奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年12月1日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。元田宮企画顧問。劇団民藝の法人取締役および劇団共同代表を務める。父は洋画家の奈良岡正夫。東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)駒込生まれ。府立第一高女(現・東京都立白鴎高等学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市に疎開し、青森県立弘前中央高等学校卒。女子美術大学卒業。1948年、民衆芸術劇場付属俳優養成所に1期生で入所し、同年の『女子寮記』の寮生役が初舞台となる。1950年に劇団民藝創設に参加し、旗揚げ公演の『かもめ』に小間使役で出演した。1954年の『煉瓦女工』で初めて主役を演じ、『イルクーツク物語』のワーリャ役、『奇跡の人』のサリバン役などに出演、劇団の中堅女優として活躍した。民藝創設者の宇野重吉、滝沢修の死後は大滝秀治と共に代表を務める(法人の代表権は大滝が持ち、奈良岡は取締役)。また、2005年~2006年には『ドライビング・ミス・デイジー』で無名塾の仲代達矢と共演した。舞台のほか、ナレーターとしても活躍(特に橋田壽賀子脚本作品では頻繁に起用され、橋田の盟友である石井ふく子プロデュース作品にも出演)。映画では『どですかでん』や『はなれ瞽女おりん』などの演技で知られる。1992年、紫綬褒章を受章。2000年、勲四等旭日小綬章を受章。洋画の吹替えでは、ジャンヌ・モローやキャサリン・ヘプバーンの声を担当した。多くの大物俳優、女優などの芸能人と交友関係が広く、中でも石原裕次郎が最も尊敬していた女優として大先輩の奈良岡を挙げていたため、藤堂俊介係長(ボス役)で出演していた石原裕次郎が勇退した後の『太陽にほえろ!PART2』で篁朝子係長(ボス役)として出演しており、『太陽にほえろ!』においても石原裕次郎と共演したことがある(192話「2・8・5・6・3」等)。石原がNHKの番組ビッグショーに出演した際も共演した。杉村春子とは1974年の舞台共演やTBS系ドラマ『おんなの家』シリーズ共演が縁となり、生涯に渡って実妹のようにとても可愛がってもらったと『徹子の部屋』出演時に語っており、杉村からは生前「私のことは春ちゃんと呼んでいいのよ。」とよく言われていたそうだが「恐れ多くも杉村先生に対してそのような事は言えなかった。」とも番組内で語っていた。美空ひばりの事を、唯一敬称を付けずに本名の和枝と呼べた大親友でありプライベートでも特に親交が深かったそうで、晩年ひばりが実妹のように可愛がっていた岸本加世子をひばりに引き合わせたのが太地喜和子と奈良岡である。1986年にTBS系(中部日本放送制作)のトーク番組だった『すばらしき仲間』の対談収録後に、奈良岡の自宅へ太地と岸本が飲食に訪れたところ、太地が奈良岡に「御嬢へ連絡して今から会えないって誘ってみようよ。」と話したそうで、奈良岡がひばりの自宅に電話を掛けて呼び出した後に、奈良岡と太地の元へ訪れたのがきっかけでその後個人的に気に入られて大変可愛がっていただいたと岸本がNHKのひばり特集の番組内などで度々語っている。田宮二郎は生前、奈良岡を実姉の様に慕っていたそうで、奈良岡は田宮の個人事務所である田宮企画の顧問を務めていた時期があった。田宮は自決前に奈良岡宛てにも遺書を残していたという。沢田研二の大ファンである。黒柳徹子とはデビューが同時期で当時から親交があり、『徹子の部屋』へは番組開始当初から現在まで定期的に出演していて、父親の奈良岡正夫の貴重な絵画を黒柳へ進呈したそうで、黒柳は今も大切に所有していると番組内で語っている。八千草薫と草笛光子、池内淳子とはプライベートで『女の会』というグループを結成したほどかなり仲が良かったと言い、年に一回は周囲に迷惑を掛けないようにホテルに集まっては大騒ぎをしていたそうで、池内が逝去した時は大変ショックだったと『徹子の部屋』出演時に共通の親友でもあった黒柳と一緒に池内との思い出話を語っている。若尾文子や生前の山岡久乃や森光子とも長年に渡って親交が大変深い。大竹しのぶを実娘のように可愛がっている。
出典:wikipedia
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