西武遊園地駅(せいぶゆうえんちえき)は、東京都東村山市多摩湖町三丁目にある、西武鉄道の駅である。西武園ゆうえんちの南方に隣接して立地する多摩湖線の終点。1985年(昭和60年)4月以降は山口線の起点にもなった。構造は地上駅で、1面2線の多摩湖線用島式ホームの始端側に、山口線の1面1線の単式ホームが配置され、両路線のホームは段差を経ることなく往来が可能である。当駅は当初村山貯水池駅(むらやまちょすいちえき・初代)として開業し、のち狭山公園前駅(さやまこうえんまええき)、次いで多摩湖駅(たまこえき)と二度の改称を経て、1979年(昭和54年)3月に西武遊園地駅へ改称された。なお、遊園地名称は「西武園ゆうえんち」であるが、駅名は「西武遊園地」であり、「園」の文字は入らない。駅番号は多摩湖線がST07、山口線がSY01である。多摩湖線の前身である多摩湖鉄道は、1930年(昭和5年)1月に萩山 - 村山貯水池(仮)間を開通させたのち、懸案であった(旧)西武鉄道村山線(現・西武新宿線および西武園線)の延伸区間である通称「箱根ヶ崎線」との交差部分の調整が完了したことから、村山貯水池駅(仮)より0.9km延伸した地点に本設の村山貯水池駅(初代)を建設し、1936年(昭和11年)12月に開業した。開業当初の同駅は築堤上に位置する1面1線構造で、付近の住宅開発は進んでおらず、需要は主に村山貯水池(多摩湖)を訪れる観光客輸送であった。なお、当駅の東方には(旧)西武村山線の「村山貯水池前駅」が1930年(昭和5年)4月に開業しており、当時は別企業の路線であった両者は観光客輸送を巡って熾烈な争いを繰り広げた。1940年(昭和15年)4月に多摩湖鉄道は(現)西武鉄道の母体企業である武蔵野鉄道に吸収合併され、当駅も武蔵野鉄道多摩湖線の駅となったのち、日中戦争に端を発する戦局の激化に伴って1941年(昭和16年)4月1日付で狭山公園前駅と改称された。これは「貯水池」という軍事上重要な施設の存在を隠蔽する国防上の理由によって実施された改称であり、村山貯水池近辺に点在する各路線の駅についても、(旧)西武村山線「村山貯水池前駅」は「狭山公園駅」に、武蔵野鉄道狭山線「村山貯水池際駅」は「村山駅」にそれぞれ改称が実施された。1951年(昭和26年)9月に当駅は多摩湖駅と改称された。さらに1961年(昭和36年)9月には路線そのものを0.4km延長し、当駅は西武園ゆうえんちに隣接する現在地へ移転した。これは当時萩山 - 多摩湖間において唯一列車交換設備を有した武蔵大和駅が、構造上長大編成の運用に対応することが困難であり、当駅を2線構造化すると同時に、八坂 - 武蔵大和間に回田信号場を新設して代替の交換施設を確保することとなったためである。新たに建造された駅は現在と同様に島式ホーム1面を有する2線式で、ホーム有効長は当初1番線が125m、2番線が85mであったが、後年輸送力増強に伴う8両編成の列車入線に対応するため、1967年(昭和42年)12月にホーム延伸工事が施工され、1番線は177m、2番線は167mの有効長にそれぞれ延長された。その後、1979年(昭和54年)3月25日付で実施された各路線の駅名改称に際して、当駅は西武遊園地駅(2代)と改称され、従来「西武遊園地駅(初代)」を称した山口線「おとぎ列車」の駅は「遊園地前駅」と改称された。1985年(昭和60年)4月には山口線の新交通システム転換に伴う経路変更によって、多摩湖線ホームの始端側(北側)突端に山口線ホーム(3番線)が新設され、山口線の起点駅は再び「西武遊園地駅」となった。2013年度の1日平均乗降人員は2,696人である。西武鉄道全92駅中83位であり、年々利用者の減少が続いている。近年の1日平均乗降人員、乗車人員の推移は下記の通り。なお多摩湖線と山口線を当駅で乗り換える客は含んでいない(下記の数値は両線の当駅乗降の客数)当駅は西武園ゆうえんち(中央口)の最寄駅である。なお、西武園ゆうえんち中央口と当駅北口改札は階段を介して連絡しているため、ベビーカーや車いす利用者は、山口線遊園地西駅最寄りの西口からの入園が推奨されている。西武園競輪場へは西武園線の西武園駅が最寄駅であり、双方の駅は約800m離れた位置に立地している。また、駅の西側の村山貯水池(多摩湖)一帯は東京都立狭山自然公園となっており、自転車道(サイクリングロード)などが整備されている。西武園ゆうえんち(駐車場内)発
出典:wikipedia
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