ジャネット・ジャクソン(, 1966年5月16日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優。兄の1人はマイケル・ジャクソン。1980年代以降、商業的に大成功を収めた。安室奈美恵やAI、Crystal Kay、DOUBLEなど、日本のR&Bアーティストにも大きな影響を与えている。アメリカ合衆国インディアナ州の町・ゲーリーで、ジョセフ・ジャクソンとキャサリン・ジャクソンの娘として生まれる。彼女の生まれたジャクソン一家は有名で、マイケル・ジャクソンを含むジャクソン・ファイヴのメンバーは実兄である。10人兄弟の末子。(兄7人・姉2人。うち五番目の兄が夭折)、太りやすい体質であり、少女時代は「ロバ」とからかわれていた。7歳から演技の舞台に立ち、アメリカのテレビドラマを中心にまずまずの活躍をする。兄弟とのデュエット曲やバックボーカルとしてのキャリアはあったものの、本格的にシンガーソングライターの道を歩み始めたのは1982年、彼女が16歳の頃である。A&Mレコードからファースト・アルバムとなる『ヤング・ラヴ』をリリースするが、商業的には不発であった。しかし、そのアルバムからシングルカットされた楽曲「ヤング・ラヴ(Young Love)」と「ギヴ・ユア・ラヴ・トゥ・ミー(Come Give Your Love To Me)」がヒット。前者はR&Bチャートの6位に届いた。続いてリリースされた「セイ・ユー・ドゥ(Say You Do)」もまた15位と健闘した。1984年、セカンド・アルバム『ドリーム・ストリート』を発表。兄のマーロン(Marlon)から提供された、これまでよりもファンキーでアップテンポな楽曲で、その音楽性に進展が見られたものの、商業的には不成功に終わった。同年、歌手ジェイムズ・デバージ(James Debarge)と結婚したが、わずかな期間で離婚。1年後の1985年、日本企業とのタイアップで、日本でのみ発売するための楽曲「Start Anew」を収録している。ジャネットは、次期アルバム制作のため、ミネアポリスで活躍中のプリンス一派のプロデューサーコンビ、ジミー・ジャム&テリー・ルイスの下へ。1986年、これにより完成したサードアルバム『コントロール』を発表。“ジャクソン・ファミリー”のプレッシャーから脱却したいジャネットと、プリンスの影響下から離れてプロデューサーとして自立したいジャム&ルイス、相互のモチベーションが相乗効果をもたらし、アルバムは非常に高いクオリティを達成し、ポップスチャートとR&Bチャートで1位を獲得。アルバム収録曲全9曲のうち6曲までもがシングルカットされ、そのうち5曲はポップスチャートで連続して5位以内に入った。中でも最もヒットしたのが「あなたを想うとき(When I Think Of You)」で、ビルボードシングルチャートにて初の1位を獲得。これ以後、彼女の知名度は飛躍的に高まった。本人が「実質的な、私のファーストアルバム」と語っている位、思い入れの強いアルバムである。実際にコンサートなどでは、このアルバム以前の曲は一切演奏されない。また、1996年に発売されたベスト・アルバム『デザイン・オブ・ア・ディケイド / グレイテスト・ヒッツ』(decade = 10年間)でも、1986年より前は無視されている(ただし、北米のみで発売された同アルバムの限定版では、『コントロール』以前の曲も収録されていた)。以来20年に渡って、ジャム&ルイスとのタッグは続き、他のプロデューサーと楽曲を制作することは少なかった。次のアルバムとなる『リズム・ネイション 1814』がリリースされたのは、1989年になってである。人種差別・性差別やホームレス、薬物などなどの政治問題を積極的に取り入れた本作品は、ポップスとR&Bのチャートで1位を獲得した。表題曲「リズム・ネイション(Rhythm Nation)」のビデオ・クリップは、兄マイケルの影響が見られるものの、完成度の高いダンスで構成され、彼女のスタイルを確立するとともに、音楽シーンに多大な影響を与えた。ライブでは激しいダンスのため、リップシンクでパフォーマンスされることが多い。この曲は、ジャネット本人が出演する日本航空のCMにも使用された。1990年の初来日公演では、東京ドームでの最高観客動員を記録した。これにより、Rhythm Nation Tourでは2度の来日公演(5月と11月)が実現した。1993年のアルバム『ジャネット(janet.)』からヴァージン・レコードに移籍。シングル「それが愛というものだから(That's The Way Love Goes)」が、自身最高のビルボード8週連続1位を記録。このアルバムではセクシーな表現が一層目立つようになり、マドンナと比較されることがある。同年『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(2パックと共演)で映画初出演。ゴールデンラズベリー賞最低新人俳優賞受賞。兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。1995年には、マイケルとのデュエット曲「スクリーム(Scream)」を発表。この曲は、マイケルのアルバムに収録されたにも関わらず、ジャム&ルイスなどジャネット側の制作陣が手掛けた。1997年、アルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ(The Velvet Rope)』を発表。これ以降は姓を略した「JANET」名義で作品をリリースする場合がある。