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ミッキー・ウォード

ジョージ・マイケル・'ミッキー'・ウォード・ジュニア(George Michael "Micky" Ward, Jr.、1965年10月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。アイルランド系アメリカ人。メジャータイトルには縁はなかったが、アルツロ・ガッティと3度の激闘を繰り広げた。非常に貧しい家庭の中で育ったウォードは、早くからボクシングに打ち込み、アマチュアでの実績を積んでいった。1985年6月13日にプロとしてデビューし、そこから14連勝を飾る。勢いに乗ってUSBAやIBFインターコンチネンタルなどの地域タイトルに挑戦するもいずれも敗退。この時期に負けが込んだため引退を考え、1991年から3年ほどリングから遠ざかった。1994年、ボクシングを忘れられずに再起を決意。再起後9連勝を飾る。マイナー団体ながらタイトルも獲得し、世界ランカーに浮上する。1997年8月9日、再起から3年で念願の世界初挑戦が実現。相手はIBF世界スーパーライト級王者ヴィンス・フィリップスであった。しかし3RドクターストップによるTKO負けで王座獲得ならず。結局これが最初で最後の世界挑戦となった。世界挑戦失敗後もリングに上がり続け、レジー・グリーンに勝利したり、元世界王者ジェシー・ジェームズ・レイハに善戦するなど戦う意欲は衰えていなかった。そして2002年5月18日には元世界王者のアルツロ・ガッティとの試合が組まれた。ウォードとガッティの試合は連続3回行われ、初戦はウォードが、2・3戦はガッティが勝利したが、いずれも素晴らしい熱戦となった。ウォードはこの3試合目を最後に現役を退いた。ミッキー・ウォードの名前を一躍世間に知らしめたのは2002年5月18日に行われたアルツロ・ガッティとのスーパーライト級ノンタイトル10回戦であった。ガッティは元世界王者、しかも派手な打ち合いを好む好戦的なファイターであった。対してウォードは世界挑戦経験こそあるもののこれと言って目立った選手ではなかった。勝敗は判定に持ち込まれ、2-0でウォードが勝利したが、試合後の観客の声援は両者に送られた。この試合のことはすぐに話題となり、2002年度のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。ドリームマッチでもない普通のノンタイトルの試合がこのような扱いを受けるのは極めて異例のことである。両者の再戦は同年11月23日に実現した。2戦目はガッティがボディ攻撃を中心にウォードを上手く攻め、3Rには強烈な左フックでダウンを奪う。何とか立ち上がるも一方的に攻められストップ負け寸前に陥ったが、驚異の粘りでこのラウンドを持ちこたえた。試合は第一戦に負けない白熱した展開となり、ジャッジは3者とも大差でガッティを支持したが、最後まで倒れず打ち合いに挑んだ両者に大きな拍手が送られた。1勝1敗となった両者のラバーマッチは2003年6月7日に行われた。試合はガッティが序盤から攻勢に出るが、途中拳を負傷して手数が減る。しかし両者ともいつものように一歩も引かない打ち合いに応じた。第6R、このラウンド劣勢に立たされていたウォードだが、ガッティの隙を逃さずダウンを奪う。この瞬間観客は大いに盛り上がった。この試合も最後まで打ち合った末、判定でガッティが勝利を収めた。この試合の後、ウォードは前々から決めていた現役引退を公式に発表した。この試合も2003年のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。ウォードは引退後、3度の激闘を通じて友人となったガッティのスパーリングパートナーやトレーナー役を務めたこともあった。また、ウォードの半生を映画化した作品『ザ・ファイター』も製作され、マーク・ウォールバーグがウォードを演じた。

出典:wikipedia

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