仙台市地下鉄(せんだいしちかてつ。、英略称:SS)は、仙台市交通局高速電車部が運営する地下鉄である。泉中央と富沢を結ぶ南北線と、八木山動物公園と荒井を結ぶ東西線の2路線がある。シンボルカラーは紺青色としている。仙台市交通局は以前「仙台市営地下鉄」と案内していたが、2007年(平成19年)頃から「仙台市地下鉄」に変更され、ペデストリアンデッキの案内板やきっぷ売り場、車内放送もすべて「仙台市地下鉄」に統一されている。これは福岡市交通局と同様であるが、JR東日本による乗換案内(北仙台駅、仙台駅、あおば通駅、長町駅)では、2015年7月現在、旧称の「仙台市営地下鉄線」のままである。いずれも4両編成で運行されているが、各駅のホームは南北線では2両、東西線では1両の追加ができる長さを持つ。大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。対キロ区間制。2015年(平成27年)12月6日現在。運賃、所要時間については、公式サイトも参照。通常の乗車券(切符)のほか、以下の乗車券がある。高度経済成長期に入ると仙台市では、産業におけるモータリゼーション進展によって仙台市都心部の事業所の業務車両(社用車・貨物自動車)やバス・タクシーなどが増加して渋滞や排気ガスによる環境悪化が問題になった。まず、流入車両の減少を期待して1959年度(昭和34年度)より国道4号仙台バイパスの事業に着手し、都心部からの事業所の移転先として沿道に流通・工業地区の造成を始めた。しかし、同時期より人口のドーナツ化現象も発生し、特に北部の七北田丘陵や南西部の青葉山丘陵で大型宅地開発が急速に進んだため、都心部と新興の郊外ニュータウンとの間のバスや自家用車による通勤・通学ラッシュ時の渋滞も大きな都市問題となってきた。1964年(昭和39年)、仙台市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定されると市は、1966年(昭和41年)に都心部を中心とする同心円状の環状道路、および、都心部と郊外とを結ぶ放射状道路を配置した都市計画道路網を策定した(→3環状12放射状線、仙台都市圏環状自動車専用道路)。しかし、高度経済成長末期には市北部に隣接する宮城郡泉町(1971年より泉市、1988年より仙台市の一部、1989年より仙台市泉区)などまで宅地開発が進むようになり、それら住民の通勤通学のため周辺自治体にまで広がった路線バスがラッシュ時に一気に仙台駅前に向かい(1971年7月時点で仙台駅前を発着するバスは、仙台市営バス4,373本、宮城交通1,518本、国鉄バス40本、山形交通20本、東日本急行と東北急行が合計16本)、渋滞問題は抜本的な対策が急務となった。さらに交通戦争とも呼ばれた交通事故による死傷者の増加も社会問題化した。このような仙台の都市構造の変化により、古くからの市街地を路線とした仙台市電は1960年(昭和35年)をピークとして乗客数が減少の一途を示すようになり、道路の一部を占拠している市電は渋滞の元凶ともみなされるようになった。すると宮城県は、1972年度(昭和47年度)に仙台都市圏を対象にした(第1回)総合都市交通体系調査を実施し、翌1973年度(昭和48年度)から1974年度(昭和49年度)にかけて都市圏レベルでの総合都市交通計画を策定した。同計画における公共交通機関計画では大量輸送機関(Mass Rapid Transit、MRT、マストラ)についても言及し、1980年(昭和55年)には「南北線」、1990年(昭和65年)には「南北線+東西線」、さらに将来的には「南北線+東西線+環状線」のマストラ網を整備すべきと提案した。これに呼応するように仙台市では、1973年(昭和48年)に市電の廃止を決定し、1976年(昭和51年)3月末に廃止した。マストラ網、すなわち地下鉄網計画では当初、以下のような路線が想定された。「北仙台線」および「長町線」は現在の仙台市地下鉄南北線の八乙女 - 長町南に相当するが、現台原駅付近から当時の国道4号(都市計画道路3.3.28元寺小路七北田線。