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アクトシティ浜松

アクトシティ浜松(アクトシティはままつ)は、JR浜松駅北東の浜松市中区板屋町および同区中央三丁目にあり、市有施設と民有施設によって構成される複合施設群である。2009年(平成21年)現在、静岡県内で地上高のもっとも高いビルであるアクトタワーを擁している。外観は、音楽の町・浜松を意識して、ハーモニカをモチーフにしている。AゾーンからDゾーンの4つに分かれており、で構成されている。各ゾーンは2階の高さで回廊で結ばれ、動く歩道も設けられている。回廊はJR浜松駅まで伸びている。旧国鉄浜松駅周辺の連続立体交差事業による貨物駅機能の同市中区森田町への移転(現・西浜松駅)に伴って市が森田町の土地の代わり(換地)として取得した貨物駅跡地と、後に国鉄清算事業団から市が約400億円で取得した土地をあわせて一体開発した。浜松市と第一生命保険(以下、第一生命)、三菱地所が事業主体となり、1991年(平成3年)に建設を開始、1994年(平成6年)10月7日に落成した(Dゾーンのみ1995年4月落成)。Bゾーンの土地は超高層ビルの建設を含む開発整備の実施を条件として、複数の共同企業体による建築設計競技を経て、市から第一生命と三菱地所に約567億円で売却されたものである。当施設の建設事業は駅跡地という空き地を開発したものであるため、厳密には再開発事業ではないが、周辺の再開発とあわせて一般には市街地再開発事業と認識されている。大ホールでは日本初となる四面舞台を活用したオペラやオーケストラ演奏会のほか各種学会などが行われることも多く、施設は人口規模に比較して充実しているといえる。中ホールにはパスカル・コワラン社(フランス)製のパイプオルガン(64ストップ、パイプ本数4,478本)が設置されており、演奏会などのほか、各種学会や入学式なども行われている。聖隷クリストファー大学は入学式をパイプオルガンコンサート形式で行っている。クラシック専門のホールとして音質設計がされており、音が空から降り注いでくるように聞こえる。浜松出身の鈴木重子など、ここでのコンサートを行う音楽家も多い。このほか大小の会議室も設置されている。Bゾーンの浜松アクトタワーは、地上45階建、最高部(塔屋上ヘリポート)の高さ212.77mの超高層ビル。オークラアクトシティホテル浜松をはじめ、多くの企業や店舗が入居する、浜松市のランドマークである。周辺の再開発によって高層ビルの建設が進む2007年(平成19年)現在においても、もっとも高いD'グラフォート浜松 D's Tower(分譲マンション、地上34階建116m)の約2倍の高さをもち、10km以上離れた浜北区内からもはっきりと確認できるなど、ランドマークとしての機能を失っていない。ビルは東西側から見るとビール瓶のように上部がくびれた形状となっている。このくびれ部分より上部はホテル、下部はオフィスや店舗であり、柱の間隔が異なっている。上部の荷重を下部の柱に均等に分散させるため、このくびれ部分(28階・M28階[中28階・28階の半階上])はスーパートラスと呼ばれる柱を複雑に組み合わせた構造体になっており、作業用ゴンドラなどの格納場所や機械室として利用されている。この地方に吹き付ける「遠州のからっ風」と呼ばれる強風によって居住性が悪化するのを防ぐ目的で、アクティブ制振装置(三菱重工業製)が最上階の45階に2基設置されている。1cm以上の揺れを検知した場合に1基約90トンの振り子をコンピュータ制御で動かすことによって、揺れを打ち消すようになっている。1998年(平成10年)にJRセントラルタワーズ(名古屋市)が完成するまでは中部地方で最も高いビルであった。ドラマ古畑任三郎(第3シリーズ第2話「その男、多忙につき」)の撮影がこの場所で行われ、本ビルの構造が作中で重要なキーとなっている。屋上に防災用のヘリポートを備えるほか、浜松市消防局の火災監視用カメラ、テレビ局のお天気カメラ、コミュニティ放送局「FM Haro!(浜松エフエム放送)」のラジオ送信設備などが設置されている。また、NHK浜松支局とNHK鼠野ラジオ放送所を結ぶ線上にあり、浜松支局からラジオ放送所に向けて発信している中継用のマイクロ波 (STL) を建物が遮り減衰させてしまうため、屋上にラジオ用のマイクロ波中継設備を備えている。展示会などのイベント用に設計された大規模なホールである。展示イベントホールはプロレス興行で使用される例が多く、新日本プロレスが2013年8月1日に『2013 G1 CLIMAX』開幕戦を開催している。浜松市楽器博物館(はままつし がっきはくぶつかん)は、1995年(平成7年)4月に開館した全国で唯一の公立の楽器博物館で、東洋最大の楽器博物館でもある。