されている。この鉄道の建設は20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが検討していたが、地形が複雑で建設を断念した。戦時中の1942年、旧日本軍は海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設を開始した。建設計画はイギリスが検討した5つの案(チェンマイ - トングー、ピッサヌローク・ターク - モールメン、現在のルート、カンチャナブリー - タボイ、チュンポン - メルグイ)の内の1つを踏襲している。建設は迅速さを要求されたためビルマ側・タイ側両方から開始した。ビルマ・タイにはすでに多少の鉄道が建設されており、タイ側は南本線のノーンプラードゥック駅から、ビルマ側からはタンビュザヤより建設を開始した。建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(うち1万2619人が死亡)のほか、募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者 ➖ タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。建設現場の環境は劣悪で、特に工事の後半は雨季にもかかわらずさらなる迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数に上り、戦後に問題となった。犠牲者数は日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが、総数の約半分と言われる。特に、巨大な一枚岩を掘り下げるなどしたと呼ばれる箇所や、断崖絶壁に沿わせるように木橋を建設したアルヒル桟道橋など未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。こうした労働者の多大な犠牲のもと、当初5年は掛かると言われた建設が翌年10月には完成した。戦時中、完成後は連合軍の爆撃機により空爆が行われ、橋は破壊されては復旧されることを繰り返していた。それにも関わらず、連合軍は鉄道の輸送を完全に止めさせることができなかった。これは「枕木一本、死者一人。」と言われる一因となる。捕虜収容所は橋から近かったため、連合軍の爆撃で外れた爆弾が多々落ちてきて、多数の死者が出た。その後必要性の低さ(英国はこの鉄道をシンガポール港の重要性を下げる要因になると考えた)、維持費の高さなどから、ミャンマー側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる区間が廃止となった。また、タイ側の一部はダムに沈んでいる。戦後、泰緬鉄道建設を担った鉄道連隊に所属する兵士や連合軍捕虜を取り扱った俘虜収容所の関係者らが、BC級戦犯として「捕虜虐待」などの戦争犯罪に問われ、処刑された(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件を参照)。「ロウムシャ」の徴集には銃剣をつきつけ脅かして強制連行した例が見られるという現在建設の中心部となったカーンチャナブリー市内には連合国捕虜の共同墓地や戦争記念館が建設されている。現在、ミャンマー政府は泰緬鉄道の廃線部分に新たな鉄道と幹線道路を建設する計画を進めている。。1979年に2両のC56形蒸気機関車が帰還を果たし、日本国内で保存されている。31号機が東京・九段の靖国神社内の遊就館に静態で、もう一両は大井川鐵道の動態保存機44号機である。44号機は当初静岡県の大井川鐵道で日本仕様に復元(切り詰められた運転台屋根や炭水車の後端部形状等にタイ時代の仕様が残る)の上、動態保存されていたが、老朽化が激しく2003年12月に一旦休車、同鉄道の千頭駅で静態保存とされたものを再度同鉄道が復活修繕し外観もタイ国鉄時代の姿に戻され、2007年9月に復活火入れ式を行い、2007年10月7日より運用に復帰している。2010年12月に再び国鉄仕様に復元され、翌1月から運用に復帰している。またタイ国内にも車両が多少残されており、クワイ川鉄橋近くには蒸気機関車719号機(旧C56 23 1935年汽車製造製、製造番号1352)及び蒸気機関車804号機(1915年Kitson製、製造番号5162)が静態保存されている。ナムトックサイヨークノーイには蒸気機関車702号機(旧C56 4 1935年三菱重工製、製造番号156)が静態保存されている。JEATH戦争博物館には蒸気機関車175号機(1919年N.B.L.Co.,Hyde Park製、製造番号21758)また、捕虜を運ぶのに使った貨車C.G.1460がそれぞれ静態保存されている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。