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北陸新幹線

北陸新幹線(ほくりくしんかんせん)は、上信越・北陸地方を経由して東京都と大阪市とを結ぶ計画の高速鉄道路線(新幹線)であり、整備新幹線5路線の一つである。2015年(平成27年)3月14日現在、高崎駅 - 金沢駅間が開業している。前述のとおり2015年(平成27年)3月14日に、高崎駅 - 金沢駅間までが開業し、首都圏から長野県東信・北信地方、新潟県上越地方、富山県、石川県への大幅な所要時間短縮を実現した。高崎駅 - 上越妙高駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)により、上越妙高駅 - 金沢駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)により運行されており、両社の乗務員の交代は長野駅で行われている。列車運行上では高崎駅を発着とする列車はなく、その先の東京駅(一部臨時列車は上野駅)まで乗り入れており、東京駅 - 大宮駅間は東北新幹線と、大宮駅 - 高崎駅間は上越新幹線と線路を共用している。1997年10月に長野行新幹線として高崎駅 - 長野駅間が開業した時点では、首都圏から長野までの所要時間は大幅に短縮されたが、首都圏と北陸を結ぶ主たる交通機関としては機能しておらず、その約半年前に開業した北越急行ほくほく線を経由し、越後湯沢駅で上越新幹線に接続する特急「はくたか」が首都圏と北陸地方の鉄道輸送を担ってきた。そのため同区間を運行するJR東日本は旅客案内上、正式名称の「北陸新幹線」に代わり、「長野新幹線」という通称を用いていた。2015年3月に長野駅 - 金沢駅間が開業したことにより、東京駅 - 富山駅間を2時間8分(最速達列車)、東京駅 - 金沢駅が2時間28分(同)で結び、特急「はくたか」はその役目を終え、その名は新幹線の列車名として受け継がれている。金沢駅まで延伸開業以後は同新幹線の名称を「北陸新幹線」に統一したが、長野県の要請に基いて、JR東日本の管轄区間に限って「北陸新幹線(長野経由)」の表記で案内されている。一方、富山 - 金沢間では「はくたか」の他、関西方面とを結ぶ特急「サンダーバード」、中京方面とを結ぶ特急「しらさぎ」も部分廃止となり、富山県内から関西・中京方面へは金沢駅での乗り換えが必須になった。また、新幹線の運行時間帯の影響から金沢駅での「サンダーバード」「しらさぎ」の上り始発列車には間に合わなくなり、逆に到着時刻が遅くなった現象が発生している。金沢駅までの開業により、高崎駅 - 上越妙高駅間がJR東日本、上越妙高駅 - 金沢駅間がJR西日本の管轄となった。同一名称の新幹線の路線が複数の鉄道会社によって管轄・運行されるのは、北陸新幹線が初めてであり、2016年現在唯一である。また、JR西日本では北陸新幹線とは別に山陽新幹線も運営しているが、1つの鉄道会社が運営する新幹線の路線が直接つながっていない事例も初めてである。JR東日本では、輸送指令を除き在来線同様に地方支社が新幹線も管理する体制を取っているため、高崎駅 - 安中榛名駅間は高崎支社、軽井沢駅 - 飯山駅間は長野支社、上越妙高駅は新潟支社の管轄である。JR西日本の糸魚川駅 - 金沢駅間は、北陸新幹線が山陽新幹線と直接つながっていないこともあり、山陽新幹線を管轄している新幹線管理本部ではなく、金沢支社の管轄である。なお、JR東日本・JR西日本の管理境界は上越妙高駅の金沢方・高崎起点177km950m地点である。未開業区間のうち金沢駅 - 敦賀駅間が2023年(平成35年)春に開業する予定である。なお、敦賀駅から大阪市に至るルートについては様々な議論が行われているが、2016年に至るまでルートが確定していない(議論の詳細は北陸新幹線敦賀以西のルート選定を参照)。建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画では、北陸新幹線の起点は東京都となっているが、JR線路名称公告、『鉄道要覧』、国土交通省のいずれにおいても、北陸新幹線は(金沢開業前の時点で)高崎駅 - 長野駅間の117.4kmとなっており、高崎駅を起点としている(東京駅 - 大宮駅間は東北新幹線、大宮駅 - 高崎駅間は上越新幹線)。従来「長野新幹線」と呼ばれていた区間についても、正式には開業時から「北陸新幹線」の一部である。JR線路名称公告においてほかの多くの新幹線は、並行する在来線の増設線として扱われ、独立した路線とはみなされていないのに対して、北陸新幹線は独立した路線として扱われている。