現宮城県道22号仙台泉線)を北上する想定であった。また、北仙台線の七北田(八乙女)に「七北田線」が接続して北方向に、瓦山(台原)に「鶴ヶ谷線」が接続して東方向に、鍋田(長町南)に「名取線」および「茂庭線」が接続して富沢から南および西方向に分かれる計画である。さらに、仙台駅では仙石線を西に延長するように「川内線」が接続し、北部の郊外ニュータウン同士を横方向に繋ぐ計画である。オイルショックが発生するなど社会情勢の変化はあったが、地下鉄網計画のうち、「名取線」および「茂庭線」の鍋田 - 泉崎を加えた「南北線」が1975年(昭和50年)に運輸省の仙台地方陸上交通審議会で認可された。1978年(昭和53年)に地下鉄の免許申請が行われ、1980年(昭和55年)5月30日に免許が交付され、1981年(昭和56年)に狭軌架空線方式の南北線が着工された。工事では、地上区間や山岳トンネル区間の多い区間が日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に委託された。これは一時的な地下鉄建設のために仙台市が人員補充を避けるための方策であったが、公団も上越新幹線で発展させたNATM工法を応用するなど、経済的な路線建築が実現した。1982年度(昭和57年度)に宮城県は、仙台都市圏における第2回の総合都市交通体系調査を実施し、翌1983年度(昭和58年度)から1984年度(昭和59年度)にかけて都市圏レベルでの新たな総合都市交通計画を策定した。同計画における公共交通機関計画では、1995年(昭和70年)には「南北線+東西線+南西線+北西線」、2005年(昭和80年)には「南北線+東西線+南西線+北西線+南小泉方向+環状方向」のMRT網を整備すべきとを提案した。1987年(昭和62年)7月15日、南北線富沢 - 八乙女間の全線13.6kmが開通した。八乙女駅ではバスとの乗り継ぎ施設が併設され、その他の駅でもバスとの乗り継ぎ運賃が設定された。開通時には黒松・八乙女の2駅が泉市内だったが、1988年(昭和63年)3月1日に泉市が仙台市に編入合併されたため全線が仙台市内となった。1989年(平成元年)4月1日、仙台市が県とほぼ同格の政令指定都市に移行すると、仙台市内の公共交通機関は市の管轄となったため、県からJR仙石線の地下化事業が移管され、地下鉄計画も市の主導に大きく変化した。宮城県は、1992年度(平成4年度)に第3回の総合都市交通体系調査を実施し、翌1993年度(平成5年度)から1994年度(平成6年度)にかけてまた新たな総合都市交通計画を策定したが、県は新設部分が仙台市外となる仙台空港アクセス鉄道に注力するようになった。1992年(平成4年)7月15日には97億円をかけて泉中央駅へ1駅延伸した(総延長14.8km)。過去の計画における「七北田線」では七北田宿のある市名坂を経由する想定であったが、その西側に新たに造成された泉中央副都心に向かってそのまま北に延伸した。同年度に、泉区泉ヶ丘まで延伸するかどうかの調査が行われたが、延伸しないことで決着した(詳細は「仙台鉄道#黒川郡の鉄軌道構想」を参照)。2007年(平成19年)5月26日に南北線の運行管理システムが更新され駅内放送も変更された。2015年(平成27年)12月6日に、東西線(八木山動物公園 - 荒井間13.9km)が開業した。東西線はリニアモーターを採用、トンネル径の小さい「ミニ地下鉄」方式で建設された。東西線の仙台駅より西側の区間は、過去の計画の「川内線」および「茂庭線」を踏襲した仙台市営モノレール南西線や仙台トンネルへの直通案などの構想を経て、費用対効果が高い区間に短縮された。開業から2007年度までの単年度純損益は赤字が続いていたが、2008年度から黒字に転換。2011年度は東日本大震災の影響によって特別損失を計上したが、24億7827万円の黒字を確保。2014年度は、33億0962万円の黒字。累積損益は895億7221万円の赤字となっている。
出典:wikipedia
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