大宮市(おおみやし)は、埼玉県南部に存在していた市。東京都特別区部への通勤率は26.7%、浦和市への通勤率は5.5%(いずれも平成12年国勢調査)。市制施行前は北足立郡に所属していた。2001年に浦和市、与野市と合併し、さいたま市となり廃止。2003年、同市の政令指定都市移行・区制施行に伴い、概ね旧市域にあたる部分が大宮区、西区、北区、見沼区の4区に分割された。古代に武蔵国一宮である氷川神社の門前町として、また江戸時代以後は中山道の宿場町として発達した。「大宮」の地名は氷川神社に由来する。大宮宿は当初、本村、北原、甚之丞新田、右衛門八分、新宿中町、新宿下町、吉敷新田の7村からなっていたが、後年は宮町、大門町、仲町、下町、吉敷町で構成された。江戸から近い割には大きな宿場であり、天保14年(1843年)時点で人口は1,508人で、県内の中山道の宿場町の中では本庄宿、熊谷宿、鴻巣宿、蕨宿、深谷宿に次ぐ規模であったが、脇本陣は9軒と一番多かった。紀州藩の鷹場本陣も置かれていた。明治維新の1869年(明治2年)1月28日、廃藩置県によって大宮県が設置されたが、県庁は暫定的に東京府馬喰町四丁目に置かれた。8カ月後の同年9月には浦和県(その後埼玉県)に改称し、県庁は浦和へ置かれ現在に至っており、結局大宮に県庁が設置されることは無かった。1883年には日本鉄道の第一期線(上野駅~熊谷駅)が開業したが、浦和駅と上尾駅の間に大宮駅は設置されなかった。明治維新以後、街道の役割が低下し、大宮宿の戸数は243戸まで落ち込み衰退していたことが原因であった。衰退を食い止めるために駅の誘致を進め、第二期線(大宮駅~青森駅)の分岐点に1885年、大宮駅が置かれた。のちに駅北側には国鉄大宮工場、南側には大宮操車場などが所在し、一転「鉄道の街」として栄えることになった。市制以前の歴史については大宮町 (埼玉県)も参照。住民基本台帳人口による合併後の旧大宮市域の人口変動。すべて4月1日現在。(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)。なお、さいたま市発足後における旧大宮市域の国勢調査での人口は2005年(平成17年)では472,515人、2010年(平成22年)では487,332人であった。
出典:wikipedia
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