これは、長野駅まで開業した際、並行在来線である信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間が廃止され、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間はJRからしなの鉄道に移管・経営分離されたためである。同様の例として九州新幹線新八代駅 - 川内駅間(並行在来線は肥薩おれんじ鉄道に移管)がある。JR線路名称公告に記載されている新幹線はこの2つだけであり、ほかの新幹線は記載されていない。なお、富山駅 - 上越妙高駅間は基本計画路線に入っている羽越新幹線との共用区間であるが、基本計画決定以降こちらの建設については動きはない。既開業区間のラインカラーはJR東日本管内(高崎駅 - 上越妙高駅間)が緑()、JR西日本管内(上越妙高駅 - 金沢駅間)が青()。2015年3月14日時点各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。各構造物の距離は、鉄道建設・運輸施設整備支援機構(旧・日本鉄道建設公団)が国土交通省に提出し認可された「整備新幹線の工事実施計画」、各県が公表している資料、市役所や町役場で情報公開(住民以外には非開示の自治体や住民以外は情報公開請求自体ができない自治体もある。)している「ルート平面図」・「中心線測量図」・「環境影響評価報告書環境図」など、情報源によって数値がまちまちであるが、以下は鉄道建設・運輸施設整備支援機構の工事実施計画によった。着工後、構造物の距離は変更される場合がある。また未開業区間の名称は仮称である。このほか、長野県千曲市が長野駅-上田駅間に新駅「新千曲駅」(仮称。旧仮称「更埴駅」)を誘致する運動を行っている。新幹線新駅誘致は「長野新幹線」計画段階から当時の更埴市が構想していた。1992年3月には鉄建公団との設計協議で更埴市内への駅の設置追加を要望するも、「当初計画に基づき長野オリンピックまでに開業させることを最優先とする」との理由から棚上げとなった。建設工事中の1996年7月には更埴市・戸倉町・上山田町他の陳情を長野県議会が採択、1997年5月には須坂市など近隣自治体も加わった「北陸新幹線(仮称)更埴駅誘致期成同盟会」が結成された。1997年10月の長野駅までの先行開業、2003年の千曲市発足を経て、2007年9月、新駅誘致実行を公約した近藤清一郎・旧更埴市前助役が千曲市長に当選した。当初期成同盟会は新駅の位置について、観光需要などの観点から長野県立歴史館及び森将軍塚古墳・科野の里歴史公園傍の五里ヶ峰トンネル長野駅方出口付近を想定していたが、同市長は新駅のパークアンドライド式利用を想定し、新駅を長野自動車道更埴IC(しなの鉄道線屋代高校前駅付近)に接続させる案を示した。更に所謂「請願駅」として金沢駅延伸開業までに建設する構想を提起、2009年6月、市の施政方針として示した。2011年9月の市長選挙においては新駅構想が選挙の争点となる情勢であったもののの、新駅誘致構想推進を公約した近藤市長に対して反対派からは立候補者がなく、同市長が無投票で再選となった。近藤市長は引き続き新駅誘致構想を進めたが、2012年9月、病気により退任。同年11月の市長選挙において改めて新駅構想が争点となり、推進派候補2名・反対派候補1名が立候補した。選挙戦において反対派候補への支持は低迷、推進派候補2名の争いとなり、岡田昭雄・前千曲市参与が新市長に当選した。この結果新駅誘致推進支持の民意が確認された。2015年3月の金沢駅延伸開業までには間に合わない見通しとなったものの、2013年1月には「北陸新幹線新駅誘致期成同盟会」が設立され、2014年12月には阿部守一長野県知事が新駅誘致推進支持を表明。2015年7月には千曲市・同市議会他による「北陸新幹線新駅設置早期実現を求める陳情」を長野県議会が採択し、千曲市への新駅設置構想は事実上長野県の方針ともなっている。しなの鉄道線との接続については未定となっており、建設資金などの問題もあるが、千曲市は2023年の敦賀駅延伸までには開業させたいとの意向という。このほか、白山市内に駅を設置する構想がある。候補地は加賀笠間駅周辺が最も有力で、当初検討されていた白山総合車両所に「白山駅」(仮称)を設置する案の代替案となっている。飯山以西の各駅のホームには、可動式安全柵が設置されている。長野以東では待避線のない駅にのみ可動式安全柵があり、上越新幹線との共用区間上の高崎駅・本庄早稲田駅・熊谷駅には通過線がある。2013年10月2日、長野駅 - 金沢駅間開業時の運行形態についての発表があった。具体的には東京駅 - 金沢駅間を主要駅のみ停車する「速達タイプ」、東京駅 - 金沢駅間各駅停車の「停車タイプ」、富山駅 - 金沢駅間の「シャトルタイプ」、東京駅 - 長野駅間の「長野新幹線タイプ」の4種類の運行とされた。2013年10月10日、JR東日本とJR西日本の両社は一般公募の結果を参考にして北陸新幹線の列車名を決定・発表した。