最澄(さいちょう)は、平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。なお、年齢は神護景雲元年出生説に基づく。書における師承は明らかでないが、延暦23年(804年)に入唐し、帰朝に当って王羲之の十七帖、王献之、欧陽詢、褚遂良などの筆跡や法帖類を持ち帰った。その書風は空海の変幻自在なるに比べて、清澄で品格が高い。真跡として現存するものには次のようなものがある。『久隔帖』(きゅうかくじょう)は、弘仁4年(813年)11月25日付で書いた尺牘(書状)で、「久隔清音」の句で始まるのでこの名がある。宛名は「高雄範闍梨」とあり、これは高雄山寺に派遣した最澄の弟子の泰範であるが、実質は空海宛である。心が筆端まで行き届き、墨気清澄・品格高邁で、さながら王羲之の『集字聖教序』を肉筆化したような響きを放つ。大きさは、29.2cm×55.2cm。奈良国立博物館蔵。国宝。文面は、「大阿闍梨(空海)の示された五八の詩(『中寿感興詩』)の序に、『一百二十礼仏』・『方円図』・『註義』という書名がある。その詩の韻に和して返礼の詩を作って差し上げたいが、私は『礼仏図』なるものをまだ知らない。どうかこの旨を阿闍梨(空海)に伝えられ、『方円図』・『註義』とその大意とをお知らせいただきたい。(以下省略)」という趣旨の内容である。『請来目録(越州録)』(しょうらいもくろく(えっしゅうろく))は、在唐中、最澄が越州(浙江)で蒐集または抄写した経疏、天台関係の文書、法具などの目録で、延暦24年(805年)に書かれたものである。楷書であるが久隔帖と同じく王羲之風の流麗な筆致である。延暦寺蔵。国宝。『羯磨金剛目録』(かつまこんごうもくろく)は、最澄が唐からの請来品を弘仁2年(811年)比叡山に奉納した目録の断片で、その初行の文字によってこの名がある。全紙に比叡山の印が捺されている。延暦寺蔵。国宝。伝教大師童形像は、生源寺(滋賀県大津市)、延暦寺(滋賀県大津市)、雙林寺(京都府京都市)、三千院(京都府京都市)、松尾寺(大阪府和泉市)、能福寺(兵庫県神戸市)、普光寺(兵庫県加西市)、長法寺(岡山県津山市)、天王院(神奈川県横浜市)、立石寺(山形県山形市)など天台宗の寺院に設置されている。その髪型は唐代女子の垂練髻を結い、装束は唐の宮中に仕える女子の漢服を着ている。
出典:wikipedia
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