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山城国

山城国 (やましろのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する。「やましろ」は、古くは「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。延暦13年11月8日(794年12月4日)の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から「山城国」に改称した。これが「城(ジョウ、き)」という字を「しろ」と読む原因となった(詳細は日本の城を参照)。平城京時代の木簡を見る限り「山代国」・「山背国」の表記は並存していたと見られている。山城国内に設けられた天皇の宮殿(宮・京)は、次の通り。国府所在地を記した文献は次の通り。国府は数度変遷したと見られており、現在では次のように推定されている。これらの度重なる移転は、遷都の影響とみられる。延喜式内社総社・一宮山城国の一宮指定には地方諸国と異なって神祇官が関わっているとされている。11世紀末から諸国でそれぞれに一宮が成立していく中で、畿内ではそれに対応して12世紀になってから決められたと考えられる。二宮以下は存在しない。守護所は、当初、山城国守護を京都守護が兼任していたため、京都守護の御家人の館が当てられた。その後、六波羅探題が兼務するようになり、守護所も六波羅となった。室町時代に山城国を宇治川を境に上三郡と下五郡に分割して、それぞれに守護代を任ずるようになってからは、上三郡の守護所が宇治槙島に置かれ、下五郡の守護所が淀など数ヶ所に置かれた。※郡名は『延喜式』による。

出典:wikipedia

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