列車名の公募については、2013年5月28日にJR東日本とJR西日本が発表した。募集は2013年5月31日から6月30日まで特設サイトや郵便はがきで行われ、144,931件の11,672種類から選定された。このうち「あさま」については現行列車名のまま変更せず、「はくたか」は国鉄時代に東京と北陸地方を上越線・信越本線経由で結び、後に北越急行ほくほく線経由の上越新幹線連絡特急に用いられた愛称として、「つるぎ」はかつて北陸地方と関西地方を結んだ夜行特急に用いられた愛称として、それぞれ親しまれているとして選定された。「かがやき」については「輝く光がスピード感と明るく伸びていく未来をイメージさせるため」との選定理由で選ばれているが、列車愛称としての「かがやき」は、かつて福井・和倉温泉・金沢 - 長岡間の上越新幹線連絡特急として用いられていた経緯がある。2014年8月27日、JR東日本とJR西日本は北陸新幹線金沢開業時の運行計画を発表した。なお、JR東日本の冨田社長は、北陸新幹線を走る「かがやき」の増便を利用状況に応じて行う際、新幹線の乗り入れが集中する繁忙期には上野駅とともに大宮駅発着を発着する臨時列車も選択肢に入るとしている。詳しくは、東北新幹線#北海道・北陸新幹線の延伸・全通時における対応予定を参照。長野新幹線時代の2005年からJR東日本管内の新幹線路線に先駆けて全面禁煙化に踏み切っており、金沢延伸後も車内には全系列喫煙スペースも設けられていない。車内放送の際に鳴らされる車内チャイムは、JR東日本所有車(E7系)では上越新幹線で使用されている車両と同じチャイムを、JR西日本所有車(W7系)では2015年10月1日から「北陸ロマン」をそれぞれ使用している。運賃は営業キロに基づいて算出する。東京駅 - 高崎駅間の営業キロは、並行する東北本線(東京駅 - 大宮駅間)・高崎線(大宮駅 - 高崎駅間)と同一となっている。高崎駅以西については並行するJRの路線が存在しないため、実キロ(新幹線での実際の距離)が用いられている。2014年10月3日に国土交通省に認可申請し、同年12月16日に認可された特急料金は、「三角表」と称するものにより各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。料金体系は基本的に従来の長野新幹線に準じている(東北新幹線・上越新幹線と同等)ものの、会社間をまたぐ(上越妙高駅を挟む)場合には割高な料金が設定されている。JR西日本が中日新聞の取材に答えたところによると、2社での共同運行になるため運賃システムの改修が必要になり、九州新幹線など既存の新幹線と比べ早い時期の認可申請になったという。営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり。北陸新幹線は全区間、JR東日本のえきねっと、JR西日本の5489サービスで予約した乗車券と特急券の受け取りが可能である。北陸新幹線では、長野駅 - 金沢駅間に発車メロディが導入された。長野駅は2015年1月から先行して使用を開始し、残りの駅については金沢延伸開業時より使用を開始した。乗務員(運転士、車掌)は、東京駅 - 長野駅間はJR東日本長野総合運輸区(一部の列車は丸の内車掌区)、長野駅 - 金沢駅間はJR西日本金沢新幹線列車区が担当しており、管轄境界駅である上越妙高駅では「かがやき」が停車しないため、乗務員の交代は行っていない。ただし、上越妙高駅から長野駅のみを運行する「はくたか」(通年運行の臨時列車扱い、土・休日運休)はJR東日本長野総合運輸区が乗務を担当する。車内販売ならびにグランクラスアテンダントは日本レストランエンタプライズ(NRE)金沢列車営業支店及び東京列車営業支店が担当しており、東京駅 - 金沢駅間は通し乗務となる。ただし、「つるぎ」のグランクラスおよび車内販売は非営業、「あさま」や長野駅 - 金沢駅間の「はくたか」はグランクラスがシートのみの営業となっており、車内販売は非営業である。1965年(昭和40年)9月26日、金沢市の石川県体育館で『1日内閣』が開催された。これは後年に言うタウンミーティングのようなもので、現職閣僚が地方へ出向いて実情を聞く公聴会であった。当時内閣総理大臣を務めていた佐藤栄作も出席したこの公聴会において、富山県代表の公述人である岩川毅(中越パルプ工業創業者・当時の砺波商工会議所会頭)は、政府に対して東京を起点とし松本、立山連峰を貫通し富山、金沢を経由して大阪に至る「北陸新幹線」の建設を求めた。東海道新幹線の開業からわずか1年足らずの時点で、北陸新幹線の構想が発表されたのである。この提案に、鉄道官僚出身の佐藤も興味を示した。『1日内閣』での新幹線構想の発表により、北陸地方では新幹線誘致の機運が高まっていった。