志摩線(しません)は、三重県鳥羽市の鳥羽駅から三重県志摩市阿児町の賢島駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。志摩半島を走る観光路線で、沿線には志摩スペイン村などの行楽地がある。伊勢市以北の各方面から鳥羽駅までは東海旅客鉄道(JR東海)の参宮線でも行くことができるが、鳥羽駅より先(志摩市方面)は近鉄でしか行くことができない。海沿いの路線だが、海の見える区間は鳥羽駅や賢島駅付近のごくわずかであり、大半は山間を走る。そのような地形上の事情に加えて元々志摩電気鉄道という小私鉄のローカル線として開業したため、至る所に急勾配や急カーブがあり、特急と言えども高速走行の可能な区間は非常に限られているが、線形改良された白木駅 - 五知駅間の青峰トンネル下り線では特急の130km/h運転が許容されている。開業当初から単線主体となっていたが、1994年までに路線の大半が複線化された。ローカル線の加算運賃が適用されている。志摩線ではスルッとKANSAIカードおよびJスルーカードは利用できないが、全駅にてPiTaPaやICOCAのほかTOICAやmanacaなどのICカードが全国相互利用サービスにより利用可能となっている。志摩線内では鳥羽駅・鵜方駅・賢島駅に自動改札機が設置されており、その他の駅には簡易改札機を設置して対応している。近鉄では2012年12月1日より「ICOCA定期券」を導入しており、志摩線では志摩赤崎駅以北の区間でICOCA定期券を購入できるようになった。2015年8月1日からは志摩線すべての駅を発駅または着駅とするICOCA定期券が購入可能になっている。全線、名古屋統括部(旧名古屋営業局)の管轄である。特急列車と普通列車のみ運転されている。志摩線の駅の反転フラップ式案内表示機(ソラリー)には特急と普通のほかに急行が存在するが、方向幕に「急行 賢島」の表示がなく、臨時列車であっても急行の種別は使用されていない。臨時列車で3両以上の編成が使用される場合は、ホーム有効長の関係から特急停車駅にのみ停車する(一部は鳥羽駅発着の急行を賢島駅まで区間延長)。志摩スペイン村開園直後、1990年代半ばの最盛期には定期列車だけで最大片道9本(阪伊甲特急2本、阪伊乙・名伊甲・名伊乙・京伊特急各1本、普通3本)運行されていた。2013年の観光特急「しまかぜ」運行開始後は、1時間あたり10 - 12時台に賢島方面が6 - 7本、14- 16時台に鳥羽方面が5 - 6本、早朝・深夜をのぞいた他の時間帯は4本程度運行されている。ただし、普通列車は終日1時間あたり2本の運行である。特急列車は大阪・京都・名古屋方面から賢島駅まで直通している。日中は大阪・名古屋発着が1時間あたり1本ずつの合計2本が運行されている。朝と夕方時間帯は京都発着や甲特急(停車駅の少ない特急)が加わり、最大片道あたり4本が運行されている。志摩線では観光特急「しまかぜ」のほか、阪伊特急と名伊特急で甲特急(土休日のみ)と乙特急のそれぞれと京伊特急の合計5系統の一般特急列車が運転されている。志摩線内では1994年3月15日改正以降、すべての特急が志摩磯部駅と鵜方駅に停車していた(それまでは一部が志摩磯部駅を通過していた)が、志摩スペイン村への連絡バスの接続駅が志摩磯部駅から鵜方駅に変更されたこともあり、2013年3月のダイヤ変更より営業運転された観光特急「しまかぜ」および2013年10月より臨時運行されている観光列車「つどい」は志摩磯部駅を通過扱いとした。志摩線内は8両編成まで入線が可能である。編成の向きが阪伊・京伊特急と名伊特急では異なっており、前者は賢島寄り、後者は名古屋寄りが1号車になっている。これらは中川短絡線を経由する名阪特急の編成に合わせているためである。普通列車は運賃車内収受式ワンマン運転で1時間あたり2本ほど運転されており、伊勢中川駅または名古屋線白塚駅 - 賢島駅間を直通する列車が多い。ラッシュ時の一部と深夜には山田線明星駅・鳥羽駅 - 賢島駅間の列車も存在する。