同性愛やSMやドメスティック・バイオレンスなど様々なテーマを取り上げ、セールスは前作を下回ったものの、亡くなった友人に捧げた曲「トゥゲザー・アゲイン」が全米1位のヒット。1999年、長年に渡るボーイフレンドのと密かに結婚、そして離婚していたことを公表した。2000年、エディ・マーフィー主演映画『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』のヒロイン役で成功を収めた。その主題歌「ダズント・リアリー・マター(Doesn't Really Matter)」もヒット(島谷ひとみのヒット曲「パピヨン〜papillon〜」の原曲)。日本のオリコンでは、自身最大のヒットシングルとなり、同年のオリコン洋楽シングルチャートの年間1位を記録した。2001年のアルバム『オール・フォー・ユー』は、過去の作品に比べるとポップな内容が受け、日本では80万枚を超える自身最大のヒットとなった。2004年2月、国民的ショーである第38回スーパーボウルのハーフタイムショーでジャスティン・ティンバーレイクとのデュエット中に片方の胸を露出する事件を起こし、激しい非難を浴びる。当初はハプニングを装っていたが、意図的な演出だったことを告白。生中継したテレビ局が罰金処分を受けたり、直後のグラミー賞やアカデミー賞の中継でハプニング防止策が取られるなど、波紋は大きかった。同年3月発表されたアルバム『ダミタ・ジョー』は、これまで以上に性的表現が目立っている。事件の影響からか、『コントロール』以降では初めて商業的に失敗した作品となった。2006年初頭には体重が増え、次のアルバムは大丈夫かと不安がる人もいたが、4ヶ月で27キロ減らし55キロまで体重を落とし、6月5日に米国で発売された雑誌「US Weekly」ではそのダイエットの詳細を掲載した。なお、体重増は映画出演のための役作りであったとされるが、結局映画出演は立ち消えになったため、真相は不明。同年9月、アルバム『20 Y.O.』(トゥエンティ・イヤーズ・オールド)を発売。ジャム&ルイスとの共同制作が20年を迎える記念碑的作品となった。過去のヒット曲のテイストを織り込んで制作したとされるが、当時の恋人である著名プロデューサーのジャーメイン・デュプリの参加によりジャム&ルイス色が薄らいでいる。セールス面では前作を大きく下回る結果となった。2007年、ヴァージン・レコードとの契約を更新せず、同じくヴァージンを去ったジャーメイン・デュプリを追いかける形でアイランド・レコード(ユニバーサル ミュージック グループ)に移籍した。2007年1月、アメリカの経済誌フォーブスがエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ジャネットは総資産181億円で7位にランクインした。2007年10月に米国で公開された映画『"Why Did I Get Married?"』に主役級で出演している。2008年2月、アルバム『Discipline(ディシプリン)』を発売。『コントロール』以降で初めてジャム&ルイスが参加しておらず、またジャネット自身は作詞・作曲に一切関わっていない異例なスタイルで制作された。ビルボードHOT200では『オール・フォー・ユー』以来の1位を獲得したものの、セールスの減少は止められなかった。1stシングル「Feedback」はビルボードHOT100で最高19位。しかし、他のシングルカットはビルボードHOT100にランクインせず。レーベルが数か月でプロモーションを放棄したことをジャネットは非難し、わずか1年・1作品のみで、アイランドとの契約を終えたことが9月に明らかになった。2008年9・10月に7年ぶりのツアー『Rock Witchu Tour』を米国とカナダのみで開催。規模が小さく商業的には不振に終わっている。また体調不良により幾つかの公演をキャンセルした。2009年2月に日本でも5公演が予定されたものの、1月下旬に「金融危機の影響」として延期を発表、後にキャンセルされた。2009年9月、新曲「Make Me」をインターネットで発表。11月には同曲を含むベストアルバム『Number Ones』(米国外では『The Best of Janet Jackson』)を発売。2013年2月にEntertainment Tonight紙の取材において、以前から交際していたカタールの大富豪ウィサム・アル・マナ氏(Wissam Al Mana)と2012年末に密かにプライベートな結婚式を挙げていたことを公表した。結婚の贈り物はお互い児童チャリティへの寄付を選んだ。2015年、イスラム教に改宗した。2015年11月2日、7年ぶりとなるニュー・アルバム『Unbreakable(アンブレイカブル)』を全世界同時発売。同年12月、開催中のツアー「アンブレイカブル・ワールド・ツアー」の2016年1月以降の日程について、ドクターストップにより延期することを発表。2016年10月13日、第1子の妊娠を公表。アメリカ「ビルボード」誌に準拠。アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚以上。(2014年1月現在)売上データは Craving Janet およびWikipedia英語版による度々家族間の確執が話題になるジャクソン・ファミリーだが、マイケルとの仲はとても良かったと言われている。1995年に二人のデュエットScreamで共演した時のことをマイケルは『ビデオを撮ったのはジャネットと共演する為の口実』と話している。
出典:wikipedia
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