1967年(昭和42年)7月には、北陸三県商工会議所会頭会議において、北陸新幹線の実現を目指すことが決議された。その後、同年12月8日に「北回り新幹線建設促進同盟会(1972年に北陸新幹線建設促進同盟会と改称)」が発足した。これは、北陸地方の活性化と将来逼迫する東海道新幹線の代替交通機関を目的としていた。1970年(昭和45年)には全国新幹線鉄道整備法が制定され、1972年(昭和47年)6月29日、東京都 - 大阪市間を高崎・長野・富山・金沢経由で結ぶ「北陸新幹線」として基本計画が決定。翌年の1973年(昭和48年)には整備計画決定および建設の指示がなされた。長野 - 富山間については途中の経由地が明示されず、日本国有鉄道(国鉄)は1975年(昭和50年)頃に北アルプス(飛騨山脈)の直下をトンネルで貫通する短距離ルートの建設も検討したが、火山地域のため高熱となる岩盤や最大2000mに達する「土被り」(地表からトンネルまでの距離)で生じる大量の湧水や「山はね」(岩盤破壊)に耐えながら全長約70kmに及ぶ超長大トンネルを建設するのは困難として、信越本線や北陸本線に沿って上越市などを経由する従来のルートでの建設が決定された。北陸新幹線の整備計画が発表される前に既に建設が決まっていた東北新幹線(東京駅 - 盛岡駅間)、上越新幹線(大宮駅 - 新潟駅間)、成田新幹線(その後建設中止)は工事が開始されたが、北陸新幹線他4本の整備新幹線は計画が継続されていたものの、巨額の赤字を計上した国鉄の緊縮財政やオイルショックによる建設費高騰の影響で建設は凍結され、計画は遅々として進まなかった。1987年(昭和62年)、国鉄分割民営化により特殊法人の新幹線鉄道保有機構が新幹線設備を所有し、既存開業線のリース代を財源とした整備新幹線の建設が可能となると、同年に整備新幹線建設の凍結解除が閣議決定され、北陸新幹線の建設に道が開かれた。1985年(昭和60年)の工事実施計画認可申請および前述の閣議決定においては、高崎 - 小松間をフル規格で先行建設し、その後小松 - 大阪間を建設する計画であったが、1988年(昭和63年)に運輸省から建設費の削減を目的として発表された、いわゆる「運輸省案」では長野以南の建設を優先し、高崎 - 軽井沢間のみフル規格、軽井沢 - 長野間はミニ新幹線とする計画に変更となった。また、糸魚川 - 魚津間、高岡 - 金沢間については構造物を新幹線と同じ規格で建設し、線路を在来線と同じ軌間にするスーパー特急方式とする計画となった。1989年(平成元年)にまず高崎駅 - 軽井沢駅間が着工されたが、1991年(平成3年)に長野市が1998年のオリンピック・パラリンピック開催地に決定したことから、軽井沢駅 - 長野駅間も当初の計画通りフル規格で着工されることになり、1997年(平成9年)10月1日に高崎駅 - 長野駅間が長野行新幹線(後に「長野新幹線」と短縮)の名で開業した。また、スーパー特急方式で着工するとされた高岡 - 金沢間は、富山県内の沿線自治体が並行在来線となる北陸本線石動駅 - 高岡駅間の経営分離に反対したため、新高岡 - 金沢間の基本ルートを変更した上で、着工区間が石動 - 金沢間に変更された。その際、既に難工事区間として先行着工された加越トンネルはルート変更により不要となり、既に投入された建設費は富山県が負担することになった。1998年(平成10年)3月には長野 - 上越間の工事実施計画が認可され、着工された。2000年(平成12年)末の政府・与党申合せで富山までのフル規格での建設が決まった。この際、当時の首相で自由民主党整備新幹線建設促進議員連盟会長でもあった森喜朗(石川県出身)は石動までの着工(既着工区間の石動 - 金沢間を合わせれば金沢まで直通可能)を主張していたが、当時自民党幹事長だった野中広務に「我田引鉄」と非難され、着工区間は富山までに短縮された。後日、森は「『野中さんの選挙区(京都府第4区)を通る敦賀以西の若狭ルート(亀岡市など南丹(口丹波)の自治体は1973年に「北陸新幹線口丹波建設推進協議会」を設立、亀岡市内に西京都駅(仮称)設置を求めている)の見通しが立たなくなり、内心面白くなかったのではないか』と言う人もいる」と語っている。富山駅以西については、東北新幹線(盛岡駅 - 八戸駅間)、九州新幹線(新八代駅 - 鹿児島中央駅間)の開業後に金沢までのフル規格での整備を検討することとなった。2004年(平成16年)末の政府・与党申合せに基づき、2005年(平成17年)4月27日には富山駅から石川県白山市の白山総合車両所間まで(ただし、旅客営業は途中の金沢駅まで)のフル規格での整備が認可され、同年6月4日に起工式が行われた。2011年(平成23年)12月26日には、白山総合車両所 - 敦賀間の建設を認める方針が決定した。2012年(平成24年)6月29日、政府・国土交通省は、金沢 - 敦賀間 (113km) の認可着工を決めた。