毛呂山町(もろやままち)は、埼玉県南西部にある人口約3万5千人の町。西部は自然が残る外秩父山地、北東には岩殿丘陵がかすめ、東部は水田が広がる低地、中央部をJR八高線と東武越生線が走り、沿線を中心に宅地化が進んでいる。果樹園が多く、特にユズの産地として知られている。東京都心から50km圏内の入間郡南西部に位置し、東西約9km、南北約7.5kmで、中央部がくびれた形をしている。秩父山地と関東平野が接する八王子構造線にまたがり、西部の緩やかな山地は標高約300 - 400mで、外秩父山地の東縁部にあたり、秩父古生層が広く分布している。一部が県立黒山自然公園に指定されており、農業用灌漑貯水池である鎌北湖はその中心となる湖である。この湖から飯能市の天覧山まで奥武蔵自然歩道が伸び、ユズをはじめとする果樹園や畑が多く自然環境に恵まれていることから、観光客がハイキングなどに訪れている。南部の丘陵地帯には武者小路実篤が理想社会を目指して創設した「新しき村」があり、1939年に宮崎県から移住して以来、現在も農業を基盤とした共同生活を続けている。中央部から東部にかけては越辺川(おっぺがわ)と高麗川に挟まれた標高約60m前後の平地で、表面は関東ローム層に覆われている。東武越生線は坂戸駅で東武東上線に接続し、沿線は東京都内および埼玉県内の川越・志木などへの通勤圏に入るため1980年ごろから宅地化が進み、市街地が形成されている。主な地目別構成比は、山林40.2%、畑14.0%、その他13.8%、宅地13.5%、雑種地12.8%、田4.7%、原野0.9%、池沼0.1%となっており、宅地やその他の地目が増加し、森林や農用地等の減少が進んでいる。また、首都圏からのアクセスも良く地形が適当であったことからゴルフ場も多く開発されている。縄文中期頃にはすでに人々が生活をしていた痕跡があり、これまでに約120ヶ所の遺跡が確認されている。20歳代前半人口が突出しているのは、町内の医科大学と医療系専門学校、および近接する坂戸市内の大学へ通学する学生が転入しているためと推定される。1989年にスポーツ健康都市を宣言した毛呂山町が1990年3月22日、毛呂山町告示第11号として採択した憲章である。本則は、概ね道徳を重んじ地域の発展に寄与することを旨としている。この時の町長は、1967年以来6期目在職23年目を迎えた下田養平であり、1991年にこの6期目を最後に引退していることから、同町長による町政の精神的集大成と見ることもできる。毛呂山は恵まれた自然と先人の築いた歴史を持つまちです。わたくしたちは、ふるさと毛呂山に住むことを誇りに思い、さらに住みよいまちづくりをすすめるため、ここに町民憲章を定めます。自然環境を生かした農業を展開し、ユズやリンゴのもぎ取り園などの観光農業が盛ん。ユズは昭和初期から栽培され、日本で最も古い産地といわれている。生産地である桂木地区から「桂木ゆず」の銘柄で全国的に有名。また鶏卵の生産額は県内第2位となっている。庭先や直売所で地元の消費者や観光客に果樹や野菜、農産加工品などを販売している。1990年代以降は農業従事者の高齢化、労働力の流出や兼業化、耕作地の減少など厳しい状況に置かれつつある。各駅を中心とした9つの商店街で分散しているため、購買力は町外へ流出する傾向にあったが、1990年代後半から中心部に大型店が進出したことで、町内での購買力が回復している。市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は毛呂山2局のみ。郵便番号は町内全域が「350-04xx」(越生郵便局が集配を担当)である。タクシーの営業区域は県南西部交通圏。
出典:wikipedia
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