同線を運行する車両の運転室後方には収納式運賃箱・運賃表示器が装備され、無人駅では先頭車後部ドアから乗って先頭車前ドアから降りる方式(後部車両のドアは締め切り)を長く採用していたが、2015年11月1日からは無人駅を含む全ての駅で全部の扉を開けている。志摩線の複線化工事が本格化するまでは中型車の車両が運用の主体で、基本的には鳥羽駅で折り返し運転となっていた。1994年からは原則的に伊勢中川駅まで直通するようになり、1999年に一旦宮町駅発着が多くなった後、2004年から白塚駅まで直通している。後述の通り、全列車が2両編成である。また特急通過駅はすべて無人駅でホームは2両編成対応である。2013年10月に開催される第62回伊勢神宮式年遷宮に合わせ、2013年10月5日から山田線伊勢市駅 - 賢島駅にて運転されている観光列車。土休日の日中2往復のみ運転されており、志摩線内では鳥羽駅と鵜方駅に停車している。車両は専用形式の2013系が充当される。大晦日から元旦にかけての終夜運転は、2010年の大晦日までは大阪・名古屋方面からの特急のほか、普通をおおむね60分間隔で運転される形態となっており、大晦日から元旦にかけて特別営業が行われる志摩スペイン村へのアクセスなどに利用されていた。ただし、2011年の大晦日は志摩スペイン村の終夜営業が中止されたため普通列車2往復の運転に留まり(志摩スペイン村では、今後もカウントダウンイベントは行わないとしている)、2012年以降は、賢島発の最終電車後及び賢島行の初発電車前に1本ずつ増発するのみとなっている。時刻については近鉄の公式ホームページでも紹介されている。普通については全列車が2両編成・ワンマン運転であるため、前述の収納式運賃箱・運賃表示器を装備する改造を施した以下の形式が使用されている。利用者が少ないため、ラッシュ時でも増結は行われない。車両面では、臨時列車や観光列車つどいを除けばすべて抑速回生ブレーキを装備した界磁チョッパ制御車かVVVFインバータ車であることが特徴で、大半の車両に車椅子スペースが設けられ、一部のVVVFインバータ車にはバリアフリー改造も行われた車両で運用されている。改軌後は名古屋線と車両が共通化された。改軌後も末端区間にあたるため、ワンマン化されるまでは名古屋線の最古参車両が多く使用され、モ1450形・1460系・680系といった黎明期の高性能車も、志摩線で終焉を遂げた。近鉄合併直後は、三重交通から引き継いだ路線の中では唯一の軌間1067mmの狭軌(ほかは762mmの「特殊狭軌」)であった。当時の近鉄では狭軌線区全体で大型車に6000番台(現在は南大阪線用に限定)、中型車に5000番台を割り当てており、近鉄合併後の志摩線所属車は全車5900番台となった。狭軌時代の全車における共通点として、パンタグラフは賢島駅側、三重交通時代から設置した行先方向板は進行方向左(運転席の前)、電動車は両運転台で制御車は片運転台などの点が挙げられる。標準軌に改軌されるまで、近鉄志摩線としての運用期間は5年弱であり、増備車や廃車も存在しなかった。当時の所蔵総数10両は鋼索線(ケーブルカー)をのぞけば、伊賀線を下回る近鉄線区別の最小記録である。改軌後状態のよい車両は、座席についてはクロスシートのままモーターと運転台を撤去して付随車化され、養老線(現在の養老鉄道)に転属して1983年まで使用された。養老線未転属車・転属車ともすべて廃車・解体され、現存しない。明治中ごろまでは奥志摩(現志摩市)から北方への陸路は徒歩での逢阪峠(現三重県道32号伊勢磯部線)越えが利用されていたが、1911年(明治44年)に参宮線が鳥羽駅まで延伸されてからは五知峠を越え鳥羽から鉄道を利用されるようになった。複数の事業者により鳥羽から奥志摩への鉄道敷設が計画がされたものの関東大震災ののちの経済不況などで計画は実現しなかった。1923年(大正12年)8月、鵜方村の森本確也が中心となり電気鉄道敷設を出願、1924年(大正13年)には敷設の許可を得た。1926年(大正15年)に志摩電気鉄道(免許時は志州電気鉄道)を設立し、社長には四日市出身の実業家伊藤伝七 (11代目)が就任した。