また、同年9月4日にはJR東日本とJR西日本から共同開発車両の概要について発表された(後述)。2013年(平成25年)6月7日、JR東日本とJR西日本は長野駅 - 金沢駅の駅名を発表。仮称となっていた上越駅は「上越妙高駅」、新黒部駅は「黒部宇奈月温泉駅」、新高岡駅はそのまま「新高岡駅」に決定した。同年10月2日、全線とも北陸新幹線の名称で統一し、JR東日本の区間では、「長野経由」と表示することを明らかにした。同日、金沢開業後の運行形態も発表され、10月10日には列車愛称も発表された(詳細後述)。開業以来16年が経過して、自動列車制御装置 (ATC) の老朽化が進行していたことと、金沢への延伸区間が当初からデジタルATCで2014年度末に開業することから、2013年11月9日夜から10日早朝にかけての切り替え工事により、高崎から長野新幹線運転所までの区間が従来のアナログATCからデジタルATCに切り替えられた。これにより、JR東日本の新幹線の全区間がデジタルATC化された。このATC更新により、2014年3月15日のダイヤ改正から東京 - 長野間で平均して下りで2分、上りで4分所要時間が短縮された。長野(長野新幹線車両センター) - 金沢間は、金沢駅から福井方面へ約10kmに位置する白山総合車両所までの回送線とあわせて2015年(平成27年)3月14日に一括開業した。白山総合車両所までの回送線は、金沢駅以西の開業時には営業線として供用される。長野 - 金沢間の路線構想は、現在のルートにほぼ重なる案のほか、新潟県中部を横断する二つの案、北アルプスを貫通する案(沿革節も参照)の計4つが存在した。1972年4月に当時通商産業大臣だった田中角栄が直筆した路線構想図が、新潟県妙高市の関係者宅に保存されている。区間最長である飯山トンネル(全長22,225m)は地質がもろく2003年(平成15年)に発生した土砂流出事故の影響などもあり、予定からは遅れたが2007年(平成19年)に貫通した。国土交通省の試算では、富山駅 - 金沢駅の開業30年後の収支改善効果は約80億円と、北陸・北海道(新青森 - 新函館北斗間)・九州(長崎)(武雄温泉 - 諫早間)の新規着工3区間の中でトップで、経済効果は開業50年後には北海道に次ぐ約6500億円(富山駅 - 金沢駅間のみ)となっている。この区間全体の収支改善効果は、JR西日本が営業主体となる上越妙高駅 - 金沢駅間では年間325億円、JR東日本が営業主体となる長野駅 - 上越妙高駅間は同80億円と試算されているが、他社区間である上越妙高駅 - 金沢駅間に乗り入れることによるJR東日本の収益増加(いわゆる「根元受益」)が年間390億円にも達することから、当時の政府・与党(自民・公明)ではこの分についても負担を求めるとしていたが、JR東日本は難色を示していた。なお、整備新幹線としての北陸新幹線の起点は東京駅であるが、東京駅 - 大宮駅間は東北新幹線、大宮駅 - 高崎駅間は上越新幹線と共用している。2009年(平成21年)2月12日、新潟県の泉田裕彦知事は、国土交通省から資材価格高騰などを理由に220億円の建設費追加負担を求められたことに対して、「突然増額を求められても対応は難しい」として、算出根拠について納得できる説明があるまでは増額分の負担に応じない姿勢を表明した。同年12月25日、泉田知事は前原誠司国土交通大臣と話し合い、「県と国の信頼関係が再構築された」として2009年度分負担金残額計104億円を支払うと表明した。また新潟県が2009年(平成21年)11月6日国地方係争処理委員会に計画の認可に審査を要求し、委員会は同年12月25日却下。新潟県は却下に対して規定の30日内の2010年(平成22年)1月27日までに東京高裁に提訴せず、国との協議は続行されることとなった。しかし、新潟県は協議が進展しないことを理由に2011年度当初予算案に建設負担金を盛り込まなかった。2010年9月13日、JRが国側へ支払う貸付料には、並行在来線の赤字解消分が含まれるとして新潟県が行った北陸新幹線貸付料に関する情報開示請求に対して一部開示の決定がなされた。これを受けて同県は、同県区間の並行在来線の赤字解消相当額は、30年で780億円を超えるとの試算を発表した。なお、新潟県および泉田知事の対応には、大阪府の橋下徹知事(当時)は北陸新幹線自体には賛成ではあるが、直轄事業負担金の観点からこの対応に強い支持を表明した一方、新幹線未開業の富山・石川両県を人質にとるような手法であることから石川県の谷本正憲知事からは強い不快感が表明された。しかし2012年2月17日、新潟県の泉田知事は前田武志国土交通大臣と会談し、新幹線開業に伴う在来平行線の第三セクター運営において、国内有数の豪雪地域である信越及び越中・越後国境での鉄道運営に関する赤字相当額として県が試算していた「30年間で780億円」という金額を国が追加支援をする事等を条件に、これまで県として支払いを拒否していた地方負担分を支出することに合意した。