京急蒲田駅(けいきゅうかまたえき)は、東京都大田区蒲田四丁目にある、京浜急行電鉄の駅である。駅番号はKK11。島式ホーム2面6線を有する高架駅。本線と空港線の分岐点である。1階に改札階、2階に上りホーム(4-6番線)、3階に下りホーム(1-3番線)を配置する三層構造となっている。2階と3階は同じ形状のホーム(後述)が上下に重なっている。空港線は1・4番線から分岐しており、1番線には品川方面からの羽田空港行きと羽田空港からの横浜方面行き、4番線には横浜方面からの羽田空港行きと羽田空港からの品川方面行きが停車する。それぞれの分岐から隣の糀谷駅との間に設けられているシーサスクロッシングまでの間は単線並列の形となっている。3番線・6番線は横浜寄りが切り欠き式ホームになっており、この切り欠かれた部分に2番線・5番線がある。2番線・5番線のホーム外側には3番線・6番線に至る通過線が設けられており、緩急接続(待避)が可能となっている。なお、2番線への入線時は一旦3番線を通過し、5番線からの発車後には6番線を通過する必要がある。5番線は2010年の時点で既に完成していたが、供用開始はしていなかった。上述のような構造となっているため、ホームそのものは18両分の長さが確保されている。2008年12月11日から、メンバーの鈴木雅之・桑野信義が大田区出身であるラッツ&スターの「夢で逢えたら」が接近メロディとして使用されている。同時に通過列車接近時の警告音の音程が変更された。2010年5月16日から2012年10月20日までは、島式ホーム2面4線を擁する高架駅(一部地上駅)であった。上り線が高架駅となっており、下り線が従来からの地上駅だった。地上駅時代は各ホームを連絡する跨線橋があったが、連続立体交差事業(後述)が実施されていた関係で、東西双方の改札口とホームとは地下道により連絡していた。現在の駅舎になってからは各ホームとコンコースを連絡するエレベーターが設置された。東口はかつて分岐点近くに駅舎が設置されていたが、連続立体交差事業の進捗に伴い一時跨線橋上に移転後、現在の地下通路内に移転した。乗り換え通路は雑色・糀谷寄りにある。かつてはエスカレーターを併設していた。全面高架化までは、次の場所にバリアフリー施設を設置していた。空港線の羽田空港側では国道15号(第一京浜)が京急蒲田(空)第1踏切 (23.3m) で平面交差していた。また、分岐部のカーブは1986年まは半径60mであったが、同年に800形を入線させる際に半径80mに緩和した。2010年5月15日までは、島式ホーム2面3線を擁する地上駅であった。当駅は、上り本線浦賀・三崎口方面からの空港線乗り入れと空港線からの上り本線乗り入れが下り本線と平面交差となっていた。中でも1番線は長らく空港線専用ホームとして使われてきたが、1993年4月1日に空港線が羽田駅(現・天空橋駅)まで延伸された際に本線品川方面からの直通列車が運転されるようになったので、両方向発着ホームとなった。しかし、1998年11月18日の羽田空港駅開業後に空港線の輸送が強化されて以降、本線列車のダイヤ設定上のネックとなっているにもかかわらず、本線や空港線が絡む過密ダイヤを3線でさばいていた。また、当駅に隣接する東京都道311号環状八号線(環八通り)および第一京浜はともに都内有数の交通量の多い道路であり、それぞれの交差点と踏切が隣接していることもあって慢性的な交通渋滞が発生しており、両踏切とも国土交通省からボトルネック踏切(いわゆる「開かずの踏切」)と認定されていた。さらに、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の復路が開催される毎年1月3日は、出場選手の通過のために踏切の遮断時間を短縮するダイヤ変更も行われていた。変更内容は、羽田空港発着列車の一部を京急川崎駅発着に変更することと、横浜方面からの羽田空港発着列車の一部を品川駅発着に変更することであった。これらの諸問題を解決するために、2000年から当駅を中心とした本線4.7km(平和島 - 六郷土手間)と空港線1.3km(京急蒲田 - 大鳥居間)の合計6kmを連続立体交差化(高架化)する工事を施工し、当駅ではそれに併せて本線・空港線での平面交差の解消や当駅での緩急接続などを目的に、駅舎の建て替えと線路の移設工事が行われることになった。工事に当たっては国土交通省の鉄道駅総合改善事業補助を受けるため、大田区が出資した第三セクターの蒲田開発事業株式会社が駅関係施設を保有して事業主体となり京急が受託する形となった。施工については京急建設と鹿島建設が主体となって工事が進められ、2010年5月に一部高架化し、2012年10月に全面高架化となった。