アジア・アフリカの楽器の展示の他、明治時代の初め、日本の学校教育に取り入れられた音楽や浜松の楽器産業の歴史、日本の雅楽などの楽器の展示にここならではの特徴が見られ、「楽器の町・浜松」らしい博物館になっている。2006年(平成18年)3月21日に、リニューアルオープンした。近所にある、浜松科学館との間で協力関係にあり、楽器博物館の入場者は、科学館で割引。同じく、科学館の入場者は、楽器博物館で割引などの特典がある。また、研修交流センターでは、市内にある静岡文化芸術大学やアクトシティ内に設置されているアクト音楽院(音楽祭の実施や若手音楽家の育成を行う専門学校)等からの協力により、楽器製造に関する交流を始めとして、クラシック音楽等に関するセミナーを実施。アクトシティの建設は、楽器の街(工業都市)から音楽の街(文化都市)への変革をめざす市の文化政策と、アクトタワーを起爆剤に中心市街地の高度利用を促し都心への人口回帰をめざす都市政策の一環としてバブル景気のさなかに企画・決定された。完成当時の市の人口は55万人ほどであったにもかかわらず、当時名古屋市を上回る高層の建築物を作ることができた。しかし完成時にはすでにバブル崩壊が起こっていたため、当初計画していたアクトシティを呼び水とする周辺再開発は停滞。具体的な動きを見せるのは2000年以降である。文化政策面では市や県の主催する多くの文化事業に使用され、浜松国際ピアノコンクールや静岡国際オペラコンクールなどの国際コンクールの会場としても使用されている。民有部のアクトタワーの稼動率の低さが懸念されてきたが、多くの商店やオフィスが駅の北西側に偏っており、アクトシティを含む駅東側は浜松科学館など文化ゾーンとして整備されているため、商業施設としては客を呼び込みにくい状況にある。2011年現在、周辺(中央地区)の再開発が進行中で都心への高層マンション建設が盛んであり、駅南の砂山地区の再開発も準備段階に入るなど、都心への人口回帰の兆しがみられるため、今後の稼働率向上が期待されている。オフィス部に関しては浜松市の政令市移行以降、入居率が上昇しており入居率は95%超と建設以来最高の入居率を記録している。市有施設と民有施設の複合体であることから第三セクター方式による運営であると思われがちであるが、市有施設の運営は財団法人浜松市文化振興財団に、民有施設の運営はオリックス傘下のアクトシティ・インベストメント有限会社に分離されている。市有部は黒字運営を達成しており、文化事業の実施によって市からの補助金を受給しているものの、税金からの損失の補填はない。2005年(平成17年)4月1日には、それまで市有部分の管理運営をしていた財団法人アクトシティ浜松運営財団を、アクトシティ以外の文化施設の管理運営をしていた財団法人浜松市文化協会と統合し、浜松市文化振興財団に再編した。民有のBゾーンはバブル崩壊後、賃料負担が重荷になったテナントが相次いで退去したため空室が増加。施主である第一生命などにとって不良資産化したため、オリックスに売却。運営会社も第一生命傘下の株式会社アクトシティコーポレーションから、現在のアクトシティ・インベストメント社に変更された。アクトタワー建設にあたっては、Bゾーン単体では法律で認められている容積率(600%)をオーバーするため、隣接する市有のAゾーンの地上高を低く抑え、残りの容積率を民有区画であるタワー建設のために使用する空中権取引が行われたが、この際空中権の利用に関する契約を結んでおらず、対価も受け取っていないことから、公有財産である空中権の管理を怠り市に損害を与えたとして、市長に対し、空中権の使用対価を企業側に請求するよう求める訴訟を市民グループから起こされた。1999年(平成11年)3月26日、静岡地方裁判所は、監査請求期限を過ぎているとして訴えを退けたうえで、空中権は公有財産にあたらず、その管理は市の裁量に委ねられるとする判断を示した。1996年(平成8年)5月20日、中ホールのスプリンクラー作動ボタンに注意書きを貼ろうとした綜合警備保障の警備員が誤って作動ボタンを押してしまい、パイプオルガンが水びたしとなる事故があった。パイプオルガンは製造元のパスカル・コワラン社と組み立てを行ったヤマハの技術者によって解体され、フランスにあるコワラン社の工房で修復された。1999年(平成11年)1月にはパイプオルガン復旧記念コンサートが開かれた。再発防止策としてスプリンクラーからの水がパイプオルガンにかからないよう改修されたため、パイプオルガンに延焼した場合は別途消火作業を行う必要がある。

出典:wikipedia

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