夕張駅(ゆうばりえき)は、北海道夕張市末広2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線(夕張支線)の駅である。駅番号はY25。電報略号はユウ。主要産業の変化に伴い、駅は路線を短縮する形で2度移転された。以前は石炭の運び出しの便を図るため、市の奥地である、夕張市福住の現在の石炭の歴史村付近に駅があった。その当時は夜間滞泊も行われていた。相次ぐ炭鉱閉山の影響により過疎化が急速に進行、夕張市は観光を主要産業に位置付け開発に乗り出し、1985年に市の中心部夕張市本町4丁目の夕張市役所及び夕張市民会館裏の夕張鉄道旧夕張本町駅構内跡地に移転した。これが2代目夕張駅である。初代夕張駅の駅舎はその後、株式会社石炭の歴史村観光と夕張観光開発株式会社の本社屋である、石炭の歴史村の管理事務所(石炭の歴史村管理ステーション)に転用されていた。道道38号夕張岩見沢線の切り替え工事にあたり、同事務所は2006年10月4日に旧「ファミリースクールふれあい」へ移転。これは、閉校した市立旭小学校校舎を転用した宿泊研修施設が、市の財政再建問題の関係で同年9月18日限りで閉鎖となったものである。旧駅舎は同年10月10日より解体された。2代目夕張駅の駅舎は3両の貨車を改装し連結したものであった。貨車はワフ29500形のワフ29756、ワフ29900とワム80000形のワム86579の3両で、車輪を付けたまま駅舎に改造された珍しい例であった。その後、リゾート開発に伴い、鹿ノ谷 - 夕張間、夕張市末広2丁目のホテルマウントレースイ前に新駅を設置する構想が浮上した。しかし、勾配と駅間距離の短さから実現せず、1990年に夕張駅自体が新駅の予定地点へと移転することになった。これが3代目夕張駅である。2代目旧駅舎は「キハ69900」とペイントされ、「石炭の歴史村」のSL館と遊園地「アドベンチャーファミリー」の間に長らく設置されていた。近況は不明である。2度の駅の移転にあたり、歴史的背景を無視している、路線短縮がゆくゆくは路線廃止につながるという反対意見もあった。石勝線夕張支線の終着駅。単式ホーム1面1線の地上駅である。1998年(平成10年)頃に一度無人化された。2007年(平成19年)より簡易委託による乗車券の販売が再開され、駅構内ではなく駅舎の背後にあるホテル「マウントレースイ」のフロントで取り扱っていたが、現在は取り扱っていない。新夕張駅管理。
出典:wikipedia
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