高架化工事完成により、本線ホームの雑色寄りに切欠き式の待避ホームが設置され、2面6線の形態となり普通列車が待避可能な駅構造となった。また、高架化工事完成に備えた東口バスのりば用地も確保されているほか、第一京浜を横断する蒲田第一踏切が廃止されたことにより箱根駅伝復路開催時の運行ダイヤ変更も2013年から解消された。また、空港線の急曲線の半径も半径80mから同100mに緩和された。当駅の案内板の一部には、佐藤修悦による修悦体を使用した文字が使用されている。東口には、「京急蒲田駅付近連続立体交差事業情報コーナー」が設置されている。この高架化工事事業はグッドデザイン賞を受賞した。駅西側駅東側2013年度の一日平均乗降人員は49,477人であった。近年の一日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通り。(注)1998年までは本線・空港線別の乗車人員データが発表されていた。1999年以降のデータは両線の合算値である。また、乗り換え人員は含まれていない。1998年11月18日に運行開始から、当駅に停車していたエアポート快特は、2010年5月16日に実施されたダイヤ改正で当駅を通過することになった(「名古屋飛ばし」に擬え「蒲田飛ばし」とも言われる)。通過に対し、高架化費用の一部を負担した大田区側からは、反対の意見が出ていた。鉄道ジャーナリストの杉山淳一は、高架化は道路交通の改善が主目的であることから、大田区は高架化で渋滞が解消され、緊急車両の通行改善など区民の安全性が高まることを評価すべきなのに、エアポート快特の通過に関する京急への批判が前に出たことを「ピント外れ」「享受するメリットを履き違えた」と論評した。一方大田区は、「自発的に区税から200億円を拠出し、工事に必要な立ち退きに際し沿線住民に理解を得るまで協力した結果が、今まで停車していた京急蒲田駅がスルーされ、しかも事前に一言の相談も無かった」として強く憤り、ダイヤ改正前日の2010年5月15日に区長・区議会・町会連合会・商店街連合会に加え、国会議員も参加して開かれた「京急蒲田駅通過反対区民大会」では、大田区産業プラザの定員600人を超える区民が会場に押し寄せた。この中で大田区長松原忠義は「京急蒲田駅を通過させるために高架化事業に協力してきたわけではない」「拠出の拒否も考えざるを得ない」と述べた。これに対し、当時の石原慎太郎東京都知事は大田区の対応に苦言を呈したが、大田区議会議員の永井敬臣(自民党)は「石原さんも大田区民でしょう?だったら(あなたは)羽田空港へは自転車で行ってください」と反論した。その後、2012年10月21日のダイヤ改正で、それまで1時間あたりエアポート快特3本・急行3本であったものが、1時間あたりエアポート快特1.5本・快特4.5本に変更され、エアポート快特の当駅通過は継続されるものの、当駅停車列車が増加することとなった。大田区の中心としての機能および商業施設は蒲田駅付近に集中しているが、一部は当駅近くに立地している。西側には蒲田駅東口に続くアーケード街と小規模の商店街が存在しており、東側には小規模の商店街が存在している。当駅周辺は中規模のビルが林立しており、連続立体交差事業が始まってからの約10年間で中・高層のマンションが数棟建設された。西口周辺は駅前広場の設置や広範囲にわたる再開発が計画されている。2012年12月には当駅南東にある南蒲田交差点の立体化が完成し、道路環境が変化した。なお、西口周辺では駅前広場の新設および整備に伴い、商店街あすとの縮小が行われた。2014年現在、西口駅前の広範囲に渡って「京急蒲田西口駅前地区第一種市街地再開発事業」が進められ、2015年12月11日に高層住宅とライフ京急蒲田駅前店などが入居する20階建の「あすとウィズ」が開業するとともに、駅前広場も整備された。同時に駅の高架下に京急ストアや飲食店をはじめとする各種専門店、コンビニエンスストア(セブン-イレブン)、大田区観光情報センターなどを擁する商業施設「ウィングキッチン京急蒲田」がオープンした。駅の改札階とあすとウィズとはペデストリアンデッキで直結している。西口広場と東口駅前広場に停留所があり、京浜急行バスと羽田京急バスにより運行されている。この西口広場の停留所と東口駅前広場は2016年4月1日に使用を開始した。各路線の詳細は羽田京急バス東京営業所および京浜急行バス大森営業所(蒲36系統のみ)を参照。
出典:wikipedia
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