肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。元来は肥前国と合わせて火国(肥国、ひのくに)であった。火国の名は、活発な噴火活動を行っている阿蘇山に由来するといわれる。また一説には、肥前・肥後両国の有明海沿岸に広がる干潟に由来するともいう。「肥後国」として初めて文献に現れるのは持統天皇10年(696年)頃であり、7世紀中に肥国を分割して肥前国と肥後国が成立したと推定される。国府所在地を記した文献は次の通り。国府は託麻郡、益城郡、飽田郡と変遷したとされる。それぞれ託麻国府は熊本市国府()、益城国府は未詳(諸説)、熊本市二本木の二本木遺跡と推定されている。延喜式内社総社・一宮以下以上のほか、郡浦神社(宇城市三角町郡浦)が三宮を称する。※日付=旧暦
出典:wikipedia
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