阿羅漢 (あらかん、、アルハット)は、仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語。略称して羅漢(らかん)ともいう。漢訳には応供(おうぐ)という意訳もある。釈迦牟尼仏の十号のひとつでもある。 部派仏教では、修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。 学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位」という。それ以下は、不還果・一来果・預流果を「有学」という。(四向四果)arhat(arhan) の原意は「(応供の)資格を有する(者)」という意味で、仏教成立以前から存在した述語であることはほぼ間違いない。しかし、仏教成立以前からインドの諸教で用いられていたかどうかについては、未だ定説と呼べるものはない。語源として、煩悩の賊(ari)を殺す(han)から殺賊(せつぞく)と言われたり、涅槃に入って迷いの世界(三界)に生れない(a(不)+ruh(生ずる))から不生(ふしょう)と言われたりするが、これはいずれも通俗語源解釈である。本来は「価値ある」「立派な」などの意味を持つ語根〈arh-〉の派生語である。阿羅漢はそれ自体が修行過程の果得を示す用語であるとともに、応供の資格を表す尊称でもあるため、経典には「偉大なる阿羅漢にして仏(如来)」などと言った表現が出現する。声聞や縁覚(独覚/辟支)や菩薩も阿羅漢であることに変わりはない。仏教では、阿羅漢でない者が阿羅漢を名乗ることを故意・過失を問わず「大妄語」とし、最も重い波羅夷罪を科して僧団追放の対象とした。大乗仏教の漢訳圏では、経典内の阿羅漢の用法がよく理解されず、声聞と阿羅漢とを同一視し、菩薩や仏と対置して批判的にみる俗説が通流した。その一方、中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢、第1回の仏典編集(結集)に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して図像化することも盛んであった。ことに禅宗では阿羅漢である摩訶迦葉に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、 『大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記』()によると、仏滅800年経ち、ナンディミトラ(慶友)大阿羅漢が大衆に説いたとされる、仏勅を受けて永くこの世に住し衆生を済度する役割をもった16人の阿羅漢。「法住記」に示される十六羅漢に、後世、二人の羅漢を追加して十八羅漢と呼ばれる。追加される羅漢は諸説あり、定まらない。例えば、賓頭盧を別の羅漢として、ナンディミトラ(慶友)自身とあわせ十八羅漢とする場合もある。 また、チベット仏教では、17番目をナンディミトラとし、18番目を玄奘三蔵としている。仏陀に常に付き添った500人の弟子、または仏滅後の結集(けつじゅう、仏典編集)に集まった弟子を「五百羅漢」と称して尊崇・敬愛することも盛んにおこなわれてきた。
出典:wikipedia
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