LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

京釜線

京釜本線(キョンブほんせん)は、大韓民国ソウル特別市中区にあるソウル駅と釜山広域市東区にある釜山駅とを結ぶ、韓国鉄道公社(KORAIL)の鉄道路線である。正式名称は「京釜本線」だが、専ら「京釜線」と呼称されることが多い。京釜線はソウルと釜山という2大都市と、大田、大邱を経由する韓国の最重要幹線である。日本の路線で例えるなら東海道本線に相当し、湖南線、全羅線、長項線、慶全線といった主要幹線への直通輸送ルートも形成している。早期に複線化された路線は線形も良く、一般列車も最高速度150km/hで走行する。輸送量は旅客・貨物とも常に一位であり、その過密輸送を改善する為にソウルから天安までの区間は複々線化されて、広域電鉄として、電車による通勤・近郊輸送が行われている。また、フランスTGVの技術を利用したKTXが、京釜高速線と京釜線を経由して最高速度305km/h(京釜線内は150km/h)で走行し、ソウルと釜山を2時間弱で結んでいる。ほとんどの駅が有人駅であるが、無人駅や簡易委託駅、旅客扱い休止駅も存在する。KTX開業後は並行在来線になっているが、ITX-セマウルやムグンファ号は多数運行されている。19世紀後半、朝鮮政府は財政上逼迫した状態で、多くの採掘権等の利権を外国人に売却していた。その中で京仁鉄道敷設件は、アメリカ合衆国のモーリスが敷設権を獲得して建設を開始したが、労働争議、支払い争議問題で頓挫し、建設の半ばで180万円で日本の渋沢栄一らの京仁鉄道合資会社に売却し、渋沢栄一らが完成にこぎつけた。これが朝鮮半島最初の鉄道である。モーリスは京城(現:ソウル)と釜山を結ぶ鉄道敷設権は同時に獲得していたが、資金難のために敷設権を日本が譲り受けて京釜鉄道を設立し、1901年に着工した。建設中の1904年に日露戦争が勃発すると、軍事物資の決戦輸送のために突貫工事で建設され、一部河川などはフェリーで輸送する暫定的なものながら1905年に全線開通し、日本の対露戦勝に貢献した。鉄道の重要性より、多くの鉄道の鉄道国有化に合わせて総監府鉄道管理局の所管となり、総監府鉄道庁、日本政府韓国鉄道局、日韓併合を経て朝鮮総督府鉄道局の運営となった。京釜本線は、京城と新義州を結ぶ京義本線と共に日本の大陸政策の基幹となる最重要路線で、1910年代には全面改良され、いち早く複線化も完成した。蒸気機関車と客車は概ねアメリカ製で鈍重ではあったが、蒸気機関車は高速高性能で、日本にはない迫力を感じさせた。また、南満州鉄道(満鉄)の路線と接続して国際列車が運転され、一時的だが朝鮮全域の鉄道運営が南満州鉄道に委託されたこともある。昭和時代になると、日本製の高性能機関車と軽量客車の登場で所要時間が短縮、関釜連絡船と接続して特急「あかつき」や急行「ひかり」・急行「興亜」など多くの優等列車が運行されたが、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦局悪化と共に「ひかり」・「興亜」を除く優等列車はほぼ廃止され、普通列車も所要時間の延長と区間の短縮が繰り返された。1945年に朝鮮(韓国)は日本から自治を回復するが、京釜線は基幹路線としての地位を変えることはなく、朝鮮戦争の際も多くの軍事物資と兵員の輸送に貢献した。朝鮮戦争の後も多くの貨物・旅客を輸送して経済成長に貢献し、優等列車も多数設定された。また、アメリカの援助で導入された大馬力ディーゼル機関車が蒸気機関車廃止による無煙化と近代化、旅客・貨物の大量高速輸送を支えた。1974年8月15日にはソウル駅から水原駅までが電化、ソウル駅から永登浦駅までが複々線化される。日本から導入された電車が複々線の電車線を走行し、同時に開業したソウル地下鉄1号線を経由、京元線城北駅(現・光云大駅)まで運転を開始した。永登浦駅から水原駅までは1981年12月23日に列車線と電車線が分離・複々線化され、電車の大増発が実現した。この後、ソウル首都圏にくまなく都市鉄道網が整備され、現在の広域電鉄に至る。また、1984年から列車線を利用した『高速電鉄』(後に『直通』、現『急行』)の運転を平日朝夕に開始したが、長距離列車が数多い中で1日3, 4本程度という状態が20年間続いた。一方、長距離路線では首都圏の電化開業と同時に、京釜線を中心にした鉄道網の高速輸送を目的とした超特急セマウル号が登場した。セマウル号には1986年から国産の新型機関車と専用客車、専用気動車が続々と登場し、ソウル駅と釜山駅を最速4時間10分で結んだ。しかし、京釜線の輸送力も限界に近づいていた。ソウルと釜山という2大都市のほかにも大田や大邱を抱え、湖南線、全羅線、長項線、慶全線といった主要幹線への輸送が加わり、1990年代には輸送力がピークに達した。このため、抜本的な解決策として増線が計画された。2004年4月1日にフランスTGVの技術を採用したKTX京釜高速線の第一期区間が開業し、ソウル駅 - 釜山駅の所要時間は3時間を切った。これによって在来線である京釜線を走行する旅客列車が削減され、またKTXは専用線を走行する区間が多い為、貨物列車や他路線への直通列車を増発する余裕が生まれた。首都圏電鉄(現:広域電鉄)では都心の鷺梁津駅 - 九老駅が三複線化し、鷺梁津駅止まりの電車が設定された。この三複線は後に龍山駅へ暫定的ながら延伸し、1999年1月29日に京仁線の複々線化が完成して、富平駅から龍山駅まで急行運転を開始した(ただし、京釜線内は各駅停車)。南部方面では、2003年4月30日に水原駅から餅店駅までが電化・複々線化して電車がソウル中心部から直通運転、広大な車両基地を備えて天安駅延伸に備えた。そして、2005年1月20日に餅店駅から天安駅までが電化・複々線化され、ソウルからの直通運転列車が忠清南道まで運行されることになった。さらにKTX開業によって余裕の生まれた列車線を使用した急行運転も開始した。KTXの乗り入れと広域電鉄の延伸開業によって電化区間が拡大したが、その後も引き続いて残り区間の電化が進められ、2006年12月8日に最後まで非電化で残っていた沃川駅 - 新洞駅間の電化が完了し、京釜線の全線電化は達成された。そして新型電気機関車による本格的な運転が2007年3月1日から始まり、今後の高速運転による輸送力増加が期待されている。なお北朝鮮では、この路線と京義線の一部をあわせた平壌から釜山までを平釜線としている。線路自体は接続されているものの、現実には自国実効支配下の開城までしか旅客営業されていない。いずれも電車

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。