これにより、北陸新幹線の建設は予定通り2014年度末までの開業計画に遅れることがなくなった。北陸新幹線の工事を巡っては、融雪設備の設備工事業者延べ11社にわたる談合が摘発され、このうち業者側の法人としての8社ならびに関係者、および発注元の独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構担当者がそれぞれ、独占禁止法違反または官製談合防止法違反の罪で有罪判決を受けている。また、公正取引委員会より11社に対して再発防止を求める排除措置命令、およびこのうち7社に対して計10億3499万円の課徴金納付命令が出されている。2011年(平成23年)12月26日に政府・民主党は、金沢(白山総合車両所) - 敦賀間の建設を認める方針を決定し、翌2012年(平成24年)6月29日に、政府・国土交通省は金沢 - 敦賀間113kmの着工認可を発表した。この区間は着工認可時、2025年度中の開業を目指していたが、2014年(平成26年)12月22日に政府・与党が当初計画より3年程度前倒しする方針を固め、2015年(平成27年)1月の政府・与党整備新幹線検討委員会で、開業時期の3年前倒しが正式合意され、2023年(平成35年)春頃に開業する見込みとなり、金沢 - 福井間についてはさらに前倒しを検討することになった。金沢 - 福井間開業においては2020年を目処に与党内で検討している。しかし、試運転を含めた九頭竜川橋の早期完成が必要となるものの、川の増水問題での夏季4か月は国の通達で工事ができない点が問題となっている。また、福井駅周辺整備による問題もあり、えちぜん鉄道高架化で拡張が難儀である点が挙げられる。駅高架による更なる工事によって、えちぜん鉄道ではバス代行の必要性が生じ、利便性の低下による収益減の可能性もある。更には車両留置においての新たな土地確保の問題もある。当区間の着工認可については、紆余曲折を経ている。2007年(平成19年)5月に政府・与党プロジェクトチームによる整備新幹線計画の見直しが始まり、北陸3県の正・副知事はヒアリングでこの区間の着工認可を求める発言をしている。同年7月参院選前には安倍晋三首相(当時)が遊説で北陸新幹線の敦賀までの延伸について議論していくと力説、これに勢い付いた敦賀市とJR西日本は、30億円で予定していた(北陸新幹線通過・停車を想定していない)敦賀駅全面建替え計画を部分改修に規模縮小変更し対応準備。2008年11月13日には沿線各市長らが上京して自民党や諸官庁に改めて一括認可と早期整備を要望した。2008年(平成20年)12月9日に、自民党の鉄道調査会と整備新幹線建設促進議員連盟により2009年(平成21年)度の認可、着工が決議された。しかし政府は、敦賀以西の「あり方」が決着していないことを理由として、金沢(白山総合車両所) - 敦賀間の認可を先送りしていたが、2012年6月29日に認可された。敦賀市においては米原駅経由で東京まで現在は約3時間であるところ、北陸新幹線経由でも3時間前後になるとの見通しであり、並行在来線問題もあって市民の一部からは「新幹線不要論」も存在する。2009年8月末に民主党政権へ交代後、高速増殖原型炉もんじゅ(敦賀市)の運転再開をめぐり、福井県知事の西川一誠と政府の間で交渉が行われ、政府が北陸新幹線延伸を示唆したことで、2010年4月26日知事は再開を了承する方針を伝えた。なお、福井駅については当初計画ではえちぜん鉄道が2階、新幹線が3階の二重高架になる予定であったが、新幹線ホームのみの高架となり、新幹線が延伸されるまでの間、えちぜん鉄道が暫定的に乗り入れる形に変更された。そのため、新幹線ホームを含む800mの区間は富山 - 金沢間と同時期に着工し2008年に完成。2015年中には新幹線ホームへの暫定乗り入れを開始する予定である。その後、2018年完成を目途にえちぜん鉄道単独の高架駅を新幹線の東側に建設する予定である。福井県は九頭竜川に架かる県道と一体型の橋の先行整備を進めていて、周辺の区画整備で新幹線用の土地も確保してある。また、えちぜん鉄道では前述通りに2015年9月27日に福井駅 - 福井口駅間を新幹線高架を間借りした仮線・仮駅舎に切り替え、2018年秋の予定で本設高架線に切り替える。また、新幹線ホームが1面2線と幅が狭いために、福井市長の東村新一は駅の一部東側を拡張によって、通路や待合室の空間を確保する様に提案した。張り出し部分は、えちぜん鉄道福井駅に合わせ幅17m・長さは南北に最大80mを想定とした。また、九頭竜川流域への環境問題において、九頭竜川橋が新幹線と自動車道の併用橋ということもあり、護岸工事も含め影響が懸念されている。