


択捉島(えとろふとう)は、千島列島南部に位置する島。日本では固有の領土であるとしているが、現在はロシア連邦が実効支配している。地名の由来は、アイヌ語の「エトゥ・ヲロ・(岬の・ある・所)」から。ロシア名はイトゥルップ島(ロシア語: )、英語表記は Iturup。面積3166.64km²、長さは約214kmに及ぶ細長い島であり、千島列島では面積最大の島である。国後島の北東にある国後水道(露: エカチェリーナ海峡 )を隔てて位置し、択捉島の北東にある択捉海峡(露: フリーズ海峡 )を隔てて得撫島(露: ウルップ島 )へと連なっている。人口6,739人。中心集落は、紗那(露: クリリスク - 「千島の町」の意)、2006年(平成18年)の人口は2,005人)。面積では日本の領土の島のうち本州・北海道本島・九州・四国に次ぐ(四島以下の大きさは、大きな方から順番に、択捉島-国後島-沖縄本島-佐渡島-奄美大島-対馬-淡路島-)。国後島の2.1倍強、沖縄本島のおよそ2.7倍である。したがって「北方領土」の中でも最大の島であり、その面積は全体の63.4パーセントを占める。北海道根室振興局管内に所属する日本最北端の島であり、択捉島最北端のカモイワッカ岬(露: コリツキー岬 )は、の位置にあり、日本政府が領有権を主張する領域内で最北端の地である。第二次世界大戦末期に日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍により武力占領され、現在はロシア連邦の実効支配下にある。ロシア側行政区においては、国後島や色丹島とは別の行政単位であるサハリン州クリル管区に位置付けされている。日本政府の見解では、上記は国際法違反であるとし、不法占拠下にあるとしている(北方領土問題)。北東から南西方向に伸びる細長い島であり、幅は約20-30kmであるの対し、長さは約214kmとなっている。北東端はラッキベツ岬、南西端はベルタルベ岬である。島の北側には散布半島が突き出している。また、中部には単冠湾(ひとかっぷわん、露: カサトカ湾 )、南部には内保湾がある。平地は少なく、火山が多い。火口湖の得茂別湖も島の南部に位置している。湖沼:蘂取沼(しべとろぬま、露: 、2.71km)、トウロ沼(露: 、1.31km)、瀬石沼(露: )、紗那沼(しゃなぬま、露: 、1.02km)、ラウス沼(露: 、1.41km)、年萌湖(としもいこ、露: 、4.25km)、キモン沼(露: )、ヤンケ沼(露: )、レブン沼(露: )、キモンマ沼(露: 、1.45km)、内保沼(ないぼぬま、露: 、2.56km)、得茂別湖(うるもんべつこ、露: 、5.71km)。アイヌが先住しており、17世紀後半にはメナシクルの勢力がのびた。1945年(昭和20年)8月28日、太平洋戦争終戦間際、すなわち降伏文書調印(9月2日)直前にソ連軍が同島に上陸し占領した(この日は、米軍先遣隊が厚木に上陸し、本土の占領が開始されたのと同日である)。ポツダム宣言第7条により、日本国の諸地点は連合国に占領されたが、一般命令第1号により、同島を含む千島列島は、ソ連占領地となった。1946年(昭和21年)1月29日、GHQからSCAPIN-677が命令された。これは、日本は同島を含む千島列島の施政権を停止させるものだった(ただし、領有権の放棄を命じたものではなかった)。直後の2月2日、ソ連はこれらの地域を自国領に編入した。それ以降、ソ連とその後継国家であるロシア連邦による実効支配が続いている。ソ連軍上陸後は、ソ連軍兵士による強盗・殺人・強姦や略奪行為などが横行した。また、1945年(昭和20年)9月以降しばらくの間は、日本人の本土引き揚げは禁止されていたにもかかわらず、北海道本島に渡航する人が続出した。しかしある時期から、ソ連軍兵士の略奪行為などに対して、死刑執行も含めた厳罰が下されるようになった。日本人とロシア人との混住状態が1年以上続いたが、同島からの日本人の本土引き揚げは、1946年(昭和21年)12月から本格的に始まり、1948年(昭和23年)までにおおむね終了した。かつての中心地である紗那は、引き続き同島の中心地である。他の主要集落として、軍民兼用の飛行場がある天寧(露: ブレヴェスニク 、2006年(平成18年)の人口は3,105人)などがある。これより島の南部や、別飛より北東部は、自然保護区域として地元のロシア人でさえも立入りが制限されている。留別(露: クイビシェフ )や蘂取(しべとろ、露: スラブノエ )はロシア人集落となったが、現在は両村とも廃村状態である。1991年(平成3年)に、後に成立したロシア連邦が実効支配を継承した。1994年(平成6年)秋に発生した北海道東方沖地震後、人口は減少傾向にあった。そのような状態の中、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ベルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイ()社(本社は豊原市(ユジノサハリンスク))が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、1990年代後半以降瞬く間にめざましい成長を示し、同島の経済基盤は強固なものとなり現在に至る。なお、同社は現在、別飛(露: レイドヴォ )に、米国製の機械を備えた日産400tの加工が可能な大工場をもつほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行()を設立し、金融業にも乗り出している。しかし、日本政府が領土問題に関連して取引きの規制を行っているので、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。