当初の計画では起点を鳥羽駅とし鵜方浜(現鵜方駅)を終点とする路線とされたが、着工前に目黒蒲田電鉄幹部に視察を依頼した結果、風光明媚な英虞湾岸のかしこ島(賢島)までの路線として参宮客(伊勢神宮の参拝客)を誘致しなければ利益が見込めないと指摘され、志摩電気鉄道の重役会議で英虞湾岸のかしこ島の真珠港駅までと計画が変更された。この計画の変更に対して、終点となることを期待していた鵜方の住民は4年に及ぶ鵜方以降の用地不売などの反対運動を起こした。しかし1928年(昭和3年)2月に線路変更願いが認可され会社が鵜方村に補償金1万円を支払うことで解決を迎え、全線が開通したのは1929年(昭和4年)7月23日のことである。鉄道開通を記念し、当時無人島であった賢島の土地が志摩電気鉄道に寄付され、駅前周辺および賢島駅と奥志摩の各地を結ぶ航路の基地となる賢島港が整備された。その後、三重県下の中小私鉄・バス会社を戦中の交通統制の方針で統合することになり、その結果6社が合併して発足した三重交通の保有路線となり、同社から一時的に鉄道部門を分離させた三重電気鉄道時代を経て、1965年の同社合併で近畿日本鉄道の路線となった。鳥羽駅で接続する国鉄参宮線と貨車の直通を行うため、1067mm軌間750V電化を採用し、鳥羽駅では国鉄駅の東片端から発着していた。近鉄合併後は、近鉄の他の路線と接続していない孤立線であったが、急行列車・準急列車も運転されていた。急行列車の途中停車駅は中之郷駅・志摩赤崎駅・志摩磯部駅(現在の上之郷駅)・迫間駅(現在の志摩磯部駅)・穴川駅・鵜方駅で、準急列車は鳥羽駅 - 船津駅間および志摩磯部駅 - 賢島駅間の各駅に停車していた。1969年 - 1970年に列車を運休して当面バス代行輸送とし、標準軌への改軌と架線電圧の1500Vへの昇圧工事を行い、半ば貨物専用だった賢島駅 - 真珠港駅間を廃止した。そして、1970年の鳥羽線開業と同時に同線と繋がり、大阪・名古屋方面との旅客列車の直通運転が開始された。2009年3月20日には、それまでの阪神西大阪線が西九条駅から大阪難波駅へと延伸される形で阪神なんば線が開業し、この線をはじめ鳥羽線・山田線・大阪線・難波線・阪神なんば線・同本線・同神戸高速線・山陽電気鉄道本線・同網干線を介して、山陽姫路駅もしくは山陽網干駅まで私鉄だけでの標準軌の線路が繋がった。しかし線路自体はつながったが、近鉄と阪神との相互乗り入れ区間が近鉄奈良駅 - 大阪難波駅 - 尼崎駅 - 神戸三宮駅間であることに加え、大阪難波駅以遠の阪神電鉄線あるいは神戸高速線経由山陽電鉄線方面への連絡乗車券も発売されていない。そのためICカード乗車券以外で実際に利用するには大阪難波駅までの乗車券を購入し、最終的に阪神電鉄ならびに山陽電鉄側の降車駅で大阪難波駅からの運賃を支払うことになる。2016年(平成28年)には、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)開催に伴うテロ対策のため、賢島を封鎖することになり、政府の協力要請により、5月21日 - 5月28日の間、近鉄は鵜方駅 - 賢島駅間の営業運転を休止した。当初は、1か月間という案もあったが、この8日間で落ち着いた。実際には、鵜方駅に折り返し設備がないため、鵜方駅 - 賢島駅間は通常ダイヤのまま全列車回送扱いで運転された。運休区間は外務省が運用する(業務は名鉄観光サービスに委託)無料のサミットシャトルバスで代行輸送した。志摩神明駅は駅から300m離れた位置に臨時バス停留所を開設。志摩神明臨時停留所 - 賢島駅間に保安検査場兼ジャンボハイヤー乗換場(下りのみ、上りは通過)を設置。鵜方駅 - 志摩神明駅間は誰でも乗車できるが、志摩神明駅 - 賢島駅間は外務省発行の識別IDカードを必要とした。志摩線は、東海地震に対する地震防災対策強化地域に関わっており、東海地震の警戒宣言が発令された場合、全線において列車の運転が中止されることになっている。
出典:wikipedia
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