光線銃シリーズ(こうせんじゅうシリーズ)は、任天堂より発売された光を用いた射撃玩具。考案者はゲーム&ウオッチ等を手掛けた横井軍平。1970年に発売された光線銃・光線銃SPシリーズは、太陽電池をセンサーの代わりに組み込んだ標的を銃口から発する光をあてて撃つというシンプルな玩具であったが、そのハイテクなイメージとバネ仕掛けで吹き飛ぶビール瓶や鳴き声を挙げるライオンの壁掛けなど様々なリアクションをするバリエーション豊かな標的が人気を集め、その年の玩具の売り上げトップを記録するほどの大ヒット商品となった。任天堂は1973年に子会社の任天堂レジャーシステムを設立し、ブームが去ったボウリング場の跡地を利用して、光線銃の技術を用いた大型レジャー施設『レーザークレー』を展開した。翌年には西部劇を題材とした『ワイルドガンマン』等の業務用射撃ゲームも作られた。各地にレーザークレー射撃場を置いたが、第一次オイルショックの影響ですぐに客足は遠のき、レーザークレーシステムに社運をかけていた任天堂は多額の負債を背負うこととなった。1976年には、カメラのストロボに使用されるキセノンランプを用いることにより100メートル以上の射程距離を実現した光線銃カスタムシリーズが登場。標的もさらに趣向を凝らし、人形内に通した糸にテンションをかけたり緩めたりすることで撃たれた際に崩れ落ちるように倒れる様を再現した『光線銃カスタムガンマン』などが発売された。さらにその翌年にはプロジェクタによって壁に投影されたカモを撃ち落とす『ダックハント』も発売されたが、これらは玩具としては高価になりすぎたため、カスタムシリーズや『ダックハント』は SPシリーズのようなヒット作とはならなかった。任天堂は、光線銃SPのヒットがきっかけとなって光線銃の太陽電池を開発した技術者・上村雅之をシャープから引き抜くなどして、エレクトロニクス技術を用いた玩具の開発に力を注ぐようになったが、その後の商品展開は決して順調とはいえず、逆に大きな負債を抱え込むこともあった。しかしながら、その後もエレクトロニクス技術の習得とそれを用いた玩具の開発・販売を続ける。一方、任天堂レジャーシステムはレーザークレーに代わってレジャー施設やゲームセンター向けの業務用ゲーム機を手掛けるようになる。それが業務用で大ヒットとなった『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』と言った人気ゲームにつながり、さらにはそれらが家庭用に移植されたゲーム&ウオッチやファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)の成功に繋がっていった。その後、『ワイルドガンマン』等の一部の光線銃ゲームは、後にファミコン用ゲームという新たな形で登場することとなった。1984年にファミコン上でガンシューティングゲームを再現するための光線銃型コントローラ「ガン」及び専用ゲームソフトが光線銃シリーズの名で発売された。トリガーを引くとゲーム画面がターゲットの位置のみ白く表示される識別用の画面に切り替わり、銃口のセンサーがこれを感知して命中判定を行う。この識別用画面の表示は一瞬のため、人間の目には画面がちらつく程度にしか認識されない。1985年にはでも発売された。『ダックハント』や光線銃がNES本体に同梱されるバージョンがある。また、任天堂VS.システムの海外版でもこれを使用したタイトルが発売されている。当時のファミコン最初期のラインナップのうち通常のゲーム(『ドンキーコング』、『マリオブラザーズ』、『ポパイ』など)は、難易度別に初心者向けのGAME Aと上級者向けのGAME Bがスタート時に選択できるが、光線銃シリーズはそれに加えてGAME Cがあり、AやBとは違うルールのゲームを遊べるようになっていた。日本国内では以下の3タイトルのソフトウェアが発売されたが、これ以降はサードパーティーを含めても光線銃専用のゲームは発売されなかった。ただし、『オペレーションウルフ』(タイトー)や『マッド・シティ』(コナミ)などの光線銃対応ゲームは発売された。バーチャルコンソール版では光線銃をWiiリモコンで代用する形となっている。
出典:wikipedia
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