建設工事で天然記念物のアラレガコや、サクラマスに対して影響がないかを住民を交えて確認する態勢が求められており、建設主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構は天然記念物に指定されている点を重視し、川の流れを変える瀬替えをしない、工法や設備で濁水の発生を抑制する、浅場を掘り下げ魚の通り道になる水路をつくるといった対応をとるとしている。敦賀市内のルートについて、予定ルート上にラムサール条約登録の湿地である中池見湿地が存在していることが明らかとなった。環境アセスメントの結果によって、民家を避けるようルート設定が行われたためであるとされ、専門家からも中池見湿地に生息する多数のヘイケボタルへの影響を始めとして環境への悪影響が懸念され出したため、同市内におけるルート変更が検討され、その後2015年5月8日に地下水への影響を低減させるためルートを東側へずらしトンネルを高い位置に変更することが発表された。しかし、2016年4月8日には日本自然保護協会など7団体がラムサール条約に沿って湿地保護の対応を執リ行うようにと、専門家の意見を反映させた環境管理計画の作成や、モニタリング調査の結果を検証する独立した評価委員会の設置、調査結果の公開を求める要望書を建設主体である鉄道建設・運輸施設整備支援機構へ提出している。敦賀駅は、在来線ホームから200m離れた場所に建設され、駅直前で国道8号敦賀バイパスをまたぐため、ホームの高さは24mになる予定である。そのため、JR西日本では、フリーゲージトレイン導入(後述)が開業に間に合わない場合でも、乗り継ぎ客の利便性を図るため新幹線と在来線特急列車を対面乗り換えにすることや、新幹線ホームの下部に在来線特急列車を入れることが検討されている。また、敦賀市は観光誘致や小浜線との乗り換えも加味し、在来線・新幹線ホームと200mの間の乗り換え連絡通路に動く歩道の設置を始めとした乗り換え利便性を踏まえた新幹線駅舎の早期レイアウトを求めている。一方で建設主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構は「在来線部分は難しいが、新たに造る連絡通路では前向きに検討したい」と回答している。2012年2月、国土交通省は、敦賀延伸開業後の敦賀 - 大阪間について、財源面の問題から新幹線建設の目途が立たないことからフリーゲージトレインによる在来線(湖西線・東海道本線)乗り入れによることを提案し、2013年6月からフリーゲージトレインのプロジェクトチームを拡大して開発を本格化することになった。導入が実現すれば、在来線で大阪駅、および北陸本線・東海道本線経由で米原・名古屋方面への直通も可能になる。JR西日本も導入には前向きであり、同社は2014年9月、敦賀市において模擬台車による軌間変換試験を同年10月から開始すること、また、北陸ルートに対応したフリーゲージトレイン試験車(6両編成)の設計・製作にも取りかかり、2016年度から試験車両による試験を始めることを表明している。しかし、フリーゲージトレインは開発途上で技術的な課題があるとともに、仮に実現しても在来線では従来の特急列車と同じ速度でしか運転できない、通常の新幹線より重くなることにより線路の保守費用が膨らみ、車両の製造費が高くなるというデメリットが指摘されている。さらに、金沢 - 敦賀間の開業が当初予定の2025年度から2022年度に3年繰り上げられたことで、JR西日本は開業が前倒しされた場合には導入が間に合わないとの見解を示した。なお、2012年5月には沿線の富山・石川・福井・滋賀・京都・大阪の各府県と関西広域連合、JR西日本はフリーゲージトレイン導入について、新幹線の大阪延伸までの暫定措置として認めるとの申し入れを国土交通省に行っているが、福井県の市民団体は高価なフリーゲージトレイン車両の導入により敦賀以西のフル規格での整備が進まなくなる、料金が割高になるとして、導入を見送るように県に対して申し入れを行っている。2015年(平成27年)3月14日時点で新幹線が開業および事業化された区間の並行在来線については、以下のような措置(予定事項を含む)がそれぞれ執られている。信越本線は高崎駅 - 直江津駅間が並行在来線とされた。高崎駅 - 横川駅間と篠ノ井駅 - 長野駅間は新幹線開業後も信越本線としてJR東日本が運行している。横川駅 - 軽井沢駅間は鉄道路線としては廃止され、JRバス関東によるバス路線碓氷線として運行されている。これら以外の区間は県域ごとに設立された第三セクター鉄道会社に経営移管された。長野県内の区間はしなの鉄道が軽井沢駅 - 篠ノ井駅間をしなの鉄道線、長野駅 - 妙高高原駅を北しなの線として運行している。一方、飯山線の豊野駅 - 飯山駅間も北陸新幹線と並行するが、この区間は並行在来線とされなかったためJR東日本による経営が継続されている。信越本線長野駅以南(北陸新幹線・篠ノ井線方面)と飯山線を乗り継ぐ場合は、逆に長野駅 - 豊野駅間がしなの鉄道による中抜き状態となる。また、しなの鉄道の篠ノ井駅以南と飯山線の相互間を乗車する場合は、JR東日本としなの鉄道の2社をそれぞれ2区間ずつ経由する、細切れ状態になる。新潟県内の妙高高原駅 - 直江津駅間はえちごトキめき鉄道が妙高はねうまラインとして運行している。北陸本線の直江津駅 - 金沢駅間は県域ごとに設立された第三セクター鉄道会社に経営移管された。新潟県内の区間はえちごトキめき鉄道が直江津駅 - 市振駅間を日本海ひすいラインとして運行している。富山県内の区間はあいの風とやま鉄道が市振駅 - 倶利伽羅駅間をあいの風とやま鉄道線として運行している。石川県内の区間はIRいしかわ鉄道がIRいしかわ鉄道線として運行している。長野駅 - 金沢駅間には、大糸線(南小谷駅 - 糸魚川駅間)・高山本線(猪谷駅 - 富山駅間)・城端線・氷見線・七尾線などの枝線が存在する。2010年(平成22年)12月1日にはJR西日本社長の佐々木隆之が大糸線・城端線・氷見線の3線について、今後バス転換や列車本数の削減など地元自治体と話し合うと記者会見で発言していたが、2011年(平成23年)7月1日、JR西日本金沢支社次長が富山県議会新幹線・総合交通対策特別委員会で枝線の分離は行わないと発言している。ただ、利用客が減少していることから対処方針について地元自治体と話し合いたいとしている。日本海縦貫線の一路線である北陸本線には寝台列車を含む多数の特急列車や貨物列車が運行されているが、2011年(平成23年)時点ではJR西日本は北陸新幹線の開業後、原則として金沢駅 - 直江津駅間では寝台特急を除く特急列車は運行しない方針としていた。このため、大阪駅 - 富山駅・魚津駅間の特急「サンダーバード」と、名古屋駅 - 富山駅間の特急「しらさぎ」については金沢駅以東を廃止し、福井駅・金沢駅 - 越後湯沢駅間の特急「はくたか」と、金沢駅 - 新潟駅間の特急「北越」については福井駅・金沢駅 - 直江津駅間を廃止とする意向としていたが、2015年(平成27年)3月14日に「はくたか」・「北越」ともに全区間で廃止されることが決定、七尾線に乗り入れる特急については存続が決定した。なお、同区間を走る定期夜行列車は2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線金沢開業を待たずして、寝台特急「北陸」と急行「能登」が2010年(平成22年)3月に、寝台特急「日本海」と急行「きたぐに」が2012年(平成24年)3月に定期運行を終了しており、北陸新幹線開業直前には通常期は週に上り下り各4本の臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」が運行されるのみであった。同列車は2015年3月12日発の列車をもって運行が終了した。2014年8月27日、JR東日本とJR西日本は北陸新幹線金沢開業時の特急・快速列車の去就について発表した。代替として以下の列車が設定されている。新幹線開業後は新幹線が直江津駅を通らないことから、直江津駅を介して日本海縦貫線の富山方面と長岡方面の間、および同駅を介して長野方面と長岡方面の間は、従来は鉄道での広域輸送のメインルートであったものが、新幹線開業後はJR線としては新幹線を含めてもつながらないこととなる。このような例は新幹線開業では初となる。従来の事例では、新幹線まで含めればJRとしては従来通り広域輸送のルートはつながりを保つ事例ばかりであった。北陸新幹線白山総合車両所- 敦賀駅間の着工認可に向けて、認可条件の一つである並行在来線の経営分離に同意する地元手続きが沿線自治体によって進められた。2012年(平成24年)に着工が認可されたことを受け、引き続き並行在来線や、枝線となる越美北線の扱いを協議していくことになる。「鉄道・運輸機構が九頭竜川橋梁を含めた森田高架橋部分の工事が工期5年、31年度末までに設定して発注」という形で金沢駅 - 福井駅までと敦賀駅までとの二段階の着工を見込んだ上で、2020年(平成32年)度に敦賀開業前の段階で福井県内での在来線三セク会社の設立を検討している。同区間のうち石川県内については金沢駅以東と同様、IRいしかわ鉄道が運営していく検討がなされている。2013年(平成25年)3月29日、福井県並行在来線対策協議会を設立した。また、同年1月30日の視察以降から福井商工会議所総合交通委員会では、学識経験者や県内企業の参加による研究会として「並行在来線活用研究会」を設置している。

出典:wikipedia

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