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ピーピングトム

ピーピングトムは、1993年に結成されたワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ。桑原 貞雄(くわはら さだお、 - )ボケ担当。今村 久仁人(いまむら くにと、 - )ツッコミ担当。2人の出会いは大学時代。1989年4月22日、共に1浪を経験し入学した松山大学の主催するキャンプ、グリーンキャンプで知り合う。同年5月にパンクバンドとしてピーピングトムが誕生。また12月に「ロックフェスティバルIN松山」にて審査員特別賞を受賞。オリジナル曲に「中退ロック」がある。1990年12月6日、ビジーフォーのディナーショーの影響によってコミックバンドを目指すが、2日後には桑原と今村の2人のみになってしまい、1年半の活動にピリオドを打つ。しかしその翌日、ダンス甲子園や風見しんごの「涙のtake a chance」に影響され、ダンスチームとしてのピーピングトムになる。1991年、今村が東京に1人で行くと言い出すが、桑原が抱きついて「俺も連れてけ」と言うと、今村が泣き出し一緒に行くことを決意する。同年9月、周囲の反対を押し切り、松山大学を中退する。このような紆余曲折を経て、とうとう1993年3月31日にお笑いコンビとしてのピーピングトムとなった。その1ヵ月後に、渡辺プロダクションで「犬とサラリーマン」というネタで初のネタ見せを行う。今村曰く「少しウケた」という。翌年の1994年にオールナイトフジ・リターンズの若手芸人勝ち抜きコーナーで5週勝ち抜きを達成。また、新宿ビブランシアターでアンバランスとの合同コントライブを行う。1995年、NHK新人演芸大賞の演芸部門大賞で東京代表としてノミネートされる。1996年、原宿クエストホールで東京GAG FACTORY公演を行う。1997年7月14日、桑原が自転車に乗っているときに交差点で交通事故に遭う。足に20針を縫う大怪我であった。その2ヵ月後には相方の今村も交通事故に遭った。桑原が退院後は、多摩大学(原千晶と共に)や島根大学などの学園祭にゲストとして呼ばれた。この年に初めて単独のトークライブを行った。他に、「のぞき屋ダイナマイト」(のち「暗闇の目撃者」)というキャッチコピーで『タモリのボキャブラ天国』シリーズなどに出演。ホストのような容姿で人気があったが、ベスト10の壁は厚く評価は得られなかった。特に交友が深かったのはプリンプリンとBOOMER。この間とても仲が悪かった時期があり、同居していてもほとんど口を利かなかった。そのため今でも他人から関係を聞かれる。現在は、桑原がワタナベコメディスクールでワタナベコメディスクールデビュー推進部及び講師を務めており、今村が放送作家の仕事をしていることから、コンビでの仕事は少ない。現在唯一のレギュラー番組は、ABCラジオの『ピートム.Comic Jack』である。

出典:wikipedia

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