セリエA(セリエ・アー、 、 セーリェ・ア)は、イタリアのプロサッカーリーグ、レガ・カルチョのトップディヴィジョン(1部リーグ)。2010-2011シーズンよりレガ・セリエAによって運営される。リーグが現在の形になったのは1929年のことである。1990年代には、UEFAチャンピオンズリーグでイタリアのクラブチームが7年連続でファイナルに進むなど世界中からスター選手が集まり、世界最高峰のリーグと呼ばれていた。1950年代から1990年代前半までセリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ミラン、インテルのビッグ3に加え、ジェノア、ローマ、フィオレンティーナ、ラツィオ、ナポリ、サンプドリア、トリノ、ボローニャなどの中堅名門クラブ、次いでプロヴィンチャ(小さい地方都市のクラブという意味)という構図が基本的だった。「三階建て」構造では、プロヴィンチャは主力選手をビッグクラブに放出して得た移籍金でクラブを運営し、ビッグクラブはプロヴィンチャの主力選手を補強して戦力を上げていた。また、ビッグクラブでは余剰戦力をプロヴィンチャに放出することで無駄な人件費を削減、プロヴィンチャは有力選手を獲得して戦力を維持できるといった恩恵があった。イタリアの地域事情や歴史的背景から、ユヴェントスやミラン、インテルは北部のプロヴィンチャと結びつきが強く、ローマやラツィオは中南部のプロヴィンチャとの結びつきが強かった。また、北部のクラブと中南部のクラブ同士での選手の移籍も活発に行われており、「三階建て」構造によって、セリエAは成り立っていたとも言える。ただし、フィオレンティーナに関しては北部・中南部のクラブ共に結びつきが強いが、ユヴェントスへの移籍は「禁断の移籍」と呼ばれており、両クラブ間で移籍をした選手は、サポーターからのブーイングが飛ぶことが恒例となっている。かつてロベルト・バッジョがフィオレンティーナからユヴェントスへ移籍した際には、フィレンツェで暴徒と化したサポーターが街に溢れ、暴動にまで発展した。1990年代中盤より、衛星有料放送の普及によるサッカーのビジネス化、ボスマン判決による外国人選手獲得の自由化などカルチョの国際化が進む中で急激な変化が起き、ボローニャやナポリ、トリノ、ジェノアなどの名門が降格の憂き目に逢った。中堅クラスのクラブは成長に成功したグループと没落するグループに大別され、「三階建て」の構造は崩壊した。こうした中で台頭したのが「セブン・シスターズ」とも呼ばれるビッグクラブグループだった。すなわち、従来のビッグ3であるユヴェントス、ミラン、インテル、それに準ビッグクラブのローマ、新たなビッグクラブとしてラツィオ、フィオレンティーナ、パルマが加わった7クラブだった。新興勢力であるフィオレンティーナ、パルマ、ラツィオは、カルチョビジネスの拡大バブルに伴い、大型補強を行って優勝争いに加わった。フィオレンティーナは映画製作者のマリオとその息子ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ、ラツィオは食品メーカー大手チリオのセルジョ・クラニョッティ、パルマは食品メーカー大手パルマラットのカリスト・タンツィの元で莫大な資金を投入し、1999-2000シーズンは上位1~7位までをセブン・シスターズが占めた。セブン・シスターズは国内のみならず、ヨーロッパにおいても華々しい躍進を遂げた。しかし、サッカーバブルが崩壊し、過剰な投資と放漫財政の破綻が明らかになると、従来のビッグ3を除くクラブは経営難にあえぐこととなり、セブン・シスターズの構図は崩壊する。フィオレンティーナはチェッキ・ゴーリによる主力選手の売却などを経て2002年に破産した。ラツィオもクラニョッティによる無謀なチリオの経営が破綻したために破産寸前に追い込まれ、パルマも2003年、パルマラットの粉飾決算事件を機に不良債権を抱えてしまった。ローマも例外ではなく、センシ会長の元で巨額の負債を抱えることになった。フィオレンティーナ、ラツィオ、ローマ、パルマなどの名門クラブは多額の負債を抱え、主力選手放出を余儀なくされ、クラブの再建に取り組むことになる。フィオレンティーナは2002年の破産によるクラブ消滅後、若手主体のチーム作り、中長期目標に基づく優勝を目指すなど、全体的に再建の途中と言える。20クラブによるホームアンドアウェー方式2回戦総当たりのリーグ戦形式で行われる。従って1クラブあたりの1シーズンの試合数は38試合、計380試合が行われる。勝利クラブに勝ち点3、引き分けの場合には両クラブに勝ち点1が与えられ、負けは0になる。順位は勝ち点の多い順に決められ、勝ち点が最も多いクラブが優勝となる。複数のクラブの勝ち点が同一の場合には、得失点差などに関係なく同順位となる。シーズン終了後に同順位の場合、そのチーム同士の対戦成績により決定する。カップ出場枠は毎シーズン、欧州サッカー連盟(UEFA)が定めるUEFAランキングで変動する。セリエAは、UEFAチャンピオンズリーグ3枠、UEFAヨーロッパリーグ3枠を得る。UEFAヨーロッパリーグの内1枠は、コッパ・イタリアの優勝チームに与えられる。コッパ・イタリアの優勝チームが順位で出場権を確保している場合は、準優勝チームに出場権が与えられる。準優勝チームも順位で出場権を確保している場合は、順位による枠が1つ拡大される。また下位の3クラブがセリエBに自動的に降格する。ただし、クラブの財政的な問題でプロライセンスを保有できないと判断された場合はセリエC以下のクラスへの降格がありえる。警告処分は初め4回で1試合の出場停止処分となる。その後3,2,1回と減り再び4回に戻る。1試合に2回の警告処分及び退場処分を受けた場合は翌1試合の出場停止処分となる。ただし1試合に2回の警告処分を受けても悪質とみなされなかった場合は出場停止処分を受けない場合がある。EU内国籍およびEU加盟申請中の国の選手に関しては、無制限に登録が可能。EU外国籍選手に関しては、2002年7月18日以前に契約した選手には適用されず、毎年8月31日までに新たに契約してセリエAに参戦する選手は、各クラブに2人のみ追加で登録することが許される。セリエAのリーグ優勝をすることをしばしば「スクデットを取る」という。「スクデット」(scudetto)とはイタリア語で「小さな盾」(盾…scudo + 縮小辞 etto)を意味し、優勝クラブは翌シーズン、ユニフォームの胸にイタリア国旗のトリコローレを示した盾型のエンブレムを縫い付け戦うことができる。また、優勝10回毎に1つ、「ステッラ」(stella、イタリア語で「星」)と呼ばれる金色の星の刺繍を追加する事が許される。31回優勝のユヴェントスは3個、18回のインテル・ミラノとACミランは1個の星を付けている(優勝回数は2014-15シーズン終了現在)。なお、9回優勝のジェノアはあと1回の優勝で付けることが可能だが、優勝は全て第二次世界大戦前のものであり、90年以上も優勝から遠ざかっている。1929年にリーグが現在の形になって以来、計60クラブがセリエAに所属してきた。この中でもインテルは、一度も降格することなくセリエAに所属し続けている唯一のクラブである(同じく2006年まで降格経験の無かったユヴェントスとの対戦を「イタリアダービー」と呼ぶが、ユヴェントスはカルチョ・スキャンダルによって初めて降格した)。
出典:wikipedia
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