地下資源もあり、北部の茂世路岳(1124m、露: クドリャブイ火山 、英: Medvezhia)は、その火山ガスにレアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミーの科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山と見なしている。また、金鉱開発の可能性も指摘されている。2015年(平成27年)を目標年次とするロシア連邦政府の「クリル諸島社会経済発展計画」の目玉として、工費12億ルーブル(約55億円)の公共投資により、中心都市の紗那付近に全天候型、滑走路1,530mの国際空港が建設されている(2008年(平成20年)3月 ギドロストロイ社によって着工、2010年(平成22年)完成予定)。完成後はこの空港から、サハリン島やロシア本土のウラジオストクおよびハバロフスク、そして事情が許せば日本本土からの航路が就航する予定であり、これによって「発展計画」の柱の一つである観光開発に大きな弾みがつくことが期待されている。2012年(平成24年)5月、ギドロストロイ社が主導してクリリスクの近郊キタボエにて総額34億ルーブルを投じる港湾整備工事を着工したが、韓国の建設会社がロシア以外の企業として初めて北方領土の開発に参加することとなった。また、同年11月には観光客誘致策の一環として択捉島中心部にリゾートホテルを建設し、2015年(平成27年)に開業予定であるとの報道もなされている。ウクライナ危機、クリミア危機によりロシア政府は国防を強化している。2016年4月には対艦ミサイルなどを配備し、軍事拠点の増設も発表された。アメリカ海軍への牽制を考慮し、P-800対艦ミサイル系「バスチオン」「バル」が数機配備された。戦前は、中心集落であった紗那まで定期の船便があったが、戦後は、北海道本島から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、紗那に入港する。(「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げるほか、クリリスクに到着後はロシアの税関当局による入域審査を受ける。)なお、このチャーター船の利用は、旧島民とその子孫、返還運動を行う団体から推薦された者などに限定され、一般の日本人が自由に利用することはできない。小型船舶による渡航に関しては他国と共通であり、択捉島を含む南千島には航行区域に関する情報が日本小型船舶検査機構から開示されている。現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、南樺太を拠点に運航されている。ユジノサハリンスク(豊原)空港からは、サハリン航空のプロペラ機が週4便(月、水、木、金曜日の午前発)、択捉島留別村のブレヴェスニク空港(旧:天寧飛行場)まで就航している。しかし、有視界飛行なので、霧がかかりやすい夏季には欠航となる率が高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市の紗那(クリリスク)から砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。2010年(平成22年)に紗那・別飛付近に新空港を着工し、2014年9月10日、50人の乗客が搭乗したオーロラ航空が初めて着陸した。コルサコフ(大泊)港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便就航している。この船は、月曜日にコルサコフを出港し、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島および国後島に寄港したあと、木曜日にコルサコフに帰港し、金曜日に再びコルサコフを出港し、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港したあと、月曜日にコルサコフに帰港するというスケジュールで、3〜12月に運航される。一般の日本人・外国人が択捉島を訪問するには、ロシアの査証を取得したあと、稚内または新千歳または成田、あるいは函館からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで択捉島への入境許可証を取得し、空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土においてロシアの主権に服する行為であるとして内閣が1989年(平成元年)以来自粛を要請しているが、この自粛要請に法的強制力は無く、ギドロストロイ社への技術支援のための入境のほか、多くの書籍やホームページなどで、この方法によって同島に入境した日本人旅行者の体験記が確認できる。いうまでもなく、EU、米国、韓国はじめ、多くの外国人ビジネスマンや技術者は、ギドロストロイ社との取引・技術支援などのため、ごく普通にロシアの査証を取得し、同じ方法で同島に入域している。択捉島の居住者は衛星を通じて送られてくるロシアのテレビ番組を見ているものと思われる(SECAM方式 ロシアチャンネル)日本のBS放送を除き、距離的に日本の地上波テレビの受信は難しい地域とされる。ラジオ放送についてはクリルスク中継局 1602KHz 1Kw 70.64MHz 放送時間は日本時間で4:00-23:00とされているが確認は出来ていない。放送系統はRadio Mayakとのこと。携帯電話はロシアの携帯電話会社(MegaFan MTS)が参入し、方式はGSMである。日本の携帯電話はローミング可能機であれば接続可能と推定されるが、確認はされていない。エリアはクリルスクとBurevestnikの周囲とされている。択捉島は2007年(平成19年)から地熱発電を始め、全電